仏教自体が厭世的とは言えないかもしれないけど、
仏教は厭世から入る教えだ。
世の中の醜さ、人々の醜さ、
人生と自分自身の醜さ。
仏の教えを本当に必要とするためには、
それを厭い、そこから抜け出ようとする気持ちが、
必要だと言う。
そこから本当に救い出してくれるのは
仏の教えだけだから。
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世の中の、人々の、ネガティブな面。
例えば、
近視眼的で世俗的な欲望を満たすために、
我こそ . . . 本文を読む
東照宮や、そのゆかりの地をめぐる旅は、
わたしにとって、特別な感慨がある。
なんとも言えない懐かしい感じと、
優しい爽やかな水気に包まれているような不思議。
親しみと好意の感触の中へ
いっとき、何かから解放されていく。
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最初に日光の東照宮へ行ったのは、学生の頃だったけれど、
なぜか拝観する気になれなかった。
改めて、意識して向かったのは、
今年になってからのことである。
途中、 . . . 本文を読む
昨日、母の付き合いで、
学生さんの合唱コンサートに行った。
三部構成の最後に、宮沢賢二の詞に曲を付けた、
三十分近いという組曲をやった。
あいにく体調が悪くて集中できなかったのだけど、
良く練習していて、美しいハーモニーを聞かせてもらった。
それはそれとして、歌う前に、
作曲家の方の挨拶があったのだが、
彼が宮沢賢二を紹介して言うに、
『色々な面を持っていましたが、
何をやってもうまく行か . . . 本文を読む
日テレ系テレビ信州でやっている
“秘密のケンミンSHOW”を、母がずっと見ていた。
「長野が出るんだって」と(笑)
それでわたしも一緒に見ていた。
長野県が出たのは、地方へ若夫婦が転勤する設定のコーナーだった。
…微妙。
取り上げてる内容はその通りだけど。
言葉が。
長野弁、ちょっと下手すぎ(笑)
言葉はあってるけど、イントネーションが違って、
知らない方言みたいだった。
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あ . . . 本文を読む
…それはワタシでした(笑)
どうも済みません。
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神童も、二十歳過ぎればタダの人、と申しますが、
わたしの場合、十二歳位からタダの人でした。
字だけは、教わりもせずに勝手に覚えた
という伝説がありますが(笑)
後はだいたい、本を読んでいました。
しかも空想的な児童文学ばかりです。
現実という物がキライでしたから。
ここじゃない別の世界があるような気がしてました。
そこへ行きたかっ . . . 本文を読む
…イエ、もちろん当て字なんですけど。
言うまでもなく、
昔、教養人たる者は漢文を
使いこなせなければならなかった頃、
仏蘭西の字を当てて、フランスと読ませた。
そこから、今も仏国といえば
フランスを指すわけですが。
でも、普でも風でも麩でもいいのにな~
みたいな。
どうして仏をあてたのかな~
日本で仏を廃し、釈迦を毀(そし)っていた頃、
フランスは(日本語では)仏国になった。
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今日は“えびす講煙火大会”。
長野商工会が総力を上げて行う(笑)、
毎年恒例の晩秋~初冬の風物詩。
善光寺の東にある西宮神社の、えびす講の祭礼の打ち上げとして行われるもので、
街では併せて売り出しもやっている。
昔は、山間地の人たちが、冬を越すための準備の買い出しに来て
大変な賑わいだったらしい。
今はそんなでもなく、西宮神社の存在すら知らずに
花火だけ見て帰ってしまう人も多いけど。
長 . . . 本文を読む
もちろん一般には、平家は
桓武天皇から分かれた氏族だと言われている。
ところが、(トンデモ説かも知れないけど)
平家というのはペルシア系だと
いう話もあるのだ。
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古代というのは
思っているよりずっとグローバルな世界で、
唐は、能力さえあれば民族を問わず官吏に登用する
多民族国家だった。
その都、長安には、
シルクロードを経てやって来たペルシア系の人々が
多数住んでいたという。
. . . 本文を読む
貧血?
2009-11-21 | 日記
以前、父が、
溝口徹さんという人の書いた、“「うつ」は食べ物が原因だった”
という本を貸してくれて、鉄のサプリメントを買ってくれた。
それから、お医者さんに行って血液検査をして、
やっぱり貧血があるらしい、という事になった。
それは、普通の血液検査で貧血を見る、ヘモグロビンの値ではなく、
血清フェリチンというのの値による。
血清フェリチンは、
体内の貯蔵鉄の量を示す値らしい。
理論的には、 . . . 本文を読む
市橋容疑者が捕まって、取り調べを受けている。
その状況を知らせるニュースが、日夜報道機関を賑わせている。
なんと言っていいのか、mixiに、
市橋容疑者のファンサイトが多数立ち上がっているらしい。
それで思ったのは、心が閉じた人が好きな人が多いんだな、という事。
それは、心が閉じた人が多いという事なのかな。
だったら、哀しい。
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TPOに応じて、ありのままの自分を打ち明けること。
. . . 本文を読む
日本語の“新興宗教”という言葉は、
侮蔑を伴う気がする。
良くないイメージの言葉なのである。
わたし自身が“新興宗教”と付く宗教を、
一段軽く見てしまうから。
イスラム教系新興宗教、と呼んだとき、それは、
教えをイスラムから取り入れた、新しい、用心すべきカルト、
というイメージを持つ。
でも、バハイはそうではない。
イスラムであるべきだったのに、迫害され、追い出された教えである。
わたしは . . . 本文を読む
バハオラは、バハイ教の開祖にあたる。
バーブはその先駆者である。
言ってみれば、イエスとヨハネみたいな物だと思う。
バハイ教におけるバーブは、ヨハネより重視されているかもしれないけど。
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バハイ教は、十九世紀ペルシアで生まれた。
今のイランである。
バーブもバハオラもイスラム教徒で、そもそも
そこから逸脱する気は全くなかったと思う。
それは、ユダヤ教を逸脱する気のなかった
イエスに . . . 本文を読む
仏教は、全体性を重んじます。
他の多くの宗教が、人間存在を
霊と肉体…あるいは精神や魂と肉体の二元論で捉えるに対して、
あくまで、五蘊が仮に集合したものととらえ、
その仮に集まった全体が自我の同一性をもたらしている、と説きます。
欧米では伝統的に、肉体を欲望の源…すなわち悪ととらえ、
その束縛を逃れ、精神の光を求めようとする傾向が強いと思います。
仏教では、五蘊が集合した全体がそのまま自分 . . . 本文を読む
大本の文献を読んでいると、しばしば、
仏教の否定と受け取れる記述を見ることがあります。
なおさんの大本神諭には、
“仏事は悪のやり方で在りたぞよ。
モウ是からは、仏では治まらんぞよ”
(大正四年旧十二月二日)
という一文がありますし、
王仁三郎もまた、仏の教えの至らざる点について、
幾度となく言及しています。
大本神諭は、
仏教には天地の恩恵に感謝する側面のないことを
指摘していますし、
. . . 本文を読む
日本人は、卓越した技術を敬う。
努力を積み、創意工夫を凝らし、技術を極めていくことを。
芸術に対しても、同じ傾向があると思う。
見事に訓練された筆さばき、画材の使い方。
リアルに緻密に、あるいは臨場感あふれる、
表現を極めていくこと。
いわゆる“上手い”絵であることを。
だけど、それとは全く別の伝統もまた、
日本にはあるのだ。
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「仏道をならうというは、自己をならうなり」
と、道 . . . 本文を読む