みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

イワレビコへの神託

2018年10月29日 | 俳句日記

神日本磐余彦(神武天皇)

彦波サ武ウガ草葺不合尊。
(ヒコナギサタケウガヤフキアエズの尊)

実に長い10文字のお名前である。
おそらく[記紀]の中で最長の名ではなか
ろうか。

「彦」とは立派な人、「武」は武功があ
った人に贈られる尊称だったらしい。

あとの文字は「海岸で産気づく母親に、
産屋を建ててあげようとしたが、海茅の
屋根が間に合わなかった」
と言う意味なんだそうな。

産気づいたのは海神の娘、豊玉姫。
産まれたのがヒコナギ尊。
父親は山幸彦とされているが、私はそう
は見ていない。

海幸・山幸の物語は、太安万侶が鹿児島
の海神族を天孫の身内として位置付ける
為に、南海の伝承物語とくっつけたので
は?と思っている。


コノハナサクヤヒメ

だいたいニニギ尊と山神の娘コノハナサ
クヤ姫が鹿児島で出会うのが不自然だし
、三人の御子の名に全て「火」の文字が
使われているのが気になる。
日向三代の系譜をチェックして欲しい。

熊本は今でも「火の国」である。
鹿児島も桜島があるから「火の国」だ。
火を噴く山を畏敬の対象としていた海人
の元にヤマツミの子が降臨した。

はなから勝負はついていたのである。
それに太平洋側の南方系海の民は日高見
をよく知っていた、天孫を日向に導いた
のが彼らなのは確かだ。

安万侶は世界のどこにでもある人魚伝説
にヒントを得て、豊玉姫を発想し海人の
族長の子(海幸彦)とその弟をヒコナギの
兄弟にしてしまった。

本来はニニギとコノハナの直接の子であ
るヒコナギを山幸彦に見立てて兄海幸彦
と競わせて山幸彦を龍宮に誘う。
そこで豊玉姫と娶せウガヤフキアエズを
産ませるのである。

こうなれば否が応でも海人の血が天孫の
直系にはいることになる。
一地方の海神族にとっては大変に名誉な
ことであった。

それはこの時代も天武天皇の時代も半島
と事を構えた時代である事に起因する。
学校で習った天武朝の時代背景を思い出
して頂きたい。

天智2年(AD663年)、大和朝廷は白村江
の戦いで大敗した。
その18年後、天武天皇は半島に備えなが
ら[記紀]の編纂を命じるのである。

つまりは海の民の協力が、双方の時代と
も必要であった。
裏読みすれば海の民の懐柔策だが、当事
者とすれば優れた政治判断である。

天武天皇も稗田阿礼も、特に太安万侶は
優れた政治家であった。
共に目的に応じた暗黙の了解があった。
だがしかし玉依姫の血は天孫に流れた。

私は前にヒコナギの名を「海茅の屋根も
葺けない程に戦さに明け暮れた英雄」と
書いたのであるが、天の思召しと玉依姫
の愛は豊玉抜きで両族を結びつけた。

安万侶がアンデルセンを読んでいる訳は
ないが、人魚の伝説はどこにでもある。


アンデルセンは至る所の伝承をヒントに
童話集を書き綴った。
同じ意味で[古事記]は日本最古の伝承文
学の傑作なのである。

そう思って読めば、天武天皇の想いも、
安万侶の手腕も素直に伝わってくる。

兎にも角にも、ヒコナギ大王が死んだ。
八女の邑の人々は、この先の不安と共に
その死を悼んだ。
不安は筑紫の倭人にも広がった。

日向も日高見も哀しみに包まれた。
天照大巫女はいく日も泣き暮らした。


「天照様、そう悲しまれては御身に障り
ます。御身や民の為にも天御中主の大神
に道を尋ねられては如何ですか?」

知恵の神、少彦名命が進言をなした。

「おお、そうじゃったの。大八洲の使命
をないがしろにするところじゃった」

それから大巫女は三日三晩、社(やしろ)
にこもり大神を前に祈祷を続けた。
全国の天孫族と倭人国の者達は、神託が
降されるのを固唾を呑んで待った。

バチカンでのコンクラーベを待つ世界の
キリスト教信者の心境であったろう。
でも、こちらの方がずっと早い。
が、アイデンティティの働きは同じだ。

三日後に天照様が出て来られた。
老軀に鞭打っての祈祷であった。
お供の若い巫女たちに支えられながら、
居並ぶ者達にこう告げられた。

「ヒコナギの後はイワレビコに継がせよ
とのご託宣である。
すぐさま各地に伝えるがよい」

神託はアッと言う間に広がった。
西都原で母、玉依姫を庇うように囲み、
打ちひしがれる御子達にも報せが届く。

「えっ!何で俺が⁇」
イワレビコが叫んだ。

(…つづく)


10月29日〔月〕晴れ
レヴィ=ストロース博士の「野生の思考」
から始まって[古事記]に行き着き、稿を
書き殴って二ヶ月が過ぎた。

読者の方と一緒に日本の古代史を勉強す
るつもりで書いているが、何とは無しに
歴史は繰り返されるのだなぁと思う。

「在留資格の拡大」が大きく取り沙汰さ
れて来た。
縄文倭人は渡来人と対立しながらも日本
の発展の為に手を取り合った。

拒否と妥協を上手く使い分けた。

政府は大乱にならないように、あらん限
りの知恵を出して欲しいものだ。

〈冬近し 過ぎれば春を 待つ如く〉放浪子
季語・冬近し(晩秋)