桂正和も“ウイングマン”の頃描いてました。
母方のプロポーションに使ったんだと思います。 . . . 本文を読む
訂正
2017-05-10 | 日記
わたしは多分、ペンでは描けるようにならないので、鉛筆と同じ感覚で使える画材が欲しいです。
線の感覚が柔らかい鉛筆に近いやつ。
大学のときはピグマを使ってました。 . . . 本文を読む
中学のときは“めぞん一刻”のパステル画で貼り出されたんですが、わたしとしてはいわさきちひろが高田明美になって高橋留美子真似で描いていて、全然納得が行ってませんでした。
自由に描いたら完全に宙に浮いた絵だったらしい(上の弟に文句を言われた)。
そんなんで、高校でも漫研には入りませんでした。
自分の小説の挿絵を鎌倉書房“JUNIE”などから描いていたのは前に書いた通り。
多分、大学のときの先輩が師 . . . 本文を読む
中学のときは“めぞん一刻”のパステル画で貼り出されたんですが、わたしとしてはいわさきちひろが高田明美になって高橋留美子真似で描いていて、全然納得が行ってませんでした。
自由に描いたら完全に宙に浮いた絵だったらしい(上の弟に文句を言われた)。
そんなんで、高校でも漫研には入りませんでした。
自分の小説の挿絵を鎌倉書房“JUNIE”などから描いていたのは前に書いた通り。
多分、大学のときの先輩が師 . . . 本文を読む
右のように、デッサン風に線を重ねてしか描けないのと、左のように描けるのは違うんですよ。
左のように描けないとペン入れが多分うまくできないんですよ。
しかしわたしはできないんで、柔らかい鉛筆でぐりぐりと左のように描けるまでやってるんですよ。 . . . 本文を読む
大学のとき、東山魁夷の画集(美術館で出してる物)を鞄か何かに入れていたら、上の弟に“見せびらかそうとして”とか言われました。
江口寿史が好きなら、意外に東山魁夷も好きなこともあると思うんですが…
なんでかな。 . . . 本文を読む
ワールドメイトには関田山脈の飯山側の出身だかなんだかの男性がいて、父の出身の集落を知っていました。
比較的熱心な人で、一緒に“救霊師”の泊まり込みの研修を受けました。
イベントと似たような形式のものでした。
そんなに熱心ではない人で栄村の人もいました。
神社に興味があるだけのようだったので、この人はやめたかも知れません。 . . . 本文を読む