今週のNHK-E『日曜美術館』は《没後50年福田平八郎》でした。
番組では、「写生狂」として20世紀初頭の日本画壇に颯爽と登場した平八郎が、細密な写実画に行き詰まり、気晴らしに勧められた釣りにハマって釣竿を片手に琵琶湖をスケッチして廻るうちに、微風に波立つ漣の美しい姿に閃いて、何枚もの下絵を重ねるうちに神経衰弱を克服した、記念碑的代表作と紹介していました。しかし、見終えてどこか気になり、15年前に神奈川県立近代美術館葉山で開催された『画家の眼差し、レンズの眼』の図録を本棚から取り出して、並べて展示されていた2枚の画像を思い出しました。
福田平八郎の日本画《漣》と岡本東洋の写真《漣》です。公開年は平八郎が先ですが、図録には「(生前親しかった)東洋は、平八郎に波の写真を撮ってくれと言われ、提供した。」と記述されています。さらに、偶然ネットで目にした2021年の『福田平八郎作《漣》における 「写実を基本にした装飾画」の意味』という岡田志保さんの広島市立大学審査博士学位論文では、当時の京都での平八郎と芸術写真家・東洋との交流が詳しく紹介されています。
「現代においては、写真を利用して制作することや、写真と関連させて批評することは、絵画の純粋芸術性を損なわせるのではないかと忌避されがちであるが、平八郎の時代では異なる価値観を持っていたものと思われる。・・・写真家東洋の証言では、横山大観、川合玉堂、川端龍子、竹内栖鳳など東西の日本画家だけでなく、洋画家にも写真を提供しており、そうした作家は三百余名、頒布枚数は10万枚と伝えられる。・・・そして、平八郎もまた岡本東洋が写真を提供していた作家の一人である。」(同論文131ページ)
今から100年前の日本の画家たちは、19世紀フランスの印象派の画家たちと変わらずに、程度の差こそあれ時代の最先端映像技術である写真を使って絵を描くことを当たり前に行っていたのであり、それを、「屋外で描く(”en plein air”)」または「自然の対象を描く(”sur le motif”)」でなければ「絵画への冒涜」などと言っていたのは、似而非絵描気取の時代遅れの頑固爺(吾輩)くらいのものであったようです。事実、国は2016年に福田平八郎の《漣》を重要文化財に指定していたことを、今回初めて知りました。
コンピュータ・グラフィックス(CG)を下敷きに、絵筆でアクリル絵の具を水に溶いて色を載せて描いた絵を、1秒間12枚、1分間72枚の割り合いで繋いで、実存する人物を画像(キャラクター)に置き換えて、「見る人の印象と合わせる、あるいは裏切る」作品づくりを続けているアニメーターのシシ・ヤマザキさんは、そんなことはもうとっくに超越して気にもしていないと、毎朝8時のテレビとYouTubeの”ShiShi Yamazaki,Animator toco-toco”を見て改めて気付かされました。
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