寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
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(第3433話) 執念の捜査

2023年01月05日 | 行動

 “足の悪いおふくろが杖を突きながら、おやじと手をつないでいつもの散歩中だった。おふくろが突然の足の痛みを訴え、家まであと少しというところで立ち往生。何人かの方が集まってくれた。おやじが家に戻れば、車椅子があるのだが、九十歳の老夫婦はパニックで、困るばかり。すると、集まってくれていた方のうち、二人の女性が車を出してくれて、家まで送ってくれたとのこと。
 息子としては、感謝しつつお礼に伺うことを考えても、どこの誰かも覚えておらず、電話番号を聞いても、遠慮されたという。「黒色の軽自動車」という記憶だけ。付近を捜しても、月決め駐車場に二、三台あるが、家は特定できず、不義理と思いながら時間が過ぎた。
 痛みは何とか癒えて、散歩は再開。一ヵ月経ってしまったが、おふくろは毎日、菓子折りを持って周辺を聞き込み捜査した。諦めムードが漂った捜査開始から七日目、当日集まってくれていた方のうちの一人の家に当たった。あの女性宅に案内いただき、何と何と、お礼が言えた。
 夜、帰宅したら、その話を嬉しそうに何度も話すおふくろは、心残りが晴れた満面の笑み。感謝の気持ちは伝えてこそ。この年で改めて教わることになった。”(12月13日付け中日新聞)

 愛知県扶桑町の会社員・川添さん(男・57)の投稿文です。「執念の捜査」というタイトルに何事かと思った。それが親切にして貰った人を捜すことであった。嬉しかった、捜し出して何とかお礼を言いたい、これが執念であった。菓子箱を持って歩いたと言われるから、相当な執念である。そして見つけ出し、お礼を言うことができた。心残りが晴れた満面の笑みであったという。
 これを義理堅いというのであろうか、いや義理ではない。本音である。親切にしてもらったり、品物やお金をもらったりすると、返礼を考える。これは日本人の習慣であろう。いい習慣とは思うが、相手はそんな返礼を思ってしている訳ではない。今、妻はお見舞いをもらった返礼をどうしようか、と悩んでいる。ボクは、相手はそんなものを望んでくれたのではないから「有り難うと言って、受け取っておけばいい」と、言っている。これがストレスになることの方がよほど問題だ。ボクは礼に反し、厚かましいのだろうか。


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