”玲瓏”管理人のつぶやき

"玲瓏:羽生善治(棋士)データベース"管理人たいがーの独り言(HP更新情報含む)

ども、ご無沙汰です(^^;

2008年08月24日 | 更新情報
公私ともに忙しかったこの4ヶ月、業務上β版リリースのプログラムにあと1つ大きな課題を残しておりますが、ようやく落ち着いてきた(本当か?)ので一気に(もうだいぶ忘れているのですが(^^;)書いてみたいと思います。

2008年4月27日以来ご無沙汰だったようですね(^^;本日2008年8月24日までの分は後追い入力です。だいたいイベントのあった前後に入れておくつもりです。

ではでは。

第36回ながの東急将棋まつり

2008年08月17日 | 羽生善治
 朝5時起き。ながの東急将棋まつりに行くためである。初めてである。日帰りである。行くからには最初から出席して満喫するべきである。逆算すると午前6時20分には最寄駅から電車に乗る必要があったからである。前からながの東急将棋まつりは行きたかったが不思議と仕事が忙しくなったり私事で困難になっていた。そして今年ついに、というか予めながの東急将棋まつりのために休暇を取得していた。また今回は山崎七段応援サイト管理人しいのみさんと合流して行くことにしていた。羽生先生と山崎七段の出演がたまたま重なったこと、前からプロ棋士管理人サミットでもしましょうとメールで交信していたこと、実はお互い横浜だったこと、などからでは一緒に行きましょうとなったのだ。交通手段は新幹線。最初マイカーにしようかと思ったが、お盆の渋滞が予想されたのとガソリン価格の高騰で決断した。しいのみさんとは初対面だったが、いろいろ話すことは多く長野まであっと言う間だった。

 いや、将棋まつりの会場としてはここが一番じゃないでしょうか?(^^)ま、将棋まつりを開催していただくこと自体は将棋関係者からすれば感謝することすらすれ文句言うものではないけれども、将棋ファンにとってはこれまでたいがーが行ったことがある京急、東急東横とも催事場の一角だったので、天井も低く狭苦しい感がぬぐえないのだった。一方、ながの東急将棋まつりはながの東急百貨店別館イベントホール。天井も高いし、席もゆったりしていて実にいい。ながの東急将棋まつりの功労者は、丸田九段。それを武市先生と木下先生がフォローしている構図である。丸田九段もオープニングセレモニーで語っていたが、36年前に始めたときは観客も思うように集まらず苦労したようである。

 振り返って開店前。事前にぐーちゃんに教わっていたとおり、本館でなく別館で開店をしいのみさんと待つ。しばらくすると本日出演するプロ棋士の方が関係者入り口から入館される風景を目撃。「あ、羽生さんに木村先生、山崎七段も・・・」そして、開店。最前列を是が非でもキープしたいので、しいのみさんを置いて自分がダッシュしてきますと席確保に。最前列中央右3席目から4席目をゲット。あとから対局が行われる左側ブロックを抑えればと後悔。来年から行く機会があればそうしよう。

 開会式では、地元の棋士を大事にしていることがよくわかった。長沢千和子女流の300勝、田中悠一四段の昇段に対して功労賞が贈呈された。羽生先生、木村八段、山崎七段も笑顔で拍手されていた。面白いのは、出演棋士が壇上に上がって一人一人自己紹介されたこと(^^)司会者に紹介されこそすれ、プロ棋士が自己紹介ってあまりないですからね。羽生先生「あ、どうも羽生です。ながの東急将棋まつりは今年で36年目を迎えますがその半分くらいは出させてもらっています。」耳に新しい羽生先生の自己紹介でした。

 女流プロ戦。地元の長沢女流四段に新鋭の熊倉紫野女流1級の対局を羽生さんが解説。羽生さんの解説も最近はほとんど見られなくなりましたら貴重です。ふと見上げると天井にはカメラが設置。タイトル戦さながらで盤上を写しており解説者用のモニターに映し出されている。考えられてますね。熊倉女流は、先日行われた羽生名人就位式で伊藤明日香先生と一緒にお会いしているし、これは応援しなければ(^^;というか普通に強いですよね。羽生先生「このじっとした手は渋い。なかなか指せない手です。」ながの東急将棋まつりでは特選対局1局につき次の一手が2度出されるようである。自分は熊倉さんの手を当てた。最近は次の一手は調子がいいようだ(^^)当たった中から抽選で3名に「うにあられ」が当たるのだが運良く今回もいただいた(^^)v でもプロ棋士の色紙とどっちがいいんだろう?と聞かれると色紙の方が(^^;また、特選対局には相撲のように懸賞金がかけられるのも特徴のようだ。熊倉女流が勝利で羽生さんから懸賞金が渡された。

 お昼1時間は長野期待の星田中悠一新四段のインタビューであったが、腹が減っては戦はできぬということでしいのみさんと腹ごしらえ。しかし丁度お昼時。レストランはどこも込んでいた。ここは寿司屋しかないとちょっと高めのコースで何とか乗り切った。

 午後1では早指し戦、地元長野木下六段vs木村八段を山崎七段が解説します。山崎七段の解説もわかりやすい。なんとA級棋士木村八段が敗れる波乱。木村八段が受け間違えて綺麗な十字飛車を食らったのだった。山崎七段「これはうっかりですよね?」木村八段「聞かないでくれよ~(苦笑)」この時間では丸田九段と武市六段らが指導将棋、羽生名人と熊倉女流がサイン会であった。さすがに羽生名人。サインを求める行列は桁違いでお昼には凄い行列。人数制限となって自分は第二弾の羽生名人サイン会に狙いを定めた。

 プロ・アマ平手戦。地元の雄田中悠一四段vs長野県アマ名人の対局を武市三郎六段が解説。しかし折角長野まで来て指導対局はしたいと望み、なおかつ関西棋士である山崎七段の指導を受けようと指導対局抽選くじを引きに行った。はずれ(T_T)がっくり。山崎七段、長沢女流、熊倉女流の指導対局と木村八段、木下六段のサイン会。仕方ないので指導対局の外野に回った。木下六段のサイン会には人が並ばず。運営者ももう少し考えてあげればとは無責任な将棋ファンの感想。しばらくして控え室からサイン会に行こうとする羽生名人と偶然鉢合わせとなったのでご挨拶。

たいがー「あ、羽生先生!」
羽生先生「あ、どうも。○○さんとご一緒に席に座られてましたよね?」
たいがー「はい、そうです。」をを、羽生さん。壇上からチェックしておられましたか?○○さんはたいがーが将棋イベントに行くと必ず来ているおじさんで、最前列でたまたまお隣になった人だった。何かの縁だと思って声をかけてご挨拶してお名前を教えてもらっていたのでわかった。○○さんも羽生さんに名前覚えられるほど有名なんですね(笑)
たいがー「本日、もう東京のご自宅へ?」
羽生先生「はい、本日中に帰ります。」
たいがー「1つ質問していいですか?現在の研究会メンバーを教えていただいてよろしいですか?」
羽生先生「木村八段、松尾七段…」
たいがー「それに森下九段?」
羽生先生「いえ、それに村山五段なんです。」
たいがー「へ~、そうなんですねぇ~」
羽生先生「ただ木村八段が王座戦の挑戦者になったのでしばらくはオヤスミですけどね。」
(サイン会の時間になっている(^^;)
たいがー「ありがとうございます。それではまた。」
羽生先生「あ、どうも。」

 あ、そうだ、羽生さんにサインもらわなくちゃ、と思ったけど時すでに遅し。用意されていた羽生さん本が完売していたのだ!呆気に取られるたいがーだった。ま、いいか、ご本人と短かったけどお話できたし。

 そしてメインイベント羽生名人vs山崎七段の特選対局、解説を木村八段、聞き手を熊倉女流が合い務めます。後手山崎七段の三間飛車に対し先手羽生名人の5七銀左急戦。△6四歩と突き出したことから▲4五歩と開戦。2度の角交換から▲3一角。羽生先生が▲6四馬を作る展開に羽生名人優勢かと思った矢先、山崎新構想で△1五歩。これで端を破った山崎七段が優勢に。木村八段「山崎七段特有の鋭い攻めが決まりました。」面白かったのは次の一手。木村八段の工夫か対局相手に予想と同時にコメントを求めたこと。あまり見かけない風景ですね。後手32手目。
木村八段「相手の予想を聞いてみましょう」
羽生名人「8四歩」
木村八段「山崎さんの印象は?」
羽生名人「格好いいとか?」
大方の予想を覆す△6四歩。正解者8名。自分もはずしました(^^;
先手51手目。
木村八段「山崎さんの予想は何ですか?」
山崎七段「4六歩かな?」
木村八段「羽生さんの印象は?」
山崎七段「格好いい。あとボクから見ると鬼ですね(^^;いつも負かされるんで」
正解はこれまた解説陣の予想しなかった▲2九飛。
木村八段「解説者、廃業しないと(^^;」

 後手山崎七段にこの後△8四香という好手が出てかつ、最終盤94手目△6六桂からの光速の寄せが決まり、結果108手で後手山崎七段の勝ち。うーん、玲瓏管理人現地応援負のオーラが続く。ここ最近6局が1分5敗。勝てない(T_T)羽生さん勝ってくれ~(笑)しかし7割勝率の棋士が6局勝てないってどんな確率?(苦笑)対局後、しいのみさんのところに挨拶に来た山崎七段。しいのみさんと山崎七段の記念2ショットを撮影するついでに、自分も山崎七段と2ショット撮影してもらう。それから羽生先生との2ショット記念も・・・と思ったら羽生さん控え室に・・・さようなら(^^;;;; ま、いっか。あ、木村先生が荷物持って帰る間際、2ショット撮影してもらう(^^;

 しいのみさんと駅弁を購入して新幹線に乗り込む。あっと言う間の1日でした。

第10回京急将棋まつり

2008年08月16日 | 羽生善治
 それにしても凄い人でした(*o*)将棋ってこんなに人が集まるもんですか?(苦笑)いろいろな条件が重なったんでしょうけどね。羽生さん&お盆休み&将棋大会。昨年は京急百貨店開店時間に行っても前から4列目はゲットできた(実際はEtsuさんにゲットしてもらって2列目)今回は開店時間15分前に行ったにもかかわらず用意されていたイス残り3席の一番後方でした。(--;

 早速レポしていきましょう。まずは表彰式。将棋まつりはご当地棋士の存在が大きい。これはどこの将棋まつりも同様かと思います。この京急将棋まつりは佐伯先生のお力とわかります。それを中村修先生が全力でフォローしている。羽生さんも立見客の向こうの壁際で式を見守っていました。

 さあ、米長会長のトークショー。さきにトークの項目。「中原16世名人」「羽生名人」「弟子」「ファン」「女性」「コンピュータ」「アマチュア」会場からのリクエストに応えて「名人戦」。「中原16世名人が緊急入院することになったが病状は快方に向かっている。彼は最近、佐藤康光を倒し、森内俊之を倒し、羽生善治も倒した。そして王座挑戦を決めた木村一基に勝った。その対局の感想戦で脇息にひじをついていたんだという。永世名人と言っていくらなんでも行儀悪いんじゃないか。しかし感想戦が終わった後彼は立ち上がることができなかったんだな。これはイカンということで救急車を呼んだわけ。診察結果は頭から血が出ていると…。彼に久しぶりに手紙を書いた。将棋連盟会長として、8月の対局は休みますね?9月の対局から復帰しますね?病状、そして快方に向かっていることを説明しますよ、とね。左に少し障害が残ると言う。追伸を書いた。大事なところは右側に持ってきておきなさい。」米長会長らしい励まし方ですね。「羽生名人、強すぎてみんな困っているんだ。強いというと、女性棋士、コンピュータ、アマチュアも強くなっているんだね。」さすが会長はトークさせるとうまいですね。

 そして、羽生先生と片上先生、米長会長の「私の小・中学生時代」というトークショー。
米長会長「君、竜王戦昨日勝ったんだって?」
羽生先生「ええ、何とかいい結果になりました。」
会場拍手喝さい。
米長会長「この人が強くて他の棋士がみんな困っているんだ。君、引退しない?」
羽生先生「(笑)」
米長会長「ところで二人は学生時代どうだったの?」
片上先生「ふつうでした」
羽生先生「ふつうで東大?」
片上先生「小学生のときはふつうでしたね。」
米長会長「君は?」
羽生先生「ふつうでした。」
米長会長「君のふつうはふつうじゃないからな(笑)」
羽生先生「いえいえ、ふつうです(笑)」
米長会長「小学生時代はどうだったの?」
羽生先生「八王子将棋クラブというところで週一で指していました。」
米長会長「この人のお母さんに相談されたことあるんだ。うちの子は将棋ばっかやってます。いいんでしょうか?ってね。わたしはそれくらいやらないとプロにはなれませんってこう応えたんだ。後から振返ると余計なことを言った(笑)」
片上先生「広島将棋センターで毎日指していました。1つ上に山崎っていうのが居てなかなか勝てなかったんですよ。」
米長会長「詰め将棋とかは?」
片上先生「毎日のように解いてました。」
羽生先生「ええ、米長先生に奨められて将棋図巧とか解きました。今やる気になりませんが(苦笑)、あれでヤリキルことの重要さを学びました。」
米長会長「しまった。ここでも余計なことを言っていた(笑)将棋大会とかは出てたの?」
羽生先生「はい、森内さんとか先崎さんとかと一緒に」
片上先生「山崎というのといつも当たって負けて優勝できなかったです。ある大会、山が完全に違っていて決勝まで当たらない大会がありました。これはチャンスと思ったら1回戦で2歩で負けてしまったんです。悔しくてバスで30分かかるところを2時間くらいかけて歩いて帰ったことがあります。でも、それくらいじゃないとプロにはなれないかと。」
米長会長「君は趣味で東大入ったんだろ?」
片上先生「ええ、まあ。高校生のときはそこそこ勉強できるようになっていたと思います。高校3年のとき奨励会三段リーグだったんですが、将棋の勉強はほとんどせずに受験勉強してました。でも受験って相手が何してくるかわからない将棋と違って、ある程度出題傾向ってわかるんです。逆に言えば、将棋って何がくるか分からない分面白いなと。」
羽生先生「片上君って言うとタイトル戦の記録係ってイメージがあるよね。記録係はしっかりしてないと任せられないんで。あの時は…?」
片上先生「大学生でした。大学に入ってから記録係をしました。」
米長会長「ある噂を聞いてるんだ。君は美人がレポートを書いてくれて卒業できたという。その美人は将棋が強いと聞いているんだが…」
片上先生「初めて聞きました(苦笑)でもウチの大学はレポート形式じゃないんですよ」
米長会長「二人は公式戦で指したことはあるの?」
片上先生「まだないので早く教えてもらいたいですね。」
米長会長「それにしても昔は、中卒じゃないとプロ棋士になんかなれっこないって雰囲気だけど、今は何人?4~5人現役の大学生がいるんだって?時代は変わったもんだね。」
片上先生「そうですね、広瀬君は早稲田大学生なんですけど、大学の将棋部で指導したりしていますからね。」
米長会長「普及というとAISEPだっけ?北京でやったという?この人はそれに英語で会話してきたって聞いたんだけど・・・」
羽生先生「はい、行ってきました。」
米長会長「それに名人戦の真っ最中だったんだろ?」
羽生先生「はい、そうですね。ま、英語は会話をするには共通の言語だったということで。マレーシアからも熱心な学生が来ていて…」
米長会長「この人はそれにいろいろな分野の著名人とたくさん対談もしているからね。そうだ、羽生対談集出さない?」
羽生先生「(笑)」
米長会長「いっそのこと引退して会長やるか?会長、大変なんだよ~(爆)しかし、昔大山―升田時代があったけどこうやって対談するなんて考えられなかったね。あの人たちは頭の7割が将棋だったから(苦笑)」
羽生先生「オレがルールだっていう感じでしょうか?(苦笑)」
米長会長「そうなんだ。将棋と学校、というテーマではどうなの?」
羽生先生「集中力、そして落ち着きというのが養われたのかなと思います。」
片上先生「学校以外で頭と手を使う場でとてもよかったと思います。」
羽生先生「あと基本・基礎を作る重要性を学んだと思います。」
片上先生「いいこと聞きました。基礎力を磨いて早く羽生先生にあたれるよう活躍したいと思います。」
米長会長「君くらいになったら基礎力というよりは応用力だよ(笑)」

 米長会長はファンをひきつける発言がウマイですね。悔しいけど(爆)

 お昼には、今年から新設された棋士とのふれあいコーナーを確認。松尾七段、片上五段が来られていて詰将棋を出題されてました。プロ棋士とこんなに近くでふれあえるなんて将棋ファンには嬉しいですね。

 そして特選対局、羽生名人vs松尾七段。結果は千日手引分け。米長会長「この将棋を引き分けているようじゃ名人らしくないなあ」羽生先生「先手7九桂が絶妙な受けでした。いやあ、お粗末でした。」この後羽生先生のサイン会は限定30名。自分も中村先生主催羽生サイン争奪じゃんけん大会に参加しましたが1回戦敗退。中村先生強く2回のじゃんけんで25名になりましたが混乱を避けるためそのままの人数で、翌日ながの東急将棋を控えている羽生先生は即効で済まされて帰宅の途に着かれました。

 羽生先生が帰られると同時に満ち潮が引くがのごとく人が目減り(苦笑)Etsuさん、ぐーちゃん、オジサン、まえはるさんらとしばし談笑。加賀さやかさんも合流。さやかさん「引っ越しました」と名刺をもらう。本田小百合先生ともご挨拶。本田先生「やっぱり羽生さん?」「はい、あとdaichan先生も(^^)」勝又先生にもご挨拶。本田先生vs貞升先生を見た後、鈴木大先生vs片上先生のダイスケ対決。こちらの特選対局は見所満載で面白かったです。

 さてさて、最後尾で本日の将棋まつりを見守ってきましたが、何と自分のお隣は本日の総合司会を務めた鈴木環那女流のお母さん。よく似ているなあと思っていたら、近くにいた将棋ファンが「環那ちゃんのお母さんですか?」と。それは似ているはずだ(笑)それとはなしに声をかけたところ、気さくに応じていただいた。話しているうちに、自分の奥さんの実家の近く千葉県某所から来られたという些細なことで盛り上がる。ローカルネタ強しですね(^^)

 アフターはいつものメンバー、オジサン、ぐーちゃん、そして今日はまえはるさんを加えて、京急向かいの建物にはいっている「えん」で。自分は翌日早朝出発なので一次会で帰宅でした。