何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

472日目 フラッグス

2005年07月12日 16時45分37秒 | Weblog
7月10日

昨夜食べた、天然物の岩牡蠣のパワーか、体力がかなり戻ったような気がする。

今日も、しっかり昼寝をして、6時にフラッグスへ。
開始の6時半になってもお客さんは一人も現われない。今夜も、小松君一人かとあきらめ始めた時。河原町連合青年団の仲間達が最初に2人、遅れて3人、そして青年団として最初に僕を呼んでくれた、松めぐが旦那さんと二人の子供を連れてやって来てくれた。が、残念な事に、子供達が騒ぎ始めたので、2曲しか聞かずに帰って行った。せっかく来てくれたのに、でも、その気遣いがうれしかった。
1時間半、特に青年達がそろった後は、ほとんど語らず、唄い続けた。

そして、4日間の鳥取市ライブは気持ち良く終わった。

471日目 北四会館ライブ

2005年07月12日 11時52分41秒 | Weblog
7月 9日

お昼近くまでしっかり寝た。昼ご飯を食べに駅前まで出掛けた後、さらに昼寝もしたが、体調は万全ではない。

4時に姫路のまっちゃんがやってきた。修理を終えたマーチンを持って。

早速弾いてみた。バランスのとれたいい音だ。河原町連合青年団に作った歌を、マーチンを使って録音した。マイク一本で録音したが、いいバランスで録音終了。

そんな頃、小松君が迎えに来てくれた。僕はマーチンを持って小松君の車に乗り込み、まっちゃんはその後から車で北四会館へ。

会館に着くと、千鳥会のメンバーが迎えてくれた。ライブ開始時間まで、町内放送で何度もライブ開催を呼び掛けてくれたが、昨年台風の真っ只中のライブと同数ぐらいの30人ほどが集まってくれた。

470日目 フラッグスライブ

2005年07月09日 01時18分23秒 | Weblog
7月 8日

小松君、40歳。彼が、高校生だった頃からの僕のファン。

今日は彼の企画のライブだ。チケットを何人かの人に買ってもらっていたのだそうだが、来てくれた人はなく、主催者がお客さんの、一対一のライブになった。

語りは短く、たっぷり唄った1時間半。僕はたのしかったが、主催者としての小松君にとっては、複雑な夜だったようだ。

469日目 河原町青年団企画ライブ

2005年07月09日 01時02分34秒 | Weblog
7月 7日

鳥取市河原町の青年達は熱かった。
大雨の中、100人近くのお客さんが、青年達の思いに答えるべく、集まってくれた。

ライブ内容は、良かったに決まっている。青年達の熱い思いと、それを受けて集まったお客さん達が、今日のライブを作ってくれました。

468日目 福辻宅ホームコンサート

2005年07月07日 09時52分50秒 | Weblog
7月 6日

10時に、守山市民病院に着いた。受け付けを済ませて、比較的早くにレントゲン撮影を終えたが、診断がくだされるまでに、2時間以上待たされた。結果は、異常無し。肺の影はほんの少し残っていたが、大丈夫でしょうと言う事だった。
ほっとしてホテルに戻って、夜のホームコンサートにそなえた。

467日目 守山北公民館

2005年07月05日 22時16分11秒 | Weblog
7月 5日

 昨日は疲れきっていた。ホテルに帰ってきて、風呂に入ってすぐにベッドに入った。疲れすぎていたからだろう、何度も目覚めた。背中に痛みを感じながら、そのたびに又眠った。8時過ぎに目覚めた。それ以上眠れなかった。めったに食べないホテルの朝食を食べに出かけた。身体中だるいが食欲はある。大丈夫だろう。

 部屋に戻って、念入りにストレッチをした。毎日やればいいのだが、こういう時だけ頑張るだけ。10時過ぎに、部屋の掃除に来るだろうから、ちょっと買い物に出た。

 12時に戻ったが、部屋の掃除はされていなかった。出るんじゃなかった。

 テレビの国会中継を見なていた、今日は衆議院で郵政民営化を採決する日だ。自民党内でも反対する人が多い中、どうなるかと注目した。廃案になる可能性が少しあったので楽しみに見ていた。若いときは政治の事なんかまったく興味が無かったのだが、歳をとったことをこんなところで感じてしまう。国鉄が民営化された事が良かったのか悪かったのかはよくわからないのだが、民営化されたとたん、人口の少ない地方の交通網がどんどん切り捨てられていった事を思い出す。JRになって全体の利益は上がったのだろうが、そのせいで切り捨てられた、利用率の少ない鉄道のあった町は益々不便になって自動車に頼るしか無くなってしまった。そのせいで、その地方の人口が減ったかどうかはわからないが、若い世代は出てゆき、新しく住み着く人達はいなくなってきているだろう。過疎化だ。町が消えてしまおうとしている。国にとって、わずらわしい地方都市が無くなる事で、赤字財政を立て直しやすくなるのだろうが、果たしてそんな事でよかったのだろうか。

 郵政民営化が実施されれば、国鉄同様、またもや、お金を生まない過疎地の郵便局はどんどん切り捨てられてゆくだろう。そうなれば、山間部や海岸部の僻地、小さな島や離島に住む人達が生きて行きにくくなり、過疎化どころか人が居なくなってしまうだろう。

 経済大国といわれ生きるために一番大切な食料を海外から買う事で生き延び、自給自足が出来なくなった日本、これ以上お金を中心にした経済効果ばかり考えていていいのだろうか。

 金が無くても食い物があれば人は生きることができるのだ。でも、買う事が出来ても、生み出す事の出来ないお金を信仰している我が日本政府。日本政府が切り捨てようとしている山間僻地・海岸僻地・小さな島や離島には、食料を生み出す力が宝庫のように眠っているのだ。食料を生み出すのは自然の力だ、でもそれだけでは増えすぎた人口のお腹を満たす事は出来ない。そこに人が住み、自然の力を借りて、より良い食糧増産環境を作り上げていかなければならない。その環境を、お金で作り出そうとすれば莫大な国家予算が必要だろう。経済大国といわれ赤字財政国家になっているわが国に今必要なのは、もはや経済力ではなく、生命力だ。生きる力は山川地海から供給される、その宝庫のほとんどが、政府が切り捨てようとしている地域に在ると僕は感じている。

 人が生きていく限りにおいて最小限の経済活動は必要だ、宝の宝庫の過疎地や僻地に生きる人達の、それを担っているのが今の郵政公社だろう。民営化して株式会社郵便局になったとたん郵便局が消えてしまったら、人も居なくなり、命の宝を捨ててしまう事になってしまう。
 生きるための大切な場所や人を切り捨ててお金を増やす事を考えるより、地方都市で働く意欲を増進させる政策をなんで考えられないのか。国家予算は、お金を作り出すためだけに使うのではなく、命を生み出す為の自然力を増強させる為に使われるべきだ。

 その為に、搾り出さなきゃいけない知恵と行動力が必要とされている時代なのかもしれない。あまり賢くない僕には難しい問題だが、考える事を止めたら、安易な考えで国を滅亡の方向に向けている政治に係わる人たちと同じ事になってしまう。たかが歌唄い人、されど歌唄い人、高橋忠史の目でしか見れない国・地球・宇宙、高橋忠史の耳でしか聞けない、人の意見・自然の奏でる音、僕の目と耳で感じられるのは僕の国・地球・宇宙、誰のものでもない、だったら自分の信じる素晴らしい方向に舵を取るのは僕以外の誰も出来ないのだ。そして、貴方も同じ、あなた自身しか感じられない国・地球・宇宙を、貴方にとって生きやすい場所にする為には、貴方が考え行動するしかないでしょう。そして、考えの違う、感じ方の違う貴方と僕が共存していく最良の手段を共に考えていく事で、ひょっとしたら地球が一つになる事ができるかもしれません。

 めっちゃ長くなってしまったが、国会中継を見ていて感じた事を、僕なりの思いで書いてみました。読み飛ばしてやってください。


 国会中継を見ながら、ここ数日の日記を書けていなかったので、日記を書き始めた。日記を書き終えて、しばらくして、今日のライブ会場の守山北公民館に出かけた。7時になって今日の主催者、林君と合流。
 ライブは8時過ぎから始まった。集まってくれたのは、毎度のメンバー。林君、松井君、はるかちゃん、クマちゃん夫婦、さっちゃん。それに明日ホームコンサートを開いてくれる福辻さんが息子さんとやってきてくれた。前半、ちょっと長い語りがあったが、後半は曲つなぎでしっかり汗をかけたライブだった。1時間半、満足のライブ、でも声の調子が下がってきているのを感じた。
 ライブ終了後、青年団室で、10年来の付き合いの中間達と、お茶などを飲みながら楽しく雑談をして10時過ぎにホテルに戻った。
 今日も早く寝るつもりだったが、国会中継で感じた事を書いている間に膨大な量の日記になってしまい、日付は変わり、1時を過ぎてしまった。

466日目 浜松から滋賀県守山市

2005年07月05日 16時17分12秒 | Weblog
7月 4日

 朝、9時に起きた。雨が降る中、9時半に出発。長い旅の始まりだ。まずは、この間、エンジンが掛からなくなった車の修理代を松本モータースで支払って、浜松のホテル・コンコルドへ。11時に到着すると、大野さんが待っていた。今日は、大野さんが講義を受け持っている、国際観光専門学校で僕が代理講義のライブをする。浜松城公園での予定だったが、雨なので、教室で。
 生徒が何人集まるかわからないということだったが、20人ほど集まった。最終敵にと言う事だ。途中でポツポツと受講者達が入ってくる。義務教育でない専門学校に通っていて、講義に遅れてやってくるというのはどういうことなのかな、僕にはわからない。どうでもいい講義なら受けなけりゃいいのに、いや、なんで専門学校に通っているのか、遊び気分だったら、専門学校なんかに通わないで、遊びまくればいいのにと思ってしまう。

 だらだらした感じの受講生達だったが、ライブが始まったら、席にしっかり座って無駄話をするものはいなくなった。親父の気分だね。説教をするつもりは無いけど、ついつい生き方について生意気に語ってしまった。12時半にライブを終えて、雨降る中、滋賀県守山市に向かった。7時半から、国際交流でやって来たマレーシアの青年達の前で唄う事になっているからだ。設定してくれたのは、守山市の市議会議員、藤木猛君だ。
 高速道路に乗ると、雨がどんどん強くなってきた。ここ二日ほど寝不足が続いているので眠い。前が見えなくなるほどの雨の中、5時半過ぎに、ホテル琵琶湖プラザに到着した。その直前で、行き過ぎる車がクラクションを鳴らした。すぐその後、藤木君から電話。クラクションを鳴らしたのは彼だった。7時ごろホテルに戻るのでそれまで部屋で待っていて欲しいという事だった。

 7時過ぎフロントから電話。1階に下りると、藤木君が待っていた。早速会場へ。広い部屋だったが、響きに問題は無いので、生演奏でやる事にした。マレーシアの青年達は男女合わせて30名ほど。のんびりと集まってきた。7時半過ぎ、日本語がわからない彼らの前で演奏を始めた。今日は、しゃべるわけには行かない。音楽中心で1時間。ビートルズナンバーや上を向いて歩こう、スタンドバイミーなど、彼らが知っていそうな曲の合い間に、僕のオリジナルを入れて進めた。ノリのいい連中で、雰囲気は最高。「しゃぼんだま」をハミングで唄ってもらったり、「ランナー」では、ら~ららららら~♪、の部分を一緒にやってもらったり、最後には「青春」のサビの部分を無理やり歌唱指導して唄ってもらったり。言葉もわからないのに、彼らは一生懸命僕に着いてきてくれた。手拍子あり、大合唱あり、踊りだすパフォーマンスもありと、楽しい1時間だった。

 ホテルの近くに住むという、北海道で出会った、福辻さんがやってきていた。ライブ終了後、藤木君と共に話しているうちに、成り行きで、ホームコンサートをお願いしたら考えてみるという。その後、藤木君に連絡がありあさって、彼の家でホームコンサートをする事が決まった。

 その後、林君と共に藤木君の車で、近くの居酒屋で一献。ハードな一日だったが、気分は最高。

 戻ったホテルで、3日間過ごさせてもらえる。

465日目 新浜松市誕生イベント

2005年07月04日 01時12分12秒 | Weblog
7月 3日

 泊めていただいた2階の部屋で、朝8時に起きた。今日は10時までに浜松駅のそばに出かけなければならないが、ほぼ1時間ぐらいで着けるそうだ。二日前、浜松市になった春野町だが、我が勝坂からは、早くても1時間半掛かる。ここは愛知県である、なのに1時間で浜松駅まで行けてしまう。どうなっとるんだ。

 珈琲とトーストを頂いて、又8月15日にやってくる事を約束して9時前に東新座を出発した。日曜と言う事もあって、車は空いていた。10時前に浜松駅前に着いたのだが、さすがに混んでいた。やっとの事で、フォルテ横の広場に設置されたステージに到着。
 今日は、SBSプロモーションの禰宜田さんからの依頼でやって来た。新生浜松市記念イベントとして1~3日まで行われているステージイベントへの出演の為だ。ステージ前の模擬店に春野茶の販売コーナーがあった、栗崎君だった、なんだか、地元の人がいるということで嬉しくなってしまった。野外イベントで、人はあまり集まらないだろうと気楽に唄い始めた。11時15分から12時まで。

 行過ぎる人達の中には立ち止まってしばし聞き入っている人達もいたが、数人を除いては一曲ごとに流れてゆくという感じだった。終了間近に並べられた椅子に人が座り始めたが、休憩の為なのかな?。とりあえず1時間弱のライブは終わった。目の前の並木の間に見えるアクトタワーの姿が勇壮だった。

 明日から、一ヶ月のツアーに出かけるので、片づけを終えてすぐに勝坂に戻った。


464日目 新城市・東新座ライブ

2005年07月04日 01時07分45秒 | Weblog
 7月 2日

 夜中に吐いた。その時は呑みすぎたのかと思ったのだが、どうやら違った。酔っ払って、腹が減って、卵を2個焼いて食べたのだが、よく考えたら、その卵は3週間前に買ったものだった。冷蔵庫は、2年前から開けたことは無い。常温で3週間放置した卵、フライパンに落とした時、妙にベッチャンコだった記憶がある。焼いて食べるのだから大丈夫と思ったのだが、生焼きだっかも、どうやらそのせいらしい。食中毒でなくてラッキー。

 ということで、13時間ほど眠った。昼頃起きだした。吐いたせいか、二日酔いは無かった。が、身体全体がだるい。

 今日は愛知県の新城市に出かける。だるい身体を持て余して、5時に待ち合わせていたので3時に出発。三ケ日から山越えをして新城市へ、目指す東新座は、東新町駅のそばだという。少し道を間違いながらも、予定の時刻に到着。駅のそばのコープの駐車場で待っていると、今日、僕を紹介してくれた石の彫刻家、耳塚さんが自転車に乗って迎えに来てくれた。駅から歩いて5分ほどのところに、古民家を改造した、喫茶レストランの東新座はあった。野外映画の上映会の前座ライブということだったのだが、天気が怪しいので、東新座の中に、16ミリ映画の映写機とスクリーンがセットされていた。オーナーの白井さんに挨拶して、リハーサル。声の調子が良くないので、いつもより念入りに唄った。それを聞いていた、白井さんやすでにやってきていた女性客達にも、僕の実力を確認してもらう事が出来てかえってよかった。

 開始時間はアバウトだったのだが、回りに民家があり、東新座は古い家なので防音はされていないので、9時までに終わるようにと、教育映画を見て、7時半からみんなで食事をして、8時過ぎからのライブになった。約10人集まってくれた人達の中で9時少し回るまで唄った。古民家の古い木造物にぶつかって跳ね返る声は心地よく僕の元に戻ってきて、気持ちよく唄えた。
 ライブ終了後、皆さんと語り合いながら、僕は泊めていただくことになったので御酒を頂きながら夜がふけてゆくのを楽しんだ。最後は耳塚さんと二人になって2時過ぎまで呑んだ。

463日目 ベランダライブ・祝新生浜松市

2005年07月01日 16時00分03秒 | Weblog
7月 1日

 浜松市に変わった。ギターを取り出して唄い始めた。お客さんは、さっきまでと一緒の坂下さん、芝さん、正久さん、教育長とその部下の青年。数曲唄ったところで、商工会青年部の連中がやって来た。カウントダウンの前に来るつもりがカラオケで盛り上がって、日付が変わってしまってからの登場となった。お客さんが増えて、僕の気持ちも盛り上がり、新曲を中心にしたライブを40分ほど。青年達もおおいに盛り上がってくれって、浜松市最初の日は最良のものとなった。

 しばらく正久さんと語っているうちに1時20分。

 静岡第一テレビにみんなで注目。出ました。坂下さんの作った、新生浜松市を祝うテレビコマーシャル。わずか1分の映像だったが、新生浜松市の為に、他の町の何処でもやっていない祝う会を、春野町では僕のライブとテレビコマーシャルの2本立てでやり遂げた。たいした事ではないかもしれないが凄い事なんだ、大満足。2時前に、全員ベランダを後にした。素敵な日付変更線ライブだった。

 芝さんが泊まるので、僕が先導して勝坂へ。お疲れの芝さんは、家に戻ってすぐにいびきをかいて寝てしまった。


 一夜明けて、朝8時半に起きてしまった、雨が降り出していた。昨日とは打って変わって涼しい。浜松市になって、雨降って地固まるなのかもしれないな。今日は完全休養日、昨日泊まった芝さんはすでに講習会に出かけていなかった。ぼんやりと過ごしていたら電話が掛かった。

 懐かしい声だった。才谷音楽出版に所属していた時に出逢ってから節目節目に出逢っている毛利君からだった。ご無沙汰の挨拶を済ませた後、又仲間の悲報を伝えられた。
 才谷音楽出版に居た時には、「ふきのとう」の担当だったので、あまり深く語った事の無い人だったが、僕が事務所を止めてから、いろいろとアドバイスをくれていた「こんちゃん」(僕らはそう呼んでいた)が先週の土曜に…死んでしまった…。僕より二つ年上だけなのに…。

 連続ライブの模様が、全国放送のテレビニュースで取り上げられた時、凄い凄いと大喜びして電話してきてくれた人だ。その後も、「忠史のやっている事は凄い事なんだから」と、もう音楽業界には居なかった人なのだが、いろんなアイデアを考えて、メールをくれていた。残念ながら、こんちゃんの考えてくれた事を僕は、何も実行しないまま今日まで来てしまっている。
 電話で最後に話したのは何時だったかなー?。1年は経っていないと思う、その時、なんだか息が乱れて呂律が回らないような口調だったのが気になったのだが、体調を崩していたとは思わなかった。
 7月10日に、僕の曲「海」の作詞をしてくれた、門谷さんの呼びかけで、仲間が集まって偲ぶ会を東京でやるらしい。僕は鳥取でライブだ、行けない。
 2年前、元マネージャーだった最愛の天本君が無くなった時にも札幌でライブをしていて告別式に行けなかった。こんちゃんも、僕の人生の中で重要な位置にある人だ。
 僕の1000日連続ライブは、僕にとっていったい何なんだろう。空しさが心の虚無を広げてゆく。

 昼間から酒は飲まない主義の僕だが、今日は飲む。こんちゃんの事を思って一人で飲む。降りつづける雨は涙雨なんだろう。

 こんちゃんの死んだ先週の土曜日の日記を見てみた。典子さんから、ホタルらしき光がすーっと飛んだという電話を受けたと書いてある。僕は、玉川上水から迷ってきたホタルだと断言したんだが、こんちゃんだったかもしれない。こんちゃんは、ここ春野町の住まいを知らないし、その日僕は、細江町寸座の縣家にいた。毎日ライブを続けている僕のことは分かっているので、東京の家に何かを知らせに来たのかもしれない。几帳面な人だったから、違う世界に向かう前に、仲間たちのところを一軒一軒立ち寄っていったんだろうな。

 丁度一ヶ月前の6月1日から、試行錯誤を繰り返して作り上げた「ほたる」と言う曲。こんちゃんの死んだ前の日に録音して、精神的迫害を受けた女性に応援歌として送った。彼女からは、前向きなメールが届いた。嬉しかった。
 僕の無意識の領域に入り込んで、こんちゃんがこの曲を作らせてくれたのかもしれない。これまでに、何度も製作過程の「ほたる」の詩をここに掲載してきたが、完成した「ほたる」はまだ掲載していなかった。個人的な感傷にふけって酒を飲んでいる僕が改めてここに「ほたる」の詩を紹介したくなりました。見てやってください。
 一ヶ月が過ぎて、やっと自分のものになりました。

      ほたる


 手のひらに包んだ あなたのやさしさと
 指先にこぼれる ぬくもりを忘れない
 壊れてしまいそうな あなたの微笑みを
 そっと抱きしめ ずっと抱きしめ きっと僕が守るから

 交差点では誰もが 流れに任せて歩く
 迷い込んだ小さな 命を踏み潰しても
 都会に紛れ込んだ ネオン街のホタル
 町の明かりに かき消されても きっと僕が見つけるから

 * 泣かないで
   泣かないで
   涙を拭いて
   君は一人じゃないよ
   泣かないで
   泣かないで
   涙を拭いて
   いつも一人じゃないから


 街角の公園に 小さな虹が掛かる
 噴水のある水辺 立ち止まる人も無い
 消えてしまいそうに 息をひそめるホタル
 そっと抱きしめ ずっと抱きしめ きっと僕が守るから

 *(繰り返し)
   泣かないで
   泣かないで
   涙を拭いて
   君は一人じゃないよ



 この「ほたる」は、製作する中で、いろんな思いが詰まっている、僕の中でも一生唄いつづける重要な曲になりそうだ。詩だけでなくて曲も僕の自信作だ。

 こんちゃん!、もうホタルになって僕のところには来られないだろうけど、今日は、こんちゃんの事を思いつづけて飲みつづけるぞー。
 そのかわり、明日になったら忘れるからね。
 その日その日の思いを大切にして生きていきます。

 何が何でも、自分でも何の意味があるか解っていない1000日連続ライブを達成するのだー…!。


 飲みつづけて、午後7時前。こんちゃんの為に線香を上げようとしたが無い。仕方が無いので、とっても失礼だが、蚊取り線香を出して火をつけて飲みつづけた。今、かなり酔っ払ってます。そんな状態で、こんちゃんへの追悼の詩が出来ました。曲にするかどうかは酔いが覚めたときの判断に任せますが、読んでやってください。

 呑まずにいられるか (こんちゃんへ)


  お前が死んだって 電話で聞いた
  生れた時の事は 何も知らないけど
  泣いて笑って 過ごした日々が
  揺れる心の中に 冴え渡る
  
  窓の外は雨 悲しいよね
  俺の代わりに 空が泣いてる
  誰でもいつかは 死んじまうって
  わかったつもりで生きているけど

  * つもりなんだね 人間って奴は
    何んにもわかっちゃいないってわかっても
    呑まずにいられるか 今日だけは
    この世じゃ二度と逢えない お前を抱いて
    呑まずにいられるか 又明日も
    酔いつぶれてしまうまで お前を抱いて


  明日になったら 忘れっちまうさ
  申し訳ないね 御免なさい
  雨が降ったら きっと思い出すから
  心の中でお前は ずっと生きている
  
  *(繰り返し)

 今日はここまで。