"ちょっと外から見た日本"

今、スペインに住んでいます。
大好きな日本のこと、
外からの視点で触れて見たいと思います。

“遊ぶ感覚で学ぶということ”

2011-10-27 03:39:38 | 日記

「致知一日一言」よりです。

(転載開始)


「致知一日一言」読者の皆様

いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。

県立校不合格者の受け皿だった神戸の灘中学・高校を、東大合格者数日本一に導いた伝説の国語教師・橋本武氏。

『致知』11月号では、『銀の匙(さじ)』1冊を教材にしたユニークな授業が出来上がるまでのエピソードが紹介されています。

伝説の国語教師が語った教育の要諦とは。

 * * *

自分が生徒だった頃を振り返ってみると、先生に対する親しみはあってもどんな教材でどんな授業だったか、思い出そうとしても浮かんでこない。

自分が苦労して教えていることも、卒業すれば皆消えてしまうんだなぁと思うと、その空しさに耐えられなくなった。

何か、生涯頭に残るような教材で授業をしたい。そう思った時に思い浮かんだのが『銀の匙』でした。

これは
夏目漱石の推奨を受け、長さも教材として扱いやすい。ひ弱な子供が立派な青年に育っていく過程が描かれているから、生徒が作中人物と自分とを重ね合わせて見ていくことができる。

授業は普通、教師が自分で教材を調べていった結果を生徒に注入していくものです。

例えば「ここの章には何も題がついていないが、つけるとすればこんなものがいいだろう」というふうに教師が自分の考えを伝える。

でもそうではなく、自分が考えたことを生徒にも考えさせたらいい。そうすれば、自分が作者になったようなつもりで読むことができるでしょう。

言葉の意味でも、先生の言ったとおりに書かなければならないことはない。

自分がその言葉をどう説明すればよいか、思うように書きなさい。書けなかったら、辞書を引いたり、人に聞いたりすればいい。

要するに「遊び」の感覚ですよ。人が遊んでるのを見ているだけじゃおもしろくない。自分も一緒に仲間になって遊びに加わらせる。

遊ぶ感覚で学ぶということが重要です。

……さらに詳しくは『致知』11月号72ページで!

☆詳細・お申し込みはHPにて
 ↓ ↓ ↓
http://www.chichi.co.jp/i/index.html

(転載以上)




超有名進学校の灘中・灘高が、以前“県立校不合格者の受け皿だった”とは知りませんでした。

その学校を東大合格者数日本一に導いた伝説の国語の先生が橋本武という方だったのですね。


その教え方は大変ユニークであったと同時に、とてもオーソドックスなものだったのだと感じます。


『銀の匙(さじ)』という本1冊を教材にしたということ、とてもユニークですね。

そのやり方がうまく行かなかった時のリスクを背負うことにもなる。

でも、橋本先生は貫かれたのですね。


“生涯頭に残るような教材で授業をしたい”、

“ひ弱な子供が立派な青年に育っていく過程が描かれているから、生徒が作中人物と自分とを重ね合わせて見ていくことができる。”


橋本先生のこうした発想は、“東大合格者数日本一”という実績と、何かミスマッチを感じさせるほどです。


子どもたちの人生のことを一心に考えたからこそ出て来た発想であり、実はそこに、受験にも、子供たちの将来にもつながる普遍的な答えがあったのですね。


ユニークな教材を選んだその動機の中に、実は橋本先生の大変オーソドックスな考え方、基本を大切にされていた姿勢が見えてくるような気がします。


“自分が考えたことを生徒にも考えさせたらいい。そうすれば、自分が作者になったようなつもりで読むことができるでしょう。”

“自分がその言葉をどう説明すればよいか、思うように書きなさい。書けなかったら、辞書を引いたり、人に聞いたりすればいい。”

“人が遊んでるのを見ているだけじゃおもしろくない。自分も一緒に仲間になって遊びに加わらせる。”


私たち親は、子どもたちが“自発的に”勉強をするようにと四苦八苦するわけですが、

“自発的に”という言葉にも上から目線が入ってしまってのかも知れません。


なので、

“自分も一緒に仲間になって遊びに加わる”という感覚、“遊ぶ感覚で学ぶということ”なのですね。


“「四運を一景に競う」”

2011-10-27 03:26:26 | 日記

致知出版社よりお送り頂く「人間力メルマガ」よりです。

(転載開始)
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     致知出版社の「人間力メルマガ」

                【2011/10/26】 致知出版社編集部 発行
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   このメールマガジンでは、
   人間学を学ぶ月刊誌『致知』より
   そのエッセンスの一部をご紹介しています。

       * *

      本日は『致知』2004年9月号より、
      味わい深い法話、エッセイなどでファンの多い
      曹洞宗尼僧・青山俊董氏の
      心に残るお話をご紹介いたします。


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       「四運を一景に競う」
       
       
            青山俊董(曹洞宗尼僧)
        
            『致知』2004年9月号
             特集「恕」より
            

                      ※肩書きは掲載当時です。


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(人生で一番大事だと思うことを
 一つだけ挙げてほしいとお弟子さんに聞かれたら、
 何とお答えになりますか?)


「慈悲」や「恕」以外でなら、
私がよく好んでサインするのは、



「投げられた ところで起きる (こぼうし)かな」



です。起き上がり小法師、つまり達磨さんが
ボーンと投げられたそこがいかなる場所であろうとも、
正念場として起き上がる。


腰を据えてまっすぐ正面を見据える、という意味です。


われわれはだいたい人生がうまくいかないとぐずったり、
うまくいくとのぼせ上がったりして、年中姿勢が崩れます。

しかし、いかなる場所でもぐずらない、
追ったり逃げたりしない、のぼせ上がらない、ダウンしない。
どういう状態であっても、しゃきっと姿勢を正せという意味です。


        * *


同じような意味で、



「四運(しうん)を一景(いっけい)に競う」



という
道元禅師の言葉もあります。

四運というのは、季節で言ったら春夏秋冬。
人生で言ったら生老病死。

人生はいろいろ移り変わっていきます。

愛する日もあれば、憎しみに変わる日もある。
成功する日もあるし、失敗する日もある。
寒風吹きすさぶような中で
じっとしていなければならない日もある。

その時、多くが一喜一憂して、
追ったり逃げたりするわけです。

しかし一景というのは
「同じ姿勢」という意味で、
生も死も健康も病気も愛も憎しみも成功も失敗も、
全部同じ姿勢で受け止めよということですね。

だいたい、人生の移り変わりなんて
一目では見えませんからね。
愛する日は憎む日がくるとは思えない。
健康な日は病気で苦しむ日がくるとは思えませんでしょ。

いかなることが起こっても、そこで姿勢を正す。
人生なんていろいろあったほうが豊かでいいんです。

人生の調度品を揃えるような気で
楽しませてもらいましょうと思っています。



………………………………………………………………………………
今月号の『致知』の特集テーマは
「人生は心一つの置きどころ」。

さまざまな試練や困難と対峙し、
それを人生の豊かな実りとしてこられた方々の
生き方に学びます。
⇒ 
http://www.chichi.co.jp/monthly/201111_index.html

(転載以上)

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“「投げられた ところで起きる (こぼうし)かな」”

いい言葉ですね!


“われわれはだいたい人生がうまくいかないとぐずったり、
うまくいくとのぼせ上がったりして、年中姿勢が崩れます。”

うまくいかなくても、うまくいっても、姿勢が崩れている・・・身につまされます。(笑)


“しかし、いかなる場所でもぐずらない、
追ったり逃げたりしない、のぼせ上がらない、ダウンしない。
どういう状態であっても、しゃきっと姿勢を正せという意味です。”


自分が、今、与えられた場所で、やってみなはれ、ということですね。



“「四運(しうん)を一景(いっけい)に競う」”

素晴らしい言葉ですね!


“生も死も健康も病気も愛も憎しみも成功も失敗も、
全部同じ姿勢で受け止めよということ”

“人生の調度品を揃えるような気で
楽しませてもらいましょう”


いい時と思えるときも、そうでないと思える時も、その体験は自分にとっては全てが調度品、いいですね!