8月27日(旧暦7月25日 干支=辛巳 九星=四緑 六曜=先勝)
おはようございます。横手市増田町の工務店、千葉建築です。
大雨洪水警報が出るほどの天候から、ようやく落ち着きを取り戻しました。
今日は大曲の花火もあります。
ところどころぬかるんでいるところもあると思いますので、お出かけの方は充分に歩きやすい格好をなさるとよいでしょう。
小中学校の夏休みも終わりました。
子供たちは、たくさんの思い出を作って再び学校生活に入ったと思います。
親御さんたちにとっては、毎日家に子供たちがいる生活がひと段落し、あわただしさから解放された感を持つ方もいらっしゃるでしょう。
暑さも続くことから、疲れも溜まっている時期かと思います。
私も普段の眠気から、より一層の眠さを感じる毎日であり、ろくに仕事をしているわけでないのに、疲れだけは人一倍感じています。
疲労回復には、休養と栄養が大切と言われます。
かといって、浴びるほど酒を飲んで爆睡するのは、決してよいこととは言えないでしょう。
そうした悩みは、古来より続くものであったようで、江戸時代には『養生訓』という健康書がありました。
今日は、その『養生訓』を著した、貝原益軒(えきけん)の忌日に当たります。
貝原益軒は1630年(寛永7年)、筑前福岡藩士のもとに生まれ、そのまま藩士として就職します。
一度は藩主の怒りをかってクビを切られ(物理的ではなく)ましたが、のちに許されて藩医となりました。
京都に留学して儒学(朱子学)を学び、藩へ帰ってからは儒学の先生となり、朝鮮通信使の任や、隣の佐賀藩との国境争いを解決するなど、重役をこなしていきました。
70歳に藩士として現役を引退したのちは、著述業に専念します。
主なものは、先の『養生訓』の他に、以下のものがあります。
・『大和本草』…生物学・農学書の大傑作
・『和俗童子訓』…幼児教育の重要性を著した、教育書の大傑作
・『大和廻(和州巡覧記)』…京都から吉野への旅行ガイドブックの大傑作
当時の平均寿命が35歳のときに、益軒は84歳もの長寿を全うしました。
益軒の健康の秘訣は、現代でも通用するものでしょう。
食に関しては、「腹八分で抑え、ゆっくり食べて肥満を防止する」「味付けは薄めで、脂っこいのはNG」「大豆製品を食べよう」といったものです。
甘いもの、辛いもの、しょっぱいもの、苦いもの、酸っぱいもののうち、同じ系列の食べ物は食べすぎない、とも言います。
睡眠に関しては、「長く寝ればいいものでなく、質のよい睡眠なら短時間でもよい」「昼寝は横にならず、腰かけてうたた寝がよい」などがあります。
また、悩みを減らすこと、欲を少なくすることなど、ストレスが健康に悪いことにも言及しています。
ちなみに、益軒はきゅうりについてある言及をしています。
「ウリの中で下等で、苦くてまずいうえに、ちょっと毒がある」と称しており、進んで食べるべきでない、と評価しています。
きゅうり好きの私にとっては、聞き捨てならない評ですが、幕末にきゅうりの品種改良がおこなわれるまでは、人気のある野菜ではなかったといえます。
また、きゅうりは体を冷やすため、なるべく体を冷やさないように心がけるという、益軒のポリシーに反するところが、きゅうりを悪者にしたとも言えるでしょう。
同じく、「毒多くて能無し。植えるべからず、食べるべからず」と、きゅうりをぼろくそに評した人がいます。
『大日本史』の編纂や、日本で初めてラーメンを食べたり、あるいは諸国漫遊をしたり、東京ドームの下に地下闘技場を作った人の先祖だったり…。
徳川光圀、別名水戸黄門も、きゅうりが嫌いだったのでしょう。
おはようございます。横手市増田町の工務店、千葉建築です。
大雨洪水警報が出るほどの天候から、ようやく落ち着きを取り戻しました。
今日は大曲の花火もあります。
ところどころぬかるんでいるところもあると思いますので、お出かけの方は充分に歩きやすい格好をなさるとよいでしょう。
小中学校の夏休みも終わりました。
子供たちは、たくさんの思い出を作って再び学校生活に入ったと思います。
親御さんたちにとっては、毎日家に子供たちがいる生活がひと段落し、あわただしさから解放された感を持つ方もいらっしゃるでしょう。
暑さも続くことから、疲れも溜まっている時期かと思います。
私も普段の眠気から、より一層の眠さを感じる毎日であり、ろくに仕事をしているわけでないのに、疲れだけは人一倍感じています。
疲労回復には、休養と栄養が大切と言われます。
かといって、浴びるほど酒を飲んで爆睡するのは、決してよいこととは言えないでしょう。
そうした悩みは、古来より続くものであったようで、江戸時代には『養生訓』という健康書がありました。
今日は、その『養生訓』を著した、貝原益軒(えきけん)の忌日に当たります。
貝原益軒は1630年(寛永7年)、筑前福岡藩士のもとに生まれ、そのまま藩士として就職します。
一度は藩主の怒りをかってクビを切られ(物理的ではなく)ましたが、のちに許されて藩医となりました。
京都に留学して儒学(朱子学)を学び、藩へ帰ってからは儒学の先生となり、朝鮮通信使の任や、隣の佐賀藩との国境争いを解決するなど、重役をこなしていきました。
70歳に藩士として現役を引退したのちは、著述業に専念します。
主なものは、先の『養生訓』の他に、以下のものがあります。
・『大和本草』…生物学・農学書の大傑作
・『和俗童子訓』…幼児教育の重要性を著した、教育書の大傑作
・『大和廻(和州巡覧記)』…京都から吉野への旅行ガイドブックの大傑作
当時の平均寿命が35歳のときに、益軒は84歳もの長寿を全うしました。
益軒の健康の秘訣は、現代でも通用するものでしょう。
食に関しては、「腹八分で抑え、ゆっくり食べて肥満を防止する」「味付けは薄めで、脂っこいのはNG」「大豆製品を食べよう」といったものです。
甘いもの、辛いもの、しょっぱいもの、苦いもの、酸っぱいもののうち、同じ系列の食べ物は食べすぎない、とも言います。
睡眠に関しては、「長く寝ればいいものでなく、質のよい睡眠なら短時間でもよい」「昼寝は横にならず、腰かけてうたた寝がよい」などがあります。
また、悩みを減らすこと、欲を少なくすることなど、ストレスが健康に悪いことにも言及しています。
ちなみに、益軒はきゅうりについてある言及をしています。
「ウリの中で下等で、苦くてまずいうえに、ちょっと毒がある」と称しており、進んで食べるべきでない、と評価しています。
きゅうり好きの私にとっては、聞き捨てならない評ですが、幕末にきゅうりの品種改良がおこなわれるまでは、人気のある野菜ではなかったといえます。
また、きゅうりは体を冷やすため、なるべく体を冷やさないように心がけるという、益軒のポリシーに反するところが、きゅうりを悪者にしたとも言えるでしょう。
同じく、「毒多くて能無し。植えるべからず、食べるべからず」と、きゅうりをぼろくそに評した人がいます。
『大日本史』の編纂や、日本で初めてラーメンを食べたり、あるいは諸国漫遊をしたり、東京ドームの下に地下闘技場を作った人の先祖だったり…。
徳川光圀、別名水戸黄門も、きゅうりが嫌いだったのでしょう。
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お問い合わせ先
有限会社 千葉建築
〒019-0701 秋田県横手市増田町増田字伊勢堂南6-4
電話 0182-45-2325 FAX 0182-45-2304
携帯 080-1837-5342
mail kchiba@poem.ocn.ne.jp
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