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漢詩を楽しもう

tiandaoの自由訳漢詩

ティェンタオの自由訳漢詩 李白82ー85

2009年06月09日 | Weblog
 李白ー82
   行路難三首 其一      行路難 三首  其の一

  金樽清酒斗十千   金樽(きんそん)の清酒は  斗十千(とじゅうせん)
  玉盤珍羞直万銭   玉盤の珍羞(ちんしゅう)は  直(あたい)万銭
  停盃投筋不能食   盃を停(とど)め筋(はし)を投じて食(くら)う能(あた)わず
  抜剣四顧心茫然   剣を抜いて四顧(しこ)し  心茫然たり
  欲渡黄河氷塞川   黄河を渡らんと欲すれば氷(こおり)川を塞(ふさ)ぎ
  将登太行雪暗天   将(まさ)に太行(たいこう)を登らんとすれば雪天を暗くす
  閑来垂釣坐渓上   閑来(かんらい)  釣(ちょう)を垂れて渓上に坐し
  忽復乗舟夢日辺   忽ち復(ま)た舟に乗って日辺(にちへん)を夢む
  行路難  行路難   行路(こうろ)難(かた)し  行路は難し
  多岐路  今安在   岐路(きろ)多くして  今(いま)安(いずく)にか在る
  長風破浪会有時   長風(ちょうふう)浪を破る 会(まさ)に時(とき)有るべし
  直挂雲帆済滄海   直ちに雲帆(うんぱん)を挂(か)けて滄海を済(わた)らん

  ⊂訳⊃
          金樽の清酒は  一斗で一万銭
          玉盤の料理は  珍味で一万銭
          そんなご馳走も食べる気がしないので
          剣を抜いて周囲を見廻し  茫然とする
          黄河を渡ろうとすれば   氷が川を塞ぎ
          太行山に登ろうとすれば  雪で天空も暗い
          川辺に坐して  のどかに釣り糸を垂れているが
          また舟に乗って天子の近く  都の夢をみる
          人生行路は困難だ  困難だらけだ
          岐れ路が多く  どうしていいか分からない
          風に乗じて   船を出す時はきっと来る
          時がいたれば帆をかかげ  大海原を渡るであろう


 ⊂ものがたり⊃ 「蜀道難」は他人のことでしたが、「行路難」はみずからの人生行路の困難を詠うものです。食事も咽喉を通らず茫然としてあたりを見廻しますが、八方ふさがりの状態です。「行路難し 行路は難し 岐路多くして 今安にか在る」と悲鳴をあげながらも、「長風浪を破る 会に時有るべし」と将来に期待を寄せている姿は悲壮ともいえます。

 李白ー83
   行路難三首 其二       行路難 三首  其の二

  大道如晴天       大道(たいどう)は晴天の如し
  我独不得出       我(われ)独り出ずるを得ず
  羞逐長安社中児    羞(は)ず  長安社中の児(じ)を逐(お)うて
  赤鶏白狗賭梨栗    赤鶏(せきけい) 白狗(はくく) 梨栗(りりつ)を賭するを
  弾剣作歌奏苦声    剣を弾じ歌を作(な)して  苦声(くせい)を奏(そう)し
  曳裾王門不称情    裾(すそ)を王門に曳きて  情に称(かな)わず
  淮陰市井笑韓信    淮陰(わいいん)の市井   韓信(かんしん)を笑い
  漢朝公卿忌賈生    漢朝(かんちょう)の公卿  賈生(かせい)を忌(い)む
  君不見昔時燕家重郭隗 君見ずや 昔時(せきじ)の燕家(えんか)郭隗を重んじ
  擁篲折節無嫌猜    篲(すい)を擁し節(せつ)を折って嫌猜(けんさい)無し
  劇辛楽毅感恩分    劇辛(げきしん) 楽毅(がくき) 恩分(おんぶん)に感じ
  輸肝剖膽效英才    肝を輸(いた)し膽(たん)を剖(さ)いて英才を效(いた)す
  昭王白骨縈蔓草    昭王の白骨 蔓草(まんそう)に縈(まと)わる
  誰人更掃黄金台    誰人(たれひと)か更に掃(はら)わん 黄金(おうごん)台
  行路難          行路(こうろ)は難(かた)し
  帰去来          いざ帰去来(かえりなん)

  ⊂訳⊃
          天下の公道は  青天のように広いが
          私だけが大道に出ることができない
          はずかしいが  長安の市中で子供らと
          闘鶏や闘犬に  梨栗を賭けて遊んでいる
          馮驩は剣を弾いて歌い  孟嘗君に苦言を呈し
          漢の鄒陽は王に仕えて  思うようにならなかった
          淮陰の市井の徒は  韓信をあなどり
          漢の公卿たちは   賈誼を忌み嫌った
          君見ずや  戦国燕の昭王は郭隗を重く用い
          鄒衍を迎えるに  礼を尽くして疑わなかった
          劇辛や楽毅は  君恩に報いようと
          肝胆を砕いて   才能の限りをつくす
          だがいまは     昭王の墓は蔓草に蔽われ
          黄金台の跡を  掃除する人もいない
          人生行路は困難だ
          さあ郷里(くに)へ帰ろう


 ⊂ものがたり⊃ 「大道」とは天下の政事にかかわる道のことです。自分だけがその道に出ることができないと、李白は嘆きます。長安の市中で子供らと賭け事の遊びをして暮らしていると、自分を笑います。
 それから史上で有名な七人の快男子を取り上げますが、前半では四人です。はじめの二人は名前が出ていませんが、当時はよく知られた人物であったので、事跡を書くだけで誰のことか分かったのでしょう。あるいは詩の韻を踏む上での制約があったのかもしれません。
 「剣を弾じ歌を作して 苦声を奏し」たのは孟嘗君の客馮驩(ふうかん)のことで、前にも出てきました。つぎは漢の鄒陽(すうよう)のことで、鄒陽は呉王劉鼻(りゅうび)に仕えていましたが、諫めて聞かれなかったので呉を去り、粱の孝王劉武(りゅうぶ)に仕え、智略がありました。淮陰の韓信は有名な股くぐりの話です。「賈生」は若くして漢の文帝に用いられた賈誼(かぎ)のことで、公卿(こうけい)たちのそねみを買い、長沙王の太傅(たいふ)に左遷されました。能力がありながら世に用いられなかった人々の名を挙げて、李白は自分の身に例えているのでしょう。
 後半の八句では戦国時代燕(えん)の昭王に仕えた忠義の士を取り上げています。昭王は斉(せい)から受けた恥辱をはらすため、まず郭隗(かくかい)を重く用います。「隗より始めよ」の故事として有名です。昭王が賢王であることを知って燕に集まって来たのは鄒衍(すうえん)、劇辛、楽毅らです。鄒衍については名前が出ておらず、昭王が丁重に迎えたようすを書いています。
 昭王はこれらの人々の働きによって斉を討つことができましたが、いまは昭王の骨は蔓草にまといつかれ、宮殿の黄金台の跡も荒れ果てて掃除をする人もいないと、功業のはかないことに言及します。そして最後を「帰去来」と陶淵明の詩句で結ぶのです。

 李白ー85
   古風 其十二        古風 其の十二

  松柏本孤直     松柏(しょうはく)は  本(もと)  孤直(こちょく)
  難為桃李顔     桃李(とうり)の顔(かお)を為(な)し難し
  昭昭厳子陵     昭昭たり  厳子陵(げんしりょう)
  垂釣滄波間     釣を垂る  滄波(そうは)の間(かん)
  身将客星隠     身は客星(かくせい)と将(とも)に隠れ
  心与浮雲閑     心は浮雲(ふうん)と与(とも)に閑なり
  長揖万乗君     万乗(ばんじょう)の君に長揖(ちょうゆう)し
  還帰富春山     富春山(ふしゅんざん)に還帰(かんき)す
  清風灑六合     清風(せいふう)  六合(りくごう)に灑(そそ)ぎ
  邈然不可攀     邈然(ばくぜん)として攀(よ)ず可(べ)からず
  使我長歎息     我をして長歎息(ちょうたんそく)せしめ
  冥棲巌石間     巌石(がんせき)の間(かん)に冥棲(めいせい)す

  ⊂訳⊃
          松や柏は  もともとひとりですっくと立ち
          桃や李(すもも)のように  笑顔はつくれない
          厳子陵こそ  かがやくような存在だ
          澄み切った波間に  釣り糸を垂れている
          身は客星のように世間から隠れ
          心は浮雲のように穏やかである
          万乗の天子に一礼し
          故郷の富春山に帰る
          清らかな風が天地を吹き渡るように
          遥かに高い存在で  近づき難い
          私は長い溜息をつき
          岩山に  ひっそり隠れたいと思うのだ


 ⊂ものがたり⊃ 李白は暮春三月になると、もはや都にとどまっていても成すところは何もないことを悟り、長安を去る決心をしたようです。そんなとき心の拠りどころになったのが、後漢の厳子陵(厳光)の名利に恬澹(てんたん)とした生き方でした。後漢の創業に功績のあった厳子陵は光武帝の召しを受けますが、「万乗の君に長揖し」て、故郷の山中に隠棲します。「古風 其十二」はその生き方を美しい詩句で詠いあげています。自分も厳子陵のように清く都を去ろうというのです。
 李白はみずから上書して山(故郷、田舎のこと)に帰ることを願い出ました。玄宗は手放したくない気持ちもあったようですが、周囲の情勢を考慮して願いを認め、特別の賜金を与えて退去を許しました。 

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