"ちょっと外から見た日本"

今、スペインに住んでいます。
大好きな日本のこと、
外からの視点で触れて見たいと思います。

“運命を好転させるには”

2011-10-18 03:01:01 | 日記

「致知一日一言」よりです。


(転載開始)

「致知一日一言」読者の皆様

いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。

開催を来年に控えるロンドン・パラリンピックで注目を集める一人の日本人選手がいます。

車椅子マラソン選手・土田和歌子さん。高校2年生の時、突然の交通事故で車椅子生活に…。

その後スポーツに目覚め、数々の世界大会で優勝。ロンドンでは5000mとフルマラソンでの二冠が期待されています。

『致知』11月号では、そんな土田さんに競技人生に懸ける思いをお話しいただいています。

一見不運と思われる出来事をどう乗り越え、運命を好転させていったのか。

 * * *

私はここ数年、「何のために自分は走っているのか」を強く意識するようになりました。

それは、ただ勝ちたいというよりも一種の使命感のようなものだと思っています。

特にそれを感じたのが今年4月のボストンマラソンでした。

その前月、東日本大震災があって、私自身も大変心を痛めたんですけれども、自分に何ができるかを考えた時、それはやはり走ること以外にないと思ったんです。

いま振り返っても不思議なのですが、スタートラインに立った瞬間から、自分以外の何かから力をいただいているような感覚がありました。

競技中、とても苦しい中で「たとえ腕がちぎれても走るんだ」という気持ちが湧いてきたのは、日本に対して何かのメッセージを伝えたいという願いがあったからだと思います。

そして驚いたことに、ゴールを切った時、16年間破られることのなかった世界記録を更新していたんですね。

この結果は日本だけでなく海外からも大きな称賛を浴び「ありがとう」という声もたくさんいただきました。

私は今年37歳で、車椅子になる前より、障害者となってからの年月を長く生きているんです。

もしあの時事故に遭っていなかったら、いままで築き上げたアスリートとしての立場はきっとなかったと思いますし、強い使命感に燃えることもなかったでしょう。

生きていると誰だっていろんなことがあります。その時、ドッと落ち込んだとしても、どん底はいつまでも続かない。

むしろその時が人生を開花させるチャンスなんです。

……さらに詳しくは『致知』11月号40ページで!

☆詳細・お申し込みはHPにて
 ↓ ↓ ↓
http://www.chichi.co.jp/i/index.html


(転載以上)


 

土田さんのこの話を読んでいて、感動とともに、とても不思議な感覚を味わいました。

このエピソードには、運命を好転させる秘密のカギが隠されているように思います。


“「何のために自分は走っているのか」ということを強く意識する”とは、自分の天命、その役割を意識するということですよね。

その時に大切なことは、自分という視点から離れて、他の方々のために自分が出来ることはなにか、と考えて見ること。


そうして、自分なりに一生懸命考えた上で、

“自分に何ができるかを考えた時、それはやはり走ること以外にないと思ったんです。”


この揺ぎのない確信が生まれた瞬間から、どんどんいい流れになって行ったのだと思います。


“いま振り返っても不思議なのですが、スタートラインに立った瞬間から、自分以外の何かから力をいただいているような感覚がありました。

競技中、とても苦しい中で「たとえ腕がちぎれても走るんだ」という気持ちが湧いてきたのは、日本に対して何かのメッセージを伝えたいという願いがあったからだと思います。”


そしてその結果、16年間破られることのなかった世界記録を更新されたのですね。

他の方々のためにと思って必死に取り組んだら、それが最良の形で土田さんご本人に戻って来たのです。


なでしこジャパンの活躍も思い出されるエピソードですね。

“幸運”ではあったのかも知れませんが、それらは決して“偶然”ではなかったのですね。



“生きていると誰だっていろんなことがあります。その時、ドッと落ち込んだとしても、どん底はいつまでも続かない。

むしろその時が人生を開花させるチャンスなんです。”

どん底から人生の開花を経験された方の、素晴らしい言葉ですね。



“ワレイマダモッケイタリエズ”

2011-10-16 00:37:00 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。

(転載開始)

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     致知出版社の「人間力メルマガ」

                【2011/10/15】 致知出版社編集部 発行
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   このメールマガジンでは、
   人間学を学ぶ月刊誌『致知』より
   そのエッセンスの一部をご紹介しています。

       * *

   現在発行中の『致知』11月号では、
   歴史に残る名横綱・大鵬氏と、
   現横綱・白鵬関の対談記事が掲載されています。
         
      本日は、白鵬関が双葉山の連勝記録に挑んだ際にコメントし、
      話題になった「木鶏(もっけい)」にまつわる
      エピソードをご紹介いたします。


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        「我、いまだ木鶏たりえず」
       
       
        納谷幸喜(大鵬/第48代横綱)&白鵬 翔(第69代横綱) 
        
              『致知』2011年11月号
               特集「人生は心一つの置きどころ」より
       
http://www.chichi.co.jp/monthly/201111_pickup.html#pick1


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【大鵬】 白鵬の連勝記録がストップした時、

     「我、いまだ木鶏たりえず」
     
     という言葉が新聞に掲載されていましたが、
     双葉山関はこの「木鶏」の話を
     陽明学者の安岡正篤さんからお聞きして、
     そういう無心の境地を目指されていました。
 
     実は、双葉山関が相撲協会の時津風理事長となられていた時代、
     直接ご本人から「木鶏」の話をお聞きしたことがあります。


【白鵬】 ご本人から。


【大鵬】 そう。「木鶏」というのは、『荘子』に出てくる話で、
     ある王が闘鶏づくりの名人に自分の闘鶏を託した。
     
     十日後、王は名人に「まだか」と問う。
     すると、「カラ威張りしてダメです」と答える。
     
     さらに十日後に尋ねると
     
     「相手を見ると興奮します」。
     
     再び十日後も
     
     「敵を見下すところがあります」。

      そして四十日後に
      
      
     「もういいでしょう。いかなる敵が来ても動じません。
      木彫りの鶏のようで徳力が充実しています」
       
       
     と答えた。そういう逸話だと教えていただきました。


【白鵬】 私は双葉山関の本を妻から読んで聞かせてもらいながら
     勉強していますが、七十連勝できなかった時、
      
      
     「ワレイマダモッケイタリエズ」
      
      
     と安岡さんに電報を打ったとありました。
     この「我、いまだ木鶏たりえず」という言葉が、
     すごく印象に残っています。


【大鵬】 木鶏のお話を理事長からお聞きした時、
     この方はこういう境地を目指しながら
     淡々と土俵を務めたのだと思って、
     あまりの気高さ、理想の高さに
     身震いがする思いがしました。

(転載以上)


 

“十日後、「カラ威張りしてダメです」”
     
“さらに十日後、「相手を見ると興奮します」” (笑)
     
“再び十日後も、 「敵を見下すところがあります」”

“そして四十日後に 、「もういいでしょう。いかなる敵が来ても動じません。
           木彫りの鶏のようで徳力が充実しています」”

鶏が、木鶏になるまでの過程、興味深いです。

そして、これは人にも当てはまることですよね。

 
それにしても、七十連勝近くしながら、「ワレイマダモッケイタリエズ」と安岡さんに電報を打たれるとは、

双葉山関の “気高さ、理想の高さ” に、こちらも思わず身震いします。

“木鶏”、かくありたいと思います。       


“二度とない人生をどう生きるか”

2011-10-16 00:16:16 | 日記

「致知一日一言」よりです。


(転載開始)


「致知一日一言」読者の皆様

いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。

一代で京セラを一兆円企業に築き上げ、現在日本航空(JAL)会長として手腕を振るっている稲盛和夫氏。

『致知』11月号では、そんな稲盛氏を京セラ創業メンバーの一人として今日まで支え続けてきた現・京セラ相談役の伊藤謙介氏に、

経営や人生の糧とされてきた考え方について語っていただきました。

人間、この二度とない人生をいかに生くべきか。

 * * *

私は2、3年前に糖尿病で2週間ほど入院したことがあるんですが、私のいた病棟は重病でいまにも死にそうな人ばかりでした。

しかしわずか5mしか離れていない隣の病棟は産婦人科で、新しい命の誕生を喜ぶ声が絶えず聞こえてくる。

私はそこで、その5mがまさに人生を象徴している、人生というのはこの5mの狭間にしかないのだと痛感しました。

若い人は漠然と、人生はいつまでも続くと思っているものですが、実はそう長くはありません。

きょうやるべきことを明日やりますと言って、それを5回繰り返せばもう1週間が終わります。

同様に来週やりますと4回言えば今月が終わり、来月やりますを12回で1年が終わり、来年やりますと30回言ったらもう定年。

あっという間の人生じゃないかと。お互いにもっと一瞬一瞬を大切に仕事をしようと社員によく話をするんです。

「井の中の蛙大海を知らず」という言葉がありますが、これに「されど天の深さを知る」と付け加えなければなりません。

大海を知らなくてもいい。自分の持ち場を一所懸命掘り込んでいくことで、すべてに通ずる真理に達することができるのです。

一芸を極めた芸術家が語る言葉に万鈞の重みがあるように、我々も自分の仕事に打ち込むことで天の深さを知るのです。

……さらに詳しくは『致知』11月号20ページで!

☆詳細・お申し込みはHPにて
 ↓ ↓ ↓
http://www.chichi.co.jp/i/index.html

(転載以上)


“人生というのはこの5mの狭間にしかないのだ”

重病の患者の方ばかりの病棟の隣の病棟では、新しい命の誕生を喜ぶ声が絶えず聞こえてくる、

そのわずか5mという距離が語りかけて来ます。

 

“同様に来週やりますと4回言えば今月が終わり、来月やりますを12回で1年が終わり、来年やりますと30回言ったらもう定年。”

なかなか身につまされるものがあります。(笑)

 

“井の中の蛙大海を知らず

されど天の深さを知る”

いい言葉ですね。

 

“大海を知らなくてもいい。自分の持ち場を一所懸命掘り込んでいくことで、すべてに通ずる真理に達することができるのです。”

それもまた真実だと思います。


“大善は非情に似たり、小善は大悪に似たり”

2011-10-14 04:11:55 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。

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     致知出版社の「人間力メルマガ」

                【2011/10/13】 致知出版社編集部 発行
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   このメールマガジンでは、
   人間学を学ぶ月刊誌『致知』より
   そのエッセンスの一部をご紹介しています。

       * *

      本日は京セラ創業者・稲盛和夫氏のもと、
      「アメーバ経営」を推進してきた
      京セラコミュニケーションシステム元社長・
      森田直行氏のお話をご紹介します。


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        「デッドストックをゼロにするには?」
       
       
            森田直行(京セラコミュニケーションシステム社長)
        
               1997年5月号
               特集「リーダーシップの本質」より
            

                      ※肩書きは掲載当時です。

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よく稲盛からは、

「お前のルールは論理的には正しい。
 しかし、このルールでは人のやる気は出ない。

 やる気のない人間がいくら集まっても、
 会社は立派にならないじゃないか。
 いい方向に行かないな。それじゃだめだ」

と言われました。

ルールは論理的には正しいが、
メンタルな面でまちがっている、というんですね。

例えば、新製品が出ると、古い製品は売れなくなって
デッドストックになってしまいます。

そのデッドストックの処理について、
事業部からある提案が上がってきたんです。


デッドストックが出たときに、そのつど処理していたのでは、
採算計画が狂ってしまいます、

そこで月々どのくらいのデッドストックが出るかを計算して、
デッドストック処理のための経費を毎月積み立てておきたい、と。

で、デッドストックをその積み立て金で
相殺するという提案です。

私はなるほどそうだなと思いました。


そういう積み立て制度があったほうが、
確かに効率はいい。
で、案をつくって稲盛のところに持って行ったのです。


(記者:稲盛会長はなんと?)


ガツンとやられました(笑)。


「お前の案は論理的には正しい。

 しかし、これはメンタルではだめだ。
 そういうルールを認めてしまうと、
 デッドストックは出るものだとみんな思ってしまう。

 
 そういう気持ちでみんなが働けば、
 デッドストックはいまよりもっと増えるぞ。
 
 デッドストックはゼロにしなければいけないんだ。
 そういう心をいつも持たせるような
 ルールをつくらなければだめだ」
 
 
なるほど、納得です。
グーの音も出るものではありません(笑)。


しかし、稲盛はなぜだめかを丁寧に教えてくれるんです。
その教えはいまの私にとって大きな財産になっています。


(記者:稲盛会長は、「大善は非情に似たり、小善は大悪に似たり」
 という言葉をよく使われますね)


このルールは小善なんですね。

私としてはみんなのためによかれと思って提案したのですが、
広い視野でみれば、このルールでは士気は下がるばかりです。
経営者とわれわれとの視野の違いを思い知らされました。

本当の士気というものは、つらいかもしれないが、
事実を真正面から受け止め、
それを乗り越えていこうとするときに生まれるんです。

大善を貫くには、ときには厳しいルールを
つくることも必要なのです。



………………………………………………………………………………
現在発行中の『致知』11月号には、
稲盛和夫氏の盟友で、京セラ現相談役の
伊藤謙介氏がご登場。

京セラ創業期の感動秘話や
事業経営のヒントが満載です。
http://www.chichi.co.jp/monthly/201111_pickup.html#pick2

(転載以上)

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「デッドストック」のお話は、とても分かりやすい例ですね。

“月々どのくらいのデッドストックが出るかを計算して、
デッドストック処理のための経費を毎月積み立てておきたい”

もともと、この提案は、どうしても出てしまうデットストックの経理的な処理をいかに効率的に行うか、ということが出発点だったわけですね。

しかし、その提案は、稲盛会長に“ガツンとやられて”しまう。(笑)


“お前の案は論理的には正しい。
 しかし、これはメンタルではだめだ。”と。

確かに、このやり方を認めてしまうと、“デッドストックは出るものだとみんな思ってしまう”でしょう。
すると社員のモラルダウンが起きて、デッドストックが今より増えてしまうかも知れません。
 
“デッドストックはゼロにしなければいけないんだ。
 そういう心をいつも持たせるような
 ルールをつくらなければだめだ”

稲盛さんの経営者としての考えは、もっとぐんと高いところにあったわけですね。

“「大善は非情に似たり、小善は大悪に似たり」”

デッドストックはゼロにすることは、大善であり、(一見)非情に似ている。
デッドストックの発生を前提に、経理処理を変えることは、小善であり、(実は)大悪に似ている。


“本当の士気というものは、つらいかもしれないが、
事実を真正面から受け止め、
それを乗り越えていこうとするときに生まれるんです。”

この言葉には、人が自分の運命を切り開いていくその秘密も内包されているような気がします。

 


“知られざるTPPの実体とは”

2011-10-14 04:04:04 | 日記

致知一日一言よりです。



「致知一日一言」読者の皆様

いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。

野田首相はTPP(環太平洋経済連携協定)への交渉参加の意向を固め、それに向けた準備を開始するよう指示しました。

国会は賛否両論で議論が白熱していますが、新聞各紙は賛成一色に染まっているようです。

『致知』10月号では、経済評論家の三橋貴明氏が確かな数字とデータを基に、マスコミが語らないTPPの実体を語っています。

 * * *

一般的にTPPは多国間の自由貿易協定だと思われているが、実際はアメリカの対日輸出を増やすための戦略の一種である。

TPP参加国・参加検討国のGDPの割合を見れば一目瞭然で、アメリカ66%、日本24%と、日米だけで全体の9割を占めている。

経済規模からして、日本にとって輸出先はアメリカでしかなく、逆もまた然りである。

ご承知のように、リーマンショック以後、アメリカの景気は悪化の一途を辿っている。

昨年末に横浜で開催されたAPECの演説で、オバマ大統領が「この地域で輸出を増やすことに大きな機会を見出している」と明言しているように、アメリカの景気回復のため、日本への輸出拡大が急務なのだ。

マスコミはTPPについて「関税を撤廃して貿易を自由化する」「農業VS製造業」という報道ばかりしているが、これは極めて一面的な見方と言わざるを得ない。

実はTPPには24もの項目が存在する。その中には例えば政府調達(公共事業)、投資、金融、各種サービス、労働、市場アクセス、紛争解決、知的財産権といったものが含まれている。

言語や文化、法律などのあらゆる非関税障壁を撤廃して、人・モノ・金・サービスの移動をすべて自由化する。これがTPPの本質なのである。

そして、農業の打撃もたしかに大きいが、我々はもっと恐ろしいものに目を向けなければならない。

特に危惧されるのは「法務」「医療」「金融」といったアメリカ社会のガンが日本に入ってくることである。

……さらに詳しくは『致知』10月号136ページで!

※今なら10月号からのお申し込みも受け付けております。

☆詳細・お申し込みはHPにて
 ↓ ↓ ↓
http://www.chichi.co.jp/i/index.html


(転載以上)




三橋貴明さん、経済関係では、今私が最も信頼している方のお一人です。

以前の日記でも三橋さんの著書に触れたことがあります。

 

http://blog.goo.ne.jp/tera-3/e/a2efafaed9d550393c4239f5351c11df 

今日本に浸透してしまっている“情報の歪み”を直そうと努力されている方だと思います。


上記に書かれたTPPについての説明、その実態を浮き彫りにしていると思います。

実は、TPPについては、米国自体、今、かなり熱が冷めているとも聞きます。

即ち、今後の米国経済動向に暗雲が立ち込めて来ている中で、様々な業界における自由化を図ることは、米国の中にも大きな抵抗があるようなのです。


なのに、野田首相の日本政府は、米国にお土産を用意したいと、なぜか頑張ってしまっています。

それが日本の国益に沿うものならいいのですが、そもそも情報自体少なすぎますし、その限られた情報の中でも、そうとは決して言えないもののようです。


更に不思議なのは、本来は、そこに問題意識を向けるべきメディアが、大手新聞、テレビ含めて、なぜかTPP推進の大合唱していることです。 


国民新党の亀井さんが、「乗ってはいけないバスに乗ってはいけない。乗ったら途中で降りることはできない」とTPP参加の交渉に加わることに慎重な発言をされているようです。

その背景は不明ですが、私は、その言葉に賛成です。


““平成”の年号にはどんな意味がある?”

2011-10-12 20:14:14 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。

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     致知出版社の「人間力メルマガ」

                【2011/10/12】 致知出版社編集部 発行
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   いつも人間力メルマガをご愛読いただきまして、
   ありがとうございます。
   
   11月26日(土)丸の内の日本工業倶楽部にて、
   「安岡教学に学ぶ一日セミナー」が開催されます。
   
http://www.chichi.co.jp/event_seminar/3162.html
 
    平成18年より始まった当セミナーも、
    おかげさまで今年で4回目を迎えました。
    
    今回、講師にお招きするのは、
    
    
    ・安岡師の薫陶を受け、財界の第一線で活躍を続ける
     ウシオ電機会長の牛尾治朗氏
    
    
    ・安岡師のご令孫で、現在、子供向けに論語塾を
     開いておられる安岡定子氏
    
    
    ・安岡師の高弟として、96歳の現在も
     東洋古典の学びを深めておられる碩学・伊與田覺氏
    
     
    ・安岡正篤記念館副理事長兼所長として
     安岡教学を次代に伝える活動に尽力しておられる荒井桂氏
     
     
    の4名です。
    
    会場となる日本工業倶楽部は、安岡師がご生前に
    財界人などを前に幾度も講演をされるなど、
    師とも大変ゆかりの深い、由緒ある建物です。
   ⇒ 
http://www.chichi.co.jp/event_seminar/3162.html
    
   
   今回は初めての女性講師となる安岡定子氏にも
   ご講演いただきます。
   
   最近になって安岡正篤師に興味を持たれたという方も、
   安岡教学をより深く学びたいという方も、
   皆さま、どうぞこの機会にご参加ください。
      

          * *
   
      
   以下にご紹介するのは、『致知』7月号に掲載され、
   反響を呼んだ伊與田覺氏と荒井桂氏の対談記事の一部です。
   
   当日は両氏にも講師としてお話しいただきますので、
   どうぞ楽しみにお待ちください。
   皆さまのご参加をお待ちしております。
   ⇒ 
http://www.chichi.co.jp/event_seminar/3162.html


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        「“平成”の年号にはどんな意味がある?」
       


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【伊與田】僕は震災後、平成という年号のことが頭に浮かびました。
         この年号は
        
         「内平らかにして外成る」「地平らかにして天成る」
        
         という意味を込め、安岡正篤先生が考案されたものですね。
        
         ちょうど佐藤栄作総理の頃です。
         昭和から平成に変わった時、先生はすでに他界されていて、
         政府の首脳部の中には生存中の人の意見で
         年号を決めようという声もあったようですけれども、
         最終的には安岡先生の案で落ち着いたらしい。


【荒井】 当時の竹下登首相が、あれは安岡先生の案だと
     ポロッと漏らしたと聞いています。


【伊與田】そう、いつの間にか話が広がってしまいました(笑)。
     ところが、平成の世を迎えても、日本の国情はそうではない。
     
     次々に新しい内閣ができて党内が結束しているかというと、
     とても内平らかどころではない。
     このまま行けば何かが起こる、
     起こらずにはおらんだろうと感じていた時に、
     今回の大震災です。


【荒井】 やはり先生もそうお感じになっていましたか。


【伊與田】安岡先生は早くから、
     これから天変、地異、人妖、
     つまり妖しげな人間が横行するような時代になると
     危惧されておりましたが、
     その三つが出るべくして出てきたという思いがしておりますね。
     
     まことに東北の人々にはお気の毒ですけれども、
     国全体からすると、やはり起こるべくして起こったのではないかと。
     
     50年以上前の話ですが、昭和34年、
     伊勢湾台風が発生して大きな被害がありました。
     
     中でも伊勢神宮は随分とやられました。
     
     古い大木が次々になぎ倒されて、
     宇治橋から正殿まで歩いて一時間もかかるくらい
     惨憺たるものでしたね。
     
     ただ、幸いに内宮も外宮も、木が外側に倒れたために
     損傷はございませんでした。

     安岡先生は常に私情を去って、
     天下国家を我がことの如くお思いになる方でしたから、
     この時に何か強く感じられたと思うんですね。
     
     
     『中庸』には
          
     「至誠の道は以て前知す可し。
      国家将に興らんとすれば必ず禎祥(めでたい兆し)有り。
      国家将に亡びんとすれば必ず妖げつ(妖しい兆し)有り」
      
     とあるが、伊勢湾台風は単なる自然現象ではなしに、
     天が日本人に警鐘を発しているのではないかと。
     それでその翌年に世直し祈願萬燈行大会を
     開くことを発意されるわけです。
 
     伊勢の聖地に二百数十名を集めましてね。
     
    「このままでは日本は将来、必ず禍根を残す」というので、
     一燈行を萬燈行へ広げようと呼びかけられました。
     先生は昭和58年に亡くなる年まで、
     世直し祈願にお顔を出されるんです。


【荒井】「一燈照隅、萬燈照国」という安岡先生の
     提唱の言葉がございますが、
     自らの周囲を明るく照らす人が増え、
     その数が万人になれば国中が明るくなる。

     それが誰もができる真の世直し行である
     という思いを込められたのですね。



……………………………………………………
●安岡正篤師プロフィール
……………………………………………………

 1898年〜1983年。
 昭和の名宰相とされる佐藤栄作首相から、
 中曽根康弘首相に至るまで、昭和歴代首相の指南役を務め、
 さらには三菱グループ、東京電力、住友グループ、近鉄グループ等々、
 昭和を代表する多くの財界人に師と仰がれた。

 その東洋学に裏打ちされた該博な知識と
 人物としての魅力によって、日本のトップ・リーダーたちに、
 わが国の進むべき道を常に指し示してきた人物である。

(転載以上)


安岡正篤さん、尊敬いたしております。

平成という元号、

“「内平らかにして外成る」「地平らかにして天成る」” 
         
 という意味を込めて、安岡さんが考案されたものだったのですね。

 

その当時、元号自体を廃止するという話もあったようで、すったもんだのあげくに“平成”という元号をつけることになったと聞いています。

本当によかったと思います。

 

“「内平らかにして外成る」「地平らかにして天成る」”

いい言葉ですね。

しかし、残念ながらまだまだそのような時代にはなっていませんね。

 

“安岡先生は早くから、 これから天変、地異、人妖、
つまり妖しげな人間が横行するような時代になると 危惧されておりましたが、
その三つが出るべくして出てきたという思いがしておりますね。”

その言葉通りの世になってしまっているように思います。

伊勢湾台風の時に、天が日本人に警鐘を発しているのではないかと、感じられたのですね。

そして、そこから実際に行動していかれました。

 

 “「一燈照隅、萬燈照国」”

 
“自らの周囲を明るく照らす人が増え、
その数が万人になれば国中が明るくなる。
それが誰もができる真の世直し行である。”

私の大好きな言葉です。 
   


“ノンタイタニック経営とは”

2011-10-12 19:46:45 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。


  ●『致知』11月号 特集テーマ「人物を創る」
     ⇒ 
http://www.chichi.co.jp/monthly/201111_pickup.html
     
         ※『致知』は書店では販売しておりません。
    
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     致知出版社の「人間力メルマガ」

                【2011/10/12】 致知出版社編集部 発行
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   そのエッセンスの一部をご紹介しています。

       * *

   現在発行中の『致知』11月号では、
   一代で一兆円企業を築き上げた京セラ・稲盛和夫氏を、
   創業メンバーの一人として支え続けてきた伊藤謙介氏の
   インタビュー記事が掲載されています。

   本日はその中から、伊藤氏が語られた
   ご自身の経営観をご紹介いたします。


────────────────────────────────────


        「ノンタイタニック経営」
       
       
            伊藤謙介(京セラ相談役) 
        
            『致知』2011年11月号
             特集「人生は心一つの置きどころ」より
       
http://www.chichi.co.jp/monthly/201111_pickup.html#pick2


────────────────────────────────────

(記者:創業期から稲盛名誉会長とともに仕事をしてこられた
    ご体験を踏まえ、経営で大切なことは何だとお考えでしょうか)


会社は、表向きの業績数値だけでは測れない風土、文化、
また理念というものが大事です。


私はそれを踏まえて常々



「ノンタイタニック経営」



ということを話しています。


タイタニックというのは映画でも有名な豪華客船で、
百年くらい前、航海中に氷山にぶつかり
二千名近くもの乗員乗客が亡くなる大惨事となりました。

私はこの事件を経営の教訓にするべく、
次のように自己流に解釈しています。

氷山というのは八割方水面下に沈んでいるものです。

タイタニックの船長は、不意に海上に現れた突起を見て
慌てて舵を切りました。
何とか蹴散らして進もうとしたのですが、
船は真っ二つに大破して沈没しました。

あのタイタニックでもびくともしないほど
巨大な氷山が水面下に潜んでいたわけです。

同様に経営においても、多くの人は水面上の突起、
つまり目に見えるものしか見ていないのです。

会社も表向きの業績数字だけではなく、
水面下に哲学や理念、情熱、思い、夢といったものがあります。
その見えない部分を充実させてこそ
水面上の突起の部分も充実してくる。


それを私はノンタイタニック経営と
呼んでいるのです。


京セラが本社を構える京都には
素晴らしい企業がたくさんありますが、
いずれも創業者や、その哲学や理念をしっかり継承した
二代目、三代目が頑張っておられます。

いい企業というのは、創業者の哲学や理念が
社員の中でしっかりと生きているのです。

当社も稲盛の哲学や理念をまとめた
京セラフィロソフィを全社に浸透させることで
大きな成長を遂げてきたのです。


(記者:稲盛名誉会長が日本航空を一年で黒字転換させたところにも、
    フィロソフィの力が見出されます)


私は日本航空についてはよく分かりませんが、
ダメな会社というのは結局幹部がダメなのです。
社員は一所懸命働いていても、
幹部がだらけていたらそれが全体に伝わって、
組織全体が弛緩してしまうものです。

全従業員の意識の集約したものが会社であり、
会社の社格は、創業の哲学をもとに
どういう人格の社員をつくり上げているか、
つまり人格×社員の総数で表されると私は考えます。

ですから経営者は、立派な幹部、立派な社員を
つくり上げていくことが最大の仕事であり、
そこに企業内教育の重要性があるのです。

(転載以上)


 

“経営においても、多くの人は水面上の突起、
つまり目に見えるものしか見ていないのです。

会社も表向きの業績数字だけではなく、
水面下に哲学や理念、情熱、思い、夢といったものがあります。
その見えない部分を充実させてこそ
水面上の突起の部分も充実してくる。”

「ノンタイタニック経営」 、面白い考え方だと思います。
そして、水面下の見えないものを把握する力は、今、とても必要なものだと思います。

たとえ似た結論を出しても、その背景の理解の仕方によって、大きく命運が分かれてしまうこともあるのではないかと思います。

 

“全従業員の意識の集約したものが会社であり、
会社の社格は、創業の哲学をもとに
どういう人格の社員をつくり上げているか、
つまり人格×社員の総数で表されると私は考えます。”

 

全従業員の意識の集約したものが会社、人格×社員数・・・

そうした考え方に本気で取り組んだからこそ、今の京セラが生まれたのでしょうね。

 


“生と死に向き合い、「いま、ここ」を生きる”

2011-10-11 04:30:30 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。


(転載開始)

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『致知』最新号をご覧になりたい方はこちらへ(電子ブック)
⇒ 
http://mixpaper.jp/scr/viewer.php?id=4e8a73e373a9d

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     致知出版社の「人間力メルマガ」

                【2011/10/10】 致知出版社編集部 発行
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本日は『致知』の人気連載コーナー「致知随想」の中から、
特に反響の多かった記事をセレクトしてご紹介します。

今回は2005年9月号に掲載された
自殺防止センター東京前所長・西原由記子氏の
心に染みる随想です。

ぜひ最後までお読みください。


────────────────────────────────────
■「致知随想」ベストセレクション 
────────────────────────────────────



       「生と死に向き合い
       “いま、ここ”を生きる」
       
       
       
            西原由記子(自殺防止センター東京前所長)

        
               『致知』2005年9月号より


………………………………………………………………………………………………

 私が電話による自殺相談のボランティアを始めたのは、
 いまから約三十年ほど前、一人の青年の死がきっかけでした。

 クリスチャンの私は当時、牧師の夫と一緒に
 大阪の教会で働いていました。
 そこに四、五年ほど出入りしていた青年が、
 「今度の日曜日、行けませんけどもよろしく」と
 私に電話をかけたのを最後に自殺してしまったのです。
 
 それを聞いた瞬間は、
 ショックのあまり血液がカーッと凝固し、
 体が硬直したようになり、
 どうして気がついてあげられなかったのだろうと
 自分を責めもしました。
 
 後に彼の母親から、躁鬱病で以前にも
 自殺未遂をしていたことを聞き、
 
 
 「私は彼について何も知らなかった。
   知らないということは無責任であり、
   愛がないのと等しい」
   
 
 と考えさせられたのです。
 
 この青年を救えなかったことに対する
 自責の念を持つだけではなく、
 二度と同じことが起こらないように、
 自殺のサインに気がつき、
 事前に防がなければいけないと思いました。
 
 
 そこで一九七八年に大阪に「自殺防止センター」を創設、
 九八年に年間自殺者が三万人を超えた
 ちょうどその年に東京にも支部を設立し、
 活動を開始しました。
 
 現在、東京支部では約五十名のボランティアが
 ローテーションを組み、二十時から翌朝六時まで
 年中無休で電話による自殺相談を受けつけています。
 
 相談件数は一日約三十件ほどで、
 二台の電話は鳴り止むことがありません。
 
 必要に応じて面接による相談や、
 緊急出動による救援活動にもあたっています。
 
 総じて自殺志願者は人に悩みを相談できずに、
 孤立無援状態で、生きている意味を
 感じられなくなっている場合が多いのです。
 
 だから私たちは一所懸命エネルギーを傾けて相手の話を聴き、
 相手の境遇に共感することを大事にします。
 聴くということが、彼らにとって大きな精神的支えになるのです。
 
 
 ある時、「もう電話が終わったら死にます」
 という男性がいました。
 
 彼は仕事で正当に評価されず、
 人を信用できなくなっていました。
 
 そこで「死んではいけない」と言うのではなく、
 私は彼の話をただ無条件、無批判で一所懸命聴きました。
 
 一通り聴き終えると、
 
 
 「あなたの話を伺いながら、
   私は心臓をわし掴みにされた思いです」
   
 
 と感じたままを話したのです。
 
 すると彼は心を開き、奥様にさえ言えない、
 真の心の叫びを話してくれました。
 
 そこで私はハッと気がつき、
 
 
 「人が信頼できないとおっしゃりながら、
  顔も見えない、どこの誰かも分からない相手に向かって、
  あなたは真実をおっしゃってくれましたね。
  
  私というものを信頼して話してくださったのですね」
  
  
 と言いました。

 すると彼もハッとし、
 
 
 「僕はもう人は絶対信じきれないと思っていたのですが、
  いまあなたに話を聴いてもらううちに、
  まだ人を信じたいという気持ちが
  残っていたことに気がつきました。
  もう一度やり直してみます」
  
  
 と言って電話が切れたのです。

 こちらが親身になって話を聴くことで、
 相手は命を絶つのを止め、
 またやり直そうと考えてくれました。
 
 私は嬉しさのあまり興奮し、
 次の交代の人が来るとすぐに、
 「聞いて! 聞いて!」といまの出来事を話しました。
 
 一本の電話にずしりと重いものを感じたのです。


 電話の相手に対して「あなたにも非がある」と、
 批判や欠点はいくらでも言えます。
 
 しかし私はこの活動を進めるうちに、
 どんな人に対しても常にポジティブになれる自分を
 育てようと決めました。

 それは自分自身に対しても同じです。
 
 例えば「きょうはよく頑張ったね」と誉めてあげる。
 要するに自分を大事にすることです。
 電話の相手に対してもよく
 「自分を大事にしてくださいね」と言います。


 しかしほとんどの人がどう自分を大事にしていいか分からず、
 周りに一所懸命気を使ってくたくたになっています。
 
 人間関係はまず自分を基本に考えること。
 他人と違いがあっても、無理に合わせるのではなく、
 その違いを楽しむ柔軟性が必要であると思うのです。
 
 世界には一人として自分と同じ人間はいません。
 だからこそ自分の長所も短所も素直に認めて、
 自分らしさを大事にしてもらいたいと思います。

 時には、相談に乗った方が自殺してしまうこともあります。
 けれど死んだという事実を受け止め、
 その人の決断を尊重してあげなければいけないと思っています。
 
 最後に生死を決めるのは、その人自身なのです。


 しかし私はその前に一所懸命相手の話を聴きます。
 
 いま、ここで自分にできる精一杯のことをするのです。
 だからこそ相談を終え、受話器を下ろした後、
 
 
 「神様、私はいま一所懸命、この人に関わりました。
  この人の話を聴きました。後はどうぞおまかせします」
  
  
 と祈る思いになるのです。
 
 生と死は裏返しであり、死と常に向き合うということは、
 きょうをどう生きるかに繋がります。
 
 
 「いま、ここ」を大切に、電話越しに
 どう生きた会話ができるか。
 それが私の最も大事にすることです。

 自殺者が増加する昨今において、多くの人々に、
 いま、ここに生きていることの大切さ、
 自分自身の大切さを分かってもらえればと願っています。

(転載以上)

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電話による自殺相談のボランティア、大変なお仕事だと想像します。

一人の青年の死を、我が身に受け止め、そこから行動して行かれたのですね。



「電話が終わったら死にます」とかかって来た男性への言葉、

“「人が信頼できないとおっしゃりながら、
  顔も見えない、どこの誰かも分からない相手に向かって、
  あなたは真実をおっしゃってくれましたね。
  
  私というものを信頼して話してくださったのですね」”


心の底から出た、素晴らしい言葉ですね。


“時には、相談に乗った方が自殺してしまうこともあります。
 けれど死んだという事実を受け止め、
 その人の決断を尊重してあげなければいけないと思っています。
 
 最後に生死を決めるのは、その人自身なのです。”


このように考えられるまで、様々な出来事や思いがあったのではないでしょうか。

そしてこの言葉は真実だと思います。


“生と死は裏返しであり、死と常に向き合うということは、
 きょうをどう生きるかに繋がります。”
 
“「いま、ここ」を大切に、電話越しに
 どう生きた会話ができるか。
 それが私の最も大事にすることです。”


自分の全てが凝縮された「いま、ここ」を大切にすること、それは全ての人に共通することですね。


“白鵬横綱と、昭和の大横綱大鵬氏との対談(後半)”

2011-10-11 04:20:20 | 日記

致知出版社「偉人たちの一日一言」より、昨日、転載させて頂いた両横綱対談の後半です。



(転載開始)

┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓

    「偉人たちの一日一言」
 
     〜致知出版社が贈る人生を養う言葉〜
               発行 (株)致知出版社

┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

―――――――――――――――――――――――――
 今日の言葉【特別編】 2011年10月10日(月)
―――――――――――――――――――――――――

本日は、体育の日。

昨日に引き続き、
先の秋場所で20回目の優勝を飾った横綱・白鵬関と
昭和の大横綱・大鵬氏との特別対談をお届けします。

国技・相撲の世界で頂点を極めたお二人のお言葉から、
仕事や人生を極めるヒントをつかんでください。


--------------------------------------------------

【大鵬】
 相撲は真剣の勝負と一緒です。
 土俵の俵(たわら)が剣(けん)が峰(みね)、刃なんです。
 そこから出たら死ぬということですよ。
 
 特に横綱にある間は、土俵から出たら死ぬんだ
 というくらいの気持ちで取り組んできました。

 しかし、勝とうという気持ちがなかったら勝てないけれど、
 逆に勝とうという気持ちが強すぎると、
 固くなって負けてしまう。
 本当にその心の置きどころが難しい。


【白鵬】
 相手もみんな厳しい稽古を積んできた関取ですから、
 横綱とはいえ、ちょっとでも気持ちが弱くなって
 相手に自分の型に持っていかれたら負けます。


【大鵬】
 結局、その心を調節できなければ負けるわけです。

 調節できるようになるためには、
 やっぱり自分の体で稽古をするしかないと思います。

 稽古でつらい思いをして、本場所で勝った負けたで悔しい思いをして、
 それが全部自分の身になるわけだから。


【白鵬】
 双葉山関が名言を残しています。

「稽古は本場所のごとく、本場所は稽古のごとく」

 こういう境地を目指して稽古と本場所に
 取り組んでいくということですよね。

 心の置きどころという意味では、
 私は「流れ」というものを大事にしています。
 土俵では無心になり、流れに従って体が動くに任せるのが理想です。

 ただ、その「流れ」は土俵の上だけでなく、
 普段から規則正しい生活をすることやルーティンを
 守ることも一つの「流れ」だし、
 細かいことを気にせず、無の境地に達する準備をしておくことも流れ。

 つまり、場所前の流れ、場所中の流れ、場所後の流れというのが、
 すべてあの何秒かで繋がっている。そのように考えています。

 だからおっしゃるとおり、稽古だからどうとか、
 本場所だからどうということなく、
 一瞬一瞬の心の置きどころが相撲の勝敗を決めるし、
 それが積み重なって相撲人生が決まるわけです。


--------------------------------------------------

11ページにわたる対談が反響を呼んでいます!

●『致知』2011年11月号より
 対談/吾、相撲の道を極めん」
   納谷幸喜(大鵬/第48代横綱)&
白鵬翔(第69代横綱)
⇒ 
http://www.chichi.co.jp/monthly/201111_pickup.html#pick1


(転載終了)



“勝とうという気持ちがなかったら勝てないけれど、
 逆に勝とうという気持ちが強すぎると、
 固くなって負けてしまう。
 本当にその心の置きどころが難しい。”(大鵬氏)

大横綱もやはりそうだったのですね。

やはりあらゆる人に共通することなのですね。


“心の置きどころという意味では、
 私は「流れ」というものを大事にしています。
 土俵では無心になり、流れに従って体が動くに任せるのが理想です。

 ただ、その「流れ」は土俵の上だけでなく、
 普段から規則正しい生活をすることやルーティンを
 守ることも一つの「流れ」だし、
 細かいことを気にせず、無の境地に達する準備をしておくことも流れ。

 つまり、場所前の流れ、場所中の流れ、場所後の流れというのが、
 すべてあの何秒かで繋がっている。そのように考えています。” (横綱・白鵬関)


“規則正しい生活をすることやルーティンを守ることも一つの「流れ」”

とする一方で、

“細かいことを気にせず、無の境地に達する準備をしておくことも流れ”


と、一見相反して見えることに、共通した「流れ」を感知されているところに、白鵬関のとてつもなく奥深い感受性を感じます。


“白鵬横綱と、昭和の大横綱大鵬氏との対談”

2011-10-10 01:50:22 | 日記

致知出版社、「偉人たちの一日一言」よりです。


┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓

    「偉人たちの一日一言」
 
     〜致知出版社が贈る人生を養う言葉〜
               発行 (株)致知出版社

┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

―――――――――――――――――――――――――
 今日の言葉【特別編】 2011年10月9日(日)
―――――――――――――――――――――――――


先の大相撲秋場所で史上6人目となる
20回目の優勝を飾った横綱・白鵬関。

相撲界の歴史に名を刻む、
平成の大横綱としての道を歩んでいます。

その強さの秘訣は何か。

この連休は、その白鵬関が尊敬する
昭和の大横綱・大鵬氏との特別対談をお届けします。


明日は体育の日。
スポーツの枠を超えた国技・相撲の世界で
頂点を極めたお二人のお言葉から、
仕事や人生を極めるヒントをつかんでください。


--------------------------------------------------


【大鵬】
 私は弟子たちには
「相撲社会に入ったら、一般社会の考えは捨てろ」
 と言っています。

 要するに、「相撲バカ」になれということです。
 愚直に体を痛めつけて、自分の体で覚えろ、自分の体で体得せよ、と。
 みんな夢だとか目標だとか言うけれども、そういうことではないよと。

 毎日毎日同じことの繰り返し。
 コツコツ、一つのことを繰り返し続けることです。

 大事なのは何の変哲もない丸い土俵から何を学ぶか、
 ということですよ。

 いろいろな人に会って話をするのもいいけれども、
 自分の心ができていないのにいくら話を聞いても
 それ以上のことは吸収できません。

 相撲取りが心をつくるのは、土俵でしかないんです。


【白鵬】
 相撲や武道は「心・技・体」が大切だといわれますが、
「体・技・心」でもない、「技・体・心」でもない。
 やっぱり心が一番上です。

 体をつくることや技を磨くことと比べて、
 心を育てるのは難しい。

 だけれども勝つためには心が八割、技が二割、
 体はゼロじゃないかと思います。


【大鵬】
 だから、不動心もそうだし、「忍」も刃に心。
 大切なのは心だという意味でしょう。


【白鵬】
 心は一番大切だけれども、目に見えないから、
 忘れないように「心・技・体」と一番上にあるのかもしれません。
              (明日につづく)


--------------------------------------------------

11ページにわたる対談が反響を呼んでいます!

●『致知』2011年11月号より
「対談/吾、相撲の道を極めん」
   納谷幸喜(大鵬/第48代横綱)&白鵬翔(第69代横綱)
⇒ 
http://www.chichi.co.jp/monthly/201111_pickup.html#pick1

(転載以上)


 

横綱白鵬関と、白鵬関が尊敬する 昭和の大横綱・大鵬氏との特別対談、迫力があります。

 

“大事なのは何の変哲もない丸い土俵から何を学ぶか、ということですよ。” (大鵬氏)

“勝つためには心が八割、技が二割、体はゼロじゃないかと思います。” (白鵬関)

 

「心・技・体」の三要素のうち、“体はゼロ”と言い切るところに底知れない迫力を感じます。

私は、なぜか白鵬関に三度もお会いしたことがあります。

と言っても、ただすぐ横をすれ違っただけなのですが。(笑)

 

たまたまスペインから東京への別々の出張中に、一度は、空港で、2度はホテルですれ違いました。

そのとてつもなく大きく、包み込むようなオーラに圧倒され、ただただ立ち止まって眺めるのみでした。

 

3度目の時は、こちらに目を向け、微笑みかけて頂きました。

なので勝手にご縁を感じています。(笑)

 

白鵬関は、真の日本の心を持った横綱さんだと思っています。


“神様の女房・松下むめの氏が遺したもの”

2011-10-10 01:25:23 | 日記

「致知一日一言」よりです。

(転載開始)


「致知一日一言」読者の皆様

いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。

現在放映中のNHKドラマスペシャル『神様の女房』で、女優・常盤貴子が演じ話題となっている松下幸之助氏の妻・むめの夫人。

『致知』11月号では、松下家最後の執事・高橋誠之助氏が、むめの夫人の知られざるエピソードを語っています。

一代で松下電器(現・パナソニック)を世界的企業へと育て上げ、経営の神様といわれた松下幸之助氏を支えたむめの夫人とは如何なる人物だったのか。

松下むめの夫人の生きざまから、苦難困難を乗り越える心の処し方を学びます。

 * * *

大正6年、幸之助さんが22歳の時に電燈会社を辞め、ソケット製造の仕事を始めます。

しかし、まったく商売が分からず、売れない日々が続きました。

嫁入り道具として持ってきた指輪や着物を質入れして事業資金を調達していましたが、それも底を突き、ある時、風呂に行くお金もなかったといいます。

「当時はお風呂代が確か2銭だったと思いますが、その2銭がなかったのです。

主人は一日中、仕事場で没頭して、体は汗だらけ、汚れてしまっているわけです。

ですからどうしてもお風呂へ入らなくてはならない。主人は手拭いを持って『これから風呂へ行くからお金を』と言うのです。

その時、私は『お風呂代がない』とは言えません。主人にそんなことで心配させるのは悪いと思って……」

この時、むめのさんは「どうも調子が悪いから一度あなたに見てもらいたいといわれている品物があるのですが」と言ったそうです。

すると、幸之助さんは手拭いを放って、その品物を触り出し、お風呂に行くことも忘れて没頭してしまったといいます。

その間、むめのさんはお湯を沸かし、幸之助さんの仕事が終わった頃に

「きょうは遅くなりましたから、お風呂に行くのをやめて、行水でもしたらどうですか。ちょうどお湯も沸いていますし、捨てるのがもったいないので……」

と言って、その場を凌いだそうです。

夫に生活のことで心配をかけてはいけない。若き日のむめのさんの健気な思いが伝わってくるエピソードです。

晩年、むめのさんは創業期のことを振り返り、このようにおっしゃっています。

「よく皆さん“ご苦労なさったでしょう”と言ってくださるのですが、私自身は少しも苦労だとは思いませんでした。

“苦労”と“難儀”とは、私は別のものだと思っています。“苦労”とは心のもちようで感ずるものだと思うのです。

ものがない、お金がないというのが苦労だといわれる方がありますが、私はこれは“難儀”だと解しています。

苦労は気分の問題であり、難儀とは別のものではないでしょうか」

……続きは本誌30ページで!

※『致知』には毎号、あなたの人間力アップに役立つ記事が満載です。

☆詳細・お申し込みはHPにて
 ↓ ↓ ↓
http://www.chichi.co.jp/i/index.html


NHKドラマスペシャルで、『神様の女房』という番組があるのですね。

松下幸之助さんを支えた奥様、むねのさんのお話なのですね。

是非、見たいです!でも、スペインでは・・・(笑)

 

お風呂のエピソード、心に残ります。

“「きょうは遅くなりましたから、お風呂に行くのをやめて、行水でもしたらどうですか。ちょうどお湯も沸いていますし、捨てるのがもったいないので……」 ”

2銭の風呂代も払えない中で、ご主人に心配をかけまいととんちをきかせながらベストを尽くす姿、凄いです。

““苦労”と“難儀”とは、私は別のものだと思っています。“苦労”とは心のもちようで感ずるものだと思うのです。

ものがない、お金がないというのが苦労だといわれる方がありますが、私はこれは“難儀”だと解しています。

苦労は気分の問題であり、難儀とは別のものではないでしょうか”

 

“苦労とは心のもちよう”、苦労だと考えない思考方法に、大きな秘密があるような気がします。

 


“子どもは遊びが仕事、遊びが学び”

2011-10-10 00:44:44 | 日記

致知一日一言よりです。

(転載開始)


「致知一日一言」読者の皆様

いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。

昨年、国内の建築物として初めてOECD(経済協力開発機構)が主催する学校施設好事例最優秀賞に選ばれた東京都立川の「ふじようちえん」。

「子どもは遊びが仕事、遊びが学び」というコンセプトのもと、広い芝生の園庭を囲むように建てられたドーナツ型の平屋園舎が特徴的です。

『致知』11月号では、園長を務める加藤積一氏に園舎の改築秘話と幼児教育に懸ける思いを語っていただきました。

 * * *

園舎には子どもが育つための様々な仕掛けが施されていますが、中でも皆さんが注目されるのは、園舎の屋根の上が円形の運動場になっていることです。

子どもたちは、この屋根の上で全力疾走をしたり、鬼ごっこをするなど、とにかく元気いっぱいに走り回ります。

1周は約180m、円形なので行き止まりがありません。そこを1日に30周したという園児もいるほどで、30周では5km以上にもなります。

ある大学生が、サッカー教室も行っている都内の幼稚園児と当園の子どもたちとの1日の運動量・歩数を比較したところ、驚くことに当園のほうが3倍も多かったという報告もなされています。

大人からの強制も特別な遊具もなく、子どもたちが自分の意思でこれほど走り回りたくなる環境は、いまの都会の生活には存在しないのではないでしょうか。

私たちは高度経済成長期以降、便利さを追求しオートマティックな社会を築いてきました。手を出せば水が流れ、部屋に入れば電気がつく。自ら身体を動かし筋肉を使わなくとも、自動で何でもしてくれる世の中です。

果たしてそれは本当に便利な社会といえるのか。よく考えてみると、いまの社会は子どもが育つにはとても「不自由」な環境だと思うのです。

自然の中に身を置き、本物の土や木、水や空気、一面に広がる空や風を感じながら、石に躓き転んだり、カブトムシを触って噛まれたりする。そうした実体験を通して子どもは育っていきます。

私は常日頃から、「“How to”で生きるより“To do”で生きる子どもを育てよう」と話しています。

子どもには、処世の術を教えるよりも、自分は何をしたいのかという意志を持たせることが大切だと思うのです。

……続きは本誌85ページで!

※『致知』には毎号、あなたの人間力アップに役立つ記事が満載です。

☆詳細・お申し込みはHPにて
 ↓ ↓ ↓
http://www.chichi.co.jp/i/index.html

(転載以上)


“園舎の屋根の上が円形の運動場になっている”ふじようちえん。

「子どもは遊びが仕事、遊びが学び」というコンセプト、素晴らしいですね!

“自然の中に身を置き、本物の土や木、水や空気、一面に広がる空や風を感じながら、石に躓き転んだり、カブトムシを触って噛まれたりする。そうした実体験を通して子どもは育っていきます。”

全くその通りで、今は、そうした場所を捜すこと自体大変です。

時間はかかるかも知れませんが、こうした意識をみんなが少しずつ持つ中で、いい環境が蘇っていくのだと思います。

 

“「“How to”で生きるより“To do”で生きる子どもを育てよう」”

“子どもには、処世の術を教えるよりも、自分は何をしたいのかという意志を持たせることが大切だと思うのです。”

 

今、この言葉こそ大切なものはないと思っています。

それは大人の私たちも同じことだと思います。 


“あなたを待っている誰かや何か、とは”

2011-10-09 04:22:22 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。

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     致知出版社の「人間力メルマガ」

                【2011/10/8】 致知出版社編集部 発行
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   このメールマガジンでは、
   人間学を学ぶ月刊誌『致知』より
   そのエッセンスの一部をご紹介しています。

       * *

      ナチスの強制収容所を生き抜いたことで知られる
      精神科医、V・E・フランクル博士。

   現在発行中の『致知』11月号では、
   その直弟子である永田勝太郎氏と、
   博士に大きな影響を受けられた鎌田實氏による
   対談記事が掲載されています。
   
      
      本日は、死の淵にいた永田氏を救った
      フランクル博士の言葉をご紹介いたします。


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        「人生はあなたに絶望していない」
       
       
       
            永田勝太郎(財団法人 国際全人医療研究所理事長) 
        
              『致知』2011年11月号
               特集「人生は心一つの置きどころ」より
       
http://www.chichi.co.jp/monthly/201111_pickup.html#pick3


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これは十三年前のことですが、ある時大病を患って、
突然歩けなくなってしまったんです。

何だろうと思っているうちに立つことも
できなくなって寝たきりになり、
ベッドのそばにあるトイレにすら
自分の力では行くことができなくなりました。

薬の副作用のため、末梢から筋肉が萎縮し、
力が抜けていくという病気でした。


そういう状況の中で、頭の中では何を考えていたかというと、
人間は死を受容できるのかということでした。

自分がまもなく確実に死ぬと思っていましたから、
毎日毎日天井を見ながらそのことばかりを考え続けました。

ただその時に、あの世はあるかということは思わなかった。
自分がもし万が一生きられたらって、いつも思っていましたね。

つまり、死んだらどうなるかということよりも、
生き延びることができたら、自分の人生を
何に使おうかと考えたわけです。

だから僕も楽観的だったと思うんですが、
散々悶々と考えた挙げ句に出た結論は、
俺は死を受容できないということでした。


受け入れられないから、もし死んだら化けて出るだろうと(笑)。
だったら生きるしかないだろうと思うようになったんですね。

ところが病状は日に日に悪化し、
ペン一本すら重たくて持てない。

眠るたびに酷い悪夢に襲われ、全身汗だくになって目が覚める。

僕が倒れたのはフランクル先生が亡くなった
翌年の一九九八年だったんですが、
僕はとうとう彼の奥さんにこんな手紙を書きました。


「エリーさん、さようなら。
 僕はいま死ぬような大病を患っているんだ。

 もう二度とウィーンの街を歩き回ることもないだろう。
 これから先生の元へ行きますよ」。


 そしたらエリーさん、慌てて返事をくれましてね。
 
 
 「あなたがそんな病気でいるなんて、とても信じられない。
 
  私は医者ではないから、
  あなたに何もしてあげることはできない。
 
  けれども生前、ヴィクトールが
  私にいつも言っていた言葉をあなたに贈ろう」。


この言葉が僕を蘇らせてくれたんですね。
 



 「人間誰しもアウシュビッツ(苦悩)を持っている。



  しかしあなたが人生に絶望しても、



  人生はあなたに絶望していない。


  
  あなたを待っている誰かや何かがある限り、



  あなたは生き延びることができるし、自己実現できる」。




この手紙を僕は何百回も読み返しました。
そうして考えたのは、いまの自分にとっての生きる意味とは
何だろうということでした。

そして考え続けた結果、
「あなたを待っている誰かや何か」の焦点は
私にとっては医学教育であり、
生きる意味は探せばちゃんとあるのだと感じたんです。

それから私はよし、と気合いを入れ直してリハビリに専心し、
毎日鍼治療も受けました。

さらに漢方薬や温泉療法なども行って、
二年後には奇跡的に職場復帰まで果たすことができたんです。


(エリーさんの)あの言葉がなかったら
僕はいまここにいませんよ。

医療もまさに心一つの置きどころで、
患者の側が自ら治ろうという気概を持たなければ
何も起こらない。

僕はこれを傘に例えているんですが、
傘には布と芯の部分がある。
布の部分は医療者や家族であり、
芯の部分が患者さん本人ですよ。

これがなければ、傘の用をなさないですよね。
僕はこれをアンブレラ理論と呼んでいますが、
治療には絶対に必要なものと考えています。

(転載以上)
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フランクルさんの「夜と霧」という本をご存じの方も多いと思います。

アウシュビッツ強制収容所での極限状況における体験が、客観的な自己分析をしながら書かれた名著です。

永田さんは、そのフランクルさんのお弟子さんだったのですね。

その永田さんが難病にかかってしまう。

“薬の副作用のため、末梢から筋肉が萎縮し、力が抜けていくという病気”

“眠るたびに酷い悪夢に襲われ、全身汗だくになって目が覚める。”

“自分がまもなく確実に死ぬと思っていましたから、
毎日毎日天井を見ながらそのことばかりを考え続けました。”

そんな、極限状況で永田さんを救ったのはやはりフランクルさんの言葉だったのですね。

“そして考え続けた結果、
「あなたを待っている誰かや何か」の焦点は
私にとっては医学教育であり、
生きる意味は探せばちゃんとあるのだと感じたんです。”

“患者の側が自ら治ろうという気概を持たなければ
何も起こらない。” 

“傘には布と芯の部分がある。
布の部分は医療者や家族であり、
芯の部分が患者さん本人ですよ。

これがなければ、傘の用をなさないですよね。”

自らの体験から得た理論は、最強ですね。


“当然の限度の高い人とは”

2011-10-07 04:15:15 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。

       ●『致知』11月号 特集テーマ「人物を創る」
     ⇒ 
http://www.chichi.co.jp/monthly/201111_pickup.html

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                【2011/10/6】 致知出版社編集部 発行
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   人間学を学ぶ月刊誌『致知』より
   そのエッセンスの一部をご紹介しています。

       * *
       
   本日は「青汁」でおなじみ、
   キューサイ創業者・長谷川常雄氏の
   14年前のインタビュー記事をご紹介します。


────────────────────────────────────


       「当然の限度の高い社員。青天井型社員」
       
       
            長谷川常雄(キューサイ社長)

        
            『致知』1997年5月号
             特集「リーダーシップの本質」より
            

                      ※肩書きは掲載当時です。

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(長谷川社長は十数年で青汁を年商131憶円<末端
ベース>の事業に
 育てられたわけですが、そのエネルギーの源泉はどこにあるのですか)
 

これもまた難しい質問ですね(笑)。
先程いったように、私は仕事にのめり込む人間なんです。

でないといい仕事ができないと思っている。
経営計画書にも、切望する社員の人間像として
そう明記しています。


第一は、仕事に対して、こうしたいああしたいという
強い「念」を持っている人。


第二に、その仕事を成し遂げる「パワー」のある人。


第三に、その仕事に「のめり込む」人。



この他に何項目かあるのですが、例えば、



「当然の限度の高い社員。青天井型社員」



というのがある。

たとえば、ソフトバンクという会社は
翌日決算のできる会社です。
普通は翌月に月次決算が出ない会社がいくらでもある。

そんな会社で翌日決算を出せといっても、
そんなことは無理ですとなる。

しかし、社長の私はいろんな会社を見てますから、
そんなことは「当然できる」という。

それが「当然の限度が高い」ということです。
その限度は上層部の人間ほど高くなっていくもので、
社長が一番高い。

社員にも「当然の限度」を高くしていってもらいたい。
そして最後には、何でもできるという
「青天井型の社員」になってもらいたい。


       * *


そしてもう一つ私のエネルギーの元といえば、
くよくよしないことです。

中村天風(てんぷう)先生の本にこういうのがあります。

虎に追いかけられて木に登ったら、
木の上から
大蛇が出てきた。

枝に逃げたら、ポキッと枝が折れた。
下は断崖絶壁。

蔓に飛び移ると、ポリポリと音がする。
見上げるとリスが蔓を噛んでいる。


「さあ、どうする」と聞かれた天風先生は何と答えたか。
先生は「落ちてから考える」(笑)とおっしゃったそうです。


私も「落ちてから考える」タイプの人間なんです。
頭には「いま、ここ」しかない。

過去の過ちも功績も
「そりゃそうだろう。それでよかったし、当然なんだ」と認め、
受け入れ、悲観せず、
有頂天にもならない。

また、将来のことは、戦略や予測は真剣に考えるが、
思い煩うことはしない。過去も未来も、
煩いをスッパリ切り捨て、いま、ここに集中する。
これを
前後際断(ぜんごさいだん)というそうです。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━(転載以上)


“当然の限度の高い社員”という表現、面白いですね。

これは当然出来る!、と思えるハードルがどこまで高いのか、ということなのですね。


“その限度は上層部の人間ほど高くなっていくもので、社長が一番高い。”

長谷川さんは、“その限度は上層部の人間ほど高くなっていくもの”と、当然(笑)考えていらっしゃるようですが、
必ずしも、そうでない会社も実は多いのではないでしょうか。

しかし、長谷川さんが、当然そうなっていると信じているということは、この会社自体が、“当然の限度の高い会社”であるという証明でもあるのでしょうね。


中村天風先生、尊敬しています。

所謂、絶対絶命の時、どうすのか?という質問に対する答え、


「落ちてから考える」(笑)、いいですね。

“頭には「いま、ここ」しかない。”


過去も、

“「そりゃそうだろう。それでよかったし、当然なんだ」と認め、
受け入れ、悲観せず、有頂天にもならない。”

将来も、

“戦略や予測は真剣に考えるが、思い煩うことはしない。
過去も未来も、煩いをスッパリ切り捨て、いま、ここに集中する。”

“前後際断(ぜんごさいだん)”、いいですね!


“最悪の状態の中の仏心、これが真実の仏心”

2011-10-05 03:44:44 | 日記

致知出版社よりお送り頂く「人間力メルマガ」よりです。

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     致知出版社の「人間力メルマガ」

                【2011/10/4】 致知出版社編集部 発行
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   このメールマガジンでは、
   人間学を学ぶ月刊誌『致知』より
   そのエッセンスの一部をご紹介しています。

       * *

      17歳で養父によって両腕を切断されるも、
     菩薩行に一身を捧げた尼僧・大石順教氏。
   
   小児麻痺で両手が動かない障害を抱えながらも、
   大石尼との出会いを得て自らの道をひらいた
   大塚全教さんのお話をご紹介します。


────────────────────────────────────


       「最悪のことを最善のこととして生かす」
       
       
            大塚全教(無心庵 この花会)
        
            『致知』2001年7月号
             特集「涙を流す」より
            

                      ※肩書きは掲載当時です。

────────────────────────────────────


大石順教先生は毎朝必ず、口に筆をくわえて
二時間ほど絵をお描きになり、それは一年を通じて
一日もお休みになられませんでした。

先生が絵や書を描かれるための準備をする仕事をいただきました。
毎回、順教先生のおそばで墨をすり、
絵の具を溶き、紙を並べるのですが、
精神を統一されて、無心の境地で絵をお描きになるお姿は
まるで観音様でした。

順教先生は、よくこうおっしゃいました。


「真実の苦労は、人に話すことのできるものではない。
 人にも話せず、死ぬこともできず、
 前にも後ろにも進めない、じっとしているより他はない。
 それが真実の苦労だ。
 
 けれども、そんな苦労の中にあっても、
 けっして物事を悪く思ってはならない。
 
 その中からどうやって良いほうへ道を開いていくかで
 その人の人生は決まるのだ」


そして毎日のように
「自分の一番悪いところを良くしていくように」
とおっしゃられました。

私であれば、体の不自由なことを最良のこととして
生かしていくということです。

最悪を最善にして生きられた方が
順教先生なんですね。


大石順教先生は、ご自分の腕を切り落とした
養父中川万次郎のお位牌をお祀りしておいででした。

恨んでも恨んでも余りある人のお位牌をお祀りし、
年忌ごとのご法要を済まされ、五十回忌の法要まで
全部済まされたんです。

人を恨む気持ちを、逆に良いほうへ転換された
先生のお心を拝まなければなりません。

最悪の状態の中の仏心、これが真実の仏心です。

この仏心によって先生のお命は平安を得て
生かされたのだと思えてなりません。


また、先生が日本画家のご主人と結婚され、
三児をもうけられたころは生活が苦しくて、
家賃を何か月も滞納し、一枚の着替えも持たず、
明日炊くお米もないという貧乏を味わったそうです。

ご主人が文展に入賞するまでの十数年間は、
寝る時間も惜しんで更紗帯の図柄を
口で描いて家計を支えたそうですが、
ご主人が世に出てようやく
その苦労も報われるかに思えたときに、
今度はご主人が他の女性に心を移されて、
結局離婚ということになりました。

そのときのご心痛は察して余りあるものがありますが、
そのつらい時期のことを先生はこうおっしゃられました。


「もし私に両手があれば、相手の女の人を恨み、
 ののしり、口論の末に悲しい結末になったでしょう。
 私に両手が無かったために耐えられたのです。
 そして美しい別れができたのです」


両手が無いということを、
むしろ強さと考えていらしたんですね。

最悪のときに人をうらやむことなく、
それをむしろよい方面でとらえ、
自分の強さにしてしまう。

これが先生の生きる源だったのでしょう。
そして、先生はこれを実行してこられたんですね。



………………………………………………………………………………
今月号の『致知』の特集テーマは
「人生は心一つの置きどころ」。

さまざまな試練や困難と対峙し、
それを人生の豊かな実りとしてこられた方々の
生き方に学びます。
⇒ 
http://www.chichi.co.jp/monthly/201111_index.html

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━(転載以上)


“真実の苦労は、人に話すことのできるものではない。
人にも話せず、死ぬこともできず、
前にも後ろにも進めない、じっとしているより他はない。
それが真実の苦労だ。”


自分にも思い当たるようにも思いましたが、その後を読んで愕然となりました。

順教先生のおっしゃっている“真実の苦労”が、一体どれほどすさまじいものであったのか。

想像することさえ難しいように思います。


“人にも話せず、死ぬこともできず、
前にも後ろにも進めない、じっとしているより他はない。”


本当に、ただそうしているしかなかったのかも知れません。
むしろ、生きようとする本能がそうさせたのかも知れません。


すると、


“けれども、そんな苦労の中にあっても、
 けっして物事を悪く思ってはならない。
 
 その中からどうやって良いほうへ道を開いていくかで
 その人の人生は決まるのだ”


という言葉が、実はどれほど深い意味、そして大きな力を持っているのかということに気がつくのです。


“最悪の状態の中の仏心、これが真実の仏心です。”

大塚さんの言葉にも、魂が宿っています。