みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

ヒコナギ尊、筑紫国に進撃

2018年10月21日 | 俳句日記


出雲を約2週間も書いてしまった。
途中で天武天皇と[記紀]編纂を挟んでし
まったことから長くなった。
確たる史料が少ないせいもある。

それでもまだこのダイジェストでは書き
尽くせない程に奥が深いのが出雲だ。
やはりこの国の建国の理念は出雲と伊勢
にある。
其れが大和に集約されたのだ。

大和への道は、日向に始まり筑紫、安芸
、吉備を経て熊野を回り樫原に至る。
ただこの時期、当面の難は筑紫にある。
金印をめぐる争いは筑紫で続いていた。


「皆の者、長い喪であった。
この間、ご苦労を掛けたことと思う。
奴国王との約束を果たす時が来た。
阿蘇や菊池の者も待っておろう」

一年ぶりに喪家を出たヒコナギはこう皆
に声を掛けた。

この頃の服喪期間は長い。
晏子は城壁の下の喪家で三年過ごした。

玉依姫も御子らと良く尽くしてくれた。
だが先君の遺命に従わなくてはならぬ。
ヒコナギは39才、イワレビコ(神武天皇)
は4才となっていた。

ヒコナギは側近のコヤネと海幸を呼ぶ。
「直近の筑紫からの帰還兵はおらぬか?
前線の話しを聞いてみたい」
「はっ、三日前に戻った者がおります」

帰還兵を召し出し軍議が開かれた。
話では、渡来勢力は忍坂の砦(吉野ヶ里)
を強化して、倭軍を筑後川の東岸まで押
し出したとの事。


「そんな事ならば菊池に入るより前線に
近い所に陣を構えなければならぬな⁈」
「御意、倭軍を勢い付かせる為には良い
お考え、だが危険も伴いまする」

「その通りだが、忍坂の敵が一挙に川を
渡れば、倭軍は総崩れとなろう。
その意思をとどめる為には、我が軍の姿
を示す事が肝要と思うが⁈」

陣営の幕僚に異論は無かった。

「これで進路は決まったな、海路じゃ。
横谷越を経て人吉に入り、球磨川を一気
に下ろう。
それから海路で筑後川の東岸に陣を構える。何処か良地はないか?」

「ならば、筑後川と矢部川の間に大和と
言う地があります。
そこならば投馬国も目と鼻の先、兵糧の
調達も叶いましよう」


「よし、決まりじゃ。兵員と輜重の手配
を頼む。出立は明後日!」

「おうっ!」

ヒコナギは下知し、皆は散った。
そのままヒコナギは宮へ帰った。

「出立は明後日に決まった。
また長くなる。苦労かけるな。
御子達を宜しく頼んだぞ」
「はい」


玉依姫がすずやかに応えた。

(…つづく)


10月21日〔日〕秋晴れ
澄んだ空気に日差しが眩しい。
それでいて流れる大気は涼を含む。
秋日和とはこのことだろう。
今日は、絶好の行楽日。

《巡礼が 馬にのりけり 秋日和》一茶

秋晴れの中を巡礼が歩く姿より、
馬に乗っている姿の方が、
なお一層長閑さを感じさせてくれる。

〈秋晴れや 梢が天を くすぐりて〉放浪子
季語・秋晴れ(秋)