日経ビジネスオンラインの記事よりです。
致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。
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致知出版社の「人間力メルマガ」
【2011/8/30】 致知出版社編集部 発行
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このメールマガジンでは、
人間学を学ぶ月刊誌『致知』より
そのエッセンスの一部をご紹介しています。
* *
現在発行中の『致知』9月号に掲載され、
話題を呼んでいる青木豊彦氏と植松努氏の対談記事。
http://www.chichi.co.jp/monthly/201109_pickup.html#pick3
町工場の技術を生かし、宇宙への挑戦を続ける
お二人の志に深い感銘を覚えます。
本日は、ロケット開発で世界の注目を集める
植松氏のお話をご紹介いたします。
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「人間の脳波を止めてしまう言葉」
植松努(植松電機専務)
『致知』2011年9月号
特集「生気湧出」より
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夢というのは自分で大好きなことを
やってみたいという思いでしょうね。
だったらやったらいい。それだけの話です。
大好きなことをしっかり持つには感動が一番です。
「やってみたい」「すごい」という心があれば、
夢はいくらでも見つかると思いますよ。
でも、その時にできない理由を
いくつも思いついてしまうんですね。
そして、そのできない理由すら考えなくなる最悪の言葉が
「どうせ無理」
なんです。
この言葉が人間の脳波を止めてしまう。
思考が止まると楽ですが、それだと何も始まらない。
「どうせ無理」
ではなく
「だったらこうしたらできる」
と頭を切り替えて考え続けることで
道は拓けると思います。
だけどモチベーションはやる気だけで
高まるものではないんですね。
物事に挑戦し、それを諦められない理由が、
僕の場合は火事場の馬鹿力の源になっています。
僕は「どうせ無理」という言葉が大嫌いです。
この言葉が人の可能性を奪い、その連鎖が
正しくて優しくて弱い子供たちに向かうと知っていますからね。
繰り返すようですけど、僕は「どうせ無理」という言葉を
この世からなくしたい一念で宇宙開発をしています。
目の前の壁が大きいほど、その思いは強くなります。
だから、毎日火事場の馬鹿力を
出すことができるんだと思います。
* *
開発の世界ではゼロから一を生み出すという
大変厳しい問題に挑戦することもありますね。
これは一を二にしたり三にしたりというのとは
比較にならない難しさです。
その時、従来のやり方を維持しようとしたら
負けが始まるんです。
過去のノウハウばかりでなく
時に自分自身すら否定してしまって
「これでいいのか」と本気で動き出す時に、
ゼロから一が生まれるのだ思います。
いまの日本に必要なのは、
その執念と元気なのではないでしょうか。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━(転載以上)
“開発の世界ではゼロから一を生み出すという
大変厳しい問題に挑戦することもありますね。
これは一を二にしたり三にしたりというのとは
比較にならない難しさです。”
海外にいると、日本人が“一を二にしたり三にしたり”することに長けているということは、やはり本当なのだろうな、と思います。
一方で、“ゼロから一を生み出すという”ことは、やはりそれほど得意ではないかも知れない、と思います。
きっと、何かもとになる素材があって、それを応用したり、工夫する能力に優れているのだろうと思います。
ノーベル賞を授与されるような日本人の方々も、そう言う部分があるのではないか、
素材を徹底的に研究し、信じられない忍耐力で試行錯誤して行ったことが成果に繋がっていったのではないか、と想像します。
今、時代の変わり目にいると思うので、“ゼロから一を生み出す”という産みの苦しみ(楽しみ)もあるでしょう。
だからと言って、日本人だからそれは難しいと考える必要はなくて、やはり“一を二にしたり三にしたり”して行けばいいのだと思います。
小さな変化を継続して起こして行けばいいのではないかと思います。
結果として、それが、“ゼロから一を生み出す”ことに繋がって行くのではないか、と思うのです。
その時に重要なのは、“だったらこうしたらできる”という考え方なのでしょうね。
昨日の代表選、ニュース等で発言内容を見ていて、いいな、と思ったのは馬淵さんでした。
致知出版社「偉人たちの一日一言」よりです。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
「偉人たちの一日一言」
〜致知出版社が贈る人生を養う言葉〜
発行 (株)致知出版社
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
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今日の言葉 2011年8月29日(月)
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【宇宙】
宇宙は
山も川も海も天も
善も悪も 敵も味方も
一様にだきかかえる偉大さを
もっているとともに
名もない 小さな草の実にも
小蟻の小さい卵にも
見残しなく
あたたかく こまやかな
愛情を注いでいる
ほんとうの偉大なものというのは
そういうものだ
『東井義雄一日一言』より
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◆◇ 生涯を教育に捧げた「伝説の教師」 ◇◆
東井義雄氏
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東井義雄(とういよしお)氏は生涯を教育に捧げた「伝説の教師」です。
「子どもは生きている。
教師はそのいのちにふれないで教育はできない」
「教育は、教師と子どもが向かい合い、
ふれあってこそ成り立つ」
その基本を徹底的に追求され、
いのちの不思議と大切さを説き続けられました。
「自分は自分の主人公
世界でただひとりの自分を創っていく責任者」
東井義雄先生の遺された言葉です。
『東井義雄一日一言』の他にも
青少年児童はもちもんのこと、
大人が読んでも心に深く響く
『自分を育てるのは自分』
〜10代の君たちへ〜
も刊行されており、
多くの方より絶大な支持を得ています。
人生の真理や人間の生き方の根本に触れられる
編集部お薦めの1冊です。
●詳しくはコチラをクリック
⇒ http://shop.chichi.co.jp/item_detail.command?item_cd=831&category_cd
---------------------------------------------------------------------(転載以上)
生涯を教育に捧げたと言われる「伝説の教師」東井義雄さん、恥ずかしながら今まで知りませんでした。
【宇宙】の偉大さについての描写、思わず目を奪われました。
善にも悪にも、大きな自然にも、小さな生き物にも・・・。
万物に注がれる愛情、そのスケールの大きさと、きめ細やかさに胸を打たれます。
まさに宇宙の本質なのだと思います。
“「自分は自分の主人公
世界でただひとりの自分を創っていく責任者」”
という言葉も、またいいですね。
「致知一日一言」号外より転載させて頂きます。
いま、福島第一原発事故に端を発して、食の安全が再び脅かされています。
そんな中、私たちは放射線と正しく付き合い、それに対処していく必要があるといえましょう。
『致知』9月号では、マクロビオティック界の第一線で活躍されている大場淳二氏が、
広島・長崎で被爆しながらも、ある食事法によって原爆症を乗り越えられた二人の実例を紹介し、そこから見えてくる放射線との付き合い方について語っています。
* * *
もう一人、紹介したい方がいます。私の親しい友人である平賀佐和子さんです。
彼女は広島の爆心直下で被爆、顔は火傷で3倍ほどに腫れ上がりながら、どうにか一命を取り留めました。
その後遺症から、顔はひどいケロイドで体も丈夫ではなかった平賀さんは、被曝から15年後、
陰陽を元にした食養(マクロビオティック)の概念を提唱した・桜沢如一(ゆきかず)先生の講演会に行きました。
その時、桜沢先生に「あなた、このままでは死んでしまいますよ。玄米食にしなさい」と言われたそうです。
それから毎日玄米とごま塩だけで過ごしたところ、子宮から真っ黒い出血があり、その後、スーッと体の調子がよくなって、皮膚のケロイドも綺麗になくなったといいます。
ずっと「こんな顔では結婚はできない」と思っていたそうですが、その後平賀さんは結婚し、子供7人を産み育て、現在は孫14人という大家族に恵まれ元気に過ごしているのです。
秋月先生の話も、平賀さんの事例もにわかには信じがたいと思われるかもしれません。
しかし、お二人が積極的に摂取した玄米には毒素を排出するフィチン酸(IP6)という成分が含まれています。
これには抗がん作用があり、損傷した細胞を正常細胞に修復する力があるのです。
(転載以上)
体験から来るこうしたノウハウ、実は色々あるのだと思います。
こうした情報はどんどん共有して行きたいですね。
こうした情報に対して、科学的に証明されていない、とか、迷信であると言って否定する方々が、なぜかいます。
その方々自身、どこまでちゃんと調べて言っているのかと思います。
たとえ科学的でなくとも、効けば素晴らしいわけですよね。
玄米は、健康な体にもいいでしょう。
致知出版社、「偉人たちの一日一言」よりです。
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「偉人たちの一日一言」
〜致知出版社が贈る人生を養う言葉〜
発行 (株)致知出版社
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今日の言葉 2011年8月28日(日)
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【人生の関所】
禅家では関という一語をよく浴びせかける。
関とは字のとおり、
関ということであり、
すなわち、引っかかり、行き詰まりであります。
人生は、
しばしば出会わねばならぬ関所を
幾つも通り抜ける旅路であり、
そこで一関、二関はうまく抜けても、
三関、四関となると、
往々にして、
その関所を通ることができず、
挫折する、引き返す
ということになりがちです。
そこが関所だ!
そこを通り抜けろ!
という意味で
よく「関」ということを指示するのであります。
辛抱して、努力して関を何関か通りますと、
特に難解難透(なんかいなんとう)
というようなことを
禅僧がよく申しますが、
難しい、解き難い、通り難い、
すなわち、
難解難透の関をいくつか通りますうちに、
ついに真の自由 ──
古い言葉で申しますと、
無礙(むげ)自在というような境地に到達して、
すなわち「無関に遊ぶ」ことも
できるようになります。
『安岡正篤一日一言』より
――――――――――――――――――――――――――――――――――― (転載以上)
“辛抱して、努力して関を何関か通る”ということは、なにかとても不自由な感じがしますが、
そうすることによって“真の自由”を得、“無礙(むげ)自在というような境地に到達して、
「無関に遊ぶ」こともできるようになる”、という考え方はなかなかいいな、と思います。
致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。
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致知出版社の「人間力メルマガ」
【2011/8/28】 致知出版社編集部 発行
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本日は『致知』の人気連載コーナー「致知随想」の中から、
特に反響の多かった記事をセレクトしてご紹介します。
今回は2007年2月号の『致知』より、
「ドクター落語」を行う医師・稲垣元博氏の
随想をご紹介します。
ぜひ最後までお読みください。
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■「致知随想」ベストセレクション
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「ドクター落語で百まで生きる」
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稲垣元博(芝病院名誉院長)
『致知』2007年2月号「致知随想」
※肩書きは『致知』掲載当時のものです
…………………………………………………………………………………………………
「あなたも百まで生きられる」。
――医師・稲垣元博は、この講演を終えた後、
落語家「稲垣亭三河」に変身します。
人呼んで、ドクター落語。
演目はすべて創作で、
がん予防や禁煙をテーマに十数編を数えます。
十八番の一つである「オッパイは成功のもと」は、
脳卒中で右半身の麻痺したおじいさんが、
入院中のおばあさんの胸に触りたい一心で
リハビリの猛特訓に励むという話。
いずれも患者の方とのやりとりの中で得た
学びや実話に基づいています。
面白おかしく健康の秘訣が学べるとあって、
あちこちから声をかけていただき、
過去五年間で四百回以上の講演会をこなしてきました。
着物や袴、大量の資料などを詰め込んだ十五キロの荷物を持ち、
北は東北から南は九州まで年中飛び歩いています。
今年、八十八歳になるこの年で我ながらよくやるなと思いますが、
皆さんの前でお話をさせていただくと、
こちらも爽やかな気分になって
一切の疲れが吹き飛んでしまうのです。
* *
私がドクター落語を始めたのは、約四十年前のことです。
病院の検査技師向けに、夜間の講義をしていましたが、
最前列の学生までが机に突っ伏して寝てしまう始末。
これは教える側の熱意が足りないからだ、と
いろいろ手を尽くした末、考えついたのが、
落語調のユニークな話を織り交ぜ、
皆を笑わせて眠気を覚ますという方法でした。
やがて噂を聞きつけた新聞社から
「交通事故の話を落語で書いてくれ」と依頼がありました。
しかし本物の落語を見たのは一度きり。
四苦八苦しながら原稿を書き上げたところ、
今度は「肝臓の話を落語で」と
組合の機関紙から原稿を頼まれました。
これはいよいよ本気で取りかからねばと落語全集を手に入れ、
なるほど、落語のオチには十六も種類があるのだな、と
真剣に勉強を始めるようになりました。
そんなある日のことです。
病院の組合の委員長が
「先生、患者さんたちのクリスマス会で落語をやってください」
と言うのです。
書くには書いたことがあるが、
落語なんてやったことがないと断ると、
「いえ、うちの患者さんたちだから、
どんなに下手でも笑ってくれます」
と譲りません。しょうがない、何とかするかと苦しみの末、
一本の噺をこしらえました。
そして本番当日、噺のオチを
「皆さんには楽しい日かもしれませんが、
あっしにとっちゃクリスマスどころか、大変クルシミマス」
としたところ、大受けして万雷の拍手。
その中に
「先生の話を聞いて、寿命が六年延びました」
と褒めてくださったお年寄りがいました。
重症状態だった患者の方です。
お世辞にしてもずいぶん大げさなことを言うなと
思っていたところ、本人は日を追うごとに
みるみる元気になっていき、
とうとう退院を果たされたのです。
そして言葉の通り六年間長生きされ、
これには私のほうが驚いてしまいました。
笑いというのは、人間にとって
非常に重要な意味を持っていると感じたのはこの時です。
それ以降、看護師の結婚式や医師会の文化祭があるたびに、
自ら進んで落語をするようになりました。
* *
現在、「笑い」は、がん予防やストレス解消、
老化防止につながるなど、様々な効能が報告されています。
まさに笑いは健康のもとであると言えるでしょう。
私の場合は学生を眠らせまいと苦心の末、
考え出したものでしたが、
落語を通して得られる笑いのテクニックは、
いまでも週一回行っている診察の際にも大いに役立っています。
患者の方はそれぞれに肉体的、精神的に深刻な悩みを抱え、
病院を訪ねてこられます。
その沈んだ気持ちを笑いで吹き飛ばすと
表情が徐々に明るく変化していき、中には
「先生の顔を見ただけで病気が治っちゃった」と、
薬を忘れて帰っていく方もいらっしゃいます。
「それじゃ全然商売にならないよ」と言って
こちらも笑いますが、医者は威張っているのではなく、
おもしろく話をする術も心得て、
真に患者の側に立った医療を
心がけていかなくてはならないと思います。
最近の世の中は、医療費を二割から三割に増やしたり、
介護保険料の負担を重くするなど、病人や老人、
つまり社会的に弱い立場にある人が
どんどん暮らしにくくなってきていると感じます。
私がドクター落語とともに行う
「あなたも百まで生きられる」の講演は、
六十年以上にわたる医療活動の中、
患者の方から教わった長寿の秘訣を集大成したものですが、
その最後を私はこう締め括ります。
「弱い者いじめをするいまの政治のあり方を
年寄りの力で跳ね返し、私たちが安心して暮らせる
世の中をつくっていかなければなりません。
だから皆さん、六十、七十で死ぬのは無責任です。
何としても百歳まで生きなきゃいけません」と。
講演をお聞きになる皆さんには
「私の言うことを守っていれば、必ず百歳まで生きられますよ」
と常々話をしてきました。
私自身が百歳まで生きることでその仮説を実証し、
誰もが安心して暮らせる世の中をつくるため、
今後も変わらぬ活動を続けていきたいと思います。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ (転載以上)
“だから皆さん、六十、七十で死ぬのは無責任です。
何としても百歳まで生きなきゃいけません」”
と言われると思わずドキッとします。
とてつもない奇跡の繰り返しの中から生まれたこと、与えられた自分の命のことを考えます。
心配ごとがあったりすると、いつのまにか自分の表情が固くなっていることに気がつきます。
そんなときは、鏡に向かって無理にでも笑うと場面が変わるかも知れませんね。
致知出版社(http://www.chichi.co.jp/person.html) ,「人間力メルマガ」よりです。
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致知出版社の「人間力メルマガ」
【2011/8/27】 致知出版社編集部 発行
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このメールマガジンでは、
人間学を学ぶ月刊誌『致知』より
そのエッセンスの一部をご紹介しています。
* *
世界で初めて無農薬・無施肥のりんごの栽培に成功した
りんご農家・木村秋則氏。
以前、人間力メルマガでご紹介し、反響を呼んだ
酪農家・斎藤晶氏とのご対談記事の一部を
ご紹介いたします。
────────────────────────────────────
「足りない、足りない、工夫が足りない」
木村秋則(りんご農家)
『致知』2008年1月号
「自然の摂理に則って生きる」の記事より
※肩書きは掲載当時です。
────────────────────────────────────
実は、以前見たことがある戦時中の新聞に、
こんな言葉があったんです。
「足りない、足りない、工夫が足りない」
って。
私はいつも、この言葉が
頭にこびりついて離れないんです。
結局さ、自分のやったことが間違っているから
(りんごの木の)葉っぱが落ちるんですよ。
間違っているから虫が集まるんですよ。
それを見て、女房が悪い、天気が悪いって、
ほかに責任を転嫁する人が
いまはあまりにも多いと思うんです。
そうじゃなくて、自分が悪いんだと。
自分が勉強不足なんだ、観察不足なんだ、ということなんです。
だから(対談相手の)斎藤さんがおっしゃったように、
誰も気づかないところを見る目、
キャッチする力が大事になってくるんです。
同じものを見ても、表を見るのか、
裏を見るのか、それとも横を見るのか、
その見方によってみんな捉え方が違うと思うんです。
斎藤さんは、牛や馬や人間が歩くところをよく見ていて、
牧草が芽を出していることに気づいたとおっしゃいましたが、
そういうのは、いま見たからってすぐ答えは見えないですよ。
3か月も4か月も見続けてやっと分かることですから。
自然というのは、それくらい長いサイクルで
動いているんじゃないかなと思う。
だけど、きょうやったからきょう結果を出すのが現代社会です。
まるで時間に押し流されるように結果を求めようと
しているのがいまの社会じゃないかなと思います。
自然はよ、きっと笑っているかもしれないです。
人間は一体何をやってるんだと。
せかせか動いてこんなに自然から
かけ離れた社会をつくってしまって。
もう少しのんびりしなさいよ、
余裕を持って自然を見つめてみなさい、
自然の摂理に帰りなさいって、
自然は私たちに話し掛けていると思う。
(略)
常識の中には間違っているものも
多いんじゃないかと私は思います。
斎藤さんにしても私にしても、周りから
変わり者とされているけれどもさ、
逆に自分の間違いに気づかないでいる人も
すごく多いと思うんです。
学問栄えて国滅びるっていうけれども、
いまの社会の混乱ぶりがそれをよく表して
いるんじゃないでしょうか。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ (転載以上)
信じられない苦難を乗り越えて、世界で初めて無農薬でりんご栽培に成功した木村秋則さんをご存じの方、多いと思います。
『奇跡のリンゴ』 という本で、私は初めて木村さんのことを知りました。
リンゴは農薬なして作ることが出来ない、という常識があることを知ったのもその時が初めてでした。
農薬なして作ることのできないリンゴ、それは一体なんなのだろう、
それは果たしてリンゴと呼べるものだろうか、と考えてしまいました。
何かリンゴが本来持っている生命力を骨抜きにされて人工的に作られて来たようで、リンゴに申し訳ないという感情も生まれました。
アダムとイブの話で有名なリンゴ、なので、リンゴは昔からあったのでしょう。
その時のリンゴは、当然農薬を使っていなかったのだろうと思います。
木村さんは、これから人類が目指すべき新しい時代の先頭にいる方々のお一人だと思います。
そして、先頭にいる方のご苦労は並大抵のものではないのだろうと思います。
その言葉一つ一つが、木村さんの深い思いや具体的な経験に裏付けられているように感じます。
“「足りない、足りない、工夫が足りない」”
“そうじゃなくて、自分が悪いんだと。
自分が勉強不足なんだ、観察不足なんだ”
“誰も気づかないところを見る目、
キャッチする力が大事になってくるんです。”
“同じものを見ても、表を見るのか、
裏を見るのか、それとも横を見るのか、
その見方によってみんな捉え方が違うと思うんです。”
“もう少しのんびりしなさいよ、
余裕を持って自然を見つめてみなさい、
自然の摂理に帰りなさいって、
自然は私たちに話し掛けていると思う。”
“常識の中には間違っているものも
多いんじゃないかと私は思います。”
アダムとイブのリンゴは、知恵を象徴するものであると言います。
その知恵によって、農薬がなければ育たないリンゴが生まれました。
そして、今、新しい知恵によって農薬を使わない自然のままのリンゴが誕生しました。
そのことは、人がこれから自然に回帰していくということを象徴しているようにも思えます。
木村さんは、UFOや宇宙人、そして龍神との遭遇経験もあるようですね。
新しい知恵に基づく新しい時代は、もう始まっているのかも知れません。
同日発表した「国際組織犯罪に関する大統領戦略」の一環で、このほか、イタリア、メキシコ、旧ソ連を拠点に活動する3団体を制裁対象に含めた。
財務省の声明は、日本の暴力団が2008年時点で8万人の構成員を抱えると指摘。覚せい剤を中心とした薬物取引や武器密売のほか、東アジア各国の犯罪組織と連携し、売春や人身売買などの「深刻な犯罪」を行っていると言明した。
また、建設・不動産・金融業界でフロント企業を使って違法な収益を上げる一方、米国内でも薬物取引やマネーロンダリング(資金洗浄)などの活動を行っていると説明した。ただ、声明では、暴力団の具体的な組織名を挙げていない。(時事ドットコム2011/07/26-01:35)
日経ビジネスオンラインよりです。
致知出版社(http://www.chichi.co.jp/outline.html)よりお送り頂く、「偉人たちの一日一言」よりです。
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今日の言葉 2011年8月25日(木)
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【老の三つの意味】
「老」という文字には三つの意味がある。
一つは年をとる。
二つは練れる。
三つは「考」と通用して、
思索が深まり、完成するという意味だ。
老いるとは単に馬齢(ばれい)を加えることではない。
その間に経験を積み、
思想を深め、自己・人生を完成させてゆく
努力の過程でなければならない。
これを「老計」という。
それには先ず学ぶことだ。
学問は年をとるほどよい。
百歳にもなっての学問は、
実に深い味があろうと思う。
老いてボケるというのは
学問しないからにすぎない。
『安岡正篤一日一言』より
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◆◇ あなたは心の糧になる言葉を持っていますか? ◇◆
お薦めの1冊『心に響く言葉』
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小さな人生論」シリーズの著者であり、
月刊誌『致知』編集長でもある著者がおくる書籍
『心に響く言葉』は
著者の深い経験と知恵によって選びぬかれ、
読者の心に響くように分かりやすい洞察を加えた、
貴重な「言霊」の花束です。
本日は18編にわたる本書の中から
「安岡正篤師の求めたるもの」
の一部をご紹介させていただきます。
***
学は己の為にす
己を為(おさ)むるは安心立命を旨とす
志は経世済民(けいせいさいみん)に存す
志を遂ぐるは学に依る
学に依って徳を成し材を達す
成徳達材(せいとくたつざい)を立命とす
人は自分を創るために学ぶのだ。
そして、
人生のあらゆる艱難辛苦にあっても動じないように、
自己を為めていく。
自分を創るのは利己のためではない。
世のため人のために自分を役立てるためである。
自分を役立てるには、自己の徳を大成し、
自己の才能・能力を上達させていかねばならない。
それが学の本義である。
成徳達材することによって、
よりよき運命を創っていかねばならない。
人は誰しも天から徳と能力を与えられて生まれてくる。
その天から与えられた徳と能力を発揮させ、役立てていく――
それこそが、人が学ぶ目的だと
安岡先生は明快に述べられています。
私はこの言葉はそのまま
「人は何のために生きるのか」
「人は何のために働くのか」
の答えをも包含していると思います。
安岡先生の説く
「学問の目的」はそのまま
「人が生きる目的」
「仕事をする目的」にも直結しているのです。
藤尾秀昭(著)『心に響く言葉』より抜粋
―――――――――――――――――――――――――――――――――――(転載以上)
“学問は年をとるほどよい。”
“百歳にもなっての学問は、
実に深い味があろうと思う”
まだまだこれから!と励まされます。
“自分を創るのは利己のためではない。
世のため人のために自分を役立てるためである。”
明快な言葉であり、一生ぶれることのない軸足となりますね。
致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。
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致知出版社の「人間力メルマガ」
【2011/8/25】 致知出版社編集部 発行
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このメールマガジンでは、
人間学を学ぶ月刊誌『致知』より
そのエッセンスの一部をご紹介しています。
* *
「モタさん」の愛称で親しまれ、
精神科医・エッセイストとして活躍した齋藤茂太氏。
本日は、『致知』2004年4月号より、
齋藤氏が語られた父・齋藤茂吉と詩人・坂村真民氏の
お話をご紹介いたします。
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「父・齋藤茂吉と詩人・坂村真民」
齋藤茂太(精神科医)
『致知』2004年4月号
特集「坂村真民の世界」より
※肩書きは掲載当時です。
────────────────────────────────────
もう四年前(二〇〇〇年)のことになります。
『致知』の企画で坂村真民先生と対談することになりました。
真民先生とお会いできるのは願ってもないことで、
私は胸躍らせて先生のご自宅にお伺いしました。
その時に感じたこと、学んだことを述べれば
どんなに紙幅を費やしても足りませんが、一つだけ記すと、
真民先生が対談の最後のほうで言われたことが、
いまでも胸に焼き付いているのです。
真民先生は毎晩唱えるお祈りの言葉がある、とおっしゃいました。
それは大無量寿経の嘆仏偈の中の言葉です。
「我行精進、忍終不悔」(わが行は精進して忍んで終に悔いじ)。
修行に完成はない。
修行して修行して、この道をあくまでも歩み続ける。
そのことに悔いなどあろうはずがない。
それこそが生きるということなのだ。
その決定心を毎晩刻み込んでいる真民先生の姿に
粛然とするものがありました。
詩人になるために詩を書くのではない、
自己を成熟させるために詩を書くのだ、とは
常々真民先生のおっしゃっていることです。
それは、先生の多くの詩で確かめることができます。
「存在」
ざこは
ざこなり
大海を泳ぎ
われは
われなり
大地を歩く
真民先生の生き様や詩を通して、
私の胸に浮かんでくる一つの言葉があります。
それは「愚直」です。
良寛は自らを「大愚」と称しましたが、それに匹敵する、
いな、それに優る大きさで、自己成熟を願って
精進し続ける生き方が己の一本道と思い定め、
脇目もふらずひたすら歩み続ける、
こういう愚直さほど偉大で、光り輝くものはない、
と思わずにはいられません。
私は真民先生の姿を通して、
父茂吉の生き方に気づくことにもなりました。
あかあかと一本の道とほりたり
たまきはる我が命なりけり
これは数ある父の歌の中で私がいちばん好きな一首ですが、
これは父茂吉が医業や病院経営など煩雑な生業があろうと、
自分はあかあかと通る一本の道、歌の道に生きるのだと
思い定めた決定心の歌なのだ、と改めて思うのです。
そして父は思い定めた一本道を愚直に生き、
命を輝かせることができたのだ、と思わずにはいられません。
真民先生の己を極める愚直な生き様は
まぶしいほどに輝いています。
父茂吉もまた、愚直に歌の道を貫いて
重みのある輝きを備えることができました。
私の生き方はそれに比べるべくもありません。
それでも精神科医四代目として医業に懸けた小さな歩みは
私なりにささやかながら輝いていて、これでいいのだと、
老いの身に勇気を授かるような気がしているのです。
────────────────────────────────────(転載以上)
“「我行精進、忍終不悔」(わが行は精進して忍んで終に悔いじ)。
修行に完成はない。
修行して修行して、この道をあくまでも歩み続ける。
そのことに悔いなどあろうはずがない。
それこそが生きるということなのだ。”
“「存在」
ざこは
ざこなり
大海を泳ぎ
われは
われなり
大地を歩く”
“あかあかと一本の道とほりたり
たまきはる我が命なりけり”
いいですね。
「愚直」という言葉、私も好きです。
回りを照らしながら、遠くに見える光に向って、一歩一歩進んでいく姿をイメージします。
致知出版社「人間力メルマガ」よりです。
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致知出版社の「人間力メルマガ」
【2011/8/24】 致知出版社編集部 発行
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このメールマガジンでは、
人間学を学ぶ月刊誌『致知』より
そのエッセンスの一部をご紹介しています。
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1日平均7万食のお弁当を、都心を中心に約4000社に配達。
人気番組『カンブリア宮殿』にも取り上げられ、
スタンフォード大学MBAも注目する弁当屋「玉子屋」。
本日は、『致知』2002年12月号より、
同社の菅原社長が語られた
「事業に失敗するこつ十二か条」
という興味深いお話をご紹介いたします。
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「事業に失敗するこつ十二か条」
菅原勇継(玉子屋社長)
『致知』2002年12月号
特集「なぜ哲学が必要なのか」より
※肩書きは掲載当時です。
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【記者:社長室に掲げられている「事業に失敗するこつ十二か条」。
これは実にユニークですね】
(腎臓がんから)退院して会社に復帰してしばらくした頃、
かつての遊び仲間が僕にファクスしてくれたんです。
誰の言葉か知りませんが、
これは僕の経営哲学みたいなものですね。
ちょっと読み上げてみましょうか。
●第一条
旧来の方法が一番よいと信じていること
●第二条
餅は餅屋だとうぬぼれていること
●第三条
ひまがないといって本を読まぬこと
●第四条
どうにかなると考えていること
●第五条
稼ぐに追いつく貧乏なしとむやみやたらと骨を折ること
●第六条
よいものは黙っていても売れると安心していること
●第七条
高い給料は出せないといって人を安く使うこと
●第八条
支払いは延ばす方が得だとなるべく支払わぬ工夫をすること
●第九条
機械は高いといって人を使うこと
●第十条
お客はわがまま過ぎると考えること
●第十一条
商売人は人情は禁物だと考えること
●第十二条
そんなことはできないと改善せぬこと
【記者:この言葉をどのように経営に生かされているのでしょう?】
そうですね。
例えば第六条。
(菅原社長が経営する玉子屋の)お弁当は好評だといって
経営者が安心していたら進歩はありません。
だから僕は毎日弁当を食べて味付けや盛り付けを見ているし、
回収したお弁当に何が残っていたか、
何が人気があったのかを調べる。
五万人のお客様の代表は僕だという意見なんです。
食中毒(事件)の辛かった時期に取引先の人情で救われ、
機械化で汚名を返上してきた僕にとっては
九条、十一条も教えられることの多い言葉ですね。
あと、僕は根っからの遊び人なので、
最後の十二条に励まされることも数多くありました。
常識的な経営者が「そんなむちゃな」と思うことも、
結構平気でやってこられたんです。
玉子屋がこれまで高価な機械を思い切ってたくさん導入して
きたのも、僕が減価償却などを細かく計算するタイプの
経営者でなかったからでしょうね。
僕は会社に必要だと思ったら
多少無理をしてでも行動に移すタイプの人間です。
その結果、失敗もあったが、そこから得た教訓も大きかった。
大事なのは多少のリスクはあっても
遊び心で何でもやってみること。
ビジネスの原点はそこだと思います。
────────────────────────────────────(転載以上)
“事業に失敗するこつ”という発想、面白いですね。
事業だけでなく、知らないうちに定着してしまっている自分の考え方の癖を吹き飛ばすという意味でユニークだと思います。
私は特に、
第一条 旧来の方法が一番よいと信じていること
第三条 ひまがないといって本を読まぬこと
第十条 お客はわがまま過ぎると考えること
第十二条 そんなことはできないと改善せぬこと
を自分が陥りやすい失敗のコツとして肝に銘じたいと思います。
即ち、
常にもっといいやり方を見つけること。
いい本とのご縁を大切にすること。
自分を相手に置き換えて考え、行動すること。
Yes, I can!という発想で始めること。
ダイヤモンド社のオンライン記事よりです。
“世界大恐慌とソブリン危機の「不気味な符合」
小手先の弥縫策が欧米リスクを加速させる可能性”
それに加えて、主要生産活動を海外に移転する米国の経済構造の変化に伴って、米国の労働市場の回復は予想以上に進まない。
一方欧州では、バブル期の放漫経営の“ツケ”によって事実上財政破綻したギリシャや、金融立国を目指したアイルランド、さらには不動産バブルの後始末を抱えるスペインなどの諸国が、ソブリンリスクに苦しんでいる。
それらの問題を解きほぐすためには、構造的な変化を勘案した施策を打つことで、景気の回復を確かなものにすると同時に、時間をかけて少しずつ債務を削減することを考えるべきだ。”
景気回復を確かなものにし、時間をかけて債務を削減することを優先する考え方ですが、私もまったく同じように考えます。
“ところが、実際に主要先進国が打っている政策は、いずれも応急手当の弥縫策に過ぎない。米国ではFRBが、多額の流動性を供給するQE2を実行したが、それだけでは株価などの下支え要因にしかならない。今後、それに続くQE3が実施されることが予想される。
財政問題についても、とりあえず9000億ドルの歳出削減と、今後10年間で約1兆5000億ドルの歳出を削ることが決められているだけだ。
EUの状況はさらに厳しい。EU内でのドイツのスタンスは厳格で、EU17ヵ国が抱える構造的な問題の回答は出されていない。EUの政策当局が、ソブリンリスク対象国の国債を買い支えても、その効果は限定的と言わざるを得ない。
最終的には、何らかの形でEU内部の財政統一を図るか、それができなければ、EUが分解に追い込まれることも考えられる。”
今は、欧州でも米国でも、株価の下支え、国債の買い支え等、小手先の対応しか出来ておらず、構造的な問題に手をつけていないので、今後、事態は益々厳しくなって行くだろうとの説明です。
“さらに心配な要素は、政治が経済の状況認識を誤って、拙速に財政支出の削減に走ることだ。というのは、今後主要先進国はいずれも、財政再建を図らなければならない事情がある。それを実施するには、税収を上げて歳入を増やし、歳出を削減することが必要になる。
問題は、その手法とタイミングだ。現在、主要国の経済は減速が鮮明化している。そうした状況下では、政府はすぐに増税や歳出カットを実施することはないだろう。そんなことをすると、景気が落ち込むことは誰の目にも明らかだからだ。
ところが、少し景気が回復基調を辿りはじめ、株価も堅調な展開になったとき、政治サイドからすれば、すぐに増税・歳出削減という議論を展開したくなる。問題は、そのタイミングが拙速すぎると、肝心要の景気の腰を折ってしまうことだ。”
全くその通りだと思います。
そして真壁さんは、その手法とタイミングを誤ると、大失敗になるということを、橋本政権時の消費税率引き上げや世界恐慌時の例を使って説明しています。
“たとえば1996年、当時の橋本内閣が財政構造改革法を制定し、財政再建を目指して走りだした。97年には消費税率の引き上げも実施した。
ところが、わが国経済の腰は、政府が考えていたよりもはるかに脆弱で、消費税率引き上げなどによって景気は大きく落ち込み、97年11月の金融システム不安の発生につながってしまった。それ以降の景気低迷は、我々の記憶にも新しいところだ。
1930年代の大恐慌のときも、37年にかけて株価が上昇し、それを見た米国政府は、財政支出の削減にとりかかった。ところが、その措置が致命傷の1つになり、景気を下落させ、株価は38年にかけて半分の水準にまで落ち込み、結果的に経済低迷期を長期化することにつながった。”
今日、NHKのニュースを見ていると、“もう引き伸ばさない責任”という言い方をさかんにしていました。
財務省が考える増税、そして増税派の政治家をサポートしているということなのでしょう。
マスコミとしての責任はどこに行ったのかと思います。
橋本政権時の経験をなぜ生かさないのか、でなければ少なくともそういうことがあったと説明すべきだと思います。
米国も欧州も、財政削減や増税をしたり、しようとするだけでは事態が改善しないことは、(戦争でも起こさない限り)かなり明白なことだと思います。
米国も欧州も財政削減をやっているのだから、日本も、ということなのかも知れませんが、同じやり方では、欧米日が共倒れになってしまうでしょう。
“現在、我々の身近で起きていることは、中長期的に大きな問題に発展する要素を含んでいる。大恐慌時代の出来事を振り返ってみると、起きていることの本質はあまり大きく変化していないことに気が付く。大恐慌当時も、その前にバブルといわれるような好況期があり、人々はそれに酔った。
ところが、バブルは永久に続くことはない。いずれピークを打って、下落トレンドに入る。そうなると需要が減少し、設備や人員の過剰に苦しむことになる。そして、大規模なストック調整が必要になり、不良債権の処理に追われるのである。それらによる景気の落ち込みを防ぐために、思い切った財政政策を打つことになる。
今回の世界的な不動産バブルの崩壊についても、いつもとほとんど同じことが起きた。ただ違うのは、バブルの規模が大きく、民間部門の債務肩代わりなど、政府が必要とする金額が拡大したことだ。
そのため、わが国をはじめとする主要先進国の財政状況は急速に悪化した。それが、米国債のデフォルト騒ぎや、EUのソブリンリスクに発展した。
それを解決するためには、景気の足腰強化を図るとともに、国や民間部門が抱えていた借金を減らすことが必要だ。やるべきことはわかっているのだが、それを実行することは口で言うほど容易ではない。
特に、選挙で勝たなければならない政治家にとって、国民に痛みを与えるような政策を訴えることは難しい。
たとえ痛みを伴う政策を国民が受け入れたとしても、実際の政策運営のタイミングはかなり高度な分析能力と判断を必要とする。これから、そうした能力を持った政権が誕生すればよいのだが、それが難しいと、最悪の場合、大恐慌の歴史が繰り返されることも考えられる。
政治に期待できない場合には、自分の身を守ることを考えなければならない。最大のリスクは、経済構造の変化と資産価格の変動だろう。そのリスクを頭のどこかに入れて置いた方がよさそうだ。”
最後のページ、どの文を引用しようかと思ったのですが、どれも極めて重要で、外すことが出来ませんでした(笑)。
今、世界的に問題なのは、本当はこうしなくてはいけないと思うのだけどそれが言い出せない、あるいは、選挙で負けるリスクを承知で言い出しても、実際にうまく舵取りが出切るかわからない、ということです。
だからこそ、今は、“自分のことは自分で守らなくてはならない”、ということなのです。
そして、この言葉は、今後も予想される自然災害、食糧危機、そしてこの金融経済危機含めて、今、全てにあてはまるキーワードだと思います。
『致知』メールマガジンよりです。
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9月号の特集は「生気湧出」
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「いまを生きる覚悟」
⇒ http://www.chichi.co.jp/monthly/201109_pickup.html
本日は『致知』9月号より、
曽野綾子さん(作家)とクライン孝子さん(ノンフィクション作家)の
対談記事をご紹介いたします。
▼「安心できる暮らし」などどこにもない
【クライン】
私の住むドイツを含め、ヨーロッパの国々は
他国と争ってはあらゆるものを奪い尽くし、
敗れてはまた元に戻るという歴史を
二千年以上も繰り返しています。
その間犠牲に遭うのは誰かといえば市民。
だから市民一人ひとりが実に利口に動くんです。
はっきり言って国のすることなんて何も信じていないし
頼りにもしていない。
【曽野】
日本人も当然そうあるべきですよ。
戦中戦後を知っている世代までが
「安心して暮らせる生活を寄越せ」
なんて叫んでいる。
「安心して暮らせる人生なんてこの世にない」
ということを知るのにそんなに時間が掛かるんですか。
これだけの天災と事故が起きた後で、
まだ「安心して暮らせる状況」があると思っているとしたら、
あの不幸な事態から、
我々は何も学ばなかったことになる。
国民全体が無意識のうちに
「安心病」に感染しているという
言い方もできるかもしれません。
(中略)
【曽野】
かつては「損のできる人間」に育てるのが
教育の一つの目標だったのに、
「あの人は○○をしてもらっているのに、私はしてもらえなかった」とか
「自分だけが損をした」
と自分の権利ばかりを主張する戦後の教育思想が、
今日のような貧困な精神の日本人をつくってしまったのでしょうね。
(転載以上)
“これだけの天災と事故が起きた後で、
まだ「安心して暮らせる状況」があると思っているとしたら、
あの不幸な事態から、
我々は何も学ばなかったことになる。”
耳の痛い指摘ですが、その通りだと思います。
“市民一人ひとりが実に利口に動くんです。
はっきり言って国のすることなんて何も信じていないし
頼りにもしていない。”
市民一人ひとりが、自分で考えて行動する、ということ、
今、日本に、もし足りない部分があるとすれば、そこだけなのだろうと思います。