"ちょっと外から見た日本"

今、スペインに住んでいます。
大好きな日本のこと、
外からの視点で触れて見たいと思います。

“ 野村克也氏が初めて人間学を学んだ書”

2011-06-30 04:41:01 | 日記

『到知』、メールマガジンからの転載です。

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     致知出版社の「人間力メルマガ」

                【2011/6/29】 致知出版社編集部 発行
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     楽天イーグルス名誉監督・野村克也氏が
        初めて人間学を学んだ書


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 正直、南海時代は監督というよりは、
 四番でキャッチャーという意識のほうが強かったんですよ。
 
 三十代後半から四十代前半の頃で、
 まだチームを纏め上げる器量もなかったから
 一度も日本一になれなかったし、
 いまの女房とのことをマスコミに叩かれたりもして、
 四十二歳で南海を辞めることになったんです。

 周囲からは「これ以上やっても栄光に傷がつくだけだ」と
 ユニフォームを脱ぐことを勧められましたが、
 自分にはまだ現役でやれるんじゃないかという気持ちもある。
 
 そこで懇意にしていた評論家の草柳大蔵さんに相談しました。


「ボロボロになるまで現役を続けたい気持ちがあります」


 と言うと、


「大いにやるべきです。
 禅に“生涯書生”という言葉があります。
 人間は生涯勉強です」
 
 と言われましてね、
 以来、私の座右の銘は「生涯一捕手」です。


 その後、ロッテ、西武と渡り歩き
 ユニフォームを脱ぎましたが、
 再び草柳さんのところに引退の挨拶に行ったんです。
 
 
 野球解説者として再スタートすることにしたが、
 何を勉強したらいいか、と質問すると
 
 「本をたくさんお読みなさい。
  そして、人間学を学びなさい」
  
 と。そうして最初に推薦してもらったのが、
 安岡正篤さんの『活學』でした。
 

 野球ばっかりしていましたから、それはそれは難解でした。
 ただ、これはもう読破することに意味があると思って、
 辞書を離さず読み通しました。
 
 この時挫折しなかったから、
 その後、本を読む習慣がついたんだと思います。

 草柳さんの教えを守って人間学の本を読んでいったことが、
 監督としての理念のようなものを形成するのに役立ちました。

 それはひと言で言えば


「人間学なき者に指導者の資格なし」ということです。

…………………………………………………………………………………………以上

野村さん、我が道を行く、というイメージがあったのですが、
大切なときにアドバイスを頂く方がいらしたのですね。

それが、評論家の草柳大蔵さんだったということ含めて知りませんでした。

偉大な足跡を残されて来た方には、『師』がいるような気がします。


野村さんが、人間学を学んだという『活學』。
http://www.chichi.co.jp/book/yasuokabookset201106.html


安岡正篤さんの本は、読めば読むほど深みを感じます。


“わくわくする時と「天のチャンネル」”

2011-06-29 07:18:27 | 日記

『致知』(http://www.chichi.co.jp/monthly/201107_pickup.html)からの転載です。
メールでお送り頂いている「人間力メルマガ」から掲載させて頂きます。

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    「わくわくする時と“天のチャンネル”」
       
       
        竹田和平(竹田製菓会長)

        『致知』2005年4月号
         特集「極める」より
                  ※肩書きは掲載当時

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「わくわく」ということを、
 私は次のようにイメージしているんだけれども、
 天はわれわれ一人ひとりに個性、
 言うならば周波数の違うチャンネルを与えている。
 
 そのチャンネルが自分にピッタリ合った時が
 わくわくという状態だと思います。ですから
 
 「俺がやっていることは、本当にわくわくするのか」
 
 とチェックしないといけません。


 そして、そのわくわくは楽しいです。
 楽しんでやっていると、周りが
 「何がそんなに楽しいの」と言って集まってくる。
 
 あれやり、これやりというのではなくて、
 一番わくわくすることを一所懸命やっていると
 奇跡が当たり前のように起こってくるんです。
 
 花咲爺でいえば「ここ掘れわんわん」で
 金がザクザク出てくる、
 そういう不思議現象が起きてくるんですね。
 
 
 別の言い方をしますとね、
 わくわくの反対はひやひやです。
 
 ひやひやというのは不安で、
 それはチャンネルが合っていない証拠なんです。
 
 もちろんわくわくしながらやっていても、
 法律の問題だとか、いろいろな障害にぶつかりますよ。
 そういう時は仕方ないからやめて、次のわくわくを探す。
 そしてそれを育てていけばいいんです。

 わくわくするのは、やはり人のためになるからですよ。
 人のためになっていないと遊びになってしまう。
 仕事は人のためになることだから、飽きはきません。
 遊びは仕事をするための学びだと考えるべきでしょう。

 われわれはすべてのものに生かされている。
 お茶が飲めるのも、こういう部屋があるのも、
 みんな誰かがやったことであって、
 着るものとて自分で作った覚えはない。

 ですから私は皆さんへの奉仕の意味を込めて
 仕事をさせていただいているわけで、
 それがおもしろい。
 
 自分一人のことだけならおもしろみはありません。

────────────────────────────────────以上


“わくわくするかどうか”、というのは、とてもいい判断基準になりますよね。

それは、第三者から見た判断基準よりも、今の自分にとっては正しい、ということになるのでしょう。

回りの方々のアドバイスはきちんと聞きながらも、最終的に決めるのは、自分の心なのですね。

心のそこから、“わくわくするかどうか”。

そこには、もう打算とか自分のエゴはないのでしょう。

自分の使命や役割みたいなものも、“わくわく”の中に内包されているのかも知れませんね。


“今、世界的に難しい政治、経済運営”

2011-06-26 04:47:12 | 日記

米国FRBが、量的緩和の第二段、いわゆるQE2を6月末で打ち切ることになりました。

http://www.nikkei.com/news/editorial/article/g=96958A96889DE1E2EBE6EBE2E1E2E0E6E2E4E0E2E3E38297EAE2E2E2;n=96948D819A938D96E38D8D8D8D8D

ゼロ金利政策は続けるとのことですが、昨年11月から行って来た長期国債の購入を打ち切ることにしたのです。

 

一方で、国際エネルギー機関(IEA)は23日に、米国、日本など加盟国に義務づけている石油備蓄を大量に放出すると発表しまています。

http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-21873320110624

 

この2つのことは、今の経済、金融運営の難しさを象徴しているように思います。

本来、現在の米国の経済動向を考えると、FRBは、引き続き量的緩和“QE3”を続けたいのだと思います。

しかし、今までの緩和措置によって、行き場を失ったお金が商品にむかっている為、商品価格が上昇して来てしまいました。

特に、原油は、中東の不安要因もあり、OPECは、欧米の思い通りに原油を出してくれません。

ですので、需給逼迫もあり、原油価格がどんどん上がってしまう。

 

なので、やむを得ず、緩和措置を解除する一方で、インフレを抑えるために、備蓄の放出を日本を含めた欧米諸国協調で行う、というとになっているのだと思います。

本来、FRBのような中央銀行は、経済の状況を見ながら、自分の思い通りに金融、金利政策を行いたいはずなのです。

しかし、今は、経済の不安があるのに、インフレ懸念があるために、思うような金融政策を取れない状態になっていると思います。

FRBのバーナンキさんは、内心相当ひやひやなのだと思います。

経済が後退することが見えているのに、思うようなことが出来ないのですから。

 

特に、米国の場合、政府債務上限一杯まで、政府が国債を発行しているのに、国会でその上限引き上げのOKがなかなか出ません。

そして今度は、その上限を引き上げた場合に必要になる、国債の買い手としてのFRBが、長期国債の買取をやめると言っているのです。

かなり危機的な状況だと思っています。

にもかかわらず、この件は、ギリシャ問題のように危機感を持ってこちらのニュースで語られていません。

それだけに、私は、アメリカはかなり危ないのではないかと思っています。

このことに関する危機感が、ギリシャ問題のようには共有されていないからです。

(ちなみに、日本では、ギリシャのことさえ、ニュースであまり取り上げられていないように思います。)

 

幸い日本自体は、まだ、デフレです。

ですので、まだ米国よりは金融政策は取りやすいように思いますが、根本的にアメリカと同じ問題を抱えています。

今の、経済、金融政策は、本当に難しいと思います。

 

政治もそうですね。

ギリシャ、アイルランド、ポルトガル、スペインだけでなく、米国も英国も、どの国も、緊縮財政政策を取ろうとしています。

そうしないと、政府債務のファイナンスが出来ないからです。

一方で、国民は、もうこれ以上の緊縮には耐えられないと言っている。

政府は、投資家と国民との間の板ばさみになっています。

両者から、真綿で締められるごとく、合意を取ることがどんどん厳しくなって来ています。

 

政治、経済、金融、政策の自由度が失われ、厳しい局面を予想せざるをえない状況となりつつあるのではないでしょうか。

それは、やはりそれぞれのシステムが、これからの時代に合わない古いものだからでしょう。

ですので、私たちは、古いシステムにとらわれることなく、新しい世界のイメージを作っていかなければいけない時期なのだと思います。

古いシステムの崩壊が本格的に始まるのはもうすぐだと思います。


“想定外について”

2011-06-23 17:35:06 | 日記

『到知』メールマガジンからの転載です。

……………………………………………………………………………………

            “ 山では生死を分ける体験をするわけですから、
             どんなことでも対応できる
             準備や用心をしておく必要があります。

     すべて自己責任において
     最悪を想定しておく必要があります。
 

     最近、「想定外」という言葉をよく耳にしますが、
     厳しい言い方をすれば、
     想定しないこと自体が問題ですし、
     単なる言い訳でしかありません。

     山ならば死を意味します。” 
 

           塩沼亮潤(慈眼寺住職)
            
            
            2011年7月号特集
            「試練を越える」より
    
http://www.chichi.co.jp/monthly/201107_pickup.html#pick1


片道24km、高低差1,300m以上の山道を16時間かけて往復。
1,000日間、9年の歳月をかけて4万8,000kmを歩く大峯千日回峰行。
 
山では生死を分ける体験をするとは、
この極限の行を満行した塩沼亮潤師の体験から来る実感です。
 
 
「大自然の中で修行するということは、
 大自然の懐の中に入っていくことです。
 ですから、生死を分けるような体験を何度もするわけです」
 
 
「その時いつも心に感ずるところは、
 ただただ自分の至らなさを反省する。
 そういうところに、気持ちが行き着くと思うんです」
 
 
この度の震災に伴う原発事故では、
関係者から「想定外」という言葉が何度も発せられ、
その対応ぶりに不信感が集まりました。
 
このことは私たちに、大切な教訓を
与えてくれているともいえます。
 
自分の任務に対して、
初心を忘れ、傲慢、マンネリに陥ることなく、
日々謙虚に、緊張感を失わずに邁進してゆきたいものです。

……………………………………………………………………………………転載終わり

 

『想定外』と考えることは、政府や会社だけでなく、個人も楽なのですよね。

準備段階では、

「この位まで準備しておこう。想定外のことが起きたら仕方がない。」

と考えることが出来ますし、

いざ起こってしまったら、

「想定外のことが起きてしまったから仕方がない。」

と考えることが出来ます。

 

しかし、今の想定外は、死を意味します。

 

今回の津波でも、

「避難場所はここだけど、あそこの高台まで行こう。」とみんなを誘導した子供さん、

そして、

普段から親に、「逃げるときはそれぞれが逃げる。絶対迎えに来ないで。」と言い聞かせていた子供さんのお陰で、家族全員が難を逃れることが出来た例もあります。

これからもこうした場面が出てくることがあるように思えます。


“被災地に響いた歌声”

2011-06-22 21:55:16 | 日記

致知』メールマガジンからの転記です。

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       「被災地に響いた歌声」               

             鈴木秀子(文学博士)     

            『致知』2011年7月号

            「人生を照らす言葉」より            

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……………………………………………………

■地鳴りの中で静かに響いてきた歌声

……………………………………………………

 

 一九九五年の阪神・淡路大震災の時のことです。

 地震発生時、Kさんはまだ布団の中にいました。

 

 突然の激震。あっと思う間もなく家は大きく崩れ、

 同じ部屋に寝ていた奥さんとの間に

 ドーンと何かが崩れ落ちてきて

 夫婦は身動きが取れなくなりました。

 

 Kさんは大きな声で隣にいる奥さんに声を掛けました。

 

 しかし返事はありません。

 

 続いて別の部屋で寝ていた

 幼い二人の子供たちの名前を呼びましたが、

 やはり何の反応もありませんでした。

 

 Kさんは必死になって家族一人ひとりの名前を呼び続けました。

 声を枯らして叫び続けましたが、

 やがて力尽きていくのを感じました。

 

 目の前で起きた出来事の重大さが

 分かってくるにつれて心が茫然となり、

 声を出そうという気力すら失せていったのです。

 

 やがて気を取り直したKさんは、

 再び気力を奮い起こして、何度も何度も

 傍にいるはずの奥さんの名前を呼びました。

 

 それでも、反応はありません。

  

「やはり駄目だったか」

 

 

 Kさんは心の中で呟きました。 

  

 どのくらい時間がたったのでしょう。

 

 諦めかけたKさんの耳に入ってきたものがありました。

 

 余震の地鳴りの音にかき消されて

 はっきりは聞き取れないものの、

 それは明らかに奥さんの声でした。

 

 かすかな声で何かを歌っているようです。

 

 耳を澄まして聞いているうちに、

 それが「故郷」であることが分かってきました。

  

  兎追いしかの山

  小鮒釣りしかの川

  夢は今もめぐりて

  忘れがたき故郷

 

 

  如何にいます父母

  恙(つつが)なしや友がき

  雨に風につけても

  思いいずる故郷

  

  こころざしをはたして

  いつの日にか帰らん

  山はあおき故郷

  水は清き故郷

 

 

 奥さんは声楽科を出ていて、

 時折舞台でも歌声を披露していたのです。

 おそらく朦朧とした意識の中で、

 この歌を口ずさんでいたのでしょう。

 

 最初は喘ぐかのように細々としていた歌声は、

 やがて生きようという

 ひたむきな歌声に変わっていきました。

 

 地響きの音が消えた静寂の中、

 瓦礫の中に差し込んできた

 一条の朝日に照らされて聞こえてくる歌声は、

 まるで大宇宙を満たしているかのようだったといいます。 

 

……………………………………………………

■こころざしとは自分の生を輝かせること

…………………………………………………… 

 

歌声は何度も繰り返されました。

 

 そして「如何にいます父母」という言葉に差し掛かった時、

 Kさんは不思議な感覚に包まれました。

 亡くなったそれぞれの両親が

 突然目の前に現れたかのように感じたのです。

 

 それはあまりにはっきりした感覚で、

 まるで全身を火の矢で射抜かれたかのような衝撃でした。

  

「ああ、両親が助けに来てくれたんだ。

  瓦礫から守ってくれただけでなく、

  いつも見守ってくれていて、

  この世を生きていく上での重石やしがらみを

  取り去ってくれているんだ」

 

 

 そう思うと、涙がポロポロと流れました。

 

 奥さんの歌はやがて三番の歌詞に移っていきます。

  

 「こころざしをはたして、いつの日にか帰らん」。

 

 

 Kさんは、自分が人生の旅路を終えて

 どこに帰るのかと考えた時、

 それは父母のいるところだと理屈抜きに理解しました。

 

 そして「こころざし」というのは立身出世のことではない。

 この世にいて自分の生を輝かせることだ、

 愛を持って生きることだとはっきりと気づくのです。

 

 Kさんは瓦礫の中にあって悟りにも似た確信を得ました。

 人間は誰しも大宇宙に生かされた存在であり、

 自分も奥さんも亡くなった両親も、

 ともに深いところで命という絆で結ばれていること、

 生きているうちに身につけた地位や財産は儚く消え去り、

 この世の生を全うした後は魂の故郷に帰っていくということ……。

 

 Kさんは奥さんの歌声に引き込まれるかのように

 自分も一緒に歌い始めました。

 最初は小声で歌っていたものの、

 奥さんがKさんの歌声に気づいて

 一緒に調子を合わせ始めたことに気づくと、

 力いっぱいに歌うようになりました。

 

 二人の合唱は瓦礫の壁を突き破るかのように響き、

 間もなく二人は救助されるのです。

 

 残念なことに二人の子供たちは命を失っていました。

 しかしKさんは私にはっきりとこうおっしゃったのです。

  

 「たしかに悲しいことですが、子供たちは

  自分の使命を終えて魂の故郷に帰っていったのだと思います。

  子供たちは、人間というものは永遠の世界に向かって

  旅を続けている存在であることを

  命に替えて私たちに教えてくれたのです」と。

 

  Kさんは「故郷」の歌で子供たちを天国に送り、

 亡くなった子供たちの分まで命を輝かせて生きることを

 奥さんと誓いながら明るく生きておられます。

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日本でも世界でも、まだまだ様々なことが起きて行くのかも知れません。

でも、どんな場面でも、絶対に希望を失わないこと。

その先に、光は必ずあるのだと信じます。

 

 “「こころざし」というのは立身出世のことではない。

 この世にいて自分の生を輝かせることだ、

 愛を持って生きること”

 

 大切にして行きたい言葉だと思います。

動きの取れない瓦礫の中で、奥さんとKさんが、心を合わせて歌った「故郷」、魂を揺さぶられます。

 


“日本民族、どっこい生きてきた” 

2011-06-22 03:46:12 | 日記

 『致知』(http://www.chichi.co.jp/leader/nakajyou.html)7月号より、

アサヒビール名誉顧問 中條高徳さんの言葉です。

 

いつもメールでお送り頂いている「人間力メルマガ」より転載させて頂きます。

 

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       「日本民族、どっこい生きてきた」 中條高徳

                                            

 日本はいまなお

 地震・津波・原発事故の三重苦ともいうべき

 悲劇の連鎖の中にある。

 

         (略)

 

 時の政府中枢から「暴力装置」とまで言われた

 自衛隊十万余の大活躍はすべての国民の胸を打った。

 

 石巻市などでは腰まで泥水に浸かって黙々と避難者を救い出し、

 遺体を収容し、食事は乾パンと缶詰、風呂もなかなか入れず、

 寒風に野宿という過酷な状況下で活動をする勇士たちに、

 全国民から感動と感謝の渦が巻き起こった。

 

 また、約二万人の米軍人が参加した

 「トモダチ作戦」も見事であり、

 水浸しになっていた仙台空港などに

 強襲揚陸艦エセックスを派遣してたちまち復旧し、

 その威力を発揮したことは心強い限りであった。

 

 南三陸町では、防災担当の遠藤未希さんが

 町民に津波の襲来を告げ続けながら、

 我が身は波にさらわれ散ってしまった。

 

 昨夏結婚し、秋には披露宴を行うため

 花嫁衣装なども整えていたという。

 

 壊滅的な被害を受けた岩手県大槌町でも、

 住民の避難誘導中に半鐘を打ち続け、

 あるいは水門を閉めに向かった消防隊員ら

 十一人も犠牲になった。

 

 危険は感じつつも「公」のため「義」のため、

 多くの方々が役割に敢然と殉じた。

 

      * *

 

 その日、児童の七割が犠牲になった石巻市の大川小学校では、

 合同慰霊祭が行われた。

 八十四人の先生や児童の遺影が

 皆笑顔だったのが切なさを増した。

 この世の出来事かと疑う。

 

 同じ石巻市の渡波小学校では

 一か月遅れの卒業式が行われた。

 

 人気者のK君がいない。

 迎えに来た家族と帰宅して波にさらわれた。

 

 K君の親友は悩んだ末、黄色のポロシャツで式に出た。

 亡くなったK君や制服のない児童のことを思い、

 制服での出席を断念したという。

 

 悲劇の大きさは、こんな子供にも惻隠の情をもたらしたのだ。

 

      * *

 

 元キャンディーズで女優の田中好子さんががんと闘い、

 命絶えんとする時、肉声で、

 

 

「被災された皆様のことを思うと心が破裂するように痛み、

 ただただ亡くなられた方々のご冥福をお祈りするばかりです」

 

「必ず天国で被災された方のお役に立ちたいと思います」

 

 

 と息も絶え絶えに語ってこの世を去った。

 

      * *

 

 このような我が民族の自制心を忘れず、

 しかも事にあたり我が身を顧みない勇気、

 そして強いコミュニティ精神などに対して、

 外電は世界各国の賛辞を次々と報じている。

 

 豊かになるとともに我が民族にはびこっていた絆の乱れ、

 個の主張の虜になって無縁社会が到来し始めていた。

 

 この大きな災難がその生き様の綻びを気づかせてくれた。

 

 所詮、人間は一人では生きられないという

 「生きる理」を教えてくれたのだ。

 

 まさに先人の説く通り、

 「逆境は神の恩寵的試練」であった。

 

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311の後、こちらスペインでも、現地社員や多くのお客様からお見舞いを頂きました。

一度、名刺交換をしただけの方々からもメールや電話を頂いたりして、大変ありがたく思いました。

 

そして、その中に必ずあったのが、

“あのような状況の中で、冷静に協力し合う日本の人々の姿に驚いた”

という言葉でした。

 

それに続けて、

“そのような国だから、必ず今回の震災を乗り越えることが出来ると確信している”

という言葉を頂きました。

 

NHK連続テレビ小説「おひさま」を見ています。

そこにも、大変な状況の中で、協力し合いながら必死に生きる当時の日本人の姿を見ます。

 


“コンプレックスを力に”

2011-06-21 04:36:58 | 日記

若山弦藏さんという名前、ご存知でしょうか。

恥ずかしながら知りませんでした。

  

現在78歳、声優さんの草分けと言ってもいいかも知れませんね。 

007シリーズの主人公、ショーンコネリーさんの吹き替えの声を担当されました。

危機にあっても全く取り乱さない、落ち着いたその低い声が、なんとも頼もしく印象的でした。

 

 以下は、『致知』(http://www.chichi.co.jp/)の記事、

 

「コンプレックスを力に」からの転記です。 

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     「コンプレックスを力に」   若山弦藏

               

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声優の道を歩み始めて五十年近くになる。

昭和三十二年に札幌から上京。

 

NHKのラジオドラマで主役に起用されたのを皮切りに、

『スパイ大作戦』『007』シリーズなど、

海外の人気作品の吹き替えを数多く手がけてきた。

 

いまもレギュラー番組を持ち、第一線で仕事を続けている。

 

声優というからには、さぞかし声に自信があるのだろう、

と思われるかもしれない。

 

しかし私は、自分の声をいまだに

いい声だとは思っていないし、

この声には若いころからずっと

コンプレックスを抱き続けてきたのである。

 

私の独特の低い声は、小学生のときに

声変わりをして以来のもの、である。

しゃべるたびに変な声だと笑われて

自閉症ぎみになり、いつも独りで本を読んだり

レコードを聴いたりして、孤独な思春期を送った。

 

高校二年生のときである。音楽の授業で、

一人ずつ前へ出て課題曲の『浜辺の歌』を

歌わされることになった。

 

私の番になると、級友の間からクスクスと笑い声が起こり、

歌が終わるころには教室中が笑いに包まれていた。

 

しかし、先生は私にこういってくれたのである。

 

「あなたはいま、他の人より一オクターブ下で歌ったんです。

 あなたのような声を本当のバスというんです。

 日本人にはとても珍しい種類の声だから、大切にしなさい」

 

それまでずっと、自分の声に悩んできただけに、

その先生の言葉は強く印象に残った。

そして、何とかこの声を生かす道はないか、

と私は模索し始めた。

 

たまたまNHKの朗読放送研究会が会員を募集していることを知り、

清水の舞台から飛び降りる思いで受験に行った。

 

後から聞いた話だが、四人の審査員のうち三人までが、

 

 

「こんなマイクに乗らない変な声は

 使いものにならない」

 

 

といっていたらしい。

 

しかし一人だけ、これからは多彩な人材が必要に

なるから、といってくださる方がいて、

何とか採用されることになったという。

 

研究会に通ううちに、私は声優という仕事に夢中になり、

高校卒業後は、地元札幌のNHK放送劇団に入った。

 

しかし、もらえる役は老け役、悪役ばかり。

周囲からは「お前の声は主役の声じゃない」などと、

なかなかよい評価はもらえなかった。

 

それでもくじけなかったのは、指導を受けていた先生から、

 

 

「俺は二流の役者を育てに来たんじゃない。

 お前らは必ず一流になれ」

 

 と繰り返しいわれ続けていたからである。

それがいつの間にか、自分自身の信念となっていた。

 

私は、声楽のレッスンで声に磨きをかけつつ、

この仕事で身を立てるなら、やはり東京に出なければ、

と考え始めた。

 

とはいっても、特別当てがあったわけではない。

まさに背水の陣を敷いての上京であった。

 

幸いにも、フランク永井や石原裕次郎の歌のヒットで

低音ブームの時期に当たり、私の声も

ついに認められるところとなったのである。

 

意識したことはなかったが、振り返ってみると、

今日までレギュラー番組の仕事が途絶えたことは一度もない。

 

上京したときから常に、

「今日しくじったら明日の仕事はない」と

自らにいい聞かせ、常に真剣勝負で仕事に臨んできたことが

よかったのだと思う。

 

この気持ちを持続させるため、

私は二つの課題をつくって自分を律し続けてきた。

 

 

一つは絶対に遅刻しないこと。

 

もう一つはNGを出さないことであった。

 

前者はともかく、後者はかなり厳しい課題であった。

吹き替えの仕事の場合、途中で何度も

やり直しがきくいまと違って、

当時はいったん録音が始まれば、

十分から十五分のロールが終わるまで、

途中でNGが出るたびにもう一度最初に戻って

やり直すしがなかったからである。

 

加えて、台本のできも仕事場の環境もひどいものだった。

それでもNGを出さないためとにかく神経を研ぎ澄ま

し、集中して取り組む以外に方法はない。

 

常にその姿勢で仕事を続けていくうちに、

「弦さんはトチらない」という評判が定着していった。

 

もっと気楽にやれば、といわれることもあった。

しかし私は、自分で決めた課題を、

何が何でもやり通さなければ気が済まなかった。

 

それは私の性分でもあるが、

やはり自分の声にコンプレックスを持っていたことが

大きいと思う。

 

いまでは、コンプレックスを背負ってきたことが、

逆によかったのではないかとさえ思えるのである。

 

生まれつきの美声で楽々と仕事のできる同業者も多いなかで、

私はまず、この変な声を磨き上げることに

大きなエネルギーを費やさねばならなかった。

 

ハンディを克服する努力を怠りなく積み重ねてきたからこそ、

今日まで第一線で活躍することができたと思うのである。

 

先日アメリカで、ラジオの人気番組を長年やってきた

八十二歳のパーソナリティーが、

契約金百億円で向こう十年間の専属契約を結んだ

という話を聞き、いたく感銘を受けた。

 

私もまだまだ負けるわけにはいかない。

これからは、吉川英治などの長編の朗読や、

後継者の育成などにも取り組んでゆきたい。

 

そして仕事を通じて、最近とみにひどくなった

日本語の乱れを正してゆけたら、と思っている。

 

若山弦藏という一人の人間が、

残りの人生で後世になにがしかのものを

残すことができれば、望外の喜びである。

 …………………………………………………………………………………………………

 

コンプレックス、それは、出来れば自分の中でそっとしておいて、人には見せたくないものですね。

しかし、若山さんは、“しゃべるたびに変な声だと笑われた”、最も大きなコンプレックスである自分の声を、最大の強みに変えて行きます。

 

 

 “あなたのような声を本当のバスというんです。

日本人にはとても珍しい種類の声だから、大切にしなさい”

 

笑いに包まれていた教室で聞いた、音楽の先生の言葉は、若山さんの人生を変えました。

  

でも、その先生の言葉で人生を変えたのは、やっぱり若山さんご本人だったのでしょう。

“清水の舞台から飛び降りる思いで” NHKの朗読放送研究会の受験に行ったのですから。

  

そんな気持ちは、神様にも届くのかも知れません。

 

“四人の審査員のうち三人までが、

 「こんなマイクに乗らない変な声は使いものにならない」

といっていた”中で、

 

“これからは多彩な人材が必要になるから”と言ってくださる方が一人いらしたお陰で、

 そこから、若山さんの未来が開けていくのですから。

 

 

 “指導を受けていた先生からの言葉、

 

「俺は二流の役者を育てに来たんじゃない。

 お前らは必ず一流になれ」

 

と繰り返しいわれ続けていたからである。

それがいつの間にか、自分自身の信念となっていた。”

 

若山さんは、人生の大切な局面で、本当に素晴らしい先生に巡り合っていらっしゃいますね。

 

でも、このような素晴らしい出会いをすることが出来るのは、本当は若山さんのような特別な方だけではないのかも知れません。

人は、だれでも同じように素晴らしい言葉を頂いたり、素晴らしい出会いをしているのかも知れません。

 

それを自分の人生の中で大きく活かすことが出来たのは、やはり若山さんの受け止め方、そして、行動だったのではないでしょうか。

このお話の中に3人の先生のことが出てくるということ自体、そこに若山さんの先生方に対する気持ちを見る思いがします。

今は、会ってもいないアメリカの八十二歳の現役パーソナリティーの方が先生ですね。

 

 

“もっと気楽にやれば、といわれることもあった。

しかし私は、自分で決めた課題を、

何が何でもやり通さなければ気が済まなかった。

 

それは私の性分でもあるが、

やはり自分の声にコンプレックスを持っていたことが

大きいと思う。

 

いまでは、コンプレックスを背負ってきたことが、

逆によかったのではないかとさえ思えるのである。”

 

コンプレックスを力に変えた、素晴らしい言葉だと思います。

 


“秒読みギリシャのデフォルト”

2011-06-17 03:49:18 | 日記

ギリシャが、今デフォルト(債務不履行)の危機に瀕しています。

http://sankei.jp.msn.com/world/news/110616/erp11061621360002-n1.htm

15日には24時間のゼネストが行われました。

国会前広場に2万5千人が集まり、警官隊と衝突する様子がこちらのニュースで流れました。

 

公務員給与削減や国有資産売却を進めようとする政府の緊縮策に対して、国民の不満は高まっています。

16%を超える失業率の中、国民はNOと言っています。

 

パパンドレウ首相は挙国一致態勢を築こうとしました。

自らの辞任を条件に、最大野党・新民主主義党に大連立を持ちかけましたが、それも失敗に終わりました。

 

首相は打開策として16日に内閣改造に踏み切り、議会に信任投票を求める考えです。

しかし、その計画にも暗雲がたちこめています。

嫌気がさした閣僚が今日、2人辞任すると言ったからです。

こんな時期に、新しく閣僚になりたいという人もなかなかいないでしょうし。

 

一方の救済策を考えている人々の足並みもなかなか合いません。

非公式のユーロ圏財務相会合を開いて対応を協議しましたが、ギリシャ国債を多量に保有するフランスやドイツの金融機関などに対して買い替えを求める債務再編策では合意できませんでした。

 

ドイツのショイブレ財務相は、ギリシャ債を保有する民間の投資家が、償還期限を「自発的」に延長することを求めた場合は、デフォルトに当たらない、と主張しています。

しかし、この償還期限を延長する案には、ECB(欧州中央銀行)自体が反対しています。

ECBのトリシェ総裁が、ギリシャ救済に関して、民間投資家に負担(償還期限延長)を求める案には拒否するようEU指導者に求めているのです。

ECBは、すでにギリシャの国債を400億ユーロ(約5兆円)保有していて、これ以上のリスクを負担することを避けたいのです。

米格付け会社スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)は13日、ギリシャ国債の長期信用格付けを「シングルB」から「トリプルC」に3段階引き下げました。

市場は、5年以内にギリシャがデフォルトに陥る確率を80%とみています。

ギリシャの2年物国債の金利は、なんと30%になってしまいました。

 

EUは23、24両日の首脳会議でギリシャ問題を協議し、デフォルト回避策を話し合う見通しです。

仮にこのEU首相会議で、なんとか合意が出来ても、私は一時しのぎに過ぎないのではないかと思います。

ギリシャは、もうデフォルトするかどうかではなく、いつデフォルトするのか、というように感じています。

 

日記で何度か触れさせて頂いていますが、ギリシャ、ポルトガル、アイルランド、そしてアメリカ、イギリスも含めて、今、多くの国々で同じ現象が起きています。

即ち、政府が、その国債を買ってくれる投資家(EU、ECB、IMF含む)と自国民の板ばさみになっているということです。

 

国民の生活を良くしようとして、政府支出を増やそうと考えると、投資家がそれを許しません。

ですので、それをやり通そうとすると資金が調達できないことになります。

一方で、投資家の意向に従って緊縮財政策を通そうとすると、自国民が反対します。

その意向をくんだ議会でも反対を受け、あげく、選挙で負けてしまいます。

 

お金に余裕のあるドイツやフランスでも同じことが起きています。

そして、アメリカも、政府財政赤字枠の上限をあげなくては、デフォルトになってしまうのに、なかなか決まらない。

 

日本も含めて、今は、政治が本当に難しいときだと思います。

あっちを立てればこちらは立たずで、結局、根本的な解決はないように思います。

 

マーケットも、ある程度は、ギリシャのデフォルトを織り込み始めたとも言えます。

しかし、実際にデフォルトを起こせば、同じ問題を抱えるポルトガルやアイルランドの話にもなり、

次はスペインかという話にもなるでしょう。

 

ユーロの存在意義も含めて、金融経済に多大な影響が出てくるでしょう。

そして、それが導火線となって世界に広がっていく可能性は高いと、私は思っています。

  


“西村滋さんとお母さん”

2011-06-16 05:37:02 | 日記

西村滋さんの東京空襲時、その強烈な体験については、先月の日記でも紹介させて頂きました。

http://blog.goo.ne.jp/tera-3/e/3c793ac5f79128a785883d1e4318f704

 

 

同じく『致知』(http://www.chichi.co.jp/i/outline01.html)からお送り頂いたメールから、西村さん幼少時のお母さんとのエピソードを転記させて頂きます。

 

西村さんのプロフィールです。

http://www.chichi.co.jp/i/event2011/i-nishimura0618.html

 

 

 

* * * * * * * * * * * *

 

 

少年は両親の愛情をいっぱいに受けて育てられた。

殊に母親の溺愛は、近所の物笑いの種になるほどだった。

 

その母が姿を消した。庭に造られた粗末な離れ。

そこに籠もったのである。結核を病んだのだった。

 

近寄るなと周りは注意したが、母恋しさに少年は離れに近寄らずにはいられなかった。

 

しかし母親は一変していた。

 

少年を見ると、ありったけの罵声を浴びた。

コップ、お盆、手鏡と手当り次第に投げつける。

 

青ざめた顔。長く乱れた髪。荒れ狂う姿は鬼だった。

 

少年は次第に母を憎悪するようになった。悲しみに彩られた憎悪だった。

 

少年6歳の誕生日に母は逝った。

 

「お母さんにお花を」

と勧める家政婦のオバサンに、少年は全身で逆らい

決して柩の中を見ようとはしなかった。

 

父は再婚した。少年は新しい母に愛されようとした。

だが、だめだった。父と義母の間に子どもが生まれ、少年はのけ者になる。

 

少年が9歳になって程なく、父が亡くなった。

やはり結核だった。

そのころから少年の家出が始まる……

 

13歳の時だった。少年は知多半島の少年院にいた。

もういっぱしの「札付き」だった。

 

ある日、少年に奇跡の面会者が現れた。

泣いて少年に柩の中の母を見せようとした、あの家政婦のオバサンだった。

 

オバサンはなぜ母が鬼になったのかを話した。死の床で母はオバサンに言ったのだ。

 

「私はまもなく死にます。あの子は母を失うのです。

幼い子が母と別れて悲しむのは、優しく愛された記憶があるからです。

 

憎らしい母なら死んでも悲しまないでしょう。あの子が新しいお母さんに可愛がってもらうためには、死んだ母親なんか憎ませておいたほうがいいのです。

そうした方があの子は幸せになれるのです」

 

少年は話を聞いて呆然とした。自分はこんなに愛されていたのか。

涙がとめどもなくこぼれ落ちた。

札付きが立ち直ったのはそれからである。

 

 

* * * * * * * * * * * *

 

 

“両親の愛情をいっぱいに受けて育てられた”西村少年。

 

“近所の物笑いの種になるほどだった”お母さんの愛情、

 

 

なのに、

 

 

 “幼い子が母と別れて悲しむのは、優しく愛された記憶があるから”・・・

 

“新しいお母さんに可愛がってもらうためには、死んだ母親なんか憎ませておいたほうがいい”

 

 

という思いで・・・

 

 

 

“母恋しさから、お母さんに近寄らずにはいられなかった”幼い西村さんに、

 

 

“ありったけの罵声を浴びせ、

 

コップ、お盆、手鏡と手当り次第に投げつけた”

 

 

 

その時の少年の気持ち、そしてお母さんの気持ち、とは一体どんなものだったのでしょうか。

 

 

そのことを考えると、胸が詰まります。

 

 

後年、西村さんが真実を知ることが出来て、本当に良かったと思います。

 


“イタリアの国民投票による原発凍結について”

2011-06-15 03:37:12 | 日記

イタリアで国民投票を行い、圧倒的多数で原発を凍結することになりました。http://mainichi.jp/select/world/news/20110614ddm001030103000c.html

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イタリア:脱原発を継続 国民投票成立、再開反対9割超

 【ローマ藤原章生】イタリアで2日間にわたり行われた原子力発電再開の是非などを問う国民投票は13日午後3時(日本時間同日午後10時)に締め切られ、成立条件の過半数を上回る約56・99%の投票率に達し成立した。国内投票分100%の開票で原発反対票が94・53%となり、同国の原発建設は将来的にも不可能になった。福島第1原発事故後、国民投票で反原発の立場を鮮明にしたのは世界初。原発を推進してきたベルルスコーニ首相は投票締め切り前、「原発にさよならと言わねばならない」と語り、敗北を認めた。

 内務省発表のデータには在外投票が白票の形で計算されており、16日に出される最高裁判断でそれが上乗せされれば投票率はさらに高まる。

 イタリアには現在、原発はない。ベルルスコーニ首相は原発推進を模索してきたが、福島第1原発の事故を受け、突如再開凍結を発表するなど国民投票の成立を阻もうとしてきた。国民投票で再開が拒否された場合、将来的にも建設ができなくなるためだ。

 メディア王のベルルスコーニ首相の影響からか、民放と国営テレビも直前まで国民投票の話題を大きく伝えなかった。すでに夏休みを取ったり週末は海に行く人が多いため、ローマのメッサジェーロ紙など一部メディアは「夏の国民投票は過半数に至らない」とみていた。

 しかし、「緑の党」や中道左派野党を中心に、イタリア国民は口コミやネット通信で投票を呼びかけて、予想を上回る投票率になった。

 イタリアの「緑の党」創始者の一人で、87年と今回の国民投票の提唱者、パウロ・チェント元下院議員(50)は毎日新聞の取材に「欧州一の原発国、フランスの政府は推進に躍起だが、国民レベルでは反発も大きい。原発の是非は政府ではなく国民自身が決めるべきだというイタリアの考えが、今後、世界に広がることを願っている」と話した。  (毎日新聞 2011年6月14日 東京朝刊)

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イタリアには、現在、原発は1基もありません。

もともと国内に4基あったのですが、1986年のチェルノブイリ事故の後、全廃しました。

その後、ベルルスコーニ首相が原発推進路線に転換、2009年には原発の建設計画を盛り込んだ法律も成立されていました。

 

信じられないことですが、首相のベルルスコーニさんはイタリアのメディア王でもあります。

民放3大ネットワークを支配下に置き、国内最大の出版社も保有しています。

 

国営放送へも強い影響力を持っています。

 

 

国民投票当日、イタリア国営テレビの天気予報で、

 

「今日は海で過ごされるのが良いでしょう。」

 

というコメントが流れたそうです。

 

 

今回の国民投票、脱原発に投票する国民が多いであろうことは予想されていました。

 

一方で、50%の投票率がなければ、その結果は無効になります。

 

経済界の後押しを受けて、原発を推進するベルルスコーニさんにとっては、投票率が50%を割ることが最も大切なことでした。

 

なので、首相自身、事前に、「投票には行かないで、海へでも行った方がいい。」とさかんに発言していました。

 

 

 

国営テレビの天気予報でのコメントも、首相に歩調をあわせたものと解釈されています。

 

政治家、ましてや首相が、投票に行くな、と言うこと、

 

とても選挙で選ばれる者の発言とは思えません。

 

しかし、そのベルルスコーニ首相の戦略?は今回見事に裏目にでました。

 

逆に国民の関心を高め、投票率を後押しすることになったのです。

 

今回の国民投票では、首相らに与えられている公判出廷免除の特権の是非も問われましたが、「免除反対」の民意が確認されました。

ご存知のようにベルルスコーニ首相は未成年買春犯罪等で罪に問われています 

 

既存のメディアが国民投票を無視する中で、大きな役割を果たしたのは、やはり、口コミとネットの力でした。

中東の民主化運動、欧州のデモ含めて、今、世界中で起きていることですね。

 

当局が一生懸命押さえ込もうとしている中国でも、いよいよ限界が来つつあるように思います。

 

 

 

それにしても、首相がメディア王というのは、まるで別世界のような感じがします。

 

しかし、よく考えてみると、実は日本でも同じようなことが起きていますよね。

 

今回の原発事故でも、メディアが大切なことを伝えない、もしくは、御用専門家と一緒に情報を曲げて放送するということが定番となっていました(います)。

 

 

今起きていることの構図はどこも同じなのだと思います。

 

政治が、官僚、財界、メディアと組み、自分たちの利益に繋がるものをあの手この手を使って通そうとする。

 

それに対して国民が声をあげる。

 

 

ドイツやイタリアでは、国民の声が脱原発の流れに繋がりました。

そのことについては、原発事故の当事者国である私たちも、もっと真剣に考えて見る必要があるように思います。

 

それにしても、自民党石原幹事長のイタリア国民投票に対するコメント、

「あれだけ大きな事故があったので、集団ヒステリー状態になるのは心情的には分かる」

http://www.asahi.com/politics/update/0614/TKY201106140605.html

には違和感があります。

「国民投票で9割が反原発だから、やめようという簡単な問題ではない」

という発言含めて、国民、そしてその民意をどのように考えているのか、

そして、とにかく原発を推進しようとする本音が出ているように思います。

 

もちろん、ドイツやイタリアと日本の事情には異なる部分があります。

ドイツもイタリアも、電力が足りなくなったら、近隣の国々から買うことが出来ます。

その中には、原発による発電が国の発電量の7割以上を占めるフランスも入っています。

 

日本は島国です。

ですので、電力が足りなくなっても外国から電力そのものを買うことは出来ません。

その点は、大きな違いだと思います。

なので、今、日本国内で、原発推進と脱原発で意見が分かれていることは、悪いことではないと思っています。

問題は、その考えが、「私」から出ているものなのか、「公」から出ているものかということだと思います。

 

私自身は、脱原発という方向性を明確にした上で、

経済という血液の循環も大事にし、既存及び代替エネルギーに切り替えながら、

脱原発に向って進んでいくことがいいのではないかと思っています。

 


“父から子に語る日本人の成功法則” 神田昌典、渡部昇一共著

2011-06-14 03:05:33 | 日記

『人生と歴史のフレームワーク力』という副題が入っています。

1930年生まれの渡部さんと、1964年生まれの神田さん。

神田さんは、渡部さんの著作について、『知的生産の方法』は“高校生だった私に学問の魅力を教え”、翻訳書『マーフィー眠りながら成功する』は“リストラされた28歳の私に生きる力を吹き込んでくれた”とおっしゃっています。

神田さんは、“歴史から学べる教訓のひとつは、社会体制は一夜にして変わるということである”と言います。

そして、“「歴史」と「成功法則」”とは一見関係ないように思えるが、現在のような転換期には、歴史の変革を見抜く力こそが、社会的成功に直結する。”と説明します。

 

神田さんの“70年で一巡する歴史サイクル”の考え方はユニークです。

70年を「志」「能」「公」「商」というそれぞれ17.5年の4つの期間に分けます。

 

「志」:志ある人が出てくる時期。思想家や企業家が登場してサイクルを回し始める。(1945年~敗戦 本田宗一郎さん、井深大さん)

「能」:実務能力に長けた人が登場して、前の時期の思想家や企業家のビジョンを実現していく。(1962、3年~新幹線開通、東京オリンピック、中内功さん、伊藤雅俊さん、和田一夫さん)

「公」:そうして出来上がった環境をよりよくしていくために、官僚的なスキルを持った人たちが主流となる時代。(1980年前後~経営企画や広告戦略等のスキルを持った人たちの活躍。大前研一さん、糸井重里さん)

「商」:官僚的なスキルを持った人たちが活躍したあと、ビジネス感覚を持った人たちがその成果を富として収穫していく。(1997、8年~孫正義さん、三木谷浩史さん)

 

その一つ前のサイクルは、坂本龍馬等「志」の人たちが活躍した明治維新から敗戦にいたる70年です。

 

神田さんは、次のサイクルに入る“だいたい2015年あたりからまったく新しい時代に入るだろうと考えています。新たな「志」の時代に突入する。”と。

 

渡部さんは、前回のサイクルに関して、戦時の“配給制度は社会主義的統制経済のひとつ”と説明します。

神田さんは、今の「子ども手当」、「高校無償化」等の民主党の政策も配給制度に近いものと考えます。

戦後日本を決定づけたのは、公職追放であると渡部さんは訴えます。

戦後、公職から追放された人はなんと20万人。松下幸之助さんも含めて、あらゆる分野の要職にある方々がことごとく追放の対象になりました。

今に繋がる弊害はアカデミズムの世界にもあり、多くの教授が公職追放でキャンパスを追われた後、その開いた椅子に、戦前、帝国大学を追われていた「赤い教授」たちが戻って来て、そのまま居座ってしまった、と。

 

新たな「志能公商」がスタートするにあたっての、神田さんの考え方はユニークです。

“ひとつのサイクルが閉じ、次のサイクルに向うときは通常、「創造のための破壊」が行われるといわれますが、私が考えるイメージは「手放す」というものです。破壊をするというより手放す。

では何を手放すのかといいますと、機能しなくなった価値観です。それを手放すことによって、私たちは新しい価値観に上手にシフトしていくことができるのではないかと思います。”

 

一方で、「古い真実」を手放して、「新しい真実」が定着していくことは大変難しいことだと、「地動説」の例も使って説明します。

 

神田さんは、アニメから時代の変遷を説明して行きます。

“いま『新人類ジュニア』と呼ばれている世代は、2033年以降に国を背負っていくような人たちです。いまから20年後あたりの話ですから、それほど遠い将来の話ではありません。彼らは「ポケモン世代」です。”

“かつての仮面ライダーやウルトラマンは必ず敵を設定します。その上で「敵」を木っ端微塵にやっつける。”

“ところが、いまから10年ほど前に登場したウルトラマンガイアは、そうしたゴミ処理問題があるため、怪獣を倒さないで宇宙に返してあげます。”

“それが、「ポケモン世代」になりますと、戦うことはゲームでしかなくなります。もはや自分の外部に「悪」を設定しません。ひとりひとりはぜんぜん違うし、可愛くて、それぞれに進化する、という価値観が出てきます。”

“そうしますと、戦うことはもう価値ではなくなります。男性的に戦ったり、人の上に立って世界を引っ張ったりすることがプラスだった世界から、女性的に調和することが大事なんだという価値観に変わっていく。それが「ポケモン世代」の特徴です。”

 

そして、この流れは、ポケモンが世界の子供たちに人気があるということを踏まえると、日本だけではない、世界的な趨勢だ、だと説明します。

“「戦い」より「調和」、合言葉は「環境にやさしく」”という考え方です。

 

渡部さんと神田さんの対話、その論調は世代を超えて共通点がありますが、意見が割れる事もあります。

例えば、日本のアジアとの関係に関することです。

 

神田さんは、日本の人口がこれからどんどん減っていく中、“「東アジア共同体」という流れはビジネスでは避けて通れない”と考えます。

神田さんの言葉では、“アジア・ユニティ”です。

その為には、政治だけでなく、民間レベル、“草の根レベルで「アジアをひとつにしよう」”という考え方が重要だと。

 

それに対して渡部さんは、“中国があるかぎり「東アジア共同体」は危険”と反論します。

尖閣諸島、沖縄、東シナ海ガス田の問題、そして、韓国の対馬問題を例にあげ、“わが国が「中華民国」の属国になるのではないかぎり、政府は軽々しく「東アジア共同体」を喋々すべきではない”、と。

 

それに対して、神田さんは、“国としてはしっかりと国益を守ることが必須ですが、その結果、ビジネスの相互理解を阻害してはなりません。ビジネスパーソンは差異を協調へと変えられるからこそ、富を創出できるのです。”と反論します。

そして、その時、日本人が持っている武器、“「和を以って貴しとなす」というファシリテーション能力”が役に立つと説明します。

“ファシリテーションの原義は、会議やミーティング場で発言を促がしたり話の流れを整理したりして、合意形成や相互理解をサポートする技術です。これをもう少し広げていいますと、【1+1=2】ではなく、【1+1=8】という世界をつくっていこうという技法です。”

日本人は、その分野で高い能力を持っており、そのやり方は、欧米流に現地の人に向って指示、命令をするのではなく、身体を使ってやってみせるということだという考えです。

 

さて、この本は昨年12月に出版されたものです。

ですので、今回の災害、原発事故が起きる以前のものです。

 

渡部さんは、日本の活路は「エネルギー大国」になることとしています。

そして、その有力な手段として例に挙げたのが原発でした。

筑波大学をつくり学長にもなられた福田信之さんのコメントを引用して説明しています。

 

“そのとき先生ははっきりとこういわれました。「高速増殖炉さえできれば、日本のエネルギー問題は100年単位、1000年単位で解決します」と。

ですから、「もんじゅ」以下、次々と高速増殖炉ができれば日本のエネルギー問題はほとんど解消されると信じています。”

 

原発の件に関して、この本の中では、神田さんは、特に述べていません。

 

私は、原発のことも神田さんが説く、“一夜にして変わる”価値観の例なのではないかと思います。

この事故が起きる前に、渡部さんの原発についてのコメントを読んでいれば、その印象は今とはかなり異なっていたでしょう。

渡部さんは、日本のエネルギー政策がしっかりとしていれば、中国やロシア等、諸外国から日本を守ることが出来る、と考えていたのでしょう。

私もその通りだと思います。

 

そして、その有力な選択肢が原発なのだと。

 

その発言には、渡部さんの日本に対する「志」を感じ、「私」は感じません。

にも拘わらず、この渡部さんの主張には、大きな違和感を感じる今の私がいます。

 

中国に関して異なる二人の意見。

私自身は、お二方とも正しいと思っています。

特にビジネスの世界では、神田さんの意見を取り入れながら、一方で、政治的には渡部さんのおっしゃるように注意を怠らない、というバランスが大切なのではないかと思います。

 

今は、新しい時代に向けた大きな過渡期、転換期。

異なる主張があっても、それぞれが正しいということがあってもいいのだと思います。

重要なのは、一人一人が、自らの考えに基づいて、それぞれの役割を果たしていくということなのではないかと思います。

 


“村上春樹さん、バルセロナでのスピーチ”

2011-06-11 03:43:07 | 日記

人文科学分野で功績のあった方に贈られる『カタルーニャ国際賞』、村上春樹さんが受賞されました。

日本人の受賞は、今回が初めてだそうです。

賞金は、全額震災の被災者に寄付されるそうです。

 

カタルーニャとはスペインに17ある州の一つです。

その中に、スペイン第2の都市、バルセロナがあります。

バルセロナの人たちは、カタルーニャ語という、所謂スペイン語とかなり違う言葉を話します。

 

村上さんは、スペインでも大変人気があります。

日本文化の話しになると、まず“Haruki Murakami”の名前が挙がります。

本屋には、翻訳された村上さんの本が、シリーズ化されて置いてあります。

 

私の前のスペイン語の先生、鼻ピアスをつけた若い女性でしたが、村上さんの大ファンで、訳されたものは全て読んでいました。

村上さんのスピーチの冒頭、前のバルセロナでのサイン会の時に、たくさんの女性読者からキスを求められたエピソードが出て来ますが、さもありなん、と思います。

 

村上さんは、英語も堪能な方です。

「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」

という有名な言葉を残したエルサレムでのスピーチも英語でした。

http://www.47news.jp/47topics/e/93880.php

 

しかし、「非現実的な夢想家として」というタイトルが入った今回の受賞スピーチは、日本語で行われたそうです。

そこに村上さんの思いを感じます。

このスピーチは、世界へ向けられたメッセージであると同時に、

それ以上に、全ての日本人に向けられたメッセージなのではないかと感じるのです。

 

以下、スピーチからいくつか抜粋させて頂きます。

でも、出来れば全文を読んで頂いた方が、村上さんの思いがより伝わってくるのではないかと思います。

歴史に残る素晴らしいスピーチだと思います。

 

“みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。風がそれを広範囲に運びます。

 十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。

 なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。

 また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。

我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。”

 

“日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。

 しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。”

 

“広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。

 そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。”

 

“原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。

 それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。”

 

“我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。”

 

“最初にも述べましたように、我々は「無常(mujo)」という移ろいゆく儚い世界に生きています。生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。大きな自然の力の前では、人は無力です。そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。”

 ---(以上抜粋)---

 

『我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。』

心に突き刺さって来ます。

 

村上さんの、ウィキペディア(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E4%B8%8A%E6%98%A5%E6%A8%B9

を読んでいたら、次の言葉にぶつかりました。

 

“コミットメント(かかわり)ということについて最近よく考えるんです。

たとえば、小説を書くときでも、コミットメントということがぼくにとってはものすごく大事になってきた。

以前はデタッチメント(かかわりのなさ)というのがぼくにとっては大事なことだったんですが

(村上春樹・河合隼雄『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』より)

 

この頃から、村上さんは、阪神大震災、地下鉄サリン事件等、社会的な大きな出来事を作品の中に取り入れて行きます。

 

“コミットメント”、今、とても大切な言葉だと思います。


“O104と風評被害について”

2011-06-09 03:09:09 | 日記

今、欧州では、O104(腸管出血性大腸菌)の話題で持ちきりになっています。

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110607ddm003030099000c.html

http://mainichi.jp/select/world/news/20110608k0000e030017000c.html

ドイツのハンブルグから始まった感染は、そこを訪問した方々中心に広がっています。

現在、患者数は13ヶ国で2000人以上、死者の数も20人を超えました。

 

この騒ぎでは、当初、スペインが犯人扱いされてしまいました。

ハンブルク州政府が、感染源の疑いがある野菜として、スペイン産キュウリを名指ししたからです。

スペイン産キュウリは、誰も買わなくなり、ロシヤも輸入を停止しました。

 

その後の検査で、スペイン産キュウリは感染源でなかったことがわかりました。

今、スペイン政府はドイツに対して、賠償請求しています。

文字通りの“風評被害”だったと思います。

 

その後も問題は続きます。

被害が広がっていく中で、今になっても感染源が特定出来ないのです。

ニーダーザクセン州政府が、今月5日にもやしを感染源として挙げましたが、

やはりそうではなさそうだということになりました。

 

感染経路もそうですが、そもそも発生源自体が特定出来ていません。

O104は、これまで、動物の体内で見つかったことがないということなのです。

 

O104の不明な点は他にもあります。

溶血性尿毒症症候群(HUS)は、子供や高齢者が発症しやすいと言われているそうなのですが、今回大部分の感染者は18才以上です。

 

もともと、O104は、今までに集団感染を起こしたことがないようなのです。

このため、O104が強い毒性を持つように“変異した”可能性が言われています。

 

“世界保健機関(WHO)は今回の大腸菌を「極めて特異なタイプ」と発表。”

“多くの患者が入院する独ハンブルク・エッペンドルフ大病院は「前例のない遺伝子同士が結合したのではないか」と指摘した。

8割のO104と残りの2割の別型の菌が結合した可能性があり、抗生物質も効きにくいという。(毎日新聞)”

 

ドイツでは当初から発生場所を巡る報道が過熱しました。

約150万人が訪れた5月6~8日の「ハンブルク港祭り」から感染が広がったとする説も出ています。

 

上記の背景も踏まえて、これは人の集まる場所を選んだ「細菌テロ」だったのではないかとのうわさも出ています。

これが万一、脱原発を訴えたドイツに対するアクションだとしたら、許されないことです。

 

ロシアは、ついにEU産の生鮮野菜輸入の全面禁止に踏み切りました。

日本でもその対応が問題になって来ました。

http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00200979.html

政府はどうするのでしょうか。

このような事態になって初めて、放射線被害を恐れて日本産の農産物の輸入を控える海外の方々の立場がわかるのかも知れません。

カメラの前で、野菜を食べるパフォーマンスがいかにむなしいものか。

 

スペインでは、5月11日に、スペイン南西部で死傷者を出す地震がありました。

2回の地震の震源の深さは、なんと1キロと 0キロでした。

 

第一次大戦時に世界中で流行し、その死者の数は5000万人とも言われるスペインかぜ。

実際には、アメリカから大流行が始まったのに、なぜか“Spanish Flu(スペインかぜ)”と命名されてしまいました。

ちなみにこのウイルスの感染源も、いまだにわかっていません。

そして、今回の風評被害。

 

財政、経済問題で苦しむ欧州“西”のはじのスペイン、

同じく財政、経済問題で苦しむアジアの“東”のはじの日本。

 

何か共通するものを感じます。

 


“新しい時代への意思決定とは”

2011-06-08 02:48:05 | 日記

すでに何度か引用させて頂いている『到知』(http://www.chichi.co.jp/)の記事より抜粋させて頂きます。

 

 

対談の中での天外伺朗さんのコメントです。

 

天外さんは、SONYでCDや「AIBO」の開発に携わられる一方で、多数の著作を生み出して来られた方です。

 

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「GDP(国民総生産)からGNH(国民総幸福量)へ」       

       

          天外伺朗(ホロトロピック・ネットワーク主宰)

 

                 『致知』2011年7月号

            連載「生命のメッセージ」より

   http://www.chichi.co.jp/monthly/201107_pickup.html#pick6

 

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  僕は、今回の震災が百年後に振り返った時、

  あれをきっかけに日本は大きく変わったという

  ターニングポイントになると思っています。

 

  戦後六十六年、街中ギンギンぎらぎら無駄に明るくして

  一所懸命GDP(国内総生産)を上げてきたわけです。

 

  でもいまのように節電し、物を捨てず、

  無駄なことをしなければGDPは下がります。

 

  これから日本は好むと好まざるにかかわらず、

  そういう方向に向かうのではないかなと。

 

 

 いままで日本は国家の位置づけとして

 「GDP世界二位」と言い続けてきましたが、

 もうそういう時代は終わって、

 これはブータンの国王が言い始めたことですが、

 

 

 「GNH」、つまり

 「グロス・ナショナル・ハピネス(国民総幸福量)」

 

 

 日本人はもともといい社会を築いていたんですよ。

 問題は、おっしゃるとおり

 自分たちの国が素晴らしいことに気づいていないこと。

 

 だからこの前出した本に、

 各国でわざとお金が入った財布を落として、

 戻ってくる確率を測定してみたらいいんじゃないかと(笑)、

 「PAH(People's Average Honesty)」とでも名づけて、

 格付けしたらどうかと書きました。

 

 

 また、こういう災害があると

 バッとボランティアが駆けつけますしね。

 

 神戸の大震災の時は、まだやる気だけで

 何をやっていいか分からない傾向があったけど、

 今回は的確に行動する若者たちが多かったですね。

 

 交通も途絶え、宿泊所も食料もない時に、

 自分たちでテントと食料を持って、駆けつけてきたと。

 僕も何人か会いましたが、みんな爽やかなのね。

 

 僕らの年頃は、

 「俺はボランティアやっているんだ」という

 感じになるんだけれど(笑)、

 若い連中はものすごく爽やかにやっている。

 

 一部のおじさんおばさんたちから見ると、

 覇気がないとか草食系とか言われるけれども、

 彼らはすでにGDPからGNHに価値観をシフトさせている。

 

 我々の世代よりもむしろ、

 人間としての本質に目覚めていると感じます。

 だから、日本はこれからどんどん

 よくなっていくはずだと思っています。  

 

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日本の人口は、所謂団塊の世代が最も多く、年齢が下がるにつれて少なくなっています。

一方で、民主主義は多数決の世界です。

ですので、選挙の結果も、人数の多い世代の意向に、どうしても影響を受けやすくなるでしょう。

 

現在、年金を受け取っている方々は、支払って来た年金の額よりも、かなり大きな額の年金受給を受け取ります。

若い世代の方々は、受取額の方が、支払う額よりもかなり小さくなってしまうことになります。

年金の仕組みを変えなくてはならないことは明らかでしょう。

 

しかし、多数決の世界では、人数の多い意見が優先されます。

自分の年金受取額が減ることを、人数の多い世代の方々が受け入れることが出来るでしょうか。

 

“地域ごとの”「一票の格差」については、裁判でも取り上げられていますが、

本当は、“年代ごとの”「一票の格差」もあるわけです。

 

選挙に限らず、様々な分野における意思決定は、人数の多い意見を受け入れて成されて行くことが多くなっています。

 

天外さんのお話にもあるように、新しい世代は、ちゃんと育っています。

“我々の世代よりも、むしろ、人間としての本質に目覚めている”ということ、その通りだと思います。

 

 

なので、私も含めて、上の世代の人たちが常に意識していかなくてはならないのは、

 

新しい世代の人々にとって、即ちこれからの日本にとって、今、自分はどう判断すべきか、ということだと思います。

 

 

その為には、エゴを外して考えることが大切になりますね。

 

 

しかし、それだけでなく、過去に蓄積して来た自分の経験さえも、外して考えるケースも出てくるのだと思います。

 

 

なぜなら、これからは、自分の過去の経験則も通用しない時代に入っていくと思うからです。

 

 

「GNH」、グロス・ナショナル・ハピネス(国民総幸福量)もその一つですね。

 


“日本人のいいところと・・・”

2011-06-07 02:59:12 | 日記

山本太郎さんのこと、ネットでご存知の方も多いと思います。

 http://www.cinematoday.jp/page/N0032738

山本さんは、原発事故発生以来、脱原発を訴え続けて来ました。

そして、523日には、文部科学省前で、他の方々と一緒に、

子どもたちに対する「放射線量年間20ミリシーベルト」の基準引き上げの撤回を訴えました。

ところが、25日に、出演の決まっていたドラマを降板させられたとツイートしたことが波紋を呼び、直後、迷惑をかけるからということで自ら所属事務所を離れることになりました。

 

日本、そして日本人のいいところは、みんなで助け合うことです。

自分のエゴを抑制し、協力し合います。

しかし、時にその日本人のいい面が、反対にかえる時があります。

 

山本さん、出演降板は、スポンサーからの圧力だったという話がある一方で、

実は、事務所が自主的に降りる判断をしたという話があります。

そして、その事務所に迷惑をかけたくないということで、山本さんが自主的に事務所を離れる判断をしたのだと。

 いかにもありそうな話だと思います。

それぞれが、それぞれの立場を慮ったということなのでしょう。

 

しかし、本当は、事務所は、断固として山本さんを守るべきだったと思います。

事務所の判断で、自主的にドラマを降板する必要はなかったでしょう。

 

子どもたちのためを思って活動する山本さんの思い、それが物議を醸し出したからと言って問題があるとは思えません。

子どもたちの健康のことを顧みず基準を勝手に引き上げようとする“大きな力”に対して意見すること、そして声をあげること、

子どもたちのことを思えば、当然のことではないでしょうか。

 

芸能人だから?

リチャードギアさんは、米国議会で証言をしました。

チベットの人権問題で、中国と、その対応で中国に甘いオバマ政権を批判しました

 

“「仕事がなくなったとしても生きていくことに変わりはありません。

それよりも、国から不条理な仕打ちをされた人々に、少しでも光が当たるように活動していきたい。

これは東北だけではなく、日本全体の問題だと思うのです」”by山本太郎さん

 

心からの言葉は人を感動させます。

 

 

話しは変わりますが、今はもう使わない言葉でしょうか?

“KY”という言葉です

 

 

その場の雰囲気を重視するあまり、本当は言うべきことでも、言えなくなってしまうような状況を生み出しかねない言葉だと思います。

なぜか声をだして言わない方が大人でエライのだという感じ・・・

その雰囲気は、戦争の引き金ともなり、負けが濃厚で、これ以上続けても犠牲が増えるだけなのにだれも言い出せなかったことに似ているように思います。

そしてそれは、現地の農業や漁業等に携わる方々のことを慮って、放射線被害の起こりうる食べ物を促進することにも似ているように思います。

 

室井佑月さんが、NHKの生番組で、

「子供たちに福島の野菜を給食で食べさせるなんてかわいそう」

と発言されたことで物議を呼んでいるようです。

http://rocketnews24.com/?p=99157

ここに書いてある室井さんの発言はしごくまっとうなことばかりだと思います。

しかし、録画収録の番組であれば、今の日本ではカットされていた発言だったでしょう。

 

大人は、自分でリスクを判断することが出来ます(出来るはずです)。

なので、あくまでも自分の判断で、食べてもいいと思います。

 

しかし、大人よりも放射線に対して感受性の強い子どもたちは、自己責任ではありません。

子どもたちを育てる家庭、給食を出す学校や地域、そして基準をつくる大人です。

 

「太平洋序曲」で山本が演じるジョン万次郎は、

黒船の襲来にいち早く気付いて、鎖国中の日本に迫る危機を伝えようとする役回りであり、

開国を迫って次々と訪れる西洋の刺客にも屈せず、

かたくなに日本の伝統を重んじようとする。”

 

当たり前の正しいことが当たり前に言えるようになること、

今、日本で一番大切なことではないかと思います。