『人生と歴史のフレームワーク力』という副題が入っています。
1930年生まれの渡部さんと、1964年生まれの神田さん。
神田さんは、渡部さんの著作について、『知的生産の方法』は“高校生だった私に学問の魅力を教え”、翻訳書『マーフィー眠りながら成功する』は“リストラされた28歳の私に生きる力を吹き込んでくれた”とおっしゃっています。
神田さんは、“歴史から学べる教訓のひとつは、社会体制は一夜にして変わるということである”と言います。
そして、“「歴史」と「成功法則」”とは一見関係ないように思えるが、現在のような転換期には、歴史の変革を見抜く力こそが、社会的成功に直結する。”と説明します。
神田さんの“70年で一巡する歴史サイクル”の考え方はユニークです。
70年を「志」「能」「公」「商」というそれぞれ17.5年の4つの期間に分けます。
「志」:志ある人が出てくる時期。思想家や企業家が登場してサイクルを回し始める。(1945年~敗戦 本田宗一郎さん、井深大さん)
「能」:実務能力に長けた人が登場して、前の時期の思想家や企業家のビジョンを実現していく。(1962、3年~新幹線開通、東京オリンピック、中内功さん、伊藤雅俊さん、和田一夫さん)
「公」:そうして出来上がった環境をよりよくしていくために、官僚的なスキルを持った人たちが主流となる時代。(1980年前後~経営企画や広告戦略等のスキルを持った人たちの活躍。大前研一さん、糸井重里さん)
「商」:官僚的なスキルを持った人たちが活躍したあと、ビジネス感覚を持った人たちがその成果を富として収穫していく。(1997、8年~孫正義さん、三木谷浩史さん)
その一つ前のサイクルは、坂本龍馬等「志」の人たちが活躍した明治維新から敗戦にいたる70年です。
神田さんは、次のサイクルに入る“だいたい2015年あたりからまったく新しい時代に入るだろうと考えています。新たな「志」の時代に突入する。”と。
渡部さんは、前回のサイクルに関して、戦時の“配給制度は社会主義的統制経済のひとつ”と説明します。
神田さんは、今の「子ども手当」、「高校無償化」等の民主党の政策も配給制度に近いものと考えます。
戦後日本を決定づけたのは、公職追放であると渡部さんは訴えます。
戦後、公職から追放された人はなんと20万人。松下幸之助さんも含めて、あらゆる分野の要職にある方々がことごとく追放の対象になりました。
今に繋がる弊害はアカデミズムの世界にもあり、多くの教授が公職追放でキャンパスを追われた後、その開いた椅子に、戦前、帝国大学を追われていた「赤い教授」たちが戻って来て、そのまま居座ってしまった、と。
新たな「志能公商」がスタートするにあたっての、神田さんの考え方はユニークです。
“ひとつのサイクルが閉じ、次のサイクルに向うときは通常、「創造のための破壊」が行われるといわれますが、私が考えるイメージは「手放す」というものです。破壊をするというより手放す。
では何を手放すのかといいますと、機能しなくなった価値観です。それを手放すことによって、私たちは新しい価値観に上手にシフトしていくことができるのではないかと思います。”
一方で、「古い真実」を手放して、「新しい真実」が定着していくことは大変難しいことだと、「地動説」の例も使って説明します。
神田さんは、アニメから時代の変遷を説明して行きます。
“いま『新人類ジュニア』と呼ばれている世代は、2033年以降に国を背負っていくような人たちです。いまから20年後あたりの話ですから、それほど遠い将来の話ではありません。彼らは「ポケモン世代」です。”
“かつての仮面ライダーやウルトラマンは必ず敵を設定します。その上で「敵」を木っ端微塵にやっつける。”
“ところが、いまから10年ほど前に登場したウルトラマンガイアは、そうしたゴミ処理問題があるため、怪獣を倒さないで宇宙に返してあげます。”
“それが、「ポケモン世代」になりますと、戦うことはゲームでしかなくなります。もはや自分の外部に「悪」を設定しません。ひとりひとりはぜんぜん違うし、可愛くて、それぞれに進化する、という価値観が出てきます。”
“そうしますと、戦うことはもう価値ではなくなります。男性的に戦ったり、人の上に立って世界を引っ張ったりすることがプラスだった世界から、女性的に調和することが大事なんだという価値観に変わっていく。それが「ポケモン世代」の特徴です。”
そして、この流れは、ポケモンが世界の子供たちに人気があるということを踏まえると、日本だけではない、世界的な趨勢だ、だと説明します。
“「戦い」より「調和」、合言葉は「環境にやさしく」”という考え方です。
渡部さんと神田さんの対話、その論調は世代を超えて共通点がありますが、意見が割れる事もあります。
例えば、日本のアジアとの関係に関することです。
神田さんは、日本の人口がこれからどんどん減っていく中、“「東アジア共同体」という流れはビジネスでは避けて通れない”と考えます。
神田さんの言葉では、“アジア・ユニティ”です。
その為には、政治だけでなく、民間レベル、“草の根レベルで「アジアをひとつにしよう」”という考え方が重要だと。
それに対して渡部さんは、“中国があるかぎり「東アジア共同体」は危険”と反論します。
尖閣諸島、沖縄、東シナ海ガス田の問題、そして、韓国の対馬問題を例にあげ、“わが国が「中華民国」の属国になるのではないかぎり、政府は軽々しく「東アジア共同体」を喋々すべきではない”、と。
それに対して、神田さんは、“国としてはしっかりと国益を守ることが必須ですが、その結果、ビジネスの相互理解を阻害してはなりません。ビジネスパーソンは差異を協調へと変えられるからこそ、富を創出できるのです。”と反論します。
そして、その時、日本人が持っている武器、“「和を以って貴しとなす」というファシリテーション能力”が役に立つと説明します。
“ファシリテーションの原義は、会議やミーティング場で発言を促がしたり話の流れを整理したりして、合意形成や相互理解をサポートする技術です。これをもう少し広げていいますと、【1+1=2】ではなく、【1+1=8】という世界をつくっていこうという技法です。”
日本人は、その分野で高い能力を持っており、そのやり方は、欧米流に現地の人に向って指示、命令をするのではなく、身体を使ってやってみせるということだという考えです。
さて、この本は昨年12月に出版されたものです。
ですので、今回の災害、原発事故が起きる以前のものです。
渡部さんは、日本の活路は「エネルギー大国」になることとしています。
そして、その有力な手段として例に挙げたのが原発でした。
筑波大学をつくり学長にもなられた福田信之さんのコメントを引用して説明しています。
“そのとき先生ははっきりとこういわれました。「高速増殖炉さえできれば、日本のエネルギー問題は100年単位、1000年単位で解決します」と。
ですから、「もんじゅ」以下、次々と高速増殖炉ができれば日本のエネルギー問題はほとんど解消されると信じています。”
原発の件に関して、この本の中では、神田さんは、特に述べていません。
私は、原発のことも神田さんが説く、“一夜にして変わる”価値観の例なのではないかと思います。
この事故が起きる前に、渡部さんの原発についてのコメントを読んでいれば、その印象は今とはかなり異なっていたでしょう。
渡部さんは、日本のエネルギー政策がしっかりとしていれば、中国やロシア等、諸外国から日本を守ることが出来る、と考えていたのでしょう。
私もその通りだと思います。
そして、その有力な選択肢が原発なのだと。
その発言には、渡部さんの日本に対する「志」を感じ、「私」は感じません。
にも拘わらず、この渡部さんの主張には、大きな違和感を感じる今の私がいます。
中国に関して異なる二人の意見。
私自身は、お二方とも正しいと思っています。
特にビジネスの世界では、神田さんの意見を取り入れながら、一方で、政治的には渡部さんのおっしゃるように注意を怠らない、というバランスが大切なのではないかと思います。
今は、新しい時代に向けた大きな過渡期、転換期。
異なる主張があっても、それぞれが正しいということがあってもいいのだと思います。
重要なのは、一人一人が、自らの考えに基づいて、それぞれの役割を果たしていくということなのではないかと思います。