何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

463日目 ベランダライブ・祝新生浜松市

2005年07月01日 16時00分03秒 | Weblog
7月 1日

 浜松市に変わった。ギターを取り出して唄い始めた。お客さんは、さっきまでと一緒の坂下さん、芝さん、正久さん、教育長とその部下の青年。数曲唄ったところで、商工会青年部の連中がやって来た。カウントダウンの前に来るつもりがカラオケで盛り上がって、日付が変わってしまってからの登場となった。お客さんが増えて、僕の気持ちも盛り上がり、新曲を中心にしたライブを40分ほど。青年達もおおいに盛り上がってくれって、浜松市最初の日は最良のものとなった。

 しばらく正久さんと語っているうちに1時20分。

 静岡第一テレビにみんなで注目。出ました。坂下さんの作った、新生浜松市を祝うテレビコマーシャル。わずか1分の映像だったが、新生浜松市の為に、他の町の何処でもやっていない祝う会を、春野町では僕のライブとテレビコマーシャルの2本立てでやり遂げた。たいした事ではないかもしれないが凄い事なんだ、大満足。2時前に、全員ベランダを後にした。素敵な日付変更線ライブだった。

 芝さんが泊まるので、僕が先導して勝坂へ。お疲れの芝さんは、家に戻ってすぐにいびきをかいて寝てしまった。


 一夜明けて、朝8時半に起きてしまった、雨が降り出していた。昨日とは打って変わって涼しい。浜松市になって、雨降って地固まるなのかもしれないな。今日は完全休養日、昨日泊まった芝さんはすでに講習会に出かけていなかった。ぼんやりと過ごしていたら電話が掛かった。

 懐かしい声だった。才谷音楽出版に所属していた時に出逢ってから節目節目に出逢っている毛利君からだった。ご無沙汰の挨拶を済ませた後、又仲間の悲報を伝えられた。
 才谷音楽出版に居た時には、「ふきのとう」の担当だったので、あまり深く語った事の無い人だったが、僕が事務所を止めてから、いろいろとアドバイスをくれていた「こんちゃん」(僕らはそう呼んでいた)が先週の土曜に…死んでしまった…。僕より二つ年上だけなのに…。

 連続ライブの模様が、全国放送のテレビニュースで取り上げられた時、凄い凄いと大喜びして電話してきてくれた人だ。その後も、「忠史のやっている事は凄い事なんだから」と、もう音楽業界には居なかった人なのだが、いろんなアイデアを考えて、メールをくれていた。残念ながら、こんちゃんの考えてくれた事を僕は、何も実行しないまま今日まで来てしまっている。
 電話で最後に話したのは何時だったかなー?。1年は経っていないと思う、その時、なんだか息が乱れて呂律が回らないような口調だったのが気になったのだが、体調を崩していたとは思わなかった。
 7月10日に、僕の曲「海」の作詞をしてくれた、門谷さんの呼びかけで、仲間が集まって偲ぶ会を東京でやるらしい。僕は鳥取でライブだ、行けない。
 2年前、元マネージャーだった最愛の天本君が無くなった時にも札幌でライブをしていて告別式に行けなかった。こんちゃんも、僕の人生の中で重要な位置にある人だ。
 僕の1000日連続ライブは、僕にとっていったい何なんだろう。空しさが心の虚無を広げてゆく。

 昼間から酒は飲まない主義の僕だが、今日は飲む。こんちゃんの事を思って一人で飲む。降りつづける雨は涙雨なんだろう。

 こんちゃんの死んだ先週の土曜日の日記を見てみた。典子さんから、ホタルらしき光がすーっと飛んだという電話を受けたと書いてある。僕は、玉川上水から迷ってきたホタルだと断言したんだが、こんちゃんだったかもしれない。こんちゃんは、ここ春野町の住まいを知らないし、その日僕は、細江町寸座の縣家にいた。毎日ライブを続けている僕のことは分かっているので、東京の家に何かを知らせに来たのかもしれない。几帳面な人だったから、違う世界に向かう前に、仲間たちのところを一軒一軒立ち寄っていったんだろうな。

 丁度一ヶ月前の6月1日から、試行錯誤を繰り返して作り上げた「ほたる」と言う曲。こんちゃんの死んだ前の日に録音して、精神的迫害を受けた女性に応援歌として送った。彼女からは、前向きなメールが届いた。嬉しかった。
 僕の無意識の領域に入り込んで、こんちゃんがこの曲を作らせてくれたのかもしれない。これまでに、何度も製作過程の「ほたる」の詩をここに掲載してきたが、完成した「ほたる」はまだ掲載していなかった。個人的な感傷にふけって酒を飲んでいる僕が改めてここに「ほたる」の詩を紹介したくなりました。見てやってください。
 一ヶ月が過ぎて、やっと自分のものになりました。

      ほたる


 手のひらに包んだ あなたのやさしさと
 指先にこぼれる ぬくもりを忘れない
 壊れてしまいそうな あなたの微笑みを
 そっと抱きしめ ずっと抱きしめ きっと僕が守るから

 交差点では誰もが 流れに任せて歩く
 迷い込んだ小さな 命を踏み潰しても
 都会に紛れ込んだ ネオン街のホタル
 町の明かりに かき消されても きっと僕が見つけるから

 * 泣かないで
   泣かないで
   涙を拭いて
   君は一人じゃないよ
   泣かないで
   泣かないで
   涙を拭いて
   いつも一人じゃないから


 街角の公園に 小さな虹が掛かる
 噴水のある水辺 立ち止まる人も無い
 消えてしまいそうに 息をひそめるホタル
 そっと抱きしめ ずっと抱きしめ きっと僕が守るから

 *(繰り返し)
   泣かないで
   泣かないで
   涙を拭いて
   君は一人じゃないよ



 この「ほたる」は、製作する中で、いろんな思いが詰まっている、僕の中でも一生唄いつづける重要な曲になりそうだ。詩だけでなくて曲も僕の自信作だ。

 こんちゃん!、もうホタルになって僕のところには来られないだろうけど、今日は、こんちゃんの事を思いつづけて飲みつづけるぞー。
 そのかわり、明日になったら忘れるからね。
 その日その日の思いを大切にして生きていきます。

 何が何でも、自分でも何の意味があるか解っていない1000日連続ライブを達成するのだー…!。


 飲みつづけて、午後7時前。こんちゃんの為に線香を上げようとしたが無い。仕方が無いので、とっても失礼だが、蚊取り線香を出して火をつけて飲みつづけた。今、かなり酔っ払ってます。そんな状態で、こんちゃんへの追悼の詩が出来ました。曲にするかどうかは酔いが覚めたときの判断に任せますが、読んでやってください。

 呑まずにいられるか (こんちゃんへ)


  お前が死んだって 電話で聞いた
  生れた時の事は 何も知らないけど
  泣いて笑って 過ごした日々が
  揺れる心の中に 冴え渡る
  
  窓の外は雨 悲しいよね
  俺の代わりに 空が泣いてる
  誰でもいつかは 死んじまうって
  わかったつもりで生きているけど

  * つもりなんだね 人間って奴は
    何んにもわかっちゃいないってわかっても
    呑まずにいられるか 今日だけは
    この世じゃ二度と逢えない お前を抱いて
    呑まずにいられるか 又明日も
    酔いつぶれてしまうまで お前を抱いて


  明日になったら 忘れっちまうさ
  申し訳ないね 御免なさい
  雨が降ったら きっと思い出すから
  心の中でお前は ずっと生きている
  
  *(繰り返し)

 今日はここまで。

462日目 ベランダライブ・さよなら春野町

2005年07月01日 15時56分15秒 | Weblog
6月30日

 周智郡春野町最後の日だ。日付が変わった瞬間、浜松市になってしまう。春野町最後にふさわしく、明け方近くに、雷がなり豪雨、そして一気に晴れ渡り夏空、山がキラキラして見えた。猛暑の一日だった。

 ホームページの日記の処理をしているうちに夕方になった。芝さんが吉田町からやって来た。ここ1年ほとんど掃除をしていないごみ箱の部屋に招きいれた。今夜は泊まっていくという事だ。異常に暑苦しく汚い部屋の中で、9時近くまで語り。一緒に気田に出かけた。

 今夜のライブと、明日の日付変更線ライブ会場は「ベランダ」、そして、日付が変わった午前1時20分頃に新生浜松市を祝う、春野町発進の坂下さんの作ったテレビコマーシャル(静岡第一テレビで流れる)の鑑賞会と続く。

 9時過ぎにベランダへ。誰も居なかった。坂下さんが来てから食事をするつもりだったので、何も頼まず待った。すかさず、寿司屋の二郎さん夫婦がやって来た。今日はお店が休みらしく、飲みながら食べに来たようだ。11時過ぎからライブがあるというとそこまでは居られないらしい。坂下さんはなかなかやってこない。9時を過ぎて、せっかくだから二郎さん夫婦にも歌を聞いてもらいたくて「勝坂賛歌」と「ほたる」を無理やり唄った。食事が出ていたのに、二郎さん夫婦は箸を置いたまま、歌い終わるまでじっと聞いていてくれた。作る曲も唄い方も深くなったねと誉めてくれた。僕にはその言葉だけで充分に満足だった。

 二郎さん夫婦と入れ違いに坂下さんがやってきて、やっと食事タイム。11時を過ぎてもまだ食べていたら、お茶農家のたけちゃんが、今一番忙しい時期なのにやってきてくれた。明日は午前4時から仕事だというのに。

 急いで食事を済ませ、今日のライブを始めた。唄い始めてから少しして、春野町のライブに時折やってきてくれる正久さんがきてくれた。新曲を中心に歌っていたら、教育長とその部下もやってきてくれた。12時直前まで唄って今日のライブを終えた。