”玲瓏”管理人のつぶやき

"玲瓏:羽生善治(棋士)データベース"管理人たいがーの独り言(HP更新情報含む)

オイルショック

2007年01月28日 | 桜庭和志
 2006年大晦日に京セラドーム大阪で開催され、TBS系の全国中継で民放首位の高視聴率を稼いだK-1系格闘技イベント「Dynamite!!」のメイン「秋山成勲vs桜庭和志」戦について、禁止されているクリームを全身に塗っていた秋山を「失格」、ファイトマネーを全額没収、無期限試合停止の厳罰、秋山の勝利は取り消されノーコンテスト(無効試合)となったことを指して”オイルショック”とインターネット各所で題打たれている。この試合の検証サイトは実に1000以上乱立したと言われるし、Hero's公式サイトへの書き込みも相当数記録した。

 最初に断っておくが、自分はUインターの時代から桜庭和志ファンである。しかし、今回の件における自分なりの見解を一言に凝縮させると”落日の桜庭”だ。哀愁の桜庭を通り越して、生きる屍になりつつある桜庭だったかもしれない。ファンとしてはそんな桜庭を見たくないが現実を直視したい。

 客観的に振り返ろう。打撃では秋山の方が上だった。これはUインターで先輩だった田村も語っている。しかし寝技というかグラップリングではおそらく桜庭だ。秋山陣営では低空タックルを切りさえすれば桜庭に勝機はないと睨んだんだろう。そこで全身クリーム作戦だったのだろうか?ルールではいけないが見事な秋山陣営の作戦と言わざるを得ない。

 一方、桜庭はヴァンダレイシウバの所属するブラジルのシュートボクセアカデミーで打撃を磨いているが、試合でカッとなると正しいガードを忘れてがらあきのガードになる。秋山の当て勘は立派なもので何度となくそのがらあきのガードの間隙を縫って的確なパンチを繰り出している。桜庭は秋山にまんまとはめられたとも見れる。桜庭を擁護するとすれば、打撃で崩して低空タックルでグランドにもっていくのが桜庭のスタイル。その低空タックルでとったと思ったらスッポスッポ抜かれてはたまらないからだ。ムカっときてしまったのは無理もないかもしれない。

 しかし、異種格闘技は殺るか殺られるかにスリルがあり見ごたえがある。桜庭が秋山に殺られた、その現実は公共の電波にのってお茶の間に流れた。今、判定が覆ってノーコンテストと言われても、はいそうですか、とはファンはすっきりとした形で飲み込めない。桜庭はその殺伐とした空気にアンチテーゼとして明るく楽しい雰囲気を導入したが、その実際は卓越した勝負の機微、体を置く技術に裏づけされたものであるし、だからこそファンタジスタとして桜庭を尊んできた。

 3つの疑問をあえて投げかけよう。①Hero's 側あのRINGS前田もいながら何故桜庭の試合中の訴えを無視し続けたか?②桜庭のセコンドは当の本人の桜庭があれほど試合中に訴えていたのに何故誰も試合を中断させなかったのか?③桜庭本人が何故試合を続行させたのか?

 検証①:前田本人のコメントはまだ見ていない。しかし落日の桜庭を感じたのだろう。猪木や前田本人の格闘技戦でも相手がワセリンをぬっていることは日常茶飯事だったし、それでも猪木、前田は勝ってきた。その背景があると推測する。究極のガチンコだった猪木―アリ戦。アリはグローブの中に石膏を固め、猪木はシューズの中に石膏を固めた。アリのパンチがかすっただけで猪木は額にこぶを作り、アリはローキックで血栓症になった。戦いはその場限り、リセットできない。

 検証②:柔道対レスリングの雌雄を決する気持ちがあるならばセコンドが身を挺しても不思議でない。猪木、前田のセコンド陣はそれこそ命がけだった。桜庭本人がスターダムにのし上がったUFC-J、その決勝戦も不可解なジャッジだったのをUインター連中が身を挺して再試合となり優勝した。今回桜庭のセコンドにいた豊永稔選手や高橋渉選手は、試合中もただ見ているだけ、試合後も苦笑いしているのを見て少しムカっとした。選手を守れないのか?

 検証③:桜庭もPRIDEからHero'sに戦場を移し早く結果を伴いたい。前回のスミルノヴァス戦はKO負け判定されていてもおかしくなかった。決勝トーナメントは首の故障があり出場できなかった。精神的な余裕がなかった。猪木だったら、ヌルヌルする、としたらきっとリングの外に出て審判団に抗議もしただろう。桜庭も精神的余裕があればリングの外に出にくいにしろエプロンからでも審判団につめよれたかもしれない。試合後につめよることほど後味が悪くなることを桜庭は知っていたはずだ。何故そのような行為に出たか?一にも二にも”後がない”ことのプレッシャーだと解釈する。

 結局TBSとしてどちらに商品価値があるか二者択一の状態に追い詰められ、見定めた結果、世界のファンタジスタ”桜庭”をとったのだろう。桜庭としては逆に自分を追い込む形となったことは桜庭本人も気づいているだろう。桜庭は次の試合でファンを魅了し納得させなければ一気に凋落だ。注目である。

ドラマ:2007/1-3

2007年01月27日 | TVドラマ
今タームは以下に絞りました。

「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」 主演:速水もこみち
毎週月曜日午後9時フジテレビ系列

「エラいところに嫁いでしまった!」 主演:仲間由紀恵
毎週木曜日午後9時テレビ朝日系列

「華麗なる一族」 主演:木村拓哉(SMAP)
毎週日曜日午後9時TBS系列

視聴率トップは、「華麗なる一族」。予想とおりですね。視聴率2位も予想とおり「花より男子2」そして3位は予想してなかった、「ハケンの品格」主演:篠原涼子毎週水曜日午後10時日本テレビ系列 ・・・ちょっとだけ気になります(^^;

The Japan Times CLOSE-UP 校正

2007年01月23日 | 羽生善治
 数日経ってPart-1からPart-7までざああっと振り返ってみたら、いろいろ直したいところがあったので校正しますた。

 それにしても休みが欲しい…。開発しているソフトウェアのリリースが1/24だかがらこれが終わったらちょっと一息つけるかな。

The Japan Times CLOSE-UP Part-7

2007年01月20日 | 羽生善治
The Japan Times Online>Life in Japan
※会員制アーカイブに移行されている

英文和訳第七弾(最終回)


日本文化は21世紀の世界に何か与えるものをもっていると思われますか?

はい、物事の見方が他国の方と違うので、他国にアピールできると思っています。しかしながら、日本人は自国の文化を売り込むことにはあまり長けてはいないですね。

北朝鮮による拉致被害者返還に向けての日本政府の対応は多くの批判にさらされました。決断という観点からどのように評価しますか?

関係者全員にとって非情に痛ましい事件です。心から同情します。政府の決断という点では、何かを語るにはまだ時期尚早です。というのも、この事件に関するデータがすべて出揃ってないからです。

日本では個人主義が浸透してきていますが、物事を決めることができない人や責任を取ることができない人が依然として多いようです。このことについてはどう思われますか?

個人主義が健全な方法でうまくいく唯一の方法は、決断と責任が表裏一体になっていることだと思います。

お二人のお嬢様のお父さんとして、現代社会のイジメ問題についてはどう思われますか?

自分達の時代は遊ぶことでストレスを発散することができましたが、今は外に行ってちょっと遊んできなさいとは危ないことなので親が子供に言えなくなっています。ストレスをもった子供たち、閉じこもりの子供たちが出てきた要因になっています。

神様がいるとして、天国にたどりついたとき、神様に何と言われると思いますか?

おそらくこう言うじゃないでしょうか?「同じミスを何度もしたのは何故だい?」

歴史上の人物はいますが例えば誰になりたいですか?

そういう人はいません。しかし、日本の歴史上明治時代(1868-1912)は興味深いと思っています。

あなたにとってもっとも大きな業績は何ですか?

自分にはまだまだ業績がありません。

人生においてゴールは何ですか?

新しい発見を重ねていくことです。このプロセスには終わりはないと感じています。

2007年1月7日 ジャパンタイムス社

The Japan Times CLOSE-UP Part-6

2007年01月19日 | 羽生善治
The Japan Times Online>Life in Japan
※会員制アーカイブに移行されている

英文和訳第六弾


今までお会いされた方の中で最も印象に残っている人はおられますか?

かれこれ何年も印象に残る多くの方にお会いしてきました。一人代表的な方をあげるとすれば、元プロ野球選手、プロ野球の監督までされた長嶋茂雄さんです。底知れぬ魅力に満ち溢れていました。

人生を歩む上で将棋から学んだことはありますか?

すべての事象は因果法則によって支配されているということです。

著書「決断力」で述べられていることに、直観の70%は正しいという一文がありました。直観によって日々の決断はどのように補われるのでしょうか?

直観は経験から成り立つものです。ベストと思える決断をしますが、決断はまた自分の好みに左右されるものです。

将棋の盤上で冒すリスクによって、日常生活でも同じようにリスクを冒させるものでしょうか?

因果法則に対しては少し理解があると思っていますので、対局している時はリスクがどのようなものかをわかっています。

リラックスをどのようにされていますか?

家にいるときは家族とは将棋の話をまったくしないようにしています。リラックスするには散歩するか、子供たちと遊ぶことでしょうか。

プロの将棋棋士になっていなかったら何になっていたでしょう?

よく質問され答えてきていますが、将来の職業についてはこれまで考えたこともなかったのです。というのも、この世界に入ったのはたった6歳の時だからです。しかし、たった1日何かをするとしたら、タクシードライバでしょうか。興味深い仕事だと思えるのは、その日その日どこに行くかわからないからです。言われたところにひたすら行くのです。毎日決まったルートを行くことになっている、電車の運転手やバスの運転手とは異なります。

有名になるといつも人だかりができることに悩まされることはありますか?

実際、東京にいる時は人だかりができることは滅多にありません。でも3年に1度か2度ありますね。地方に行くと人だかりができますが、悩まされるほどではありません。

The Japan Times CLOSE-UP Part-5

2007年01月18日 | 羽生善治
The Japan Times Online>Life in Japan
※会員制アーカイブに移行されている

英文和訳第五弾


チェスと同様将棋にもコンピュータはたいへん大きな役割を担うと思われますか?

コンピュータと対局したことはあります。コンピュータ将棋の棋力はあがっており、今はアマチュア四段はあります。しかし、プロのレベルに達するにはもう2ステップの飛躍が必要でしょう。とは言っても、来年あるプロ棋士と現在最強の将棋ソフトウェアを搭載したコンピュータと対局することになっています。

将棋はもっと国際的なものになっていくのでしょうか?

将棋はインドが起源であり、アジアを通って伝わってきましたので、アジア各国ではその国独自のルールをもつ同種のゲームがあります。そのため日本の将棋が広がるにはちょっと難しいと思われますが、中国やウクライナでは人気を得てきています。将棋をするイギリスの知人をサポートして自分も将棋を世界に広げることに少し貢献しています。

チェス、バックギャモン、囲碁についてはどう思われますか?

その3つともやります。サイコロを使うことから、バックギャモンはとても感情的なゲームです。囲碁は可能な限り自分の陣地を確保することに全力を費やし、ほかのものより視覚的な関連があるものです。チェスはそこそこ攻撃的なゲームです。

自分自身を天才と思われますか?

マスコミの方は新聞購読数を増やすため自分を天才と書く必要があるのです(笑)自分は天才とは思っていません。

ご自分を表現していただいてよろしいですか?

一言で言えば、優柔不断です。

格闘技と将棋はつながりがあるとおっしゃられました。詳しく説明していただけますか?

”間合い”は格闘技では非情に重要ですが将棋でも同じです。しかし、将棋では攻め込むだけではなく撤退することも考える必要があります。前進していく必要がありますが、あまりに無謀に行くと、相手に攻めを分断されるでしょう。少しずつ分断されないように前に出ることが重要なのです。

生きていく上でのモットーはありますか?

”運命は勇者に微笑む”です。

将棋以外で興味をもたれているのもの何ですか?

何も考えずに長い距離を散歩するのは好きです。実際どこかに行くときは2駅前で降りて歩くことはよくあります。走ることは疲れるので好きではないです。それ以外に興味のあるものはありません。

旅行で行かれたことのある場所はどこですか?

日本全国、そしてオーストラリアやヨーロッパのような海外に行ったことがあります。博物館に行くことはあまりなく、町並みを見て歩く方が好きです。

The Japan Times CLOSE-UP Part-4

2007年01月14日 | 羽生善治
The Japan Times Online>Life in Japan
※会員制アーカイブに移行されている

英文和訳第四弾


七冠完全制覇を成し遂げたときはどう思われましたか?

自分ひとりの力で成し遂げたとは感じませんでした。その当時は勢いに乗っていけたことが大きかったと思います。2ヶ月後に七冠のうち一つを失ったのですが、実際にはほっとしたというのが本音です。タイトルを多くもつということはそれだけで大変なことです。というのもタイトル戦は2ヶ月ごとに防衛戦が始まりますし、日本中どこにでも行かなくてはならないからです。

対局しているときはいつも自信をもっていますか?ないとするならば、どのように自信を得ますか?

最初はふつうは9級から始めるところをそれより下の13級から始めましたから本当に自信をもつなんてことはなかったです。しかし、勝ち方を覚えてくると自信をもてるようになってきました。

対局の視覚化をされますか?イメージとして捉えていますか?

一筆書きのように対局を見ることはたまにあります。

対局を戦争に例えるとして、あなたの戦略を表現してもらえますか?

わたしの棋風は対局の最初から最後までずっと同じテーマをもつことです。一貫しないような手筋を指さないよう努めます。そうでないと一手一手が違った方向に進んでしまうでしょう。それが自分にとって重要なことなのです。勝利は実際には二の次なのです。

羽生マジックとは何ですか?これまで成功を収めてきたのは何故だと思われますか?

個人的には自分の指した手がマジックだと思ったことは一度もありません。自分からみれば普通な手だと思って指しています。おそらくゲーム感が他の人と異なっているのではないでしょうか。

敗戦をどう捉えて次につなげますか?

誰もが対局すべてに勝つことはできませんし、年間50局から70局対局することになったらなおさらです。負けについて考えることは誰でもあると思いますが、例えばジャパンタイムスの読者に影響を与えることはありません。負けたことをくよくよ考えないようにしていますし、負けたことを家にまで持ち込まないようにしています。自分にとって将棋はマラソンを走るようなもので長いプロセスですし、まだまだ長い年月が残っています。同じペースで対局していければと思っています。

オーストラリア水泳のイアンソープ選手が記録を破ることが自分にとってもう魅力的でなくなったとして昨年24歳で引退しました。このことについてどう考えられますか?

自分と比較することは実際できないと思います。彼は肉体的な部分を多く必要とする競技にいます。将棋はそうではありません。70歳、80歳になっても将棋をすることはできます。自分にまだ引退する意思がない理由はそこにあります。

第56期王将戦開幕

2007年01月13日 | 羽生善治
※.The JapanTimes CLOSE-UP 英文和訳 は一回お休みです(^^;

 5棋戦連続挑戦という新記録を打ち立てた佐藤棋聖を迎え撃つ今期。羽生さん自身には永世王将がかかる第56期でもある。王将就位式は一般のファンが参加できるので、羽生さんに顔とHNは覚えてもらっているとは言え私設応援ページ管理人には、羽生さんの就位を直にお祝いできる限られた棋戦なので、ひとしお防衛してほしい棋戦でもある。

 その王将戦が開幕。しかし千日手局指し直しで、序盤から8二角を羽生さんが打ち込んでから激しい戦いとなり、佐藤棋聖の端攻めに対し9六の地点を受けず9三に猛攻したところが勝負の分起点となり、短手数で不本意な敗戦となった。

 羽生さんが負けるとまるで自分が何か大事な仕事で失敗したときのような気分になり(^^;、どっと暗くなる。勝てばまったく逆で気分が晴れやかになる。ま、ファンというのは得てしてそうですよね~。”玲瓏”サイトでもデイリーでアクセスカウンターを右下につけていますが、羽生さんの対局の当日・翌日に物凄くアクセスが集中する。羽生さんが勝利するとそのアクセスが異常な盛り上がりを見るにつけ、羽生さんの勝利を渇望するファンの方が多いんだなあと実感しています。

 1999年度第48期王将戦、森下卓当時八段を迎えた開幕局、飛車金両取りの筋を読みぬけして、62手の短手数で羽生さんは投了をつげた。あのときはプロとして恥ずべきこととして難しい要素を含んだその後半戦に戦意喪失したからだろうと将棋世界の観戦記には綴られている。

 ある意味本局も同じ部分があったのではないか?第48期王将戦は開幕局で負けたあと4連勝でタイトル防衛した。今期は佐藤棋聖が3連続挑戦失敗でなみなみならぬタイトル奪取の意欲を見せていることも本局の激しい将棋を見て感じたし、それを真っ向から受けて立つ羽生王将も見れた。本シリーズ、真っ向からぶつかる両者の気迫が感じられ、今後の展開が楽しみだ。

The Japan Times CLOSE-UP Part-3

2007年01月12日 | 羽生善治
The Japan Times Online>Life in Japan
http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/fl20070107x1.html

英文和訳第三弾


将棋を始めたのはいつですか?また将棋のどこに興味を惹かれましたか?

将棋道場に初めて行ったのは、新聞の地方版で読んだ子供夏休みトーナメントでした。6歳のとき、小学校2年生でした。プロを目指して将棋を始めたのは、12歳のときで、6級からでした。

どのような子供でしたか?またそのとき他に興味があるものはありましたか?

他の子とまったく同じでした。つまり、そのときに流行っていたものは何でもやってました。野球をやっていましたし、同じ年の子がやることはやっていました。

ご両親はあなたの考え方や人格に影響を及ぼしましたか?

特に影響を与えたとは思いません。

子供のとき、大きくなったら何になりたかったですか?

別に何もなかったです。将棋の世界に入ったのは6歳だったので、生活をしていくための職業をどうしたいか考える必要がなかったのです。自分の進む道は決まっていました。おそらく、トーナメントの広告を見て将棋の世界に入ったのは運命だったのでしょう。

兄弟はいますか?また将棋をしましたか?

わたしには2歳年の差がある妹がいます。妹は将棋をしません。ケンカをしたこともありません。おそらく性別が違うからです。男同士の兄弟だったら違っていたかもしれません。妹とは仲良くやってきました。実際妹は自分のお下がりを着ていました(笑)。

家庭をもつと対局に影響しますか?

家族には将棋をする人がいないので、家族と将棋で対局したことはありません。ある意味いいのは、家族は何でもズバズバ言い合えるからです。結婚した今は以前よりも安定感があります。独身だったときは、生活が不規則になりがちでした。

将棋に対して好きなこと、嫌いなことはありますか?

将棋は奥が深いゲームです。ゲームの勝敗が非情にはっきりしていることは好きなところでもあります。事実、ゲーム全体を見れば、原因と結果のプロセスです。しかしながら、チーム対抗の対戦ではないので、勝敗は自分の責任である事実は好きではありません。自ずと自分の行動に責任をとりますが、いまだに負けることは気持ちのいいものではないですね。

The Japan Times CLOSE-UP Part-2

2007年01月11日 | 羽生善治
The Japan Times Online>Life in Japan
http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/fl20070107x1.html

英文和訳第二弾

 日本のアマチュア将棋愛好家の数は、羽生氏が25歳の1996年に前代未聞の七冠制覇を成し遂げたときをピークにして、昨年まで減少の一途であったが、昨年再び増加が見られた。現在、日本のアマチュア将棋人口はおよそ1500万人とされている一方で、海外、特に(チェスの長い歴史のある)ウクライナ、西ヨーロッパ、そして中国では着実に人気を集めている。

 将棋の起源は4000年前に遡ることができるが、その起源は古代インド、そしてサイコロを使用して4人で対戦するチャトランガと呼ばれるボードゲームである。チャトランガは西に伝わりチェスに、東に伝わり将棋となった。日本に伝来したのがいつか定かではないが、8世紀のものと思われる将棋の駒が古代日本の首都奈良で発掘されており、7世紀、日本に辿りつき始めた仏教の殉教徒らが伝えたとされている。

 羽生氏は1970年9月27日、埼玉県所沢市に生まれた。父親は外資系の子会社に勤めるエンジニアであり、母親は専業主婦であった。1995年7月に女優の畠田理恵さんと結婚し、東京都世田谷区に居を構える二人の間には、1997年7月に長女、1999年11月には次女が誕生した。

 ベストセラーとなった「決断力」は2005年に角川書店より出版されたもので、30万部以上のセールスを記録した。羽生氏は将棋から学んだことを明快な言葉で表現しており、読み手は生活改善への一役とすることができるだろう。この本の名誉ある持ち主としてとてもすばらしいことに、東京都千駄ヶ谷にある日本将棋連盟の本部にて羽生氏に最近インタビューをする機会に恵まれた。羽生氏の物柔らかで謙虚な外見の向こうには、実に鋭敏な感覚を備えられていること、そして人生について多くを学ぶことができる人だということを理解するのに多くの時間は要しなかった。