寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第2756話) 手紙

2019年03月12日 | 出来事

 ”ポストに、差出人に見覚えのない、母宛ての手紙があった。読んでみて思い当たった。平成十六年、母は骨折して入院していた。同室だった小学生の女の子の顔が浮かんできた。女の子の足には、白い包帯が巻かれていた。飛びっきりの笑顔が印象に残っている。
 手紙にはこうあった。「四年前に大学生になり、社会福祉を学びました。四月に社会人になります。就職が決まり、報告したく手紙を書くことにしました」と。あの女の子の成長した姿が想像され、とてもうれしくなった。母への感謝の言葉に続き「稲葉さんのような大人になります。社会人として頑張っていきます」とあった。
 母が読んだら、どんなに喜んだことだろう。母は平成二十八年に亡くなった。女の子と出会ったときは八十七歳だった。長年、教師をしていた母は、とりわけ子どもが好きだった。四ヵ月の入院生活の中、女の子と出会えたことは、母にとって大きな喜びだったのだろう。きっと、女の子と楽しく会話したのだろう。
 母の仏前に手紙を供えた。写真の母はうれしそうに笑っていた。お手紙ありがとう。社会に羽ばたくあなたに、母は大きなエ-ルを送るでしょう。”(2月19日付け中日新聞)

 三重県津市の主婦・稲葉さん(67)の投稿文です。小学生と87歳の老婆との出会いの話である。出会いは15年前の病室であった。その小学生が大学を卒業し、就職したことを報告してきたのである。投稿文から察するに、この間に交流はなかったようである。この小学生にとってこの老婆との出会いはそれ程に思い出深いものであったのである。こんなこともあるのかと、人生の妙味に全く驚くばかりである。これはやはり稲葉さんのお母さんの素晴らしさ、人柄にあったであろう。幼い子にここまで思わせる姿勢とは何であったろうか。稲葉さんに聞きたいものだ。
 それにしても人の出会いというのは面白いものである。ほんの少しの触れ合いでこのようの発展する場合もあるのである。ボクも今までに出会った人の出会いについて思い出してみる。どんな機会で、その後どのようになったのか。一人ずつ思い出していったら面白いと思うが、キリがない。いつかの楽しみにしたい。
 と書きながら、昨夜、ウォークの大会で出会った人から電話があった。年賀状のやり取りはしてきたが、声を聞くのは30年ぶりである。そして、4月の一宮友歩会の例会で会うことになった。全く面白い。