(美術好きの駄文です。興味ある方だけご覧ください。)
150年前の1874年4月15日、パリのナダール写真館(写真家の元アトリエ)で『第一回・画家・彫刻家・版画家等による芸術家匿名協会展』が開幕しました。世に言う《印象派》の誕生です。
当時のエスタブリッシュメント=サロン(官展)に反旗を翻した若い芸術家達の絵画を理解できない批評家が、モネの《印象・日の出》を見て、「印象か⁇ なんと自由勝手な! 描きかけの壁紙だってこの海の画よりは完成されている!」と揶揄したのが、13年後の第8回展で幕を閉じる頃には《印象派》として押しも押されもしない20世紀美術の先駆けとなって、やがて新興資本主義国・アメリカを中心に世界中に拡まるメインストリームとなったことは、歴史の語るところです。
印象派の誕生に前後して、映像技術分野でも革命的な写真術が発明され、画家達に影響を与えたことは、今日では多くの美術史家が指摘しています。古くは、ルネサンスのダ・ヴィンチやラファエロが、レンズや鏡を使って画像をトレースしていたとか、1600年頃のカラヴァッジョやフェルメールも《カメラ・オブスキュラ》を使って、レンズを透した映像の自然な仕上がり(「見た目」、「本物そっくり」なところ)を真似ようとしたことが知られています。
19世紀の光学機器の目覚ましい発明・改良では、初期には銀板式の〈カロタイプ〉や〈ダゲレオタイプ〉から〈ガラス乾板〉に、やがてセルロイドのロール式フィルムが誕生し、「あなたはボタンを押すだけ。あとはコダックが全部やります。」(1890年頃のコマーシャル)の時代となり、ほとんどの画家が多かれ少なかれ作品の制作に写真を利用することとなりました。
中でも、20世紀まで生きて晩年は《睡蓮》の連作で印象派の代表格となったモネは、大の写真好きで最新鋭のカメラを4台所持していて、身近な画家仲間や家族たちのポートレートを数多く残しており、《睡蓮》と並ぶ代表作の《ルーアン大聖堂》の20枚の連作には、刻々と移ろいゆく光と影を捉えるのに写真を使っていたようです。また、可憐なバレリーナのパステル画で有名なドガは、終生初期のカロタイプの写真を愛し、晩年にはコダック社製の最新カメラを手にして、会う人会う人にモデルを強要して困らせた逸話が残されています。改めてその作品を見直してみて、ドガ独特の意表を突く構図やポーズを取り続けるのが困難と思われるストップモーションなど、写真なくして生まれ得なかったことは間違いないと思われます。
時移って2024年。今月から始まった朝ドラ『虎に翼』のタイトルバックでは、歴史を切り拓いた主人公や周りの人々のカラフルなダンス姿が話題となっていますが、あの画像を作ったシシヤマザキさんは、自撮りした動画の一コマ一コマに、手描きで色や余白や動きを描き込んで、実写でもないイラストでもない不思議な画像を繋げてアニメーションに仕上げているのだそうです。今では懐かしいセルロイド・フィルムは、コンピューター・グラフィックに変わりましたが、リアルとバーチャルが渾然一体となって音楽と映像が融合したアニメーションは、インスタレーション全盛の現代美術の最先端を行く素晴らしいアートだと、毎朝観入っています。
眼を透して網膜が感知する映像作品は、耳から感受する音楽とともに、心地良いと感ずるか、不快と受け止めるかは、人それぞれ。世人の毀誉褒貶も時とともに移ろいゆくのは世の習い。子の子らが大人になって社会を動かす10年20年後、さらに進んで50年100年後の美術というかアートの世界は、果たしてどんな感動を生み出しているのか? 立ち会うには既に命運(さだめ)は尽きていますが、今70代半ばの私は、セザンヌと並んで寅子(伊藤沙莉)とシシヤマザキが好きです。