くせじゅ文庫

久世樹(Que sais-je?)の画文集です。

《漣》

2024-04-18 16:34:00 | 雑記
今週のNHK-E『日曜美術館』は《没後50年福田平八郎》でした。

 番組では、「写生狂」として20世紀初頭の日本画壇に颯爽と登場した平八郎が、細密な写実画に行き詰まり、気晴らしに勧められた釣りにハマって釣竿を片手に琵琶湖をスケッチして廻るうちに、微風に波立つ漣の美しい姿に閃いて、何枚もの下絵を重ねるうちに神経衰弱を克服した、記念碑的代表作と紹介していました。しかし、見終えてどこか気になり、15年前に神奈川県立近代美術館葉山で開催された『画家の眼差し、レンズの眼』の図録を本棚から取り出して、並べて展示されていた2枚の画像を思い出しました。

 福田平八郎の日本画《漣》と岡本東洋の写真《漣》です。公開年は平八郎が先ですが、図録には「(生前親しかった)東洋は、平八郎に波の写真を撮ってくれと言われ、提供した。」と記述されています。さらに、偶然ネットで目にした2021年の『福田平八郎作《漣》における 「写実を基本にした装飾画」の意味』という岡田志保さんの広島市立大学審査博士学位論文では、当時の京都での平八郎と芸術写真家・東洋との交流が詳しく紹介されています。

 「現代においては、写真を利用して制作することや、写真と関連させて批評することは、絵画の純粋芸術性を損なわせるのではないかと忌避されがちであるが、平八郎の時代では異なる価値観を持っていたものと思われる。・・・写真家東洋の証言では、横山大観、川合玉堂、川端龍子、竹内栖鳳など東西の日本画家だけでなく、洋画家にも写真を提供しており、そうした作家は三百余名、頒布枚数は10万枚と伝えられる。・・・そして、平八郎もまた岡本東洋が写真を提供していた作家の一人である。」(同論文131ページ)

 今から100年前の日本の画家たちは、19世紀フランスの印象派の画家たちと変わらずに、程度の差こそあれ時代の最先端映像技術である写真を使って絵を描くことを当たり前に行っていたのであり、それを、「屋外で描く(”en plein air”)」または「自然の対象を描く(”sur le motif”)」でなければ「絵画への冒涜」などと言っていたのは、似而非絵描気取の時代遅れの頑固爺(吾輩)くらいのものであったようです。事実、国は2016年に福田平八郎の《漣》を重要文化財に指定していたことを、今回初めて知りました。

 コンピュータ・グラフィックス(CG)を下敷きに、絵筆でアクリル絵の具を水に溶いて色を載せて描いた絵を、1秒間12枚、1分間72枚の割り合いで繋いで、実存する人物を画像(キャラクター)に置き換えて、「見る人の印象と合わせる、あるいは裏切る」作品づくりを続けているアニメーターのシシ・ヤマザキさんは、そんなことはもうとっくに超越して気にもしていないと、毎朝8時のテレビとYouTubeの”ShiShi Yamazaki,Animator toco-toco”を見て改めて気付かされました。










《印象派》誕生150年

2024-04-16 15:14:00 | 雑記
(美術好きの駄文です。興味ある方だけご覧ください。)

 150年前の1874年4月15日、パリのナダール写真館(写真家の元アトリエ)で『第一回・画家・彫刻家・版画家等による芸術家匿名協会展』が開幕しました。世に言う《印象派》の誕生です。

 当時のエスタブリッシュメント=サロン(官展)に反旗を翻した若い芸術家達の絵画を理解できない批評家が、モネの《印象・日の出》を見て、「印象か⁇  なんと自由勝手な! 描きかけの壁紙だってこの海の画よりは完成されている!」と揶揄したのが、13年後の第8回展で幕を閉じる頃には《印象派》として押しも押されもしない20世紀美術の先駆けとなって、やがて新興資本主義国・アメリカを中心に世界中に拡まるメインストリームとなったことは、歴史の語るところです。

 印象派の誕生に前後して、映像技術分野でも革命的な写真術が発明され、画家達に影響を与えたことは、今日では多くの美術史家が指摘しています。古くは、ルネサンスのダ・ヴィンチやラファエロが、レンズや鏡を使って画像をトレースしていたとか、1600年頃のカラヴァッジョやフェルメールも《カメラ・オブスキュラ》を使って、レンズを透した映像の自然な仕上がり(「見た目」、「本物そっくり」なところ)を真似ようとしたことが知られています。

 19世紀の光学機器の目覚ましい発明・改良では、初期には銀板式の〈カロタイプ〉や〈ダゲレオタイプ〉から〈ガラス乾板〉に、やがてセルロイドのロール式フィルムが誕生し、「あなたはボタンを押すだけ。あとはコダックが全部やります。」(1890年頃のコマーシャル)の時代となり、ほとんどの画家が多かれ少なかれ作品の制作に写真を利用することとなりました。

 中でも、20世紀まで生きて晩年は《睡蓮》の連作で印象派の代表格となったモネは、大の写真好きで最新鋭のカメラを4台所持していて、身近な画家仲間や家族たちのポートレートを数多く残しており、《睡蓮》と並ぶ代表作の《ルーアン大聖堂》の20枚の連作には、刻々と移ろいゆく光と影を捉えるのに写真を使っていたようです。また、可憐なバレリーナのパステル画で有名なドガは、終生初期のカロタイプの写真を愛し、晩年にはコダック社製の最新カメラを手にして、会う人会う人にモデルを強要して困らせた逸話が残されています。改めてその作品を見直してみて、ドガ独特の意表を突く構図やポーズを取り続けるのが困難と思われるストップモーションなど、写真なくして生まれ得なかったことは間違いないと思われます。

 時移って2024年。今月から始まった朝ドラ『虎に翼』のタイトルバックでは、歴史を切り拓いた主人公や周りの人々のカラフルなダンス姿が話題となっていますが、あの画像を作ったシシヤマザキさんは、自撮りした動画の一コマ一コマに、手描きで色や余白や動きを描き込んで、実写でもないイラストでもない不思議な画像を繋げてアニメーションに仕上げているのだそうです。今では懐かしいセルロイド・フィルムは、コンピューター・グラフィックに変わりましたが、リアルとバーチャルが渾然一体となって音楽と映像が融合したアニメーションは、インスタレーション全盛の現代美術の最先端を行く素晴らしいアートだと、毎朝観入っています。

 眼を透して網膜が感知する映像作品は、耳から感受する音楽とともに、心地良いと感ずるか、不快と受け止めるかは、人それぞれ。世人の毀誉褒貶も時とともに移ろいゆくのは世の習い。子の子らが大人になって社会を動かす10年20年後、さらに進んで50年100年後の美術というかアートの世界は、果たしてどんな感動を生み出しているのか? 立ち会うには既に命運(さだめ)は尽きていますが、今70代半ばの私は、セザンヌと並んで寅子(伊藤沙莉)とシシヤマザキが好きです。









《清流》

2024-04-14 21:49:00 | 雑記
今日も一足早い五月晴れに誘われて、一年振りで多摩川畔をポタリング2時間。途中の浅川に掛かる歩道橋には、地元の子供達が思い思いに描いた陶板画の《清流》が埋め込まれていて、「心地酔い」に誘われました。