みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

天孫降臨と筑紫の攻防

2018年10月01日 | 俳句日記


渡来勢力と倭人の攻防は、佐賀県東部と
福岡県西部の肥沃な田園地帯、筑紫平野
を中心に行われた。
縄文海進の頃は、まだ海であった。



博多湾と有明海は海峡であったと云う。
魏の使いはその頃の記録を信じて御笠川
を遡ってしまったのだろう。
だが時期が悪かったのである。

狗奴国の菊池に駐屯していたニニギ尊の
所に、奴国の王から使いが届いた。

「わが王が、至急尊にご相談したき儀あ
りと申しております」
「奴國王が?はていかな?」
「後漢が匈奴を討ち、兵を東に向けると
の噂で、渡来人が好機と動き出している
由」

ニニギ尊は少し考えた。
と言うのもここ暫く体調が芳しく無い。
日向に上陸してから13年余り、休む間も
無く戦陣にあった。

「あい分かった。間を置かず使者を遣わ
す所存と王にお伝へ下され」
「承知」
そして尊は、ヒコナギを呼ばれた。

「遅くなりました父上」
「ああ来たか。汝が阿蘇まで来ていて幸
であった。イワレビコは健やかか?」
「ハイ、至って…」

「ならば良い。玉依姫も安心であろう。
ところで、奴国王から斯くなる次第で願
いが来ておる。汝も既に二十八、そろそ
吾の跡を継いでくれぬか?」

「そんな滅相も…」
ニニギ尊はヒコナギの次の句を制した。

「豊葦原の国は広い。筑紫の国の平定す
ら既に十年余。
吾も四十路を遥かに超えた。
歳々に亘りこの地の民と共に苗を植え、
穂を刈り、ここまで至ったが、未だ乱は
収まらぬ。不徳の致す所じゃ」

「父君!」
ヒコナギは初めて「父君」と呼んだ。
「隼人は勿論、阿蘇も菊池も、さらに豊
の国も父上を[君]と慕っております。
今、奴国王がそのように願い出るのは、
他と同じだと察します。これからです」

「ヒコナギ」
「ハイ!」
「解っておる。だが吾は磐長姫を娶らな
んだ。
大山祇様の御心を察しなんだ。
天孫に宿命を背負わせてしまったのだ。
先ずワシが負わねばなるまい」
「そんな…⁈」

「五伴緒も老いた、或は斃れた。
だが、その子らが汝に従っておる。
既に初陣を済ませ、八年の間吾と共に、
戦陣にあった。


奴国王のところへ行け。話を良く聞け。
そして報告せよ。決断は吾がする」

ヒコナギは直ちに御前を辞し、菊池を立
つと奴国へ向かった。

(…つづく)


10月1日〔月〕晴れのち曇り
神無月に入った。
八百万の神々は出雲の地で、
沖縄知事選の事後処理を、
お話になっているに違いない。

渡来人の脅威は、
二千年後の今日まで続いている。

〈叢雲を 祓い給えと 神無月〉放浪子
季語・神無月(秋)