平井憲夫さんという方がいらっしゃいます、いえ、いらっしゃいました。
1997年に亡くなられた方です。
原発について残されたたくさんの言葉、今、そのブログが、多くの方々に閲覧されているようです。
“原発がどんなものか知って欲しい。
(http://www.iam-t.jp/HIRAI/index.html#about)”
平井さんの略歴です。
“1997年1月逝去。1級プラント配管技能士、原発事故調査国民会議顧問、原発被曝労働者救済センター代表、北陸電力能登(現・志賀)原発差し止め裁判原告特別補佐人、東北電力女川原発差し止め裁判原告特別補佐人、福島第2原発3号機運転差し止め訴訟原告証人。”
「原発被曝労働者救済センター」は後継者がなく、閉鎖されたそうです。
平井さんの言葉は、実際の体験に基づくものだけに、深く考えさせられます。
以下一部を転記させて頂きます。
“最後に、私自身が大変ショックを受けた話ですが、北海道の泊原発の隣の共和町で、教職員組合主催の講演をしていた時のお話をします。どこへ行っても、必ずこのお話はしています。あとの話は全部忘れてくださっても結構ですが、この話だけはぜひ覚えておいてください。
その講演会は夜の集まりでしたが、父母と教職員が半々くらいで、およそ三百人くらいの人が来ていました。その中には中学生や高校生もいました。原発は今の大人の問題ではない、私たち子どもの問題だからと聞きに来ていたのです。
話が一通り終わったので、私が質問はありませんかというと、中学二年の女の子が泣きながら手を挙げて、こういうことを言いました。
「今夜この会場に集まっている大人たちは、大ウソつきのええかっこしばっかりだ。私はその顔を見に来たんだ。どんな顔をして来ているのかと。今の大人たち、特にここにいる大人たちは農薬問題、ゴルフ場問題、原発問題、何かと言えば子どもたちのためにと言って、運動するふりばかりしている。
私は泊原発のすぐ近くの共和町に住んで、二四時間被曝している。原子力発電所の周辺、イギリスのセラフィールドで白血病の子どもが生まれる確率が高いというのは、本を読んで知っている。
私も女の子です。年頃になったら結婚もするでしょう。私、子ども生んでも大丈夫なんですか?」と、泣きながら三百人の大人たちに聞いているのです。でも、誰も答えてあげられない。
「原発がそんなに大変なものなら、今頃でなくて、なぜ最初に造るときに一生懸命反対してくれなかったのか。まして、ここに来ている大人たちは、二号機も造らせたじゃないのか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ」と。
ちょうど、泊原発の二号機が試運転に入った時だったんです。
「何で、今になってこういう集会しているのか分からない。私が大人で子どもがいたら、命懸けで体を張ってでも原発を止めている」と言う。
「二基目が出来て、今までの倍私は放射能を浴びている。でも私は北海道から逃げない」って、泣きながら訴えました。
私が「そういう悩みをお母さんや先生に話したことがあるの」と聞きましたら、「この会場には先生やお母さんも来ている、でも、話したことはない」と言います。
「女の子同志ではいつもその話をしている。結婚もできない、子どもも産めない」って。
担任の先生たちも、今の生徒たちがそういう悩みを抱えていることを少しも知らなかったそうです。
これは決して、原子力防災の八キロとか十キロの問題ではない、五十キロ、一〇〇キロ圏でそういうことがいっぱい起きているのです。そういう悩みを今の中学生、高校生が持っていることを絶えず知っていてほしいのです。 ”
子供たちは、大人のウソを見抜いています。
そしてそのウソは、これからどんどん表に出てくるでしょう。
表に出て来て本当のことがわかったとき、あなたはどうしますか?
そのことが、今、私たち一人一人に問われているのだと思います。
“大切な子供、その子供たちの命と、今の便利さのどちらを選択するか。”
比較すること自体、おかしいようにも思えます。
今、出来ることをやって行きたいと思います。
■原発反対署名を集めているHPです。
オンライン署名「枝野さん、安全な電気がほしいです」
http://www.greenpeace.org/japan/ja/form/edano3/
浜岡原発反対署名フォーム
http://www.plumfield9905.jp/hamaoka/form/form.php
上関原発反対!あなたの声を届けよう!
http://www.antinuke.net/kaminoseki/
原子力委員会が意見を募集しています。
http://www.aec.go.jp/jicst/NC/tyoki/tyoki_oubo.htm
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1997年に亡くなられた方です。
原発について残されたたくさんの言葉、今、そのブログが、多くの方々に閲覧されているようです。
“原発がどんなものか知って欲しい。
(http://www.iam-t.jp/HIRAI/index.html#about)”
平井さんの略歴です。
“1997年1月逝去。1級プラント配管技能士、原発事故調査国民会議顧問、原発被曝労働者救済センター代表、北陸電力能登(現・志賀)原発差し止め裁判原告特別補佐人、東北電力女川原発差し止め裁判原告特別補佐人、福島第2原発3号機運転差し止め訴訟原告証人。”
「原発被曝労働者救済センター」は後継者がなく、閉鎖されたそうです。
平井さんの言葉は、実際の体験に基づくものだけに、深く考えさせられます。
以下一部を転記させて頂きます。
“最後に、私自身が大変ショックを受けた話ですが、北海道の泊原発の隣の共和町で、教職員組合主催の講演をしていた時のお話をします。どこへ行っても、必ずこのお話はしています。あとの話は全部忘れてくださっても結構ですが、この話だけはぜひ覚えておいてください。
その講演会は夜の集まりでしたが、父母と教職員が半々くらいで、およそ三百人くらいの人が来ていました。その中には中学生や高校生もいました。原発は今の大人の問題ではない、私たち子どもの問題だからと聞きに来ていたのです。
話が一通り終わったので、私が質問はありませんかというと、中学二年の女の子が泣きながら手を挙げて、こういうことを言いました。
「今夜この会場に集まっている大人たちは、大ウソつきのええかっこしばっかりだ。私はその顔を見に来たんだ。どんな顔をして来ているのかと。今の大人たち、特にここにいる大人たちは農薬問題、ゴルフ場問題、原発問題、何かと言えば子どもたちのためにと言って、運動するふりばかりしている。
私は泊原発のすぐ近くの共和町に住んで、二四時間被曝している。原子力発電所の周辺、イギリスのセラフィールドで白血病の子どもが生まれる確率が高いというのは、本を読んで知っている。
私も女の子です。年頃になったら結婚もするでしょう。私、子ども生んでも大丈夫なんですか?」と、泣きながら三百人の大人たちに聞いているのです。でも、誰も答えてあげられない。
「原発がそんなに大変なものなら、今頃でなくて、なぜ最初に造るときに一生懸命反対してくれなかったのか。まして、ここに来ている大人たちは、二号機も造らせたじゃないのか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ」と。
ちょうど、泊原発の二号機が試運転に入った時だったんです。
「何で、今になってこういう集会しているのか分からない。私が大人で子どもがいたら、命懸けで体を張ってでも原発を止めている」と言う。
「二基目が出来て、今までの倍私は放射能を浴びている。でも私は北海道から逃げない」って、泣きながら訴えました。
私が「そういう悩みをお母さんや先生に話したことがあるの」と聞きましたら、「この会場には先生やお母さんも来ている、でも、話したことはない」と言います。
「女の子同志ではいつもその話をしている。結婚もできない、子どもも産めない」って。
担任の先生たちも、今の生徒たちがそういう悩みを抱えていることを少しも知らなかったそうです。
これは決して、原子力防災の八キロとか十キロの問題ではない、五十キロ、一〇〇キロ圏でそういうことがいっぱい起きているのです。そういう悩みを今の中学生、高校生が持っていることを絶えず知っていてほしいのです。 ”
子供たちは、大人のウソを見抜いています。
そしてそのウソは、これからどんどん表に出てくるでしょう。
表に出て来て本当のことがわかったとき、あなたはどうしますか?
そのことが、今、私たち一人一人に問われているのだと思います。
“大切な子供、その子供たちの命と、今の便利さのどちらを選択するか。”
比較すること自体、おかしいようにも思えます。
今、出来ることをやって行きたいと思います。
■原発反対署名を集めているHPです。
オンライン署名「枝野さん、安全な電気がほしいです」
http://www.greenpeace.org/japan/ja/form/edano3/
浜岡原発反対署名フォーム
http://www.plumfield9905.jp/hamaoka/form/form.php
上関原発反対!あなたの声を届けよう!
http://www.antinuke.net/kaminoseki/
原子力委員会が意見を募集しています。
http://www.aec.go.jp/jicst/NC/tyoki/tyoki_oubo.htm
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