みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

ニニギ薨去

2018年10月03日 | 俳句日記


支那の統一王朝は、常に北方の匈奴の侵
略に晒されていた。
BC214年、始皇帝は長城を築き始める。
漢もまた頭を痛めた。

AD52年、後漢の光武帝が和を結んだが
直ぐに崩れた。
その匈奴が再び漢に降ったという。
それで渡来人は勢いを増したのだった。

ヒコナギは菊池に帰り着くと、ニニギに
逐一報告した。

「相分かった。
ではヒコナギ、準備が出来次第、豊の国
を周れ。
筑紫の諸国はこれまで共に戦って来た。
我々の心底は充分理解している。


だが、豊国の諸国は奴国連合のように同
族の誼があるとは言い難い。
其々が、其々に安寧を保って来ている。
然も、幾つかの強国も在る。

そこにいきなり奴国と天孫族が盟を結ぶ
となると、要らぬ憶測を呼んでしまう。
渡来人の付入る隙を与えることになる。
腹背から矢を向けられてはならない」

ヒコナギは成る程と思った。

「だからそれらの諸国を周り、我らに他
意の無いことを理解して貰うのじゃ。
そして、出雲・大和の事も伝えよ。
それが知らし召すことぞ!」

「父君、よく分かりました。
で、何時までに終えましょう?」

「それは菊池彦とつぶさに相談せよ。
だが、日かずを掛けてはならぬ。
奴国王に気を揉ませてはならない。
日かずが決まれば、王にも使いを差し向
けて置け」

「畏まりました。準備に掛かります」

「兵は拙速を好む、それに我が命もどれ
ほどもつであろう」
ニニギは、ヒコナギが部屋を出た後に、
つい独りごちた。

二日後、ヒコナギが復命して出立した日
から数えて八日目の夜、ニニギノ尊は48年の生涯を閉じられた。
陵は、宮崎県西都市の男狭穂塚である。

(…つづく)


9月3日〔水〕秋晴れ


物事はその渦中に在って、初めて理解が
いくものである。
対岸の火事は、熱くも痒くも無い。
故に勇者は川を渡り、賢者は記憶する。

両者のいずれかに我々は未来を託す。
閣僚はいずれかの人々である。
それを信じてやまない。

〈秋晴れや 吹く風の如 佳き世哉〉放浪子
季語・秋晴れ(秋)