気になる写真!

このブログはその時々の好奇心で、気になった被写体を切り取り、・・・チョットだけ考えてみようと

士林夜市へ

2016-08-05 | 旅行記

霧雨の九份を後にして、窓越しの夜景を眺める。

・・・2.28事件ってなんでしょう、・・・台湾に戒厳令が引かれるきっかけとなった事件ですが・・・・、40年後、日本がバブルに踊っていた1987年戒厳令が解除されます。

しかしそれでもまだ、言論の自由は”国家安全法”によって制限されていたようです。”国家安全法”何気ない名称ですが、国民よりも大切なのが国家ということです?

国家の安全が維持できない場合の判断基準が詳細にあったとしても、危険な状態と判断するのは崇高な国家でしょうか、判断するのは時の権力(一部の人間)ですから・・・

危険排除の予防処置との名の元に判断基準がブレまくる可能性が高い危ない法律です。

・・・1989年 ヴェネチア国際映画祭 金獅子賞 受賞 「非情城市」・・・台湾の近代史の一部を・・・この2時間の台湾映画が世界に告知しました。

 ここ台湾は、その後まもなく・・・1992年台湾人の李登輝総統によって刑法が改正され、言論の自由が保証されるまで、台湾人にとっては辛い年月だったようです。

・・・明治28年、日清戦争で勝利した日本は、現在の大連がある遼東半島、ここ台湾、台湾の西の島々・澎湖諸島(ホウコショトウ)を日清講和条約により、主権などを永遠に割与されていました。

「非情城市」・・・冒頭・・・昭和天皇の玉音放送が流れています。

51年間日本の領土に組み込まれ、日本人として戦争に参戦していた台湾の人々にも無条件降伏がラジオから流れていたのでした。

・・・歴史教育で台湾を日本が支配していたことを習ったとはいえ、戦後生まれの者として、このシーンは驚きました。想像することが出来なかったからです。

終戦を境に、一夜にして価値観が変わった・・・現実をどう受け入れたらいいのか、・・・台湾の人々は、更に国籍はどうなるのか・・・

映画の中で、ロケ地となった、ここ九份でも・・・灯火管制が終わり、電灯の覆いを外しながら・・・出産シーンが続き・・・「非情城市」のタイトルが流れます・・・

映画は、田寮港の船問屋林家の家族、長男文雄の妾宅で男子を出産するシーンから始まります、次男は日本軍で軍医、三男は上海で通訳、四男は会話ができない障害を持ちながら写真館を営んでいる。

これからどうなるのか・・・周囲の日本人には、本国(日本本土)へ帰国命令が出ます・・・林家の人々は、各々異なる再スタート地点から人生が動き出します、・・・混乱の中を。

・・・「非情城市」は、日本が連合国に敗戦した1945年8月15日から・・・1949年12月、中國本土で中華人民共和国に敗れた蒋介石・国民政府は連合国側として、200万人ともいわれる人々とこの台湾に亡命してくるまでの物語です。

正確には、敗戦の後処理で日本軍が武装解除をする1945年に、蒋介石・国民党の政府官僚・軍人の一部が連合国側として既に台湾に渡って来ていました。

台湾にいるのは元日本人の台湾人達でした、蒋介石たち国民党の主力部隊は本土で国共内戦・主導権争いの最中です。

渡ってきた広東語、北京語を話す国民党政府の役人、軍人たちは、当初台湾人に歓迎されたものの、旧日本軍の資産の横領や強盗・強姦・殺人とやりたい放題、日本人となっていた台湾人を見下していたようです。

戦時中以上の激動の戦後4年間が・・・・・長く語られなかった台湾の4年間が描かれています。

林家の人々は1947年2月28日、2.28事件にも関係しこの家族も波乱の人生となります。

・・・戦後本土からやってきて台湾を支配した中国人(外省人)に対して、日本人だった台湾の人々(本省人あるいは内省人)が怒りの抗議行動を起こし、結果、デモに参加した人々が多数射殺された・・・2.28事件・・・闇に埋もれていた事件です。

「非情城市」は語るのがタブーだった2.28事件以外に、ロケ地九份の古き良き時代の建物、石畳、坂道、階段、自然豊かな情景に触れ、多くの台湾人が魅了されたのでした。

・・・九份一帯の金鉱山産出量は、戦前の1930年代がピークで終戦後日本が撤退して採掘中止、後に再稼働されるがまもなく閉山、戦前の賑わいは戻らずに寒村状態でした。

九份は「非情城市」公開後人気が高まり、お土産屋さん、茶房、飲食店が増え続け、日本からの観光客も増え今日では人気の観光地となっています。

 

さて士林市場に到着しました、時間はPM10時前、霧雨が少し気になるのでアーケードに行きます。

左右の通りは日本のアメ横の雰囲気です。アメ横は、一部密集した地域があって、通路が狭く迷路のような所もありますが、ここはどうでしょう。、

・・・では有名な大鶏排の店「豪大大鶏排」の店は、この左側、・・・お腹が空いてない?

食欲は後回しになり・・・1階の通路を奥まで散策です、衣料品やゲームコーナー、占いやら、土産品と並んでいます。

ここ士林とは、こちらになります。

士林夜市は、台北市の北側、赤い線の終端です、右に故宮博物館があります。台北市内からは地下鉄でも来られます。

ここの夜市も真夜中まで営業しています。

帰りは西門までタクシーで帰ります、(青色ライン)タクシー代は日本より大幅に安価で、¥1,000-以内と思います。

・・・店頭に並ぶ雑貨類、衣料品、お茶などは多分安いのでしょうが・・・

エスカレータで、地下BIに行ってみましょう。

ここがTVなどで良く紹介される飲食店街です。

オッ、右に臭豆腐、香りが・・・なじめない。

海鮮をアレコレ探してみたが・・・、

フルーツは、西瓜もマンゴーも最高でした。

地上に戻ることにしましょう。

道路横を少し歩いて、別のアーケードに、

薬局に入ってみましょう、

ここでこちらの商品を若干購入し、NIKEなどの店舗も並ぶアーケードをひと回り、

外れの一角では屋台が立ち並んでいました。

目当ての商品を探している訳でもなくブラブラ夜市の雰囲気を楽しみ

 

 サァ、ホテルに帰ることにしましょう。

 

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