"ちょっと外から見た日本"

今、スペインに住んでいます。
大好きな日本のこと、
外からの視点で触れて見たいと思います。

“幼児教育には国をつくる力がある”

2011-10-30 21:34:34 | 日記

致知出版社からお送り頂いている「人間力メルマガ」よりです。

(転載開始)

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     致知出版社の「人間力メルマガ」

                【2011/10/30】 致知出版社編集部 発行
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本日は『致知』の人気連載コーナー「致知随想」の中から、
特に反響の多かった記事をセレクトしてご紹介しています。

今回は、現在発行中の『致知』11月号より
SMAPのCDジャケットなどを手掛けたことで知られる
佐藤可士和(かしわ)氏がデザインした
「ふじようちえん」園長の加藤積一氏の随想です。

ぜひ最後までお読みください。


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■「致知随想」ベストセレクション 
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       「幼児教育こそ国をつくる力」
       
       
       
         加藤積一(学校法人みんなのひろば・ふじようちえん園長)

        
               『致知』2011年11月号より
                           
http://ameblo.jp/otegami-fan/day-20111030.html

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「遊びと学びと建物が一体となった
 世界的にユニークな建物」


 このような評価をいただき、昨年、
 私が園長を務めるふじようちえんは
 OECD(経済協力開発機構)が主催する
 学校施設の好事例最優秀賞に選ばれました。

 二〇〇七年に園舎全体をリニューアルした当園は、
 広い芝生の園庭を囲むように建てられた
 ドーナツ型の平屋の園舎に、約六百名の園児たちが
 思い思いに遊んでいます。

 一九七一年に父が始めた幼稚園を私が引き継いだのは
 一九九四年のこと。園舎は次第に老朽化し、
 築三十年を経過した頃から雨漏りもしてきました。

 そのような状況下で、二〇〇四年に
 新潟県中越地震が発生しました。
 そのニュースをテレビで見ていた時、
 「子どもたちに万が一のことがあったら……」
 という不安が私の危機感を煽り、園舎改築を決めたのです。

 さっそく知り合いの建築関係者に設計を依頼したのですが、
 私にはどうしてもしっくりきませんでした。
 私の考えていた「素朴で本物」
 「自然を感じ、自然とともに成長する」という
 コンセプトが感じられなかったのです。
 結局、折り合いがつかず断念しました。

 旧園舎は、武蔵野の面影を色濃く残す豊かな自然に包まれ、
 どことなく懐かしい、あたたかな空気が流れていました。
 そんな雰囲気を気に入ってくださって、
 入園を決める親御さんも多かったのです。
 だからこそ、目に見えない大切な空気を残しつつ、
 これからの時代に子どもたちが育つ環境へ
 より良く変化していきたいという思いが胸の内にありました。


 そんな時、偶然出会ったのが
 ホンダ・ステップワゴンのCMや
 SMAPのCDジャケット等のデザインを手掛けた
 アートディレクターの佐藤可士和さんでした。
 
 可士和さんの、
 
 
 「幼稚園や病院という“デザイン”の概念が
  まだ入っていない世界をデザインしたい」
  
  
 との言葉に、私たちはすぐに意気投合。
 建築家の手塚貴晴・由比ご夫妻の協力もいただき、
 改築プロジェクトは始まりました。


 「子どもは遊びが仕事、遊びが学び」という観点で、
 私が溢れんばかりの想いを伝える。
 それを可士和さんが整理して必要な情報を抽出し、
 手塚さんが形にしていく。
 
 そのように三位一体で進めていった結果、
 「園舎そのものが巨大な遊具」という
 ユニークな園舎が完成しました。

 園舎には子どもが育つための様々な仕掛けが
 施されていますが、中でも皆さんが注目されるのは、
 園舎の屋根の上が円形の運動場になっていることです。

 ある時、可士和さんが旧園舎を眺めながら、


 「あの屋根の上を子どもたちが走ったら気持ちいいでしょうね」
 
 
 と言いました。


 「いや、危なくてそんなことはさせられませんよ」


 と私はすぐに否定したものの、
 よく考えてみると自分の小さな頃は、
 しょっちゅう木登りをしたり、
 近所の家の屋根で遊んだりしたものでした。

 手塚さんは当園のコンセプトを
 「ノスタルジックフューチャー(懐かしい未来)」と
 表現していますが、私が育ってきた昭和四十年代の
 古きよき日本の姿を、安全性を確保した形で
 現代流にアレンジした一例が、「走れる屋根の上」です。

 子どもたちは、この屋根の上で全力疾走をしたり、
 鬼ごっこをするなど、とにかく元気いっぱいに走り回ります。
 一周は約百八十メートル、円形なので行き止まりがありません。
 そこを一日に三十周したという園児もいるほどで、
 三十周では五キロ以上にもなります。
 
 ある大学生が、サッカー教室も行っている
 都内の幼稚園児と当園の子どもたちとの
 一日の運動量・歩数を比較したところ、
 驚くことに当園のほうが三倍も多かったという
 報告もなされています。
 
 大人からの強制も特別な遊具もなく、
 子どもたちが自分の意思で
 これほど走り回りたくなる環境は、
 いまの都会の生活には存在しないのではないでしょうか。
 
 私たちは高度経済成長期以降、便利さを追求し
 オートマティックな社会を築いてきました。
 
 手を出せば水が流れ、部屋に入れば電気がつく。
 自ら身体を動かし筋肉を使わなくとも、
 自動で何でもしてくれる世の中です。

 果たしてそれは本当に便利な社会といえるのか――。
 よく考えてみると、いまの社会は子どもが育つには
 とても「不自由」な環境だと思うのです。
 
 自然の中に身を置き、本物の土や木、水や空気、
 一面に広がる空や風を感じながら、
 石に躓(つまづ)き転んだり、カブトムシを触って噛まれたりする。
 そうした実体験を通して、子どもは育っていくものだと
 私は考えています。

 私たちのミッションは「幸せな未来をつくること」です。
 いまここに通っている子どもたちには
 将来、新しい世界を築いていってほしい。
 幼児教育はそのための土台づくりの場です。
 
 私は常日頃から、
 
 
 「“How to”で生きるより
  “To do”で生きる子どもを育てよう」
 
 
 と話しています。
 
 子どもには、処世の術を教えるよりも、
 自分は何をしたいのかという意志を持たせることが
 大切だと思うのです。

 私は幼児教育には国をつくる力があり、
 世界を形成する力もあると考えています。
 
 いまはまだ小さな力でしかないかもしれませんが、
 ゆくゆくは社会を変革する大きなエネルギーになると信じて、
 子どもたちの育ちに役立つ「道具」のような存在として
 生きていきたいと思います。


■「ふじようちえん」の園舎の様子を
   写真をたくさん交えてご紹介しています。
   ぜひアクセスしてみてください。
⇒ 
http://ameblo.jp/otegami-fan/day-20111030.html

(転載以上)


「ふじようちえん」のことは、以前の日記でも触れさせて頂きました。http://blog.goo.ne.jp/tera-3/e/00a879f198c217561b62b7bd50750f49

 

2004年の新潟県中越地震がきっかけとなって、園舎改築を決められたのですね。

ただ、その改築は、子供たちの安全だけを考えたものではありませんでした。 


「素朴で本物」

「自然を感じ、自然とともに成長する」という コンセプト、素晴らしいと思います。

“目に見えない大切な空気を残しつつ、
 これからの時代に子どもたちが育つ環境へ
 より良く変化していきたいという思い”

その考え方に、佐藤可士和さんの

「幼稚園や病院という“デザイン”の概念が
 まだ入っていない世界をデザインしたい」

というコンセプトがぴったりとはまって動き始まったのですね。

新しいことをするには、コンセプトをしっかり持つことと、だれと一緒にするのか、だれがやるのか、ということが本当に大切なことなのだな、と思います。

“「子どもは遊びが仕事、遊びが学び」”

“「園舎そのものが巨大な遊具」”

 

“「あの屋根の上を子どもたちが走ったら気持ちいいでしょうね」 ”

佐藤さんのアイデアに対する、加藤さんの、
 
“「いや、危なくてそんなことはさせられませんよ」”

このやりとり、臨場感があってなんだかこちらもドキドキします。

もともと地震から子供たちを守りたいという発想から始まった幼稚園の改築ですから、加藤さんの言葉はとてもよく理解出来ます。

しかし、そこから加藤さんは、自分の子供時代を思い出して、考え方を変えられるのですね。

その上で、きちんと安全性を確保した幼稚園をつくることなったわけですね。 

「“How to”で生きるより
  “To do”で生きる子どもを育てよう」

“子どもには、処世の術を教えるよりも、
 自分は何をしたいのかという意志を持たせることが
 大切だと思うのです。”

“私は幼児教育には国をつくる力があり、
 世界を形成する力もあると考えています。”

私は、幼児教育に限らず、あらゆる仕事には世界を形成する力があると思っています。

 
”いまはまだ小さな力でしかないかもしれませんが、
 ゆくゆくは社会を変革する大きなエネルギーになると信じて、
 子どもたちの育ちに役立つ「道具」のような存在として
 生きていきたいと思います。”

子供たちの役立つ「道具」のような存在として生きていきたい、という言葉、

自分を「道具」と言い切ってしまうところに、加藤さんのとてつもない勇気と覚悟を見る思いがします。

 


“光と闇について”

2011-10-30 05:07:27 | 日記

致知出版社よりお送り頂く「偉人たちの一日一言」 よりです。


(転載開始)

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               発行 (株)致知出版社

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 今日の言葉  2011年10月29日(土)
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【光と闇】

光だ
光だ
という人には
いつか光が射してくるし
闇だ
闇だ
という人には
いつまでも闇が続く

   『坂村真民一日一言』より


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(転載以上)


光と闇、なかなか深淵なテーマですね。

確かに、闇ばかりにに焦点を当ててしまうとそれが続くという感じもしますし、光を見つめる人には光が射してくる、という感覚はわかるような気がします。

ただ、闇を無視することは難しいと思うのです。

闇はたいがいの人の心にあると思います。

なので、それをなきものにして見ないようにするのではなく、その存在をちゃんと見つめて、認めるということは大切なことなのではないかと思います。

 

光だけの所にいる人には、自分が光だけの場所にいるとはわからないでしょう。

反対に、闇だけの所にいる人には、自分が闇だけの場所にいるとはわからないでしょう。

闇も光も知っているから、光の喜びを知ること、感じることが出来る。

 

もし、神様がいるとすれば、神様は、光と闇の両方が必要だと考えて、両方を創られたのだと思います。

そこに生きていくことの深みや、面白さがあるのではないでしょうか。


“『一燈照隅』から、『万燈遍照』へ”

2011-10-29 03:48:37 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。

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     致知出版社の「人間力メルマガ」

                【2011/10/28】 致知出版社編集部 発行
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本日ご紹介する新刊は『安岡正篤 活学百言』(安岡正泰・編著)です。
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http://shop.chichi.co.jp/item_detail.command?item_cd=942&category_cd

本書は10万部を突破し、
いまなお、好評を博しているいるロングセラー
『安岡正篤一日一言』(安岡正泰・監)の
続篇的な位置づけとして編集されました。

安岡師の膨大な著作や講演の中から、
特に現代に活かすことのできる
名句・名文百言が並ぶ、珠玉の言葉集です。

    *     * 
    
「どんなに仕事ができても、手柄があっても、それ故に地位を与え、
 禄を与えて人を支配させてはいけない人がある。
 又これといって仕事のできないでも、その地位にその人を据えておれば、
 自然に治まる人がある。
 これを使い分けることが東洋政治哲学の人事行政の根本問題である。
 これが「賞禄有功(しょうろくゆうこう)である」


「人間の言葉で案外確かなものは『酔中の言』だといわれる。
 酔えば理性が麻痺(まひ)するために本当のことをいう。
 しかしそれでは余りに真実で生々しいから、
 約束で酔中の言はとりあげぬことにした。
 古人の粋(いき)なはからいではあるが、
 この酔態の中によくその人物を観ることができるものだ」


「賞禄有効」や「酔中の言」――。
これら日常の行動指針となる100の言葉が収められています。


また、

「『一燈照隅』とは、おのおのが、それぞれ一燈となって、
 一隅を照らす、則ち自分が存在するその片隅を照らすこと。
 (中略)
 聞くだけなら愉快だが、つまらない人間も
 「世界のため、人類のため」などと言います。
 あれは寝言と変わらない。寝言よりももっと悪い。
 なにも内容がない。
 自分自身のためにも、なんて大口きけるか。
 それよりも自分がおるその場を照らす。
 これは絶対に必要なことで、またできることだ。
 真実なことだ。片隅を照らす!
 この一燈が万燈になると、「万燈遍照」になる」
 

といった大局的な物の見方・考え方も説かれ、奥深い内容となっています。


    *     * 


編著者である安岡正泰氏は安岡師のご子息です。
本書では、ご家族だからこそ語れる貴重なエピソードとして
安岡師が戦犯に指名されかかった時の
家庭での鬼気迫る様子も「序」で描かれます。


選び抜かれた100の言葉をコンパクトにまとめた本書は
身近に置いておける座右の書、心の糧の書として、おすすめです。

ぜひ、この機会にご覧ください。


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★厳選100言が人生を潤し、生き方を深める★
『安岡正篤 活学百言』
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● 目次 ●
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第一章 活学
第二章 洗心
第三章 照心
第四章 為政
第五章 百朝集
第六章 風雅
第七章 信條


※『致知』には毎号、あなたの人間力アップに役立つ記事が満載です。
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       ●『致知』11月号 特集テーマ「人生は心一つの置きどころ」
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         ※『致知』は書店では販売しておりません。
    
     
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
(転載以上)


“おのおのが、それぞれ一燈となって、一隅を照らす、則ち自分が存在するその片隅を照らすこと。”
 
『一燈照隅』、いい言葉です。

それなら自分にも出来ると思えます。


安岡さんは、「世界のため、人類のため」という言葉に厳しいです。


“あれは寝言と変わらない。寝言よりももっと悪い。
 なにも内容がない。”

ひえ〜、と思います(笑)。


でも確かにそうかも知れませんね。

「世界のため、人類のため」、本来は、そんなに簡単には使えない言葉なのかも知れません。

良く使っている人は、その行動をちゃんと観察してみた方がいいのかも知れません(笑)。


“それよりも自分がおるその場を照らす。
 これは絶対に必要なことで、またできることだ。
 真実なことだ。片隅を照らす!
 この一燈が万燈になると、「万燈遍照」になる”


『一燈照隅』がたくさん集まって、初めて、『万燈遍照』となる。


今ほど、この言葉が大切な時はないような気がします。


“調和を保つようになるに従って、しっとりと落ち着いてくる”

2011-10-29 03:39:39 | 日記

致知出版社「偉人たちの一日一言」よりです。

(転載開始)
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓

    「偉人たちの一日一言」
 
     〜致知出版社が贈る人生を養う言葉〜
               発行 (株)致知出版社

┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

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 今日の言葉  2011年10月28日(金)
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【静 和】

人物・人間も、呼吸も同じことであって、
人間もいろいろの人格内容・精神内容が
深い統一・調和を保つようになるに従って、
どこかしっとりと落ち着いてくる。

柔らかい中に確(しっか)りとしたものがあって静和になる。
そういう統一・調和が失われてくると鼻息が荒くなるように、
人間そのものが荒くなる。
ガサガサしてくる。

   『安岡正篤一日一言』より


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   特集テーマ「人生は心一つの置きどころ」
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(転載以上)


読んでいるだけで、何か心の底が静まってくるような気がします。

調和が失われてくると、鼻息が荒くなる(笑)だけでなく、人間そのものが荒くなるという感じ、わかりますね。

仕事でも家庭でも、いつの間にかそうなっていないか、自分で意識して確認して見るというのもいいですね。

調和が失われている時は、自分ではなかなか気がつかないもの。

だから、意識して、われに返って見ることが出来るということは、もうその時点で、大きく好転しているということなのでしょうね。


“プアなイノベーションより、優れたイミテーションを”

2011-10-28 03:56:56 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。

(転載開始)
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       致知出版社の「人間力メルマガ」

       【2011/10/27】 致知出版社編集部 発行
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   このメールマガジンでは、
   人間学を学ぶ月刊誌『致知』より
   そのエッセンスの一部をご紹介しています。

       * *

   現在発行中の『致知』11月号では、
   35万部を超えるベストセラーとなった
   『働く君に贈る25の言葉』の著者・
   佐々木常夫氏の20代当時のお話をご紹介しております。
   
   本日はその記事の中から一部をお届けいたします。


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      「プアなイノベーションより、
       優れたイミテーションを」
       
       
        佐々木常夫(東レ経営研究所特別顧問) 
        
              『致知』2011年11月号
               連載「20代をどう生きるか」より
       
http://www.chichi.co.jp/monthly/201111_pickup.html#pick6


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二十代という年代は知識も知恵も不足しているため、
いろいろな回り道をし、時間をロスしてしまいがちです。

ただ、私のように失敗を重ねてきた人間は、
次は失敗をしないようにと心掛けるため、
三十代に入るとそれほど失敗をしなくなります。

そして管理職になって人を使うようになると、
そこで人間は飛躍的に成長していくものだと感じています。

自分自身を振り返って最も成長したと思われるのは
三十代後半から四十代にかけてでしたが、
本当は二十代の時にもっと伸びなければいけないと考えています。

そしてそのためには二十代の時に
どんな人が周りにいたかが重要になってくる。

しかし会社の中では皆、自分自身の仕事に追われているため、
メンターとなってくれるような人はほとんどいません。

従ってその年代には、この人ならと思える人を自ら探しに行き、
私を指導してくださいとお願いをすればよいでしょう。

当時の私が行わなかったのはその点で、
せっかく優秀な人がたくさん周りにいたのだから、
その人たちに教えを請うようにしていれば、
もう少しよい二十代が過ごせたのではないかと反省しています。


また、仕事を早く覚えるための秘訣は、
優れた人のやり方を真似るということです。

尊敬する上司が朝何時に出社するのか、
お客様とどう接しているのか、
どんな電話のかけ方をしているのか、等々。

私はよく


「プアなイノベーションより、優れたイミテーションを」


と述べていますが、一般的な会社の仕事で、
創造性を求められる仕事はほとんどありません。
従って、優れた仕事をしている上司や先輩のやり方を
注意深く観察し、どんどん真似ていけばよいのです。
http://www.chichi.co.jp/monthly/201111_pickup.html#pick6


(転載以上)
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東レグループの佐々木常夫さんのお話は先程も入れさせて頂きました。


“「プアなイノベーションより、優れたイミテーションを」”


なるほどと思う、分かり易い言葉です。


“仕事を早く覚えるための秘訣は、
優れた人のやり方を真似るということです。”


職人さんや、ゴルフなんかのスポーツでもそうですが、昔かたぎの方々は、なかなかやり方を教えてくれません。

でも、そのような方々にこそ、学ぶべき本物の技術、やり方があるのですよね。

だから、よく“ワザを盗め”と言いますよね。



所詮、まだまだ経験も少ない身、やはり自分が、この方は素晴らしいな、こうありたいな、と思う人を見つけて、それをまねていくというのは、どんなことにも共通する最初の一歩なのでしょう。

そうやって人のやり方をまねて一生懸命やっているうちに、少しづつ経験を積み、前進して行って、

ある日、自分だったらこうするのになあ、と思うことが出てくる。

そして、実際にそれをやって見る。

そこまで行ったら、もう、しめたものですね


“成長していく人に共通しているのは「志」があるということ”

2011-10-28 03:42:41 | 日記

「致知一日一言」よりです。


(転載開始)

「致知一日一言」読者の皆様

いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。

ビジネスリーダーたちに自らの20代を振り返っていただき、仕事の心構えや働き方を語っていただく好評連載「20代をどう生きるか」。

『致知』11月号では、著書『働く君に贈る25の言葉』が35万部を超えるベストセラーになっている東レ経営研究所特別顧問・佐々木常夫氏が登場されています。

20代の方はもちろんのこと、20代社員の教育にもお役立ていただいておりますので、皆さまにご紹介します。

 * * *

私はこれまで多くの部下の仕事ぶりを見てきましたが、成長していく人に共通しているのは「志」があるということです。

ところが最近は、その志を持つことのできない若い人が多いように見受けられます。そういう人はどうすればよいのでしょうか。

まずは「自分を大切にしよう」ということです。

自分を大切にするとは、自分を愛するとか、自分が幸せになるということ。

幸せを手にしようとすれば、困難なことにチャレンジするなどして自らの成長を求めなければなりません。

それを怠ってしまう人は、結局のところ原点に立ち返って自分の人生を考えていないということでしょう。

自分を幸せにしようと本気で考えていないから、漫然と時を過ごしてしまう。

そしてそれが楽な生き方だと思い込んでいる人もいるようですが、これはとんでもない誤解です。

そんな生活をしていれば、いずれ人間関係に困り、経済的にも苦しくなる。

己は何者であるか、どういう生き方や働き方をしたいのか、といったことを自分で決めなければいけない。

人生には決意と覚悟というものが必要です。

……さらに詳しくは『致知』11月号92ページで!

☆詳細・お申し込みはHPにて
 ↓ ↓ ↓
http://www.chichi.co.jp/i/index.html

(転載終了)




“成長していく人に共通しているのは「志」があるということです。”

確かに、尊敬できる方、いいなあ、と思う方々を思い浮かべると、ある種共通した雰囲気があって、それは自分なりの「志」を持っている、ということなのかも知れませんね。


では、まだ志を持つことのできていない人はどうすればいいのか。


“まずは「自分を大切にしよう」ということです。”


佐々木さんのその回答に、最初意外な感じがします。


というのは、「志」という言葉には、自分よりも公、自分よりも他の人々に対する使命のようなニュアンスを感じるからです。


しかし、佐々木さんは、“「自分を大切にしよう」”とおっしゃいます。

“自分を大切にするとは、自分を愛するとか、自分が幸せになるということ。”


でも、それは決して自分を甘やかせてしまう、というではありませんでした。


“自分を幸せにしようと本気で考えていないから、漫然と時を過ごしてしまう。

そしてそれが楽な生き方だと思い込んでいる人もいるようですが、これはとんでもない誤解です。”



“幸せを手にしようとすれば、困難なことにチャレンジするなどして自らの成長を求めなければなりません。”


自分を本当に大切にすれば、自分の成長に繋がること、自分の成長に向けてどんどんチャレンジして行くようになるはずだと、ということですね。


“遊ぶ感覚で学ぶということ”

2011-10-27 03:39:38 | 日記

「致知一日一言」よりです。

(転載開始)


「致知一日一言」読者の皆様

いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。

県立校不合格者の受け皿だった神戸の灘中学・高校を、東大合格者数日本一に導いた伝説の国語教師・橋本武氏。

『致知』11月号では、『銀の匙(さじ)』1冊を教材にしたユニークな授業が出来上がるまでのエピソードが紹介されています。

伝説の国語教師が語った教育の要諦とは。

 * * *

自分が生徒だった頃を振り返ってみると、先生に対する親しみはあってもどんな教材でどんな授業だったか、思い出そうとしても浮かんでこない。

自分が苦労して教えていることも、卒業すれば皆消えてしまうんだなぁと思うと、その空しさに耐えられなくなった。

何か、生涯頭に残るような教材で授業をしたい。そう思った時に思い浮かんだのが『銀の匙』でした。

これは
夏目漱石の推奨を受け、長さも教材として扱いやすい。ひ弱な子供が立派な青年に育っていく過程が描かれているから、生徒が作中人物と自分とを重ね合わせて見ていくことができる。

授業は普通、教師が自分で教材を調べていった結果を生徒に注入していくものです。

例えば「ここの章には何も題がついていないが、つけるとすればこんなものがいいだろう」というふうに教師が自分の考えを伝える。

でもそうではなく、自分が考えたことを生徒にも考えさせたらいい。そうすれば、自分が作者になったようなつもりで読むことができるでしょう。

言葉の意味でも、先生の言ったとおりに書かなければならないことはない。

自分がその言葉をどう説明すればよいか、思うように書きなさい。書けなかったら、辞書を引いたり、人に聞いたりすればいい。

要するに「遊び」の感覚ですよ。人が遊んでるのを見ているだけじゃおもしろくない。自分も一緒に仲間になって遊びに加わらせる。

遊ぶ感覚で学ぶということが重要です。

……さらに詳しくは『致知』11月号72ページで!

☆詳細・お申し込みはHPにて
 ↓ ↓ ↓
http://www.chichi.co.jp/i/index.html

(転載以上)




超有名進学校の灘中・灘高が、以前“県立校不合格者の受け皿だった”とは知りませんでした。

その学校を東大合格者数日本一に導いた伝説の国語の先生が橋本武という方だったのですね。


その教え方は大変ユニークであったと同時に、とてもオーソドックスなものだったのだと感じます。


『銀の匙(さじ)』という本1冊を教材にしたということ、とてもユニークですね。

そのやり方がうまく行かなかった時のリスクを背負うことにもなる。

でも、橋本先生は貫かれたのですね。


“生涯頭に残るような教材で授業をしたい”、

“ひ弱な子供が立派な青年に育っていく過程が描かれているから、生徒が作中人物と自分とを重ね合わせて見ていくことができる。”


橋本先生のこうした発想は、“東大合格者数日本一”という実績と、何かミスマッチを感じさせるほどです。


子どもたちの人生のことを一心に考えたからこそ出て来た発想であり、実はそこに、受験にも、子供たちの将来にもつながる普遍的な答えがあったのですね。


ユニークな教材を選んだその動機の中に、実は橋本先生の大変オーソドックスな考え方、基本を大切にされていた姿勢が見えてくるような気がします。


“自分が考えたことを生徒にも考えさせたらいい。そうすれば、自分が作者になったようなつもりで読むことができるでしょう。”

“自分がその言葉をどう説明すればよいか、思うように書きなさい。書けなかったら、辞書を引いたり、人に聞いたりすればいい。”

“人が遊んでるのを見ているだけじゃおもしろくない。自分も一緒に仲間になって遊びに加わらせる。”


私たち親は、子どもたちが“自発的に”勉強をするようにと四苦八苦するわけですが、

“自発的に”という言葉にも上から目線が入ってしまってのかも知れません。


なので、

“自分も一緒に仲間になって遊びに加わる”という感覚、“遊ぶ感覚で学ぶということ”なのですね。


“「四運を一景に競う」”

2011-10-27 03:26:26 | 日記

致知出版社よりお送り頂く「人間力メルマガ」よりです。

(転載開始)
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     致知出版社の「人間力メルマガ」

                【2011/10/26】 致知出版社編集部 発行
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   このメールマガジンでは、
   人間学を学ぶ月刊誌『致知』より
   そのエッセンスの一部をご紹介しています。

       * *

      本日は『致知』2004年9月号より、
      味わい深い法話、エッセイなどでファンの多い
      曹洞宗尼僧・青山俊董氏の
      心に残るお話をご紹介いたします。


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       「四運を一景に競う」
       
       
            青山俊董(曹洞宗尼僧)
        
            『致知』2004年9月号
             特集「恕」より
            

                      ※肩書きは掲載当時です。


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(人生で一番大事だと思うことを
 一つだけ挙げてほしいとお弟子さんに聞かれたら、
 何とお答えになりますか?)


「慈悲」や「恕」以外でなら、
私がよく好んでサインするのは、



「投げられた ところで起きる (こぼうし)かな」



です。起き上がり小法師、つまり達磨さんが
ボーンと投げられたそこがいかなる場所であろうとも、
正念場として起き上がる。


腰を据えてまっすぐ正面を見据える、という意味です。


われわれはだいたい人生がうまくいかないとぐずったり、
うまくいくとのぼせ上がったりして、年中姿勢が崩れます。

しかし、いかなる場所でもぐずらない、
追ったり逃げたりしない、のぼせ上がらない、ダウンしない。
どういう状態であっても、しゃきっと姿勢を正せという意味です。


        * *


同じような意味で、



「四運(しうん)を一景(いっけい)に競う」



という
道元禅師の言葉もあります。

四運というのは、季節で言ったら春夏秋冬。
人生で言ったら生老病死。

人生はいろいろ移り変わっていきます。

愛する日もあれば、憎しみに変わる日もある。
成功する日もあるし、失敗する日もある。
寒風吹きすさぶような中で
じっとしていなければならない日もある。

その時、多くが一喜一憂して、
追ったり逃げたりするわけです。

しかし一景というのは
「同じ姿勢」という意味で、
生も死も健康も病気も愛も憎しみも成功も失敗も、
全部同じ姿勢で受け止めよということですね。

だいたい、人生の移り変わりなんて
一目では見えませんからね。
愛する日は憎む日がくるとは思えない。
健康な日は病気で苦しむ日がくるとは思えませんでしょ。

いかなることが起こっても、そこで姿勢を正す。
人生なんていろいろあったほうが豊かでいいんです。

人生の調度品を揃えるような気で
楽しませてもらいましょうと思っています。



………………………………………………………………………………
今月号の『致知』の特集テーマは
「人生は心一つの置きどころ」。

さまざまな試練や困難と対峙し、
それを人生の豊かな実りとしてこられた方々の
生き方に学びます。
⇒ 
http://www.chichi.co.jp/monthly/201111_index.html

(転載以上)

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“「投げられた ところで起きる (こぼうし)かな」”

いい言葉ですね!


“われわれはだいたい人生がうまくいかないとぐずったり、
うまくいくとのぼせ上がったりして、年中姿勢が崩れます。”

うまくいかなくても、うまくいっても、姿勢が崩れている・・・身につまされます。(笑)


“しかし、いかなる場所でもぐずらない、
追ったり逃げたりしない、のぼせ上がらない、ダウンしない。
どういう状態であっても、しゃきっと姿勢を正せという意味です。”


自分が、今、与えられた場所で、やってみなはれ、ということですね。



“「四運(しうん)を一景(いっけい)に競う」”

素晴らしい言葉ですね!


“生も死も健康も病気も愛も憎しみも成功も失敗も、
全部同じ姿勢で受け止めよということ”

“人生の調度品を揃えるような気で
楽しませてもらいましょう”


いい時と思えるときも、そうでないと思える時も、その体験は自分にとっては全てが調度品、いいですね!


“ギリシャ債務元本削減で欧州61行が資本不足の衝撃”

2011-10-26 03:17:17 | 日記
週刊ダイヤモンドオンライン記事より、
 
“ギリシャ債務元本削減で欧州61行が資本不足の衝撃”です。
 
 
「問題は銀行の資本不足ではない。強制的な増資も必要ない」
欧州当局は、ギリシャのデフォルトや債務元本削減に伴う資本の毀損を懸念して、銀行に増資をすべきと言っていますが、上記はそれに対するドイツ銀行アッカーマンCEOの発言です。
スペイン最大手サンタンデール銀行のボティン会長も同様の発言をしています。
まあ、確かにドイツ銀行やサンタンデール銀行にはまだ余裕があるかも知れません。
しかし、多くの銀行にとっては、やはり欧州当局の言うように厳しい状況になると思います。
先日、ギリシャやイタリア国債を大量に保有するフランス・ベルギー系金融大手のデクシアが、経営破綻による国営化第一号の金融機関となりました。
 
資本注入の件では、日本でも以前似たことがありました。
バブル崩壊後、公的資金で、銀行に資本注入した時のことです。
やはり、大手行は、お金は要らない、と言いました。
すると、本当は、お金が必要な銀行も、危ない銀行と思われたくないため、お金は要らない、と言わざるをえなくなり、資本注入に手を上げませんでした。
困った政府は、最終的に全行に強制的に資本注入しました。
 
そもそも今の環境下で増資が出来る欧州の銀行の数はごく限られるでしょう。
すると、いづれは強制注入ということになるのではなかと思います。
歴史は繰り返す、ですね。
 
ただ、今回の欧州と当時の日本には大きな違いがあります。
当時の日本ではまだ金融機関に対する財政支援の余裕があったのに対して、今の欧州では、政府支出に余裕のある国が大変少ないということです。
比較的余裕のあるドイツやフランスについても、他国への財政支援に対する国民感情がどんどん厳しくなっていますし、今後もっとお金が出て行くという予想から、フランス国債の格下げ懸念も出て来ています。
ユーロは17カ国もあり、支援の仕組みやその金額を変える時には全ての参加国の承認が必要となります。
財政赤字を膨らませながらも、一国内で完結出来た当時の日本とは、今の欧州は置かれた状況がかなり異なっているのです。
 
7月に実施されたストレステストでは、普通株等質の高い自己資本の比率(コアTier1比率)について、5%を合否判定の基準としていました。
今回は、9%にまで引き上げるとの構想が発表されています。
そのまま適用すると、超優良と言われるドイツ銀行さえ不合格になり、増資が必要だということになってしまう高いハードルです。
なぜ、当局が基準を引き上げようとしているかと言うと、“ギリシャ政府の債務元本削減率の引き上げ問題があるからです。
欧州首脳は債務元本の削減率を21%から、5060%にまで引き上げるかどうかを検討し始めた。ギリシャの再建計画に狂いが生じ始めているからだ
 
そして、その削減率をギリシャ国債の投資家である銀行が受け入れなければ選択的デフォルトは避けられず、過剰な損失を被らせれば貸し渋りにつながり、ひいては実体経済も悪化しかねない状況となっています。
 
こうした副作用を伴うにもかかわらず、それでも欧州が債務元本の削減率引き上げに固執する裏には、「なぜ財政再建の努力をしないギリシャ国民をわれわれの税金で救わなければならないのか」という自国納税者の不満を抱える各国首脳の苦悩がある。
 とりわけギリシャ支援の負担額が大きいドイツは、「金融機関への痛みも伴わなければ、ギリシャ支援を続けることに国民の賛同を得られない」(市場関係者)。ここに、ギリシャ問題の難しさがある。
国民と金融機関の状況との均衡点を見つけるのが大変です。
1023日、欧州首脳会議はEFSFの融資能力のさらなる拡大を実現する具体策に加えて、ギリシャの債務元本の大幅削減、銀行への資本注入の三つの対策を示す模様だ。だが、それぞれが矛盾を抱えており、危機打開の決定打とはなりえない。根本原因であるギリシャの返済能力を高める具体策が求められる
結局、23日の会議では結論が出ず、26日に持ち越しとなりました。
目先は、この会議の動向やそれを受けた投資家の関与割合、また、格付け会社の動向等が注目されます。
ただ、ここで話し合われていることは、あくまでも目先の資金繰りをどうするか、ということです。
経済成長することによって税収を伸ばす、その結果として財政赤字を減らしていくという本質的なものではありません。
それについて今後どうなるのかと自分なりに考えて見ることが、これからの動向を占う重要なポイントになるのではないかと思います。

“禍を福と為すこと”

2011-10-24 06:23:23 | 日記

「致知一日一言」よりです。


(転載開始)

「致知一日一言」読者の皆様

いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。

昇地三郎氏、105歳。日本初の養護学校「しいのみ学園」を設立し、いまも理事長・園長を務める傍ら、講演活動で世界中を飛び回っています。

常人の想像をはるかに越える驚異的なエネルギーはどこから生まれてくるのか。

『致知』11月号では、脳性小児まひの我が子を抱え、障がい児教育に尽力してきた歩みとともに、禍を福と為すための心得を語っていただきました。

 * * *

「禍を試錬と受け止めて前進せよ」の言葉どおり、大切なのは自分の思考を転換し、生き方を変革することです。

降りかかってきた禍を「困った、困った」と逃げ回っていると、どこまでも追い掛けてくる。

それを、試錬と捉えて「来るなら来い」と立ち向かっていけば、禍が逆に幸福の種になるのです。

しいのみ学園でも、園児の親が、

「この子は何も悪いことをしておらんのに、こういう学園に連れてこなけりゃならんのはなぜですか」と涙ながらに訴えてこられることがよくありました。

私はそんな時、「そうじゃありません。昔から“障がい児がいる家は分限者(お金持ち)になる”という言葉もあるほどです。つまり、親がこの子のためにと思って一所懸命働くからですよ。私自身がそうでした」

と励ましの言葉を送ってきました。

いくら愚痴をこぼしても事態が改善するわけではなし、言うだけ野暮というものです。

禍でも不幸でも何でもこい、徹底的に抵抗してやるぞという気概を持てば、人間が一段強くなるのです。

私は自分との決め事で、「愚痴を言わない」「悲しさ、苦しさを踏みつけ、明るい太陽を目指して生きていく」の二つをどんな時も守り通すようにしてきました。

人から見て苦しいと思われるようなことでも、私はその苦しみを踏みつけてその上で踊っている。

これが禍を転じて福と為す、あらゆる禍を踏み台にして次の段階に進むということです。

要するに自分の心一つの置きどころによって、禍は不幸の種にも、幸福への踏み台にもなるのです。

……さらに詳しくは『致知』11月号48ページで!

☆詳細・お申し込みはHPにて
 ↓ ↓ ↓
http://www.chichi.co.jp/i/index.html

(転載以上)


 

「しいのみ学園」は、昇地三郎さんという方が始められたのですね。

その昇地さんは、105歳にして今なお講演活動で世界中を飛び回っていらっしゃる。
そう考えるとその半分にも満たないわたしはまだまだひよっこです。

脳性小児まひの子どもさんを持ち、そのことがきっかけとなって障がい児教育に尽力されて来られたのですね。

“降りかかってきた禍を「困った、困った」と逃げ回っていると、どこまでも追い掛けてくる。
それを、試錬と捉えて「来るなら来い」と立ち向かっていけば、禍が逆に幸福の種になるのです。”

まさに昇地さんが体験し、実践されて来られたことなのですね。

“禍を転じて福と為す”、素晴らしい言葉です。

そして、昇地さんの「禍を試錬と受け止めて前進せよ」という言葉にはさらに強い意思、不屈の精神を感じます。


“いかに運命をひらくか”

2011-10-22 04:11:18 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。

(転載開始)

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     致知出版社の「人間力メルマガ」

                【2011/10/21】 致知出版社編集部 発行
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本日ご紹介する新刊は『安岡正篤 立命への道』(神渡良平・著)です。
→ 
http://shop.chichi.co.jp/item_detail.command?item_cd=940&category_cd


昭和の歴代首相や大企業の経営者たちが
人生の師と仰いだ東洋思想家、安岡正篤師。

本書には安岡師の言葉や著書との出合いから奮起し、
人生を積極的に生きていく人々の感動ドラマが描かれています。

    *     * 

年商173億円にもなる寿司屋チェーン店の社長、
堀地速男(ほりち・はやお)氏もその一人。

当初、売上も上がらず、
利益も少ないことに頭を悩ませていた時、
多くの本を読み、その中に安岡師を見つけ出したといいます。

そして、

「本当に利益を得ようとすれば、
 『いかにすることが“義”か』という
 根本に立ち返らなければならない。
 これは千古(せんこ)易(か)わらぬ事実であり、法則である」

との言葉に出合い、
従業員の人生を預かっている舵取り役であるからには、
もっと学ばなければならないと発憤。

その後も

「本当の偉人、真人というものは、
  名誉や権勢の人の中にはなくて、かえって無名の人の中にある。
 したがって人間は、権勢よりも、もっと本当のもの、
 真実のものを求めて、それで偉くならなければならないのであります」

「牢獄へ入れられても、島流しにあっても悠然(ゆうぜん)として、
 ふだんと変わらないようになるのには、
 よほど自分を作らなければならない。 
 そういう意味では、不遇・逆境というものは
 自己を練る最もいい場所だ。
 心がけがよければ牢獄の中でもずいぶん学問もできる」

といった言葉の数々から人生の哲理、
経営者のあるべき姿を学び続け、
会社を成長、発展させていったストーリーが綴られます。

    *     * 

その他、全篇25話にわたって紡がれる物語と、
安岡師の著作から繙(ひもと)かれる名句、名文の数々が
多数紹介されます。


神渡良平氏も、
「本書が多くの人々の杖、暗夜の灯火となること」
を願ってやまないとおっしゃいます。

戦後、安岡師が焦土と化した日本を前にして

「聖賢の書に立ち返って、
 そこから人生観を確立し、国家を作り直していこう」

と決意したように、国難を迎えたいま、
安岡師が説く東洋の叡智(えいち)に学び、
それを実践していくためには最適の一冊です。

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(転載以上)

この本の著者である神渡良平さんも私が尊敬するお一人です。

中村天風さんの人生やその言葉の力のことを書かれた「宇宙の響き」という本で神渡さんのことを知り、フアンになりました。

神渡さんの本のタイトルにもなっている「一隅を照らす生き方」という言葉も、素晴らしい、そうありたいと思います。


安岡正篤さんは、常に人としての根本原理、王道を説いていらっしゃいます。

そして、その道から全くブレないところが本当に凄いと思います。


“「本当に利益を得ようとすれば、
 『いかにすることが“義”か』という
 根本に立ち返らなければならない。
 これは千古(せんこ)易(か)わらぬ事実であり、法則である」”


“「本当の偉人、真人というものは、
  名誉や権勢の人の中にはなくて、かえって無名の人の中にある。
 したがって人間は、権勢よりも、もっと本当のもの、
 真実のものを求めて、それで偉くならなければならないのであります」”


私自身は、経済、政治や自然環境含めて、これから大きな変動があると思っています。

それは今までの価値観をも変化させるものになるかも知れないと思っています。


しかし、だからこそ、絶対にブレない自分の軸を持っておくことが、今、大切だと思うのです。


“教員の仕事は教壇に立って教えること”

2011-10-21 04:15:15 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。

(転載開始)

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     致知出版社の「人間力メルマガ」

                【2011/10/20】 致知出版社編集部 発行
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   人間力メルマガのベスト記事26本を編集長が選び抜き、
   いま大きな反響を呼んでいる書籍『一流たちの金言』。
   ⇒ 
http://www.chichi.co.jp/book/7_news/book934.html
   
   本日は『一流たちの金言』に収録されている
   26の人間力を高めるエピソードの中でも、
   とりわけ人気の高い、教育者・徳永康起先生の
   お話をご紹介いたします。

 
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          「超凡破格の教育者 徳永康起先生」

       
       
          坂田道信(ハガキ道伝道者)
        
          『一流たちの金言』 〜第5章 教えより〜
           
http://www.chichi.co.jp/book/7_news/book934.html


────────────────────────────────────

徳永先生は熊本県の歴史始まって以来
30代の若さで小学校の校長になられたほど優秀でしたが


「教員の仕事は教壇に立って教えることだ」


と5年で校長を降り、自ら志願して一教員に戻った人でした。


だからどの学校に行っても校長に嫌われるんですね。
自分より実力が上なものだから。


それで2年ごとに学校を出されてしまうんだけど
行く先々で教師たちが一番敬遠している
難しいクラスを受け持って
みんなを勉強好きに変えてしまうんです。


授業の前に児童たちが職員室へ迎えに来て
騎馬戦みたいに先生を担いで
「ワッショイ、ワッショイ」
と教室に連れて行ったというんです。

先生、早く教えてくれって。



先生は昼飯を食べない人でした。


なぜ食べないかというと、終戦直後、
昼の時間になると弁当を持ってこられない子どもたちが
さーっと教室からいなくなる。


それでひょっと校庭を見たら
その子たちが遊んでいたんです。


その時から自分もピタッと昼飯を食べるのを止めて
その子たちと楽しい遊びをして過ごすようになりました。



以来、昼飯はずっと食べない人生を送るんですよ、
晩年になっても。



これは戦前の話ですが

「明日は工作で切り出しナイフを使うから持っておいで」

と言って児童たちを帰したら、次の日の朝、


「先生、昨日買ったばかりのナイフがなくなりました」


という子が現われました。


先生はどの子が盗ったか分かるんですね。


それで全員外に出して遊ばせているうちに
盗ったと思われる子どもの机を見たら
やっぱり持ち主の名前を削り取って布に包んで入っていた。



先生はすぐに学校の裏の文房具屋に走って
同じナイフを買い、盗られた子の机の中に入れておきました。


子どもたちが教室に帰ってきた時


「おい、もう一度ナイフをよく探してごらん」


と言うと


「先生、ありました」


と。

そして


「むやみに人を疑うものじゃないぞ」


と言うんです。


その子は黙って涙を流して先生を見ていたといいます。


       * *


それから時代が流れ、戦時中です。


特攻隊が出陣する時、
みんなお父さん、お母さんに書くのに
たった一通、徳永先生宛の遺書があった。


もちろんナイフを盗った子です。


「先生、ありがとうございました。
 あのナイフ事件以来、徳永先生のような人生を
 送りたいと思うようになりました。
 明日はお国のために飛び立ってきます……」
 
 
という書き出しで始まる遺書を残すんです。



それから、こんな話もあります。


先生が熊本の山間の過疎地の教員をやられていた頃、
両親が分からない子がおったんです。


暴れ者でね、とうとう大変な悪さをやらかした時、
徳永先生は宿直の夜、


「君の精神を叩き直してやる」


と言って、その子をぎゅっと抱いて寝てやるんですよ。 


後に彼は会社経営で成功して
身寄りのない者を引き取って
立派に成長させては世の中に出していました。


「自分のいまがあるのは、小学校4年生の時に
 徳永康起先生に抱いて寝ていただいたのが始まりです。
 先生、いずこにおられましょうか」
 
 
という新聞広告を出して、40年ぶりに再会した
なんていう物語もありました。


この前もハガキ祭で教え子の横田さんという方に
思い出をお話しいただきましたが、
初めから終わりまでずっと泣いているんですよ。


定年退職をされた方だから
もう50年以上も前の思い出ですが
1時間ちょっとの間、ずーっと泣いている。


その方の感性も素晴らしいけど
やはり徳永先生の教育がすごかったんでしょう。

(転載以上)

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“だからどの学校に行っても校長に嫌われるんですね。
自分より実力が上なものだから。”


このような文脈の中で、“徳永さんの実力が上だからと言って徳永さんを嫌う校長先生たち”のことが書いてあると、
なんだかこうした校長先生方がとんでもない方々のように感じます。

でも、本当はどこにでもあることで、ごく普通のことなのだと思います。

気がつかないうちに実は私自身、このようなことをやってしまっていないか、と気になります。


“30代の若さで小学校の校長になられたほど優秀でしたが

「教員の仕事は教壇に立って教えることだ」

と5年で校長を降り、自ら志願して一教員に戻った人でした。”


徳永先生は、回りの反応も覚悟した上で、しかし自分の思いを貫かれたのだと思います。


“授業の前に児童たちが職員室へ迎えに来て
騎馬戦みたいに先生を担いで
「ワッショイ、ワッショイ」
と教室に連れて行ったというんです。”

ほとんどありえない光景ですよね。

いかに徳永先生が生徒から慕われていたかわかります。


“なぜ食べないかというと、終戦直後、
昼の時間になると弁当を持ってこられない子どもたちが
さーっと教室からいなくなる。

それでひょっと校庭を見たら
その子たちが遊んでいたんです。

その時から自分もピタッと昼飯を食べるのを止めて
その子たちと楽しい遊びをして過ごすようになりました。”


先生が昼飯を食べなくなったというエピソード、胸が痛みます。



“「むやみに人を疑うものじゃないぞ」”


徳永先生は、(多分買えなくて)ナイフを取ってしまった子ではなく、反対に取られた子を叱ります。

世の中には、“正しいうそ、つくべきうそ”というものが間違いなくあるのだな、と思います。


そして、その子は、特攻で出陣する直前に徳永先生に遺言を書くのでね。

(ご両親はいなかったのでしょうか。)


“「君の精神を叩き直してやる」

と言って、その子をぎゅっと抱いて寝てやるんですよ。” 


精神を叩き直すのに、これ以上のことが、一体あるでしょうか。


“定年退職をされた方だから
もう50年以上も前の思い出ですが
1時間ちょっとの間、ずーっと泣いている。”


今の日本にも、徳永先生のように、子どもたちのことを考え、子どもたちの心に残る先生が、きら星のごとくたくさんいらっしゃるのだと思います。

そうした方々は、なかなか表に出て来られません。

しかし、そうした先生方は、見えないところでも、ちゃんとご自分の天命を果たしていらっしゃるのだと確信します。

文字通り、明日の日本を創造する方々です。


“自らの言行を省みよ”

2011-10-21 04:02:22 | 日記

致知出版社、「偉人たちの一日一言」よりです。

(転載開始)

┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓

    「偉人たちの一日一言」
 
     〜致知出版社が贈る人生を養う言葉〜
               発行 (株)致知出版社

┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

―――――――――――――――――――――――――
 今日の言葉  2011年10月19日(水)
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【自らの言行を省みよ】

寒暑の節候、稍(やや)暦本(れきほん)と
差錯(ささく)すれば、
人其(そ)の不順を訴(うった)う。

我れの言行、毎(つね)に差錯有れども、
自(みずか)ら咎(とが)むるを知らず。

何ぞ其れ思わざるの甚(はなは)だしき。
   (耋七四)

<訳>
寒さ暑さの季節時候が少しでも暦(こよみ)とずれると、
人は天候の不順を訴えて文句を言う。

しかし、自分の言葉と行動になると、
いつも食い違いがあるけれども、
自ら反省して咎めるということを知らない。
なんと甚だしく考えのないことではないか。

  『佐藤一斎一日一言』より

●好評の「致知一日一言シリーズ」15冊はコチラ
 ⇒ 
http://shop.chichi.co.jp/item_list.command?category_cd=ITINITIITIGEN


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  月刊『致知』最新11月号 
   特集テーマ「人生は心一つの置きどころ」
  ⇒ 
http://www.chichi.co.jp/monthly/201111_index.html

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(転載以上)




江戸時代の儒学者佐藤一斎さんの言葉です。

有名な『言志四録』という40年の歳月をかけて書かれた随想録は、西郷隆盛の終生の愛読書だったそうです。

上記【自らの言行を省みよ】を読んで、思わず笑ってしまいましたが、

思い当たる点多く、身につまされて、すぐに静かになってしまいました。


“あなたの一だけをひたすら書きなさい”

2011-10-20 02:51:11 | 日記

致知出版社よりお送り頂く「人間力メルマガ」よりです。

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     致知出版社の「人間力メルマガ」

                【2011/10/19】 致知出版社編集部 発行
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   このメールマガジンでは、
   人間学を学ぶ月刊誌『致知』より
   そのエッセンスの一部をご紹介しています。

       * *

      本日は『致知』2003年10月号より、
      和紙に自作の詩と絵を描き、心の風景を綴る
      言の葉墨彩画家・ひろはまかずとし氏の
      心に残るお話をご紹介いたします。


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       「あなたの一だけをひたすら書きなさい」
       
       
       
            ひろはまかずとし(言の葉墨彩画家)
        
              『致知』2003年10月号
               特集「人生を支えた言葉」より
            

                      ※肩書きは掲載当時です。


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 実は私は、子どもの頃から字が下手でした。
 普段書く字はもちろん、書道も絵も、
 通知表の評価ではいつも1か2でした。
 
 そういう人間がいま、言の葉墨彩画家として
 たくさんのファンの方々に恵まれ、一定の評価を得ています。
 書家や画家の方から一度も非難を浴びたこともなく、
 むしろそういう人たちの中にも私のファンの方がいます。
 
 この事実は、とても大きな教訓を含んでいると思うのです。



 中学時代のある日のことでした。
 
 国語の先生がお休みで、代わりに教頭先生が
 授業を受け持ってくださったことがありました。
 
 教頭先生は「きょうは習字をやろう」とおっしゃり、
 字の嫌いな私が憂鬱な思いを抱いていると、
 教頭先生は半紙を一人二十枚ずつ配り、
 
 
「横棒の一だけを書きなさい。
  一に決まりはないから、何も考えずに
  あなたの一だけをひたすら書きなさい」


 とおっしゃったのです。
 
 教頭先生は黙々と書き続けている生徒の周りを回り、
 各々の字を褒めては頭を撫でてくださいました。
 私はその時間中に三十回くらい頭を撫でられました。
 
 文字で褒められたことのない人間が、
 一という文字を書いただけで褒められた。
 私にとっては、目から鱗が落ちるような嬉しい体験でした。
 
 教頭先生は授業の終わりにこうおっしゃいました。
 
 
「文字はすべて、この一の組み合わせなんだよ。
 だから、素晴らしい一を書ける人間に
 素晴らしい字が書けないわけがない。
 
 書けないのは、格好いい字を書こうとか、
 見本通りに書こうと思うからで、
 一本一本思いを込め、愛を込めて書くだけで、
 自分にしか書けない素晴らしい字が出来上がる。
 
 このことは、人間の生活すべてに
 当てはまることなんだよ」
 
 
 その教頭先生の言葉がいまの私の創作活動、
 そして人生を支え続けてくれているといっても過言ではありません。

(転載以上)
 
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字が下手で、“普段書く字はもちろん、書道も絵も、通知表の評価ではいつも1か2”だったひろはまさん。

“そういう人間がいま、言の葉墨彩画家としてたくさんのファンの方々に恵まれ、一定の評価を得ている”こと。


ひろはまさんの人生は、中学生の時に受けた、このたった1コマの授業で変わったのですね。


教頭先生から“三十回くらい”(笑)、頭を撫でてもらったひろはまさん、


“文字で褒められたことのない人間が、
 一という文字を書いただけで褒められた。
 私にとっては、目から鱗が落ちるような嬉しい体験でした。”


人を教えることの難しさ、そしてとてつもない素晴らしさを感じます。


“文字はすべて、この一の組み合わせなんだよ。
 だから、素晴らしい一を書ける人間に
 素晴らしい字が書けないわけがない。
 
 書けないのは、格好いい字を書こうとか、
 見本通りに書こうと思うからで、
 一本一本思いを込め、愛を込めて書くだけで、
 自分にしか書けない素晴らしい字が出来上がる。
 
 このことは、人間の生活すべてに
 当てはまることなんだよ”



たった横棒一本の“一”。

それを人の生き方にまで広げて教える教頭先生。


たった一人でも、その方の人生が好転する手助けが出来ること、これにまさる喜びはないでしょう。

それはまた、まだ中学生だったひろはまさんが、教頭先生の言葉や行動を、自分の胸でしっかりと受けとったからこその奇跡でもありますね。


“人生は心一つの置きどころ”

2011-10-19 03:30:30 | 日記

致知出版社よりお送り頂いている「人間力メルマガ」よりです。

(転載開始)
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     致知出版社の「人間力メルマガ」

                【2011/10/18】 致知出版社編集部 発行
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   このメールマガジンでは、
   人間学を学ぶ月刊誌『致知』より
   そのエッセンスの一部をご紹介しています。

       * *

   現在発行中の『致知』11月号では、
   一代で一兆円企業を築き上げた京セラ・稲盛和夫氏を、
   創業メンバーの一人として支え続けてきた伊藤謙介氏の
   インタビュー記事が掲載されています。

   本日はその中から、伊藤氏が語られた
   ご自身の経営観をご紹介いたします。


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        「心の中に佐渡島をつくれ」
       
       
            伊藤謙介(京セラ相談役) 
        
            『致知』2011年11月号
             特集「人生は心一つの置きどころ」より
       
http://www.chichi.co.jp/monthly/201111_pickup.html#pick2


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若い人ばかりでなく、自身の戒めとしても
拳拳服膺してきた言葉に、



「我一心なり」



というものがあります。

心を一つに定め、よそ見をするなということです。
ある女子プロゴルファーが話していて感銘を受け、
心に刻んだ言葉です。

若い頃は隣の芝生が青く見えるものですが、
一度思い定めたら、誰がなんと言おうと
二心なく貫いていくことが大事です。

これはきょうのテーマである
「人生は心一つの置きどころ」という言葉にも繋がると思います。
各々が一つのことをひたすら一所懸命やっていく。

そういう心を一つに集約したものが企業であり、
企業の業績に結実するとともに、
そうやって仕事に打ち込むことは、
自分自身のためにもなるのです。


その決意を固めるために私は常々



「心の中に佐渡島をつくれ」



とも言っています。


社長になった頃、仕事で新潟に行った時に
佐渡島まで足を伸ばしたのです。

流刑の地として有名な佐渡島には、
たくさんの人々が流されましたが、
能の世阿弥も流されていたということを
その時初めて知りました。

世阿弥は佐渡島という逃げ場のない場所で
何年にもわたり極限の暮らしを余儀なくされました。

勝手な想像ですが、世阿弥にとって
あの佐渡島での流刑生活があったからこそ、
能楽を世界的な文化に高めるほどの
思想的な深みを得たのではないかと思うのです。

我々は目標を設定しても、
必ずしも思い通りにいくとは限りません。

そうなるとエクスキューズ(言い訳)が
出てしまいがちですが、それを自分に許してはならない。

世阿弥が逃げ場のない佐渡の流刑生活を経て
能楽を大成したように、心の中で絶対に
後には引かない決意をしなければなりません。

それによって自分を高められ、
厳しい目標も達成できるのです。


そのためにも、



「井の中の蛙大海を知らず」



という言葉がありますが、これに



「されど天の深さを知る」



と付け加えなければなりません。


大海を知らなくてもいい。
自分の持ち場を一所懸命掘り込んでいくことで、
すべてに通ずる真理に達することができるのです。

西郷南洲や大久保利通が、
情報のない時代に天下国家のみならず、
世界情勢までも知り得たのは、
やはり自分のいる場所を
とことん深掘りしていったからだと思います。

一芸を極めた芸術家が語る言葉に
万鈞の重みがあるように、
我々も自分の仕事に打ち込むことで
天の深さを知るのです。

(転載以上)
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京セラ相談役 伊藤謙介さんのお話、先日も触れさせて頂きました。
http://blog.goo.ne.jp/tera-3/e/c77813eac58c88d2e05e379a9e3670da


“井の中の蛙大海を知らず 

 されど天の深さを知る”


あっ!と思う逆転発想ですね。


「我一心なり」


“ある女子プロゴルファー”とは、どなただったのでしょう。

上の言葉、“天の深さを知る”に繋がりますね。


それにしても、佐渡島に行って、世阿弥もそこに流されていたということを知り、

“世阿弥にとって
あの佐渡島での流刑生活があったからこそ、
能楽を世界的な文化に高めるほどの
思想的な深みを得たのではないかと思うのです。”

と考えるとは、素晴らしい想像力だと思いますし、

日々真剣に取り組んでいらっしゃることの証明なのだと思います。


“大海を知らなくてもいい。
自分の持ち場を一所懸命掘り込んでいくことで、
すべてに通ずる真理に達することができるのです。”