気になる写真!

このブログはその時々の好奇心で、気になった被写体を切り取り、・・・チョットだけ考えてみようと

ごはんちょうだい 善光寺

2015-03-10 | 旅行記
善光寺は、有名なお寺ですから、仏教の宗派は? と考えると、   ・・・そうでした、善光寺は古いお寺でした。
日本最古の仏像が本尊だけあって、無宗派の広く親しまれるお寺でした。

山号は、定額山(ジョウガクサン)、この門は仁王門、1752年江戸時代中期の建立です。二度焼失し、1918年(大正7年)に再建
案内板がありますのでそちらを

ここの案内板には、設置されている場所が左下に赤で表示されています。何かと便利な案内板です。

仁王門ができたのは江戸時代ですから寺院を守護する役目で、阿吽の仁王像が仁王立ちしています。
筋骨隆々、健脚のようです。健脚祈願の藁草履がたくさん奉納されています。

裏に回ってみましょう。三宝荒神像、三面大黒天像は風雨から守るためか格子が多く良く見えなかった。
この門から先、一般道まで7~80m石畳の参道が続き、右側には菊の御紋の大本願があります。
尼僧寺院で代々皇室関係の方が入山されています。明治に大本願は浄土宗、そして戦後浄土宗の大本山となります。(善光寺大本願HPより)
さて、仁王門から仲見世へ

この先左にお地蔵さまがある

もう少しアップにしてみよう

案内板がある。
旧如来堂跡地蔵尊:善光寺本堂は、古くは「如来堂」と呼ばれ、642年の創建から1700年までの間はこの場所にありました。
この地蔵尊は、旧本堂内のご本尊さまの位置に建てられています。(要約)
昔の本堂は、朝日を正面に受ける東向きだったのだろうか。
この位置だと、本堂の両翼に大本願とこの先にある大勧進が配置される良形になるように思えるが・・・?参道が今と異なり東に延びる?

仲見世も半分過ぎたので少し休憩、若い女性に人気のお店が並んでいる
この先で仲見世が終わり

足元に石橋がある?

これが駒返り橋? ・・・馬蹄の凹みが現在も橋の左側に見ることができます・・・とありますが?
頼朝がここで馬を降り、ここから先は徒歩で奥に入ったとあります。当時の本堂は?、先程の旧如来堂跡は、直ぐそこですが・・・

右手に整然とお地蔵さんが並んでいる。6体
案内によると、6地蔵と呼ばれ1759年の造立、戦時中に解体され1954年再興される。
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六つの世界(仏教の6道思想)を各々の地蔵さんが担当されているようです。

その隣に、通称 ぬれ仏 の案内板

これも、善光寺が徳川幕府の江戸時代以後繁栄し、江戸の大火の火元といわれた 八百屋お七 の霊を慰めた
八百屋お七のぬれ仏 という伝承も伝えられているそうです。

さてここで、左手の橋の先に大勧進があります。
本堂の造営・修復などの寄付を募る役目のようですが、善光寺の案内によるとこの大勧進の住職は、貫主(カンス)と呼ばれ(貫主は代々、比叡山延暦寺より推挙されています)、大本願(仁王門の先にあります)の上人(ショウニン)と共に、善光寺の住職を兼ねています。
なるほど、このお寺は歴史が古いので無宗派でしたが、住職が大勧進の天台宗と、大本願の浄土宗の方がなられてからは、日常のお勤めも大法要も各派が時間をずらして営まれています。
大勧進の北側奥には、役目が終わった回向柱(エコウバシラ)が土に帰るまで立てられています。

本堂? 斜めから立派な山門を鑑賞し、正面に戻る。

山門(三門)ここも1750年の建立、二層入母屋造りの門。
有名な「鳩字の額」が掲げられています。

勘の良い人は、鳩字の意味が解るでしょう。
5羽いるそうです。善に2羽、光に2羽、判りにくいのが、寺の寸に1羽でしょうか。

山門を抜けると本堂
本堂も十数回火災にあっているそうです。目の前の本堂は、江戸時代1707年に再建され国宝指定です。
画面中央の常香炉の手前に、4月3日午後回向柱(エコウバシラ)が立ち、信州 善光寺、今年は7年に一度の結縁(ケチエン)・ご開帳が始まります。

本堂の階段を上がり、右手に進むと僧侶の年季の入った像がある。
びんずる尊者、撫仏とも呼ばれ、自分の体の悪い部分と同じところを触れて神通力にあやかり治して頂く信仰です。
中央に大きな賽銭箱、ここで参拝して・・・薄暗い内陣の奥に行列ができていた。
そうだった、まだ新春のこの時期、1月7日~1月15日限定で ごはんちょうだい(ご判です)が受けられるようです。
御印文頂戴ともいいます。
左の閻魔像の横に順路の案内がでているので、一旦外に出て本堂西の階段から行列に並ぶ。
行列は内陣左にある弥勒(ミロク)菩薩の横を通り、右に折れて中央の奥で頭に宝印を押されています。
その真上には、内陣と内々陣を隔てる欄間に來迎二十五菩薩像があります。
この内々陣の左奥が最重要なお宝瑠璃壇、誰も見たことが無い秘宝のご本尊「一光三尊阿弥陀如来像」が安置されてるようですが順番になりました。
錦の布で巾着状に包まれた直径10㎝位の重そうな御印文を箱の中で温めているようです。
ご印文は、善光寺如来さまの宝印三判(本師如来・剣印牛王、本師如来・宝印牛王、本師如来・往生牛王)のこと。
如来さまの御利益にあずかり、罪障が消滅し、諸願が成就される祈りが込められています。
僧侶が両手に各々宝印を持ち、頭上に両側から押し当てて頂いた。(捺印して頂いた?)
・・・何事も体験です。これで極楽往生のご利益が得られました。
順路の通りに東側地蔵菩薩の前を通ると、すれ違いに別の行列が伸びていた。
この行列は・・・案内が貼ってあり、暗闇の回廊巡り(お戒壇巡り)の人達だった。
東側の階段から外に出て、正面横にある売店のような大きい授与品所へ、

・・・長椅子もあり盛況だった。
552年、仏教伝来のおり(百済の聖明王から日本の欽明天皇へ仏像・仏具・経典を贈った)「一光三尊(パンフレットなどに写真もあるが、一つの光背に阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩の御三体の仏さまを祀ること)阿弥陀如来」も伝えられた。
仏像は外国の神さまで、日本の神さまと論争になり(曽我VS物部)敗北した物部によって仏像は捨てられたそうです。
後年、この仏像を持ち帰った方が本田善光さん。644年に天皇の祈願により伽藍が造営され、本田善光の名前から善光寺と名付けられたとは、・・・知らなかった。
ここの秘仏本尊、誰も見たことが無い本尊は、鎌倉時代にコピーされたそうですが、この像が前立本尊(マエダチホンゾン)
そして、前立本尊御遷座式(ゴセンザシキ)が4月4日に行われ、翌日の大法要から5月31日まで大開帳となります。
鎌倉時代にこの善光寺に浄土真宗の親鸞(聖人)さんや時宗(ジシュウ)の一遍さん(上人)も参拝されたそうですが本尊は見れなかったようです。
そして現在も、・・・秘仏は誰も見たことが無い伝説の本尊です。
一か所気になっていた本堂西裏の新しい塔に向かう。

日本心霊殿・・・戊辰戦争から第二次世界大戦までに亡くなられた240万余柱の英雄を祀る、仏式による霊廟でした。
その霊廟を守護していたのが、大胸筋が発達した重量級のこちらの方々です。

日本全国から選ばれた善光さんゆかりの人気者でした。


コメント
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