みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

出雲と言うところ

2018年10月08日 | 俳句日記


ヒコナギが喪に服している間に[古事記]
のもう一つの舞台「出雲」を見よう。
時の流れからいうと、スサノオが出雲に
出かけたのは天孫降臨の前である。

この事は後に「神武東征」と大国主命の
「国譲り」の時期を比定する際に、密接
に関係をもち、ある意味[古事記]の現実
味を証してくれることになる。

反転地図を見れば分かるように、出雲、
伯耆、因幡は、日本海を挟んで筑紫国と
同じくらい半島と近いのである。
ブログの課題である「倭国大乱」の渦中
にあった事は間違いなかった。

司馬遼先生のご著書「この国のかたち」
の小題に「泣き社中」というのがある。


「社中」とは「衆」ぐらいに認識してお
けばよろしいそうだ。

これらの衆は、酒を飲んで感情が昂ぶっ
て来ると泣き出すと言うのである。
いわゆる「泣き上戸」と言う、純情で愛
すべき人達なのである。

この人達が多く住む地域があって、それ
が薩摩、土佐、紀伊、志摩、伊豆、そし
て房総だと書いてあった。
いずれも黒潮を棲家とした海人の国だ。

彼らは、明らかに南から黒潮に乗ってや
って来た縄文海人の末裔であった。
常陸国の霞ヶ浦に住み着いていたとして
もおかしくない。


ならば日髙見国の人々とは、太古から親
戚付き合いをしていた筈だ。
こう見れば、天孫が上陸(降臨)したのが
何故に日向であったのかが見えてくる。

一方で、対馬海流である。
黒潮の源流を離れて、台湾の北部から東
シナ海に入り込んだ流れは、支那大陸の
沿海水を巻き込み対馬海流となる。

当然、福建省や浙江省、揚子江河口の海
の民は、この海流に乗り玄界灘に入る。
半島沿岸に住む者もいたであろう。


その事が出雲神話を生出す淵源となる。

(…つづく)


10月8日〔月〕晴れ
今日は寒露。
そぞろ秋も深まる頃だが、
今年は、ちと違う。
太平洋側は軒並み夏日のようだ。

国際情勢と同じように、
これまでの常識が、
何処も通用しなくなった。
韓国が最も揺れている。

〈朝露に 裾濡れゆくも 懐かしき〉放浪子
季語・朝露(秋)