秋田県横手市増田町 千葉建築のブログ

秋田県の県南、横手市増田町の工務店、(有)千葉建築のブログです。
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スシ、テンプラ、ゲイシャ、フジヤマ、ハラキリ

2016-07-23 07:24:05 | 歴史と文化
7月23日(旧暦6月20日 干支=丙午 九星=三碧 六曜=先勝)


おはようございます。横手市増田町の工務店、千葉建築です。

今朝も晴天の広がる朝となり、すでに気温は上昇しつつあります。

本格的に熱中症の注意すべき時期に入ってきていますので、水分補給に心がけましょう。


大暑という語感は、すでに文字だけで5度くらい温度が上がる気もします。

熱中症という言葉が定着する前は、日射病であったり、あるいは寝不足からくる夏バテという言葉が、夏の大敵のような感じがしました。

夏バテ対策には、しっかりとした睡眠と食事が必要ですが、人によっては食が細くなってしまう方もいらっしゃるかと思います。


夏バテ防止に効果的な、3つの料理があるそうです。

一つはうなぎ。

もう一つは焼肉。

そして、天ぷら。

これらは、それぞれ夏バテ防止三大食べ物記念日というものがあるようで、今日はそのうち、天ぷらの記念日となっているそうです。


今日のふざけたタイトルは、いわゆるステロタイプな、外国人のイメージする日本名物といったところです。

ハラキリはともかく、天ぷらはこの中に入っているように、寿司と並んで有名な日本料理の一つとして知られています。


ウィキペディアによると、古くは米粉を用いたものがあったそうですが、現在の天ぷらのルーツは、450年前の室町時代に、鉄砲とともに南蛮から伝来したフリッターがそれにあたるそうです。

江戸期には、江戸前の魚介類を食材にした天ぷらが普及し、関西では山菜や野菜を中心とした天ぷらが定着しました。

関東風は、衣に卵を用いてごま油で揚げ、天つゆで食べるスタイル。

関西風は、衣に卵を用いず、塩で食べるのが主流でした。


日本に伝わったはじめのころは、油は貴重品でしたので、天ぷらはなかなか食べることができませんでしたが、江戸期には油の生産量が増大したため、どんどん安価になっていったそうです。

江戸では、屋台で串揚げのような形でふるまわれ、寿司・そばと並んで、江戸っ子庶民の味として親しまれていたそうです。


天ぷらは漢字で、「天麩羅」「天婦羅」と書きますが、この語源には諸説あるそうです。

ポルトガル語の「テンポラ(キリスト教の斎日・いみび)」、同じくポルトガル語の「テンペロ(料理・調理)」、油を天(あ)麩(ぶ)羅(ら)と書いていたものが、音読みされたという説がありますが、はっきりとしていないそうです。


天ぷらといえば、江戸幕府の開祖・徳川家康が、鯛の天ぷらを食べ過ぎて亡くなった、という話もあります。

大坂の陣が終わり、趣味の鷹狩りを満喫している際に、当時珍しかった天ぷらを献上された家康は、これをたいそう気に入り、普段の健康オタクぶりを忘れてつい食べ過ぎ、体調を崩したということでした。

しかし、当時家康は胃がんに侵されていたという説があり、また73歳の高齢に食べなれない油料理は負担が大きかったとも言えます。

江戸の礎を作った権現さま(家康)は、その後の庶民が食べる天ぷらを、どんな気持ちで見ていたのでしょうか。


私も天ぷらは好きで、めんつゆを用いたり、塩少々で食べたりします。

そういえば、今朝フェイスブックを見ていると、アイドルグループKAT-TUNの亀梨和也さんが、数年前から愛用しているめんつゆがあり、ファンがそれをすぐに特定したそうです。

どうやら、秋田県の東北醤油で作られている、われらがおなじみ『味どうらくの里』ということだそうです。

もしかしたら、味どうらくが手に入りにくくなるのかもしれません。


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