7月16日(旧暦6月13日 干支=己亥 九星=一白 六曜=赤口)
おはようございます。横手市増田町の工務店、千葉建築です。
今朝は晴れの朝となりました。
そろそろ梅雨も明ける時期となってきたかと思いますが、まだ雨予報もあります。
雨が上がると、アブラゼミの合唱とともに、蒸し暑さが立ち込めます。
このブログを書いている事務所は、隣が神社のため、セミのライブのアリーナ席といった感があります。
何を言っているのかわからないと思いますが、きっと暑さのせいでしょう。
漢同士のガチンコ勝負。
暑い夏の風物詩。
大相撲の名古屋場所が行われています。
大相撲を生で見たことはまだありませんが、結果は気になってチェックしています。
白鵬をはじめ、3人のモンゴル出身の横綱の壁は大きく、ようやく琴奨菊が日本人優勝力士となったものの、期待される日本人横綱の誕生はなかなか難しくなっています。
個人的には、強ければ国籍や人種など関係ないと思っていますが、どうしても日本人が優勝、横綱が出てほしいという方は、多くいらっしゃると思います。
元横綱・朝青龍から、モンゴル出身力士が当たり前になっていますが、かつて外国人力士といえば、アメリカ・ハワイ勢でした。
横綱に曙、武蔵丸がいて、大関に小錦と、巨漢を生かしたスケールの大きな取り口は今でも記憶にあります。
その先駆けとなったのは、関脇・高見山でした。
今日は、1972年に高見山が外国人(外国籍)力士として、初めて幕内優勝を成し遂げた日であり、「外国人力士の日」という記念日となっています。
高見山大五郎、本名渡辺大五郎は、1944年6月14日にアメリカ・ハワイ州のマウイ島の出身で、元々の名はジェシー・ジェームズ・ワラニ・クハウルアといいました。
陸上・アメフトなどのスポーツ経験を経て、高砂(元横綱・前田山)にスカウトされ、1964年の3月場所に初土俵を踏みました。
それから引退まで、足掛け20年にわたって土俵に上がり続け、優勝1回、最高位は東関脇と、外国人力士のパイオニアとして活躍しました。
特に、幕内連続出場1231回は歴代1位の記録であり、現役寿命の短い相撲という競技において、40歳目前まで現役を続けるなど、ケガに負けない体の強さは、群を抜いたものがあったようです。
外国人で初の力士ということで、様々な苦労もあったようです。
入門当初は日本食やちゃんこなどが食べられず、ケチャップをかけて食べたり、股割り稽古のきつさに「目から汗が出た」と言ったこともあったそうです。
しかし、日本人と結婚して帰化し、現役引退後は年寄・東関を襲名して相撲協会に残り、小錦や曙などの外国人力士、高見盛などの人気力士の親方として、後進の指導に当たるなど、大相撲の国際化に大きく貢献しました。
さらに、高見山の風貌や明るい性格は、多くの人に愛されました。
200キロの巨体に、「プッシュ!プッシュ!」を信条とした突き相撲の豪快さ、金星12個を誇る横綱戦の強さなどもさることながら、長いもみあげをたくわえ、テレビCMにも引っ張りだこになるなど、人気力士の一人でもありました。
昭和天皇は高見山の引退に際し、「なぜ辞めたのか、残念だったろうな」とおっしゃられ、それを聞いた高見山は涙を流しながら、「もったいないです」といったそうです。
高見山の引退は1983年。
私は小さい時でしたので、高見山の相撲はあまり記憶にありません。
しかし、高見山あるいは東関親方の布団のCMは、とても好きでした。
独特のしゃがれ声で「2倍!2倍!」と連呼し、にっこり笑う姿。
人気力士はその後も出てきますが、記憶に残る力士に挙げる方は多いかと思います。
ちなみに、高見山のあの声は、のど輪を激しく受けてつぶれたものであり、かつては聞きほれるほどの美声であったそうです。
外国人力士と日本人力士がぶつかると、どうしても日本人に声援が大きくなるようです。
正直、個人的にその風潮は嫌いです。
相撲は神事や儀礼という面もありますが、荒々しい魂の象徴でもあり、強さが前提にあるものだと思っています。
これ以上この話をすれば、ますますブログが長くなりそうなので、次の機会にしたいと思います。
おはようございます。横手市増田町の工務店、千葉建築です。
今朝は晴れの朝となりました。
そろそろ梅雨も明ける時期となってきたかと思いますが、まだ雨予報もあります。
雨が上がると、アブラゼミの合唱とともに、蒸し暑さが立ち込めます。
このブログを書いている事務所は、隣が神社のため、セミのライブのアリーナ席といった感があります。
何を言っているのかわからないと思いますが、きっと暑さのせいでしょう。
漢同士のガチンコ勝負。
暑い夏の風物詩。
大相撲の名古屋場所が行われています。
大相撲を生で見たことはまだありませんが、結果は気になってチェックしています。
白鵬をはじめ、3人のモンゴル出身の横綱の壁は大きく、ようやく琴奨菊が日本人優勝力士となったものの、期待される日本人横綱の誕生はなかなか難しくなっています。
個人的には、強ければ国籍や人種など関係ないと思っていますが、どうしても日本人が優勝、横綱が出てほしいという方は、多くいらっしゃると思います。
元横綱・朝青龍から、モンゴル出身力士が当たり前になっていますが、かつて外国人力士といえば、アメリカ・ハワイ勢でした。
横綱に曙、武蔵丸がいて、大関に小錦と、巨漢を生かしたスケールの大きな取り口は今でも記憶にあります。
その先駆けとなったのは、関脇・高見山でした。
今日は、1972年に高見山が外国人(外国籍)力士として、初めて幕内優勝を成し遂げた日であり、「外国人力士の日」という記念日となっています。
高見山大五郎、本名渡辺大五郎は、1944年6月14日にアメリカ・ハワイ州のマウイ島の出身で、元々の名はジェシー・ジェームズ・ワラニ・クハウルアといいました。
陸上・アメフトなどのスポーツ経験を経て、高砂(元横綱・前田山)にスカウトされ、1964年の3月場所に初土俵を踏みました。
それから引退まで、足掛け20年にわたって土俵に上がり続け、優勝1回、最高位は東関脇と、外国人力士のパイオニアとして活躍しました。
特に、幕内連続出場1231回は歴代1位の記録であり、現役寿命の短い相撲という競技において、40歳目前まで現役を続けるなど、ケガに負けない体の強さは、群を抜いたものがあったようです。
外国人で初の力士ということで、様々な苦労もあったようです。
入門当初は日本食やちゃんこなどが食べられず、ケチャップをかけて食べたり、股割り稽古のきつさに「目から汗が出た」と言ったこともあったそうです。
しかし、日本人と結婚して帰化し、現役引退後は年寄・東関を襲名して相撲協会に残り、小錦や曙などの外国人力士、高見盛などの人気力士の親方として、後進の指導に当たるなど、大相撲の国際化に大きく貢献しました。
さらに、高見山の風貌や明るい性格は、多くの人に愛されました。
200キロの巨体に、「プッシュ!プッシュ!」を信条とした突き相撲の豪快さ、金星12個を誇る横綱戦の強さなどもさることながら、長いもみあげをたくわえ、テレビCMにも引っ張りだこになるなど、人気力士の一人でもありました。
昭和天皇は高見山の引退に際し、「なぜ辞めたのか、残念だったろうな」とおっしゃられ、それを聞いた高見山は涙を流しながら、「もったいないです」といったそうです。
高見山の引退は1983年。
私は小さい時でしたので、高見山の相撲はあまり記憶にありません。
しかし、高見山あるいは東関親方の布団のCMは、とても好きでした。
独特のしゃがれ声で「2倍!2倍!」と連呼し、にっこり笑う姿。
人気力士はその後も出てきますが、記憶に残る力士に挙げる方は多いかと思います。
ちなみに、高見山のあの声は、のど輪を激しく受けてつぶれたものであり、かつては聞きほれるほどの美声であったそうです。
外国人力士と日本人力士がぶつかると、どうしても日本人に声援が大きくなるようです。
正直、個人的にその風潮は嫌いです。
相撲は神事や儀礼という面もありますが、荒々しい魂の象徴でもあり、強さが前提にあるものだと思っています。
これ以上この話をすれば、ますますブログが長くなりそうなので、次の機会にしたいと思います。
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有限会社 千葉建築
〒019-0701 秋田県横手市増田町増田字伊勢堂南6-4
電話 0182-45-2325 FAX 0182-45-2304
携帯 080-1837-5342
mail kchiba@poem.ocn.ne.jp
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