”玲瓏”管理人のつぶやき

"玲瓏:羽生善治(棋士)データベース"管理人たいがーの独り言(HP更新情報含む)

富士スピードウェイ30年ぶりのF1

2007年10月07日 | 高木虎之介
 今年の日本GPはこれまでの鈴鹿サーキットではなく30年ぶりに富士スピードウェイで開催されました。30年前のF1放送は現在のフジテレビ系列でなくTBS系列でした。印象に残っているのは、星野さんの物凄い追い上げがあったことと、あの伝説のドライバ、ジル・ビルヌーブが前方車に追突しその勢いで後輪に乗り上げてフェラーリを宙に舞わせ、コースマーシャルとカメラマンの二人を死亡させてしまったことでした。それから10年日本ではGPが開催されませんでした。

 トヨタが3年前に富士スピードウェイを買収して現代のF1開催規準に合いかつ、近代的設備に全面改装し、ようやく今年F1開催となりましたが、自分もこのブログで危惧していたことがやはり現実になったようですね。それはF1観客のアクセスビリティの抱える問題です。鈴鹿はすぐ近くにローカル線といえ電車走っているけど、富士にはない。サーキットでバスを待つのに4時間、自宅に戻ったのは深夜の人が大勢出たといわれます。

 まあ、そんなのは富士スピードウェイにふつうにクルマに乗って足を運んでいるファンならみんなわかっていたこと。日本GP開催関係者がそこに耳が行かなかったのは、あまりにもサーキットの施設に気が行ってしまったことからなのかわかりません。でも、施設の話題ついでに言うと、逆にF1関係者にはすこぶる好印象だったようです。

 トヨタ自動車の豊田章男副社長は4日の新車発表会の席上、富士スピードウェイで開催されたF1日本グランプリで不手際が相次いだ問題について、「皆さんに迷惑を掛ける結果となり、大変申し訳ない」とファンに謝罪し、「課題を一つずつ洗い出し、来年こそは満足していただけるようにする」と決意を示したようですが、どうするんでしょうね。

 自分なりの結論を言うと、そんなの行楽客をさけるため土日を避けるか、電車を引っ張ってくるか、道路拡張するしかないんじゃない?と思えます。だって、鈴鹿には申し訳ないですがそんなに観光名所があるわけじゃないのに、富士って御殿場、箱根、富士山いっぱいあるんですよ。F1のない土日だって大渋滞になるんです。それで慢性化している渋滞を解消するために第二東名高速道路という話が出ているんです。

 自分の経験談をお話しましょう。鈴鹿の場合、名古屋の実家に泊まってF1観戦7年間しました。だいたい普通に走って1時間30分です。やはりF1決勝終了後が込みます。自分は7年の経験でサーキットから2キロ歩いた民間駐車場が最適だと気づいてかつ裏道を知ってからは2時間で実家まで帰れるようになりました。

 富士の場合、横浜の実家からフォーミュラニッポン観戦経験昨年2回しました。東名高速道路使ってだいたい1時間30分です。やはり決勝終了後が込みます。と言っても観客数は一桁違うんですよ。自宅に着いたのは夜10時超えました。東名高速道路か、国道246か、国道1号線。しかも一度乗ったら足柄山越えないと裏道もない。この3択は結構厳しいんです。

 上の3つの案ができなければ、すいません、トヨタの副社長さん、どうあがいてもファンの方を救済することは無理でしょう。土日はずすことは無理でしょうから電車引っ張ってくるか、道路拡張、トヨタの財力やコネクションならできなくはなさそうですが、トヨタだけではできなさそうですし、来年開催時期の1年では無理でしょうね。

琢磨が虎之介を自分の中で抜いた瞬間

2007年06月12日 | 高木虎之介
 F1GP第6戦カナダGPは現地時間2007年6月10日モントリオールで開催され、マクラーレン驚異の新人ルイス・ハミルトンが優勝した。観客を沸かせたのは他にもいる。日本チームで日本ドライバー、スーパーアグリ・ホンダの佐藤琢磨選手だ。

 トップチームには一歩も二歩もひけをとるマシンを駆り怒涛の追い上げで後半トップグループに接近、ついには昨年のチャンピオンであるフェルナンド・アロンソとバトルを演じ、追い抜きが難しくなった現代F1で見事オーバーテイクして6位入賞を果たした。

 それは、自分の中で、虎之介を抜いた瞬間、でもあった。

 ただ付け加えると、虎之介の方が純粋にマシンを操る能力では今でも優っていると思っている。虎之介を抜いた、とは、レーシングドライバとしての総合力で、である。求められる総合力は、先述のドライビング能力に加え、レースマネージメント能力、チーム牽引力、先進技術習得力などがあげられる。それらを加味して考え、抜いた瞬間だったのだ。

 フォーミュラニッポンに戻ってきて先日の鈴鹿でやっと1ポイント獲得した高木虎之介。もがき苦しんでいる。かつてを思い返すと中嶋レーシングでは虎之介にあったマシンが与えられた最高の環境だった。彼に欠けているのはチーム牽引力であるかもしれない。チームに彼のためなら死に物狂いでやろうというエンジニアやサポートするパートナーがいないように思える。その点、琢磨はチームに好かれフィードバックも的確と伝え聞くし、エンジニアにやる気を起こさせる資質がありそうだ。

 かと言って、琢磨ファンにはならない。

 主にフォーミュラカーのレース観戦を始めて四半世紀、セナ死後にも訪れた隙間風。それを埋めた虎之介の出現だった。今急速にフォーミュラレースへの熱が冷めてきている。

セナの面影

2006年10月08日 | 高木虎之介
 F1の皇帝Mシュー引退、自分が淋しさを感じるのはセナを知る最後の生き証人的なところがあるからだろう、セナの最後の勇姿を後ろから見守った人物として・・・

 セナが亡くなった1994年、レースファンをやめようと思った。レース観戦から引退しようと思った。けど、そのときに鮮烈な登場をしたのが高木虎之介だった。いまだに虎を応援し続けている。世間は今スーパーアグリの琢磨君を日本代表のように言うが、自分の中ではいまだに虎が一番だ。

 同じく1994年、モナコGPフジテレビのインタビューに応えるMシューの姿は昨日のことのように覚えている。「何度でも言うよ、セナはボクのアイドルだった」虎の追いかけが始まると同時に、Mシューも同時に見守ってきた。彼のレース人生をおこがましくも看取らないとと思ってあれから12年・・・。2000年のモンツァでセナの通算勝利に肩を並べるMシュー。レース後のベスト3ドライバインタビューでそのことを言われ思わず泣き崩れるMシューは印象的で、なおさら見守る気持ちが強くなった。

 センチメンタルになりつつも最後の鈴鹿、ちょっとだけノスタルジーに浸ってみよう。鈴鹿、最初の思い出と言えば1988年、セナ初めてのワールドチャンピオン獲得だ。スタートでエンストしたけど下りのホームストレートが幸いして復活、その後11台を抜いて鮮烈に優勝した。1989年も鮮明に覚えている。シケインで強引にインをこじあけたセナにプロストが幅寄せ。プロストリタイヤ、セナ失格でプロストがワールドチャンピオン。プロスト、最初で最後の幅寄せだった。1990年鈴鹿はセナ・プロ、オープニングラップ1コーナー事件。二人がいきなり1コーナーで消えた。その裏ではマンちゃんクルマ壊すし、ピケ―モレノ苦労人1―2フィニッシュ、そのときの3位がアグリさんだったけど、おまけだった。1993年はセナがもっともセナとして光った年、それを象徴するかのような雨の中の優勝だった。1990年以降、Mシュー、ビルヌーブ、ヒル、そしてハッキネンがいた。虎も弱小チームだったがマネーでなく力でドライバーズシートを勝ち取った。

 ところで、Mシューは1991年F1デビュー、スピード違反で捕まったアンドレ・デ・チェザリスが警察に捕まった時催涙スプレーして禁固刑となったことにより代役、スパフランコルシャンからだった。若いときはよくオーバーレブさせてエンジン壊していた。デビュー戦も7UPの緑のクルマをオープニングでいきなり壊してましたね。

 Mシュー、最後の鈴鹿、まさかのリタイヤ。ディフェンディングチャンピオンであるアロンソの逆転優勝で幕を閉じた20年目の鈴鹿。何かひとつの時代が終わったかの結末に一抹の寂しさを感じざるを得ない。新人も多く出てきた年だった。クビサ、リウィツィ、スピードの走りも良かったし、琢磨君の走りも素晴らしかった。けど、アロンソの走りはひとつの上の走りと唸ったのは事実だ。

 そう言えば、セナの最後の鈴鹿もリタイヤだった。セナはS字を抜けたダンロップカーブでエンジンブローしデグナーへたどり着くまでもなくコース脇に車を止めた。Mシューはその後を引き継ぐように、デブナーの進入でエンジンブロー、ヘアピンにたどり着くまでもなくコース脇に車を止めだ。時代は受け継がれていく。

 たんたんと優勝に向かって突き進むアロンソを見て「ああ、次の時代へF1も進むんだなあ」と溜息が出た。セナを愛した古舘アナの「F1ターミネーター」は彗星のように1991年に登場したMシューに向けた代名詞。あの頃は笑顔、憂い目、そして涙もろいセナが人間的、Mシューが機械的に見えたけど、今はそのMシューが人間的、アロンソが機械的に見えるから不思議なものだ。

 Mシューは引退する。虎もフォーミュラの世界からいなくなったら、きっと自分はレース観戦から引退だ、と思う。(でも、またセナがなくなったときに虎が出たように、そんな鮮烈なドライバが出ればわかりませんけどね)

フォーミュラニッポン第6戦富士決勝

2006年08月27日 | 高木虎之介
 今日も自宅からクルマ飛ばして富士スピードウェイ行ってきました。朝6時に家を出て7時30分に到着。クリスタルラウンジはピット上の冷暖房完備、タイミングモニターありの至れり尽くせりの部屋ですが、席は早くきたものがち、一番前の席をゲット。良い席の割りにせちがないですなあ

 虎之介選手、決勝は8位でした。

 途中入賞圏内の6番手まで上がったときもあったのですが、ダンロップからネッツあたりのクルマの挙動を見るとめまぐるしくかわった天候はちょっと辛かったようです。ただそんな苦しい中1コーナーでは虎之介の持ち味であるレイトブレーキングが出ていました。最終コーナー前がネッツそこで詰められてホームストレートではスリップストリームに入られますが、雨でぬれているイン側に行かせてブレーキを遅らせる、それで相手は行き過ぎて、その相手のインをクロスするように抜き返す、そんなシーンを何回も演じてくれました。

 欲を言えば、虎之介選手が前のクルマに仕掛けるシーンが一度は見たかった。ずっと守勢なのは見守るしかないファンには息苦しかったですね。次ですか次っ!

追伸)
 初めてグリッドウォーク(決勝前のスターティンググリッドを歩いて回れる権利)しました。お目当ては9番手グリッドの虎之介選手。虎之介選手の写真は肖像権の関係で自分だけの楽しみに

フォーミュラニッポン第6戦富士予選

2006年08月26日 | 高木虎之介
 行ってきました、富士スピードウェイ。今日はどんよりした曇りだったのですが、一日中外に出ていたんで露出部の腕や顔がまっかっかになってしまってヒリヒリ状態です。

 高木虎之介選手、予選結果は22台中9番手。決勝は9番グリッドからのスタートです。まだ今シーズンのドライバーズポイントがない高木。なんとか明日は入賞できればと願っちゃいます。

 今日は富士スピードウェイの5箇所からチェック。ヘアピン→ピット上→ネッツコーナー→ヘアピン(2回目)→グランドスタンド→1コーナー。端から端まで7~8キロは歩いた感じです。さてクルマのチェックの方ですが、ピット上とグランドスタンドはホームストレート中間地点なのでクルマの速度がのっているかどうかくらいしかわかりません。でも、ヘアピンとネッツコーナー、1コーナーは、コーナーへの侵入の際のクルマの挙動やブレーキングの位置、加速ポイントといろいろ見ることができます。いいときの高木に比較するともうひとつスカっとした動きまでは煮詰めれていないかな?

 閑話休題。

 しかし、来年から富士でF1本当にやるんでしょうか?開幕戦と引き続き、横浜から下り方面の東名高速道路、朝7時、渋滞でした結局2時間近くもかかった。おまけに御殿場インターチェンジも渋滞。フォーミュラーニッポンなんて入場者たかがしれている。それでコレ・・・。鈴鹿で行われているF1は毎年15万人だとのこと。せいぜい入って2万人のフォーミュラーニッポン。それでこれだと、家でのんびり見た方がましでしょうね。

今年度GT初優勝

2006年07月24日 | 高木虎之介
 7月23日はSuperGT第5戦菅生だった。そして嬉しい嬉しい、高木組の今年初優勝

 GTはドライバ2人1組で戦う箱のレース。昨年までスープラだったトヨタ勢は今年からレクサスになり、ここまではちょっと勝手が違うようだった。

 予選はハーフウェット。しかし相棒立川祐路がタイムアタックで3番手タイムを叩き出し、午後のスーパーラップへの進出を決める。そのスーパーラップ、相棒でありGT最速と言われる立川がタイムアタック、ZENTレクサスはポールポジションを獲得した。

 決勝はドライ路面。高木虎之介がスタートを担当、スタートから前半トップを守るも何度もタイヤをロック、他チームより若干早いピットに見えたがタイヤがバースト寸前で万事休すだったところで、立川祐路に交代。しかしピット作業にもたつく。その間、ライバルの本山組がトップとなり、立川は2番手でコース復帰となる。立川は鬼神の追い上げであっという間にライバル23号車の後ろにつく。そして終盤、周回遅れに一瞬手間取った隙をついてトップに。そのままトップでチェッカーを受けた。

 高木でないのは残念だったが、立川と本山の行き詰るデッドヒートは手に汗握る好バトルだった。高木ファンとしては、最強の男:本山、最速の男:立川との激闘、と高木が蚊帳の外に置かれた言い方はちょっと複雑だが、それでも初優勝してポイントランク2位となったのは嬉しい。

FN初戦 富士スピードウェイ

2006年04月02日 | 高木虎之介
トヨタがF1参戦し買収、昨年新装開店してから初めて富士スピードウェイに行ってきました。その昔に行ったきりなのですっかり様変わりしてました。

東名高速道路御殿場ICまでは通常ならうちから1時間弱で行けるんですが、土曜日予選、横浜ICから入ったらまるで盆か正月かのように3車線駐車場状態!何じゃこれ?と思ったもののアフターフェスティバルで泣く泣く本線に合流。どうやら厚木IC付近で事故があった模様。まったく時間を弁償してほしいもんだ。

ようやくついた御殿場ICを降りて下道…すっかりどっちだったかも忘れてしまい山中湖に向かってしまっていたのでコンビニのおばちゃんにペットボトル購入ついでに「富士スピードウェイってどっちでしたっけ?」と聞く始末

土曜日の予選は15分経ってからの観戦になってしまいました。グランドスタンドにて、高木どうかな?と思いつつ見学。いやあ、今ひとつ感が否めません。

虎之介ファン仲間のメンチカツさんに連絡とりシケインにて久しぶりの再会。よもやま話に花を咲かせる。奮発して購入したクリスタルラウンジを一人でチェック。インパルの上の空調完備の部屋だ。ドリンク飲み放題で丸テーブル。天井から吊り下がるモニター8台。ちょっと小さめだが快適だ。

メンチカツさんと再度合流してお昼。予選は1コーナーでチェックする。虎之介車は1コーナーで右フロントをやたらロックする。インパル3台がコーナーに吸い付いて安定感があるのに対照的だ。ま、タイム的にはインパル除いて他車は団子状態なんですけどね。

夕食は富士スピードウェイから離れて国道246沿いに出てメンチカツさんと。その後メンチカツさんを富士スピードウェイに送って自宅に戻るも大渋滞。決勝もそうだったんでF1なんか開催したら最悪なんだろうなあ。

で、決勝。雨が強くなって2周ペースカーとパレードしてレース成立だってよ

レース成立の場合にはチケットの払い戻しはなし

虎之介選手との2ショットとれたし、F3の大島君が表彰台・優勝してくれたからまあいいか。でも、コンドーレーシングのマッチとドライバは偉いですね。雨の中スタンドで待っているファンにずぶぬれになりながら挨拶。虎と片岡君も挨拶に行ったからえらい。ピットウォークにはついぞ出てこなかったドライバとは違うな。

2006F1開幕―バーレーンGP

2006年03月12日 | 高木虎之介
 2006年のF1がいよいよ開幕しました。何と言っても注目はたった4ヶ月前に参戦表明したSAF1でしょうか?4ヶ月ではほとんど何の準備もできぬままの参戦です。

 そのSAF1は、佐藤琢磨選手がチェッカーフラグまでナントカ持っていってくれましたね。相棒の井出君は初めてのF1、走り込み不足で、平静は装っていましたが、いっぱいいっぱいでした。琢磨君は、4年落ちのクルマで走行不足という状況をわかって、「ナントカ完走をしてチームにデータを」と有言実行でお見事でした。海外のメディアも「SAF1は新車が出てくるまでわからない」という評価、うーん、よくわかっているようです。

 今年は従来の予選に戻っていてあわ食いました(笑)。フェラーリ・Mシューとマッサが自分の予想を覆す速さを見せて、これまたあわ食いました(笑)。たいがー1押しのライコネン君がクラッシュして面食いました(爆)でも、ライコネン君は表彰台までかけあがってきてくれて期待に応えてくれました。

 しっかし、どのチームがってぜんぜんわかりませんね。それだけ上位のチームが接近しているということか?フェラーリ、ルノー、マクラーレン、ホンダ、ウィリアムズ、まだまだ混沌です。BMW、トヨタはちょっと出遅れ気味ですかね。MF1とSAF1は考えてみれば、トヨタ―ホンダの戦い。まずはアグリさんとしては直近のMF1に打ち勝つのが目標か?

 今年のフジは久々に自前のカメラをFIAに許可もらって現地に導入しSAF1とタイアップしていくようですね。今までと違ってリアルタイムで現場の生の声が、しかも日本語で聞けるようで面白そうです。

高木、SuperGTで見事初代チャンピオン獲得!

2005年11月06日 | 高木虎之介
 やりました!米国レースを断念し、日本のレースに復帰した高木でしたが、初めてのハコレースで、まあ、経験豊富な立川祐路選手主導というのは否めないですが、チャンピオン獲得してくれました。

 全8戦中優勝3回入賞1回という、all or nothing というシーズンでしたが、それだけに圧倒した感は否めないですね。

 12月11日に年間表彰式が新橋のヤクルトホールにて行われるようです。12月11日というとJT将棋もあるかあ…、どうしようかあ…

F1グランプリ、そしてフォーミュラニッポン

2005年10月09日 | 高木虎之介
 モーターレースも好きでよく観戦します。昔はアイルトン・セナが好きでした。今は高木虎之介選手を応援しています。ちょっと前まではサーキットまで足を運んで生観戦することが多かったですが、今はもっぱらスカイパーフェクトTVでの生観戦です(^^;;モーターレースの中でももっぱらタイヤむき出しのオープンホイールレース、しかも全体でというよりはその贔屓のドライバを応援って感じですね。

 国内最大のイベントというとF1なんですが、自分としては高木選手の出ないレースって(--;って感じなんです。が、やっぱF1は気になっちゃいますね(^^:

 さきほど終わった日本グランプリin鈴鹿、歴史に残る大逆転劇でした。まさか、エンジン交換を行ったマクレーレン・メルセデスのキミ・ライコネンが、スタート17位から巻き返して優勝するとは誰が予想できたでしょうか?F1史上に残る逆転劇です。昔アラン・プロストがメキスコで13番手から、ミハエルシューマッハがベルギーで16番手からというのがありましたがそれを上回りました。特に実際に足を運んでの観戦歴の長い自分としては鈴鹿は抜きにくいとの印象で、まさか”鈴鹿で”というのがあり、マシン性能の差があると言ってもこの結末は驚きです。

 唯一の日本人ドライバとなった佐藤琢磨選手はスタートでのミスが後まで響きました。1コーナーでサイドバイサイドになってアウトからかぶせようとした感じでしたが、ちょっと無理でしたね。

 今GPで印象に残ったのは、皇帝ミハエル・シューマッハvsキミ・ライコネン&フェルナンド・アロンソでしょうか・・・。世代交代を思わせるようなレース展開。近い将来、ミハエルは引退し、この2人がチャンピオン争いの常連になるんでしょうね。

 日本国内最高峰のフォーミュラ・ニッポン。高木虎之介選手はF1に挑戦しながらチームに恵まれずアメリカンレースを経て現在このカテゴリーで頑張っています。今年は準備不足でチーム体制が整備できないままシーズンを戦い苦戦していますが、来年はトヨタとホンダがエンジンサプライヤとしての参戦を表明し、チーム体制も万全を期し必ずやトップでの争いに戻ってきてくれると信じています。