つれづれ草

日常の思った事を書いていきます。

兄姉(きょうだい)

2007-07-19 15:19:33 | 日々のこと
今日の昼の番組、タモリの”笑っていいとも”で
子供がたくさんいる人の数当てをやっていた。

昔はどこにも5,6人の子供がいた。
母は小さい身体ながら9人を生んだ。
2番目の双子は生後1週間くらいでなくなったらしい。

7人の子はみな成人した。現在残っているのは5人。
末っ子の私は母が大変な思いをしたころは知らない。
物心ついたころ大きい姉や兄がいた。
戦時中は生めよ増やせよと、国が奨励までした。

10人以上生んだところは表彰された。
母が本気だったのかどうか分からないが、
「もうひとり生んでおけば表彰されたのに」と言ったことを覚えている。
10人も9人も変わりなかったのかも知れない。

姉の夫は15人いて末っ子だ。
長兄や姉以外は順番がよく分からないといって笑っていた。
そのころはそういう時代だったのである。

多人数の子供の家庭を見ると、自分の子供の頃を思い出す。
子供の多いところは年齢もあまり差がないから、
喧嘩やいたずらは遊びの一部だ。

楽しいこと、悔しいこと、辛いことと小さな社会を経験する。
肉親だからといって手は抜かない。
お互いを知っているだけに、遠慮はないから激しい。

いま、少子化の時代、こんな家庭は表彰ものである。
国もしっかり応援すべきと思う。
親は大変だが肝っ玉母さんはとても元気だ。
”子は宝”と昔から言われている。
明日を担う子等が幸せになれる日本だといい。


梅雨があけた!!

2007-07-18 15:31:51 | 日々のこと
南九州がやっと梅雨明けとなった。
昨日はそんな気がしていたが、梅雨明け宣言となったのはうれしい。
これから夏本番だ!!
太陽が暑くてもあのムシムシ感がないのはとてもいい。
気温は30度あっても今日の風はさわやかでひんやりする。

今年は海にでも行こうかな!?
金槌?なので泳ぐことは出来ないから、せめて砂もぐりにでもと。
今月はじめに行った砂浴が、身体に合ったのだろうか。
朝起きた時に部屋が汗臭く、いつも匂いを気にしていたところ、
それが全然匂わなくなった。

肌もつやつやしてきて、娘から「何かつけているの?」と言われて、
「別になんにも変わってないよ」と言った。
しかし、よく考えてみると砂にもぐった後なので、
その効果は出たのだろうと思う。

砂浴の日は朝から胃の調子が悪く、少しでもいいからと軽い気持ちだった。
2時間近く身体を砂の中にもぐらせ、砂遊びのような気分でいた。
夜、お腹の胃の辺りに湿疹が出来ていた。
これは体内の毒素が出たものと思った。

昔の人はフグにあたった人を砂浜に埋めたという。
そうして身体の毒素を出していたらしい。
ヨーロッパでも土の中に人を埋めるらしく、
その後は草木が枯れたとあった。
それだけ人体には毒素があるということだろう。
この夏休み、水分をしっかりとって砂浴をして見ませんか!?

嵐の後の落し物

2007-07-17 15:22:07 | 思い出
いつものようにウオーキングいく。
風が気持ちよくてあまり汗もかかず歩けた。
昨日、シーガイヤの前の道路は松葉がたくさん落ちていた。
道路の中央まで出て、掃除の人が松葉かきで取り除いていた。
今日はすっかりきれいになっていた。
遊歩道までは手が回らないようで、そのままになっていた。

台風の去った後はいろいろなものが落ちている。
子供の頃、台風は8月の終わりか9月になってやってきて、
柿や栗などの実をたくさん落す。
嵐の後はそれをみんなで拾い行った。

中には青い柿や渋い柿もあって、
かじっては「渋い!!」といいながら捨てた。
木の上から風で飛ばされるので、
赤く熟れた物はたいてい傷がついたり割れたりする。
それでもお腹の足しになるので食べたものです。

台風の後は木の実以外に小鳥が落ちていることがある。
鳥の巣からはまだ飛び立てないひよこがいて、
そのまま巣と一緒に落ちる。

実家の周りには昔、フクロウがすみついていた。
フクロウは子供でも大きいので嵐の後は必ず落ちている。
兄達は拾ってきてカゴに入れ、バッタやカエルを捕まえてエサにする。
そのエサを食べれる子供のふくろうは、
元気になって山に帰っていく。

全部が元気に巣立っていくわけではなく、
中には死んでしまうものもいた。
くちばしが強いので子供の指をかむこともあったり、
夜中に親鳥が探しに来たこともあった。

くりくりとした目が可愛いふくろうは、
頭を後ろの方まで回すことが出来た。
ヨーロッパで幸せの使者だと聞いたのは、
私が50代になってからのことだ。

地震

2007-07-16 23:35:05 | 日々のこと
台風が去ってほっとしたのに、今度は地震です。
選挙運動も始まってすぐ台風、地震と、
日本列島は揺れ動いている。
今の日本を象徴しているような感じがする。

それにしてもよく地震が次々とあって驚きです。
最近は日本海側に集中しているような感じがする。
この間は石川県輪島地震があったばかりなのに。

福岡や島根でもあったし、それに中越地震もまだ記憶に新しい。
同じようなところでまた起きると言うのも気の毒なことです。
相当なエネルギーが地中に溜まっているのでしょうか。
それとも少しずつ吐き出しているのだろうか。

最初の報告ではそんなに強い地震には見えなかったけど、
結構あちこちに被害が出たようだ。
今度も日本家屋の壊れたところが多かったように見えたが、
耐震のない古い家は地震には弱い。

テレビの映像からはお寺が崩れていたように見えた。
強い揺れがあったのでしょう。
日本列島のどこで起きるか分からない地震国。
ひとごとではありません。
台風の被害もまだそのままだというのに、
次から次へと災いが多い。

なんだか地球がおかしくなったとしか思えないけど、
こんなにあちこちで地震が起きるのも恐い。
しかし、こればかりは自然のなすことどうにもなりません。





台風一過

2007-07-15 22:57:55 | 日々のこと
久しぶりに青空が戻ってきて、洗濯物が外に干せた。
まだ台風の風が強いのでシーツがパタパタするけど、
それでも渇きが速い。
日光に当たって乾いた洗濯物はやっぱり気持ちがいい。

やっと台風も過ぎたけど、後片付けに忙しい。
木の葉やゴミがたくさん飛んできた。
我が家も植木鉢が一個どこを探してもない。
花や土をひっくり返して、どこか遠くに飛んでいった。
このときばかりは仕方ない。

花たちはやわらかい芽も葉も強風にもぎ取られ、
無残な姿になっていた。
なんとか起こしてみたものの、柔らかい葉っぱを持つぺチュニア類は
葉がしなびたようになっていた。
雨に混じって海の塩も飛んできたのだろうか。

コバナセンナの木は根元から折れてしまった。
昨年の台風で倒れかけていたのを支柱を立てて元に戻した。
秋には花が咲いたので大丈夫と思っていたら、
やっぱり根が弱っていたようで全部取り除いた。

カサブランカのユリの花がちょうどつぼみが膨らんで、
一輪、二輪と咲き始めたところだった。
つぼみの大きくなったものは台風前に取って花瓶に飾ったが、
後は支柱を立てたので何とか倒れずに頑張っている。

夏場に強い花は立ち直りが早いが、
暑さに弱いものは元に戻すのは無理かもしれない。
花だけではなくナスもヒョロヒョロになった。
トマトも葉っぱがちぎれた。
でもまだ少しは生っている。


台風の目

2007-07-14 23:13:45 | 日々のこと
大型の台風4号は沖縄あたりからゆっくりとやってきた。
鹿児島の枕崎に上陸して、
宮崎の南部を横切り海上に出た。

朝から横殴りの風雨が窓をたたき、
二重サッシの窓はものすごい風力でしなっていた。
2階の部屋はビュービュー吹く風にビリビリと揺れた。
日南市では風速48mを記録した。
宮崎市でも38mの突風が吹いた。

そんなすごい台風が、
午後3時20分、パッタリと止まった。
「おおー台風の目に入ったようだ」と話した。
何度か経験したことがあるこの静けさ、
台風はどこへ行ったのかなと思うくらいだ。

テレビの報道では日南市の上空にいるといっていたころ、
台風の目はもう宮崎市に入っていたようだ。
宮崎市では風も止み雨もほとんど降らなかった。
雲の映像では台風の目はくずれ、
どこに台風の中心があるのか分からなかった。
夕方の地元の放送では台風の目に入っていたといった。

大型の台風は目の範囲も広いのか、
1時間以上も静かだった。
青空は見えなかったが、雲間に薄日がさしていた。
海上に出た台風は風向きも変わって雨も少なくなった。
吹き返しが強いからとの報道もあったが、
そんなには吹かなかった。

夜中になってまた風が吹いてきた。
台風は中心より遠くの方が強風になることもある。
強風域からぬけるまで用心に越したことはない。
県内もあちこちで被害が出たが、
我が家は植木鉢や植木が折れたくらいで、
たいした被害もなく今度は幸せでした。
台風進路の皆さんお気をつけください。

台風の進路

2007-07-13 16:54:55 | 日々のこと
午前中はさほど雨は降らなかったが、今はずいぶんと雨脚が強くなった。
宮崎県西都市では三財川があふれて、田んぼの稲の穂が水に浸かっている。
一部、水が床下まで来たところもあるようだ。
この川は大淀川の支流になっていて、一昨年も被害を受けたところである。
これから県内のあちこちで被害を受けそうだ。

この時期には珍しい大型の台風だそうで、どうやら九州に向かって来そうです。
はじめは速度も40kと早く、さっと通り過ぎるかと思ったが、
20kと遅くなってきた。

進路も北に変わり勢力は変わらず強い台風4号となっている。
昔から、7月台風は東シナ海の方へ進み、熊本や長崎に上陸する。
8月、9月には鹿児島や高知、紀伊半島と東のほうに行く。

いつも沖縄や南九州は台風の進路に当たっていた。
台風銀座ともいわれていた。
今はどこへ行くやら分からない迷走台風が多い。

沖縄も台風の直撃は3年ぶりと言われているが、
とにかく長い間風雨さらされると被害も大きい。
台風がゆっくりになるとますます水を含んで、
大きくなって大雨を降らす。

サトウキビもにがうりも作物が打撃をうける。
マンゴーだって例外でない。
自然界のことだから仕方ないとはいえ、
我々にはいつもいつも試練が待っている。

こんな中、選挙カーが走っている。
嵐が起きるでしょうか?


畑の手入れ

2007-07-12 22:47:51 | Weblog
猫の額ほどの畑にナスとトマトが植えてある。
6月の終わりからボチボチと収穫して食卓に並んだ。
最初は2,3個だったが、トマトなどはボールに一杯になった。
イタリアントマトとフルーツトマト、ミニトマトと一本ずつある。
今年初めて作ってみた。
イタリアントマトは輸入物の缶詰そのままの形をしていて面白い。

皮が硬くておいしそうには見えなかったが、
皮をむいて食べるとなかなか美味だ。
結構たくさんなっている。
フルーツトマトは酢っぱ味がなく、かといって甘くもない。
色は真っ赤できれいだけどなる数が少ない。
ミニトマトは細長の小さいものでこれは美味い。

本当は暑い太陽がさんさんと照りつけると、
まだうまみが増すのだろうが・・・。
今が一番の盛りなのに、今年は雨が多くて残念だ。
ナスもトマトも一度にたくさん収穫しなくてはならない。
その時が真っ盛りというのだろうけど、
そんなときは少しだけど近所におすそ分けが出来る。

まだ少しは生っているが、もうウラナリになって味も落ちる。
それでも台風に倒されないように、支柱に枝をしっかり固定した。
ナスも終わりそうなので、肥料をたしてみた。
少しは元気が出るかと思っているがどうだろう。
真夏になって食べれないのもさびしいから。


台風がくるのかな?

2007-07-11 16:10:03 | 日々のこと
昨日の夕方から今朝にかけて雨が降っている。
今は止んでいるが、またいつ降り出すかわからない。
地盤のゆるい地方はこれ以上降ると、
また、山崩れや道路の陥没もあるかもしれない。

台風4号が3連休を目指してやって来そうな気配だ。
この台風に刺激され、また梅雨前線が活発になったら大変です。
昨年もこの時期に、台風3号が来た。
幸いにも、南シナ海の方にそれて宮崎にはあまり被害はなかった。

最近の雨の降り方は一度にたくさん降る。
いいかげん、梅雨前線は移動して下さいと言いたい。
熊本も鹿児島も水浸し、もう雨はいらない。
道路と川の境も分からないくらい増水している。

水害に遭われた方にはお見舞いを申し上げます。
今度の水害に遭われた方もテレビで見ていると、
高齢者の方が多い。
長年住み慣れた家が壊れたり水に浸かったらなすすべもない。
大自然のことだけに誰にも文句を言っていくところもない。

地球環境の異変が影響しているのでしょうか。
地震や洪水など世界中で起こっている。
2年前の大水害が記憶にあるだけ心配です。
被害のないことを祈るだけしかありません。




昔のラジオ

2007-07-10 14:37:52 | 思い出
7月1日以来、雨の日ばかりで、太陽が恋しい。
高校野球も始まって、気持ちは夏だが梅雨は当分明けそうもない。
きのうの雨で中止となった試合を今日やっていた。
毎年雨が多い地区予選だが、今年も開会式から雨にたたられた。
今は雨も止んでいるが、またいつ降り出すかわからない。

昔、夏の暑い日、ラジオから流れる高校野球の中継に
みんな耳を傾けたものだ。
特に野球もしないのに、父は高校野球の中継だけは聞いていた。
夏休みのちょうど暑いお昼下がり、
みんなで畳の上で昼寝をしながら聞いた。
決勝戦になると、ホームランを打ったり、点が入ったりすると、
パチパチと手をたたく。
地元が出るとなおさら熱が入って来る。

今考えると不思議な感じである。
映像はないのに、耳だけでその試合を想像し、
甲子園に行っているかのように感激する。
アナウンサーの中継も上手だった。

そのころは茶色の箱型で上が丸くなっているもので、
時々博物館などにおいてある。
ラジオは高い棚を作ってそのうえに置かれていたため、
小さい子供はつけることができない。
父も木で作った足上げ(脚立)に乗ってダイヤルを合わせていた。
うまくチューナーできなくて、ピーピー、ガアーガアーと鳴った。

その頃は音質が悪く、時々電力不足だったりで、
時々聞こえなくなる。
そうするとがっかりしてラジオをたたく、するとまた鳴った。
テレビが見れなくなるとたたくのはこの頃のくせからでしょう。

そのころの人気の番組といえば、
「鐘の鳴る丘」緑の丘の赤い屋根とんがり帽子の時計台
の歌で始まった。
夕方6時には遊んでいても走って帰ったものです。
「紅孔雀」「君の名は」などは少し後で映画にもなって見た。
それからまもなくテレビが出て、
ラジオは携帯ラジオやカーラジオに変わった。