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tiandaoの自由訳漢詩

ティェンタオの自由訳漢詩 李白128ー131

2009年07月25日 | Weblog
 李白ー128
    清渓行            清渓の行(うた)

  清渓清我心     清渓(せいけい)は我が心を清くする
  水色異諸水     水色(すいしょく)  諸水(しょすい)に異れり
  借問新安江     借問(しゃもん)す  新安江(しんあんこう)の
  見底何如此     底(そこ)を見る    此(これ)と何如(いかん)
  人行明鏡中     人は行く明鏡(めいきょう)の中(なか)
  鳥度屏風裏     鳥は度(わた)る屏風の裏(うち)
  向晩猩猩啼     晩(くれ)に向かいて  猩猩(せいせい)啼(な)き
  空悲遠遊子     空しく悲しむ遠遊子(えんゆうし)

  ⊂訳⊃
          清渓は私の心を清めてくれる
          水の色は  ほかの流れと違うのだ
          お尋ねするが  底が見えると詠われた
          新安江と比べても  見劣りはしないであろう
          人は明るい鏡の中をゆくように映り
          鳥は屏風の中を飛ぶように見える
          日暮れになって  猩々が啼くと
          遠く旅する私は  わけもなく悲しくなる


 ⊂ものがたり⊃ 李白は宣城にもどるとほどなく、南陵の常県丞(県の次官)といっしょに池州(安徽省貴池市)方面を訪ねます。池州は南陵から西南に90kmほど離れた江岸の街で、郡名を秋浦とも言ったようです。また池州の西南に貴池という湖があり、その入り江を秋浦と言ったともいいます。
 李白は秋浦の風物に強い感銘を受け、「秋浦歌十七首」の連作を作っています。「秋浦の歌」は人によっては李白詩の最高傑作とされる組詩ですが、このときは冬になっていましたし、翌天宝十四載の秋にも秋浦を再訪していますので、組詩が最終的にまとまったのは天宝十四載の秋と思われます。ここでは、このときの作と思われる「清渓行」を掲げました。
 清渓は秋浦の北3kmほどのところにあり、長江に注ぐ清流です。清渓は黄山から北に流れ出る川のひとつですが、黄山から南に流れ出て東に向かう新安江という川があり、その清さを詠う詩があります。李白はその詩を引き合いに出して、底が見えると詠われた新安江の清さと比べても見劣りがしないと清渓の清さを称賛しています。

 李白ー129
    贈汪倫            汪倫に贈る

  李白乗舟将欲行   李白  舟に乗って将(まさ)に行かんと欲す
  忽聞岸上踏歌声   忽ち聞く  岸上(がんじょう)  踏歌(とうか)の声
  桃花潭水深千尺   桃花潭(とうかたん)の水は  深さ千尺
  不及汪倫送我情   及ばず   汪倫(おうりん)が我を送るの情(じょう)に

  ⊂訳⊃
          李白が舟で  いざ行こうとするときに

          岸辺で賑やかに  踏歌の声が湧いてきた

          桃花潭の水は   深さ千尺というが

          汪倫が見送る情の深さには  及びもつかぬ


 ⊂ものがたり⊃ 李白は池州で常県丞と別れ、ひとりで東に引きかえします。青陽、県(安徽省県)と巡っていきますが、県の桃花潭では汪倫という人の世話になっています。「桃花潭」は県の西南40kmほどのところにある川の淵の名で、かなりの田舎です。汪倫には官職の記載がありませんので、その地の布衣の資産家でしょう。醸造家であったという説もあります。
 「踏歌」というのは手を取り合い足を踏み鳴らして歌う賑やかな歌で、汪倫の素朴な見送りのようすを映して秀逸です。汪倫の子孫は李白が書き残してくれた詩を保存して、のちのちまで家の宝としていたそうです。

 李白ー130
   宣城見杜鵑花         宣城にて杜鵑の花を見る

  蜀国曾聞子規鳥   蜀国(しょくこく)にて曾(かつ)て聞く  子規(しき)の鳥
  宣城還見杜鵑花   宣城(せんじょう)にて還(また)た見る 杜鵑(とけん)の花
  一叫一回腸一断   一叫(いっきょう)  一回  腸(ちょう)一断(いちだん)
  三春三月憶三巴   三春(さんしゅん)  三月  三巴(さんぱ)を憶う

  ⊂訳⊃
          むかし蜀の地で  子規(ほととぎす)の鳴くのを聞き

          いままた宣城で  杜鵑(つつじ)の花を見る

          杜鵑の声の声ごとに  故郷を思って腸(はらわた)はちぎれ

          いまや春  春三月に三巴を想う


 ⊂ものがたり⊃ 天宝十四載(755)になり、李白は宣城で二度目の春を迎えます。二十四歳で蜀を出てから一度も郷里に帰ることのなかった李白ですが、宣城の杜鵑(つつじ)の花をみると、故郷の春の盛りを思い出さずにはいられなかったのでしょう。五十五歳になった李白の気の弱りかもしれません。
 「杜鵑花」はつつじの類をいいますが、「子規鳥」(ほととぎす)はまたの名を「杜鵑」(とけん)ともいい、古代の蜀王杜宇の化身とされています。杜鵑が「不如帰去」(帰り去くに如かず)と望郷の想いで鳴いた声、吐いた血が赤いつつじの花になったという伝説が、この詩の背景をいろどっています。

 李白ー131
   山中与幽人対酌       山中に幽人と対酌す

  両人対酌山花開   両人対酌(たいしゃく)して山花(さんか)開く
  一杯一杯復一杯   一杯  一杯  復(ま)た一杯
  我酔欲眠卿且去   我れ酔うて眠らんと欲す  卿(きみ)且(しばら)く去れ
  明朝有意抱琴来   明朝(みょうちょう)  意(い)有らば  琴を抱いて来れ

  ⊂訳⊃
          二人で酒を酌み交わすと  山には花が咲きそろう

          一杯  一杯  もう一杯

          酔って眠たくなってきた    君はひとまず引きあげて

          明日の朝でも気が向けば  琴をかかえていらっしゃい


 ⊂ものがたり⊃ 春はまた酒のうまい季節です。李白はそのころ山中に小さな亭を持っていたらしく、山荘に気の合う客が訪ねてくると、大好きな酒盛りがはじまります。
 詩題の「幽人」は山水の美を解する人、もしくは隠者という意味でしょう。山にはすでに花が咲いているはずですので、二人が向かい合って酒を飲んでいると「山花開く」というのは、二人の顔が赤くなる、心も打ち解けてくるのを比喩的に言ったものと思います。転句は悪く解釈すると横柄な感じになりますが、この部分は陶淵明の伝記にある言葉をそのまま引用しているもので、それが分からないようでは「幽人」とは言えないわけです。このあと二人は大笑いでもしたのでしょう。

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