致知出版社からお送り頂いている「人間力メルマガ」よりです。
(転載開始)
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致知出版社の「人間力メルマガ」
【2011/10/30】 致知出版社編集部 発行
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本日は『致知』の人気連載コーナー「致知随想」の中から、
特に反響の多かった記事をセレクトしてご紹介しています。
今回は、現在発行中の『致知』11月号より
SMAPのCDジャケットなどを手掛けたことで知られる
佐藤可士和(かしわ)氏がデザインした
「ふじようちえん」園長の加藤積一氏の随想です。
ぜひ最後までお読みください。
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■「致知随想」ベストセレクション
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「幼児教育こそ国をつくる力」
加藤積一(学校法人みんなのひろば・ふじようちえん園長)
『致知』2011年11月号より
http://ameblo.jp/otegami-fan/day-20111030.html
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「遊びと学びと建物が一体となった
世界的にユニークな建物」
このような評価をいただき、昨年、
私が園長を務めるふじようちえんは
OECD(経済協力開発機構)が主催する
学校施設の好事例最優秀賞に選ばれました。
二〇〇七年に園舎全体をリニューアルした当園は、
広い芝生の園庭を囲むように建てられた
ドーナツ型の平屋の園舎に、約六百名の園児たちが
思い思いに遊んでいます。
一九七一年に父が始めた幼稚園を私が引き継いだのは
一九九四年のこと。園舎は次第に老朽化し、
築三十年を経過した頃から雨漏りもしてきました。
そのような状況下で、二〇〇四年に
新潟県中越地震が発生しました。
そのニュースをテレビで見ていた時、
「子どもたちに万が一のことがあったら……」
という不安が私の危機感を煽り、園舎改築を決めたのです。
さっそく知り合いの建築関係者に設計を依頼したのですが、
私にはどうしてもしっくりきませんでした。
私の考えていた「素朴で本物」
「自然を感じ、自然とともに成長する」という
コンセプトが感じられなかったのです。
結局、折り合いがつかず断念しました。
旧園舎は、武蔵野の面影を色濃く残す豊かな自然に包まれ、
どことなく懐かしい、あたたかな空気が流れていました。
そんな雰囲気を気に入ってくださって、
入園を決める親御さんも多かったのです。
だからこそ、目に見えない大切な空気を残しつつ、
これからの時代に子どもたちが育つ環境へ
より良く変化していきたいという思いが胸の内にありました。
そんな時、偶然出会ったのが
ホンダ・ステップワゴンのCMや
SMAPのCDジャケット等のデザインを手掛けた
アートディレクターの佐藤可士和さんでした。
可士和さんの、
「幼稚園や病院という“デザイン”の概念が
まだ入っていない世界をデザインしたい」
との言葉に、私たちはすぐに意気投合。
建築家の手塚貴晴・由比ご夫妻の協力もいただき、
改築プロジェクトは始まりました。
「子どもは遊びが仕事、遊びが学び」という観点で、
私が溢れんばかりの想いを伝える。
それを可士和さんが整理して必要な情報を抽出し、
手塚さんが形にしていく。
そのように三位一体で進めていった結果、
「園舎そのものが巨大な遊具」という
ユニークな園舎が完成しました。
園舎には子どもが育つための様々な仕掛けが
施されていますが、中でも皆さんが注目されるのは、
園舎の屋根の上が円形の運動場になっていることです。
ある時、可士和さんが旧園舎を眺めながら、
「あの屋根の上を子どもたちが走ったら気持ちいいでしょうね」
と言いました。
「いや、危なくてそんなことはさせられませんよ」
と私はすぐに否定したものの、
よく考えてみると自分の小さな頃は、
しょっちゅう木登りをしたり、
近所の家の屋根で遊んだりしたものでした。
手塚さんは当園のコンセプトを
「ノスタルジックフューチャー(懐かしい未来)」と
表現していますが、私が育ってきた昭和四十年代の
古きよき日本の姿を、安全性を確保した形で
現代流にアレンジした一例が、「走れる屋根の上」です。
子どもたちは、この屋根の上で全力疾走をしたり、
鬼ごっこをするなど、とにかく元気いっぱいに走り回ります。
一周は約百八十メートル、円形なので行き止まりがありません。
そこを一日に三十周したという園児もいるほどで、
三十周では五キロ以上にもなります。
ある大学生が、サッカー教室も行っている
都内の幼稚園児と当園の子どもたちとの
一日の運動量・歩数を比較したところ、
驚くことに当園のほうが三倍も多かったという
報告もなされています。
大人からの強制も特別な遊具もなく、
子どもたちが自分の意思で
これほど走り回りたくなる環境は、
いまの都会の生活には存在しないのではないでしょうか。
私たちは高度経済成長期以降、便利さを追求し
オートマティックな社会を築いてきました。
手を出せば水が流れ、部屋に入れば電気がつく。
自ら身体を動かし筋肉を使わなくとも、
自動で何でもしてくれる世の中です。
果たしてそれは本当に便利な社会といえるのか――。
よく考えてみると、いまの社会は子どもが育つには
とても「不自由」な環境だと思うのです。
自然の中に身を置き、本物の土や木、水や空気、
一面に広がる空や風を感じながら、
石に躓(つまづ)き転んだり、カブトムシを触って噛まれたりする。
そうした実体験を通して、子どもは育っていくものだと
私は考えています。
私たちのミッションは「幸せな未来をつくること」です。
いまここに通っている子どもたちには
将来、新しい世界を築いていってほしい。
幼児教育はそのための土台づくりの場です。
私は常日頃から、
「“How to”で生きるより
“To do”で生きる子どもを育てよう」
と話しています。
子どもには、処世の術を教えるよりも、
自分は何をしたいのかという意志を持たせることが
大切だと思うのです。
私は幼児教育には国をつくる力があり、
世界を形成する力もあると考えています。
いまはまだ小さな力でしかないかもしれませんが、
ゆくゆくは社会を変革する大きなエネルギーになると信じて、
子どもたちの育ちに役立つ「道具」のような存在として
生きていきたいと思います。
■「ふじようちえん」の園舎の様子を
写真をたくさん交えてご紹介しています。
ぜひアクセスしてみてください。
⇒ http://ameblo.jp/otegami-fan/day-20111030.html
(転載以上)
「ふじようちえん」のことは、以前の日記でも触れさせて頂きました。http://blog.goo.ne.jp/tera-3/e/00a879f198c217561b62b7bd50750f49
2004年の新潟県中越地震がきっかけとなって、園舎改築を決められたのですね。
ただ、その改築は、子供たちの安全だけを考えたものではありませんでした。
「素朴で本物」
「自然を感じ、自然とともに成長する」という コンセプト、素晴らしいと思います。
“目に見えない大切な空気を残しつつ、
これからの時代に子どもたちが育つ環境へ
より良く変化していきたいという思い”
その考え方に、佐藤可士和さんの
「幼稚園や病院という“デザイン”の概念が
まだ入っていない世界をデザインしたい」
というコンセプトがぴったりとはまって動き始まったのですね。
新しいことをするには、コンセプトをしっかり持つことと、だれと一緒にするのか、だれがやるのか、ということが本当に大切なことなのだな、と思います。
“「子どもは遊びが仕事、遊びが学び」”
“「園舎そのものが巨大な遊具」”
“「あの屋根の上を子どもたちが走ったら気持ちいいでしょうね」 ”
佐藤さんのアイデアに対する、加藤さんの、
“「いや、危なくてそんなことはさせられませんよ」”
このやりとり、臨場感があってなんだかこちらもドキドキします。
もともと地震から子供たちを守りたいという発想から始まった幼稚園の改築ですから、加藤さんの言葉はとてもよく理解出来ます。
しかし、そこから加藤さんは、自分の子供時代を思い出して、考え方を変えられるのですね。
その上で、きちんと安全性を確保した幼稚園をつくることなったわけですね。
「“How to”で生きるより
“To do”で生きる子どもを育てよう」
“子どもには、処世の術を教えるよりも、
自分は何をしたいのかという意志を持たせることが
大切だと思うのです。”
“私は幼児教育には国をつくる力があり、
世界を形成する力もあると考えています。”
私は、幼児教育に限らず、あらゆる仕事には世界を形成する力があると思っています。
”いまはまだ小さな力でしかないかもしれませんが、
ゆくゆくは社会を変革する大きなエネルギーになると信じて、
子どもたちの育ちに役立つ「道具」のような存在として
生きていきたいと思います。”
子供たちの役立つ「道具」のような存在として生きていきたい、という言葉、
自分を「道具」と言い切ってしまうところに、加藤さんのとてつもない勇気と覚悟を見る思いがします。