"ちょっと外から見た日本"

今、スペインに住んでいます。
大好きな日本のこと、
外からの視点で触れて見たいと思います。

“国の原発対応に満身の怒り 東大児玉龍彦教授の参考人説明”

2011-07-31 04:04:04 | 日記

下記のUチューブの説明、大変貴重なビデオだと思います。

これは、衆議院厚生労働委員会にて、「放射線の健康への影響」と題して児玉龍彦久寿教授が行った参考人説明でのビデオです。

児玉教授は、東京大学先端科学技術研究センターの教授で東京大学アイソトープセンター代表でいらっしゃいます。

是非ご覧ください。

東大の教授にもこういう方がいらっしゃるのだなと思います。

なぜこういう方が今まで出て来なかったのか、もしくは出て来られなかったのかと思います。

http://www.youtube.com/watch?v​=O9sTLQSZfwo&feature=player_em​bedded

<簡易要約>

今回の福島の事故、3月に驚愕した。

100キロメートル地点の東海村での放射線が5マイクロシーベルト、200キロメートル地点で東京で0.5マイクロシーベルト、静岡まで及んでいる。

漏れた放射線量が少なければ個々の濃度が問題になる。

しかし、今回は3月時点で、熱量ベースで広島原爆の29.6個分、ウラン換算で20個分が漏出されている。その場合、今までのやり方は使えない。

政府は、放射線総量についてきちんとした説明をしていないが、きちんと発表するべき。 

総量が多い場合、細かい粒子が広い地域に広がるが、それは同心円状に広がらない。

稲わらのような問題が出てくる。天候や、水が吸い上げたかどうか等色々な要素が絡んでくる。

20キロ地点、30キロ地点という考え方には意味がない。細かく色々な場所で測って確認しなければならない。

3月以来、南相馬に7回行って除染して来た。

現地では、物資が足りなく生活するだけでやっとの状態の時だった。

その中で、ただ紙一枚流すだけでは、稲わらの危険性についての情報は届かない。 

当初南相馬には測定の機械が一台しかなかった。米国から20台来ていたのに、説明書が英語であったため役人が使えない状態だったのを指導して行った。

実は今、半導体ベース、イメージベースのよりすぐれた測定器がある。

政府はなぜそれを使わないのか。満身の怒りを感じる。

 

内部被爆は、DNAが二重らせんの時は安定しているが一重の時が危険。

即ち、増殖分裂の時、妊婦、幼児、そして大人の場合も居部的に危険なところがある。

アルファ線、プルトニウム飲んでも大丈夫という人がいるが驚愕する。

また、放射線は、その物質によって溜まる場所が異なる。

従って、体内の集積点を見るべきで、ホールボディの検査を行っても意味がない。

南相馬の子供たちは、毎日100万円をかけて放射線濃度の高い地区までわざわざバスで通っている。

これはすぐにやめさせるべき。子供を守ることを優先すべき。

 

すぐに行って欲しいことの1点目は、食品、水、空気を、イメージベース、簡易で出来る検査システムをすぐに導入すること、そのためのセンターを作ること。

2点目は、子供を守るために新しい法律をつくるべき。

私は、南相馬で除染したものを、今全てドラム缶に入れて東京に持って帰っている。

これは法律違反だが、お母さんや、先生に渡してくるわけには行かない。

3点目は、除染は、民間の力を結集するべきだということ。

様々なノウハウを持つメーカー、企業が多数存在している。

今のままでは、利権がらみの公共事業になってしまうのではないかと強く危惧する。

これらは、全て国会が怠慢であるのが原因である。一体何をやっているのか。


“高速鉄道事故の陰に腐敗と安全軽視”

2011-07-30 05:12:34 | 日記

 先日の中国での痛ましい事故、“天災”ではなく“人災”と中国国内でも糾弾されています。

 
原因究明の鍵となる車両を、まだ遺体(だけではないかも知れない)が残っているにもかかわらず、埋めてしまったり、また掘り起こしたり・・・、
被害者遺族の行動を監視したり、原因究明の前に補償の話を持ち出したり・・・。
 
一方で、このニュースを読み上げる中国のTV局のアナウンサーが、言葉を詰まらせたり、遅れて現地入りした温家宝首相に強い調子で詰問する記者が現われたり、
この事件をきっかけに、中国国民やマスコミの変化も起きているように思います。
 
 
 
ダイヤモンドオンラインより、姫田小夏さんというジャーナリストの方の記事です。
 
“高速鉄道事故の陰に腐敗と安全軽視” “鉄道金脈”を食い物にした男と女 というタイトルです。
 
 
姫田さんが友人の紹介で会う予定だった“石炭拾いから始まったエルメスおばさん”こと 丁書苗さんは、会う前に逮捕されました。
 
 
丁書苗さんは、“前鉄道相の劉志軍とはただならぬ関係”でした。
そこに“鉄道金脈”における腐敗の構図が見えて来ます。
 
“「彼ら2人は互いにうまく利用しあい、劉志軍は自分の利権を使って丁を儲けさせ、丁書苗は劉志軍が“仕事しやすい環境作り”に励んだ」”
 
“丁書苗から劉志軍の手に渡ったバックマージンは、8億元(中国国内紙「経済観察報」)とも、20億元(香港紙「明報」)とも言われている。”
 
“中国の鉄道が高速化したところで、誰にどんな利益があるのか――。「当の利用者である国民は乗車券が高すぎて買えない上に、国家予算を浪費しただけ」、そんな厳しい世論が鉄道部に向けられている。結局その利益に浴したのは、官僚とそれに群がる“石炭おばさん”のようなハイエナたちだけだといっても過言ではない。国家予算を食い物にする彼らの頭に、「安全」の二文字など存在しなかったことだけは明白だろう。”
最後の行を読みながら、ん?ちょっと待てよ、と思いました。
国民の「安全」は二の次で、膨大な予算を注ぎ込み、実際にその利益に浴したのは、一部の政治家、官僚、企業、そしてそれに群がるハイエナたち・・・。
都合の悪いものにはフタをし、情報操作しようとすること・・・
今、電力会社や保安院の“やらせ”問題がクローズアップされていますが、それも含めて
中国のことだと思っていたこの話、日本の原発運営、そして福島の事故にそっくりなのではないでしょうか。
むしろ、日本にも、首相に面と向って議論できる記者が出て来て欲しいと思います。


“「再生可能エネルギーで経済成長」は楽観論”

2011-07-29 02:26:02 | 日記

 日経ビジネスオンラインの記事です。

連載コラム “哲学者・萱野稔人の超マクロ経済論” よりです。
 
“「再生可能エネルギーで経済成長」は楽観論”
副題は、『エネルギーの「質」が足りない』となっています。
 
 
 
 
“再生可能エネルギーへの転換によって新たな経済成長がもたらされる、と主張される。問題は、その主張がどこまで妥当なものかということだ。”
 
この命題に関して、萱野さんは、“電力需給を管理するスマートグリッドや蓄電分野を代表例”とする“新たな成長産業を生みだすことはまちがいないだろう”と説明する一方で、こうした新しい“成長産業が生まれることと、経済成長がもたらされることとは、まったく異なる次元の話”、だと訴えます。
 
そして、“なぜ再生可能エネルギーの活用は化石エネルギーと同じようには経済成長をもたらしえないのだろうか。”ということに関して2つの理由を挙げています。
第1の理由は、太陽エネルギーは、化石燃料と比べてエネルギー密度がかなり薄いために、エネルギー産出/投入比率も低いからだという説明です。
“太陽光や風力の利用では日々の太陽エネルギーの「フロー(流れ)」が活用されるだけなのに対して、化石燃料の利用では何億年ものあいだに蓄えられた「ストック(貯留)」が一度に活用されることになる”為にエネルギーの質が違うという説明です。
 
第2の理由は、再生可能エネルギーの活用がほとんど発電に限られてしまうという点だと説明します。
 
“エネルギー消費の全体のなかで電力というかたちで消費されているエネルギー量の割合は、日本では25%ほどにすぎない(先進諸国の平均はもっと低く、2割程度)。
再生可能エネルギーの活用は、けっしてエネルギー利用の全体の構造を変えるわけではないのだ。”
 
“化石燃料が現実に果たしている圧倒的な役割からすれば、再生可能エネルギーが「エネルギーのパラダイム・チェンジ」を実現し、新たな生産拡大の局面を準備するとはとうてい考えられないのである”
 
“私たちは化石燃料の活用が人類にもたらした生産拡大のインパクトをもっと認識しなくてはならない。再生可能エネルギーへの転換によって経済成長がもたらされるだろうという楽観論は、そのインパクトに対する認識を決定的に欠いている。あるいはその楽観論は、2次エネルギーにすぎない電力をエネルギーそのものと取り違えるという誤謬のうえになりたつものでしかない。”
“もちろん、再生可能エネルギーの活用が経済成長をもたらさないからといって、その普及や拡大がまったく意味をもたないということではない。それは、リスクの高い原発への依存度を下げるという点でも、新たな成長産業を生みだすという点でも、さらにはエネルギー源の多様化やエネルギーの地産地消を進めるという点でも、意味があることだ。ただし、それらの利点と経済成長そのものはまったく別の事柄である。経済成長の問題から切り離されて、再生可能エネルギーの活用は考えられなくてはならない。”
私は、ここで萱野さんが述べられている内容についてはその通りなのだろうな、と思っています。
読んでいて感じたことが2点あります。
1点目は、萱野さんは、経済成長を生み出すことを大前提として、それを満たすエネルギー手段を模索するというアプローチを取られているということです。
それは全く正しいアプローチだと思います。
経済成長がなければ、企業の成長も望めませんし、そこで働く人々の給料も増えません。
年金や社会福祉等に回すお金も生まれません。
でも、今、人々の間でその考え方が少しずつ変わりつつあるのではないかと思います。
経済成長を続けていくことが、人々の真の幸福に繋がるのかどうか、ということについて、今、疑問符がつき始めているのではないかと思うのです。
もっと別の道があるのではないか、と。
であれば、エネルギー政策に関しても、必ずしも経済成長を前提にする必要はなくなって来るのではないか、という点です。
 2点目は、1点目とは逆説的になりますが、でも、しばらくは、既存の考え方も取り入れていかないとならないのだろうな、ということです。
今は、まだまだ変化の入口だと思っています。
変化の過程では、異なる考え方を並立していくことも必要なのではないかと思うのです。
エネルギー政策についても、いずれ、今とは全く違ったエネルギー供給手段が生まれて来るのではないかと思っています。
しかし、それをまだ持っていない今は、色々な選択肢を残しておくべきだと思うのです。
特に今は、東日本の復興、そして原発事故への対応という、とても大切で大きなイベントがあるということを忘れてはならないと思うのです。


“兄・小林秀雄から学んだ感受性の育て方”

2011-07-29 02:23:23 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。
http://www.chichi.co.jp/monthly/201108_index.html

   
昨日に続いて、小林秀雄の実妹で、
劇作家でいらした高見澤潤子さんの記事です。

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       「兄・小林秀雄から学んだ感受性の育て方」
       
       
           高見澤潤子(劇作家)
        
        
                 『致知』2001年10月号
                  特集「先知先哲に学ぶ
人間学」より


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兄に感受性を養い育てるには
どうしたらいいかと聞いたとき、兄はこう答えた。


「始終、怠ることなく立派な
芸術をみることだな。
 そして感じるということを学ぶんだ。
 立派な芸術は、正しく豊かに感じることを
 いつでも教えている。

 先ず無条件に感動することだ。

 ゴッホの絵だとかモーツァルトの音楽に、理屈なしにね。
 頭で考えないでごく素直に感動するんだ。
 その芸術から受ける何ともいいようのない解らないものを感じ、
 感動する。そして
沈黙する。
 
 その沈黙に耐えるには、
 その作品に強い愛情がなくちゃいけない」


感じるには、理解力とか判断力とかいうものではなく、
心の才能というものが必要なのである。

子どものような
純粋な謙遜な気持ちが
なくてはならないのである。

いろんな知識を得、経験を重ねると、
こういう素朴な心を、私たちはみんな失ってしまう。
人間は心の底から感心し、感動しなければ
よいものは創れないし、よい考えもおこらないと思う。


また、個性について兄がこんなことをいったのを覚えている。


「人間は、自分より偉い、優れた人に出会ったら、
 その人を心から尊敬できるような
 ナイーブなものを持っていなくちゃ駄目だ。

 他人への信頼と無私な行動とが一番よく
 自分の個性を育てるものだ」


私はこの言葉を聞いたとき、正直なところ、
本当にそうなのかと疑問を持った。

個性というものは自分に与えられているものだから、
自分が育てなければならない、
自分の個性と思われるものを努力して、苦労して、
自分で磨き上げなければならないと思っていた。

しかし年をとるとともに、この言葉が
真実であることがわかってきた。


個性を育てるのに、たいていの人は私のように誤解して、
間違った方向をとってしまう。

ことに、人を尊敬するとか、他人を信頼し、
無私になることは却って自分を殺してしまうと思って、
俺が俺がという気持ちを持とうとする。

そうすれば、ますます個性を育てることは
難しくなるであろう。

兄のいうように「心から尊敬できるナイーブなもの」が
大切なのである。

────────────────────────────────────(以上)


“頭で考えないでごく素直に感動するんだ。
 その芸術から受ける何ともいいようのない解らないものを感じ、
 感動する。そして沈黙する。
 
 その沈黙に耐えるには、
 その作品に強い愛情がなくちゃいけない。”


感受性を養うには芸術に接するのがいいとはよく言われることですが、小林秀雄さんの説明は一味違いますね。

“沈黙する”というところ、私の勝手は小林さんのイメージでは、“思考する”と当てはめてしまいそうですが、
違うのですね。


“その沈黙に耐えるには、
 その作品に強い愛情がなくちゃいけない。”

なんとも深い言葉です。


“沈黙”するとは、自分に向き合うという意味でもあるのかも知れません。
“愛情”とは、作品への愛情であると同時に、自分への愛情、信頼でもあるのかな、と思いました。


“個性”についての小林さんの言葉も一風変わっていますね。

“他人への信頼と無私な行動とが一番よく
 自分の個性を育てるものだ”

一体どこからこんな発想が出てくるのかと思います。


私も、その時の高見澤さんのように、

“個性というものは自分に与えられているものだから、
自分が育てなければならない”

と思っていました。


しかし、そうすると確かに、

“俺が俺がという気持ち”が入りやすくなってしまい、

“ますます個性を育てることは難しく”なってしまうのかも知れませんね。


“心から尊敬できるナイーブなものを大切にすること”

深くて繊細な表現ですね。
やはり相手の中に、自分の個性をそっと映し出していくように感じます。


“なでしこ報道で露呈した“ニッポン”の未熟な女性観”

2011-07-29 02:21:21 | 日記

 日経ビジネスオンラインの記事です。

河合薫さんの連載コラム、新・リーダー術 上司と部下の力学 よりです。
「男性社会の自覚なきが女性を働きにくくする」という副題がついています。
大変興味深い内容です。
 
是非、ご一読下さい。
 
 
 
河合さんが、このコラムで書かれていることは、海外滞在をしている私が、一時帰国するときに痛感することでもあります。
 
『自覚なき刃』という表現、そのものずばりだと思います。
 
 
W杯で大活躍したなでしこジャパンに対する質問、
 
選手に対しては、
 「結婚したいですか?」
 「彼氏はいますか?」
 「将来、子供は欲しいですか?」
 
監督に対しては、
 「女性だけのチームをまとめるのって、大変でしょ?」
 「オヤジギャグは、女性の心をつかむため?」
 「全国の女性部下を持つ上司たちが、監督のノウハウを知りたがってるでしょ」
 
こうした質問は、海外ではもちろん、今や日本の職場でもさすがに少なくなって来ているのではないでしょうか。
しかし、日本のTVでは、こうした質問が、極めて普通に、そして頻繁に出て来ます。
これが、どんなにヘンテコなものなのかということは、男性に置き換えてみるとよくわかりますね。
もし、私が男だったら、「忙しくて恋愛とか、結婚とかできませんよね」とか、「敬遠しちゃって、結婚なんてできませんよね。ガッハッハ」などと、言われることはないはずだ。
その通りだと思います。
 日本のメディアのクオリティ、河合さんがご覧になった米国の番組からもよくわかります。
米国チーム、アビー・ワンバック選手とホープ・ソロ選手が出演した番組でのソロ選手の言葉、
 「試合後、彼女(宮間あや選手)はすぐに私のところにやって来てくれて、互いに労をねぎらったの。でも、彼女は喜びをあらわにしていなかった。なぜなら、彼女は私たちが負けてどれほど傷ついたか分かっていたから。だから、私は言ったわ。『もっと喜んで! あなたたちは素晴らしかったのよ!』ってね」
感動します。
   「日本の選手たちは、最後まであきらめなかった」、「日本の選手たちは、彼女たちのサッカーのスタイルを信じて、最後まで戦っていた。新しい女子サッカーの息吹を感じた」といった、日本を称賛するものも多く報じられていた。
 アメリカ代表の選手も、彼女たちのコメントを伝えるメディアも、なでしこジャパンのメンバーをねぎらい、感謝していた。海の向こうのメディアの方が、よほど「なでしこジャパン」に一流のアスリートとして敬意を払っていたのである。
“一流のアスリートとして敬意を払っている”、この言葉、大切ですね。
 
米国と日本のTVでこれだけ違いがあるということは、実は、『自覚なき刃』が、日本人男性の中に紛れもなく存在しているということなのだと思います。
「結婚は?」、「子供は?」、「彼氏は?」と、なでしこジャパンのメンバーに、容赦なく質問を浴びせたように、「仕事と家庭の両立は難しいでしょ」「子供が小さい時は、母親は一緒にいた方がいいよね」などと、あたかもそれが常識のごとく浴びせられる言葉。「やっぱり辞めた方がいいのかなぁ」と本人の気持ちを萎えさせるような、何気ない一言や態度。
親の考え、子供の時によく見たテレビや雑誌に描かれていたこと、周りの人がよく言っていたこと。そういったものが、自分でも気がつかないうちに、あたかも自分の考えのように刻まれていく。
恐らく日本社会の「女性」に対する価値観は、過渡期にあるのだとは思っている。でも、くだらない質問が公然と繰り広げられる事態を目の当たりにして、「本当に変わるのか?」と不安になってしまったのも、また事実。
いかなる価値観であっても、自覚さえされていれば、むやみに人を傷つけることはない。無自覚の価値観だから、ためらいのない無責任な言動となり、刃となるのだ。
その覚悟を、私たちは持つことができるのだろうか。
 
河合さんの、“「本当に変わるのか?」と不安になってしまったのも、また事実。という言葉、胸に響きます。
しかし、変わらなくては、日本の未来はないでしょう。
逆に変わることが出来れば、日本はこれから黄金時代を迎えると思います。
 
最後に書かれたエピソード、さもありなんのお話ですね。
以前、取材させていただいた会社のトップの方は、さんざんダイバーシティーだの何だのと語り、そこにいた部下に、「何でうちの会社には女性の役員がいないのかね。私は、女性を積極的に登用しなさいって、散々言ってきたつもりだけどね~」と語った。ところが、その後に一緒に乗ったエレベーターで信じられない一言を言い放った。
一緒に乗り合わせた女性社員が先に降りた時にこう言ったのだ。「あれはうちの社員か? 女は3歩下がってついてくる、って言葉を知らんのかね」と。
さて、女性役員が一向に増えない理由が分かりましたね。ウソのようなホントの話。これが今の日本の現実。自覚なき価値観、恐るべし。
 
自分の言葉や考えの中に 『自覚なき刃』を見つけること、それを自覚に変えていくこと、とても大切な一歩だと思います。


“債務危機と低成長で動転する政治家たちの悲哀と求められる発想転換”

2011-07-28 03:01:01 | 日記

 ダイヤモンド社、ビジネス情報サイトよりです。

 
“日米欧“同時”政策機能不全‐債務危機と低成長で動転する政治家たちの悲哀と求められる発想転換”
と、長いタイトルがついています。(笑)
 
この記事は、元IMFの理事、そして 現在PIMCO最高経営責任者の モハメド・A・エラリアンという方が書いています。
 
 
 
“米国の債務上限引き上げ協議の紛糾、欧州の債務危機、日本の復興財源議論の迷走…。”
 
エラリアンさんは、各国の政治状況を、飛行機のパイロットに例えています。
 
“自分の乗った飛行機が乱気流に遭っても、操縦室の閉ざされた扉の向こうに座っているパイロットがうまく対応してくれると信じられれば、安心できる。だが操縦室の扉が開いていて、機体が思うように動かないことにパイロットたちが苛立ち、次の操作について言い争い、操縦マニュアルを見ても何の手がかりもない様子が目に映れば、とても安閑とはしていられない。”
 
そのパイロットが、○首相で、その周りにいるのが○○党幹部と考えると、滑稽、しかし笑えない図となります。
 
“フランクフルト(欧州中銀の本拠)とベルリン(ドイツ政府)対立”のある、欧州、
“政治家たちが、財政赤字の上限をどこまで拡大すべきか学級会のような議論を続け、米国債の大事な「AAA」格付けを危うくしている”、米国、
“大地震・大津波、そして長引く原発事故の発生から4ヵ月が経過したというのに、包括的な復興計画はまだ着手されていない”、日本、
 
著者は、米欧日の政治家が共通に抱えるテーマとして以下の6つを挙げています。
 
1 レバレッジ解消をめざす不安定な動きに悩まされていること。
 
2 1が、他の構造的な障害をさらに悪化させていること。
 
3 大規模な再編のただなかにあるグローバル経済に取り巻かれていること。
 
4 なのにこうした構造的問題に対して景気循環対応型の措置を選択していること。
 
5 政治的な思惑(politics)が事態をより複雑化させていること。
 
6中期的な経済展望について、政治家が明確なビジョンを示せていないこと。
 
 
その上で、それらを解決するには、
 
“政治家たちが従来の景気循環を軸とした考え方を離れ、今日の停滞の根底にある、より面倒で、しかし決定的に重要な構造的問題をもっと正確に把握し効果的に対処できるような考え方へとシフトしていくよう、私たちは求めていくべきなのだ。”と説きます。
 
しかし、その一方で、取り巻く条件が、“今よりも大幅に悪化しなければ、政治家の意識はそこに集中しないかもしれない”、とも述べています。
 
そうすると、“これまでよりさらに胃袋がでんぐり返るような乱気流に襲われることになる”と警告します。
 
 
私も、エラリアンさんと同じように、今は、だれが政治をやっても難しい時代だと思っています。
実際、“重要な構造的問題を正確に把握し効果的に対処できるような考え方”というものが一体どういうものなのかということを著者自身、ここでは明らかにしていません。
 
 
更に言うと、“景気循環を軸とした考え方から離れて”思考することは、とても大切なことだと思いますが、その場合、特に政治の世界では、将来のビジョンについて意見の対立が生まれることは必至だと思います。
 
従って、政治家の方々がそれを実際に行うことはとても難しいことだと思っています。
 
むしろ、個人個人のレベルで、将来のビジョンを持つ一方で、世の中は、“胃袋がでんぐり返るような乱気流に襲われることになる”ことを前提にしておくこと。
 
自分の心の中では、その飛行機にはもう乗らない、という選択肢があってもいいのではないかと思っています。


“兄・小林秀雄から学んだこと”

2011-07-28 02:55:55 | 日記

致知出版社(http://www.chichi.co.jp/monthly/201108_pickup.html)の「人間力メルマガ」より転載させて頂きます。

高見澤潤子さんは、小林秀雄さんの実妹でいらっしゃいました。
2004年に99歳で亡くなられました。   
             

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       「兄・小林秀雄から学んだこと」
       
       
           高見澤潤子(劇作家)
        
        
                 『致知』2001年10月号
                  特集「先知先哲に学ぶ人間学」より


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子どものころから兄・小林秀雄は、
私には尊敬すべき存在だった。

私は兄から多くのことを教えられた。

しかし、私があんまり知らないことが多すぎて
恥ずかしいといったとき、


「何ももの知りにならなくてもいい」


といってくれて、


「学者はknowledgeだけあって、wisdomがないから駄目だ」


といったことがある。

人間は生きていくためにはもちろん
学問、知識(knowledge)は必要である。

しかし、物事をよく判断し、よく処理する心の動き、
賢さというようなもの、生きていく知恵(wisdom)は、
それ以上に大切であることを、兄はいうのである。

兄は理論よりも行動を重視した。
何かせずにはいられないという気持ちは、
愛情とか尊敬からおこるものである。

頭で考えているだけでは、
そういう気持ちにはなかなかなれない。

愛情をもって対象物を本当に理解しなければ、
実行することはできない。

知ることは行うことだ、と兄はいっていたし、

「実行という行為には、
 いつでも理論より豊かな何かが含まれている。
  現実を重んじる人というよりは、
  現実性を敬う心がある」


というようなこともいっていた。


私たちはあまりにも観念的になり、抽象的になり
理論的になっている。

理屈ばかりいって、実行しない者は多い。
現実を大切にしないからである。

実行するのは難しいことなのだが、
具体的にものをいうよりも、抽象的にいった方が
深みがあるように思っているからである。

しかし目の前に現れている現実、
具体のほうが大事なのである。

私が自分の結婚問題について、
手紙で兄に相談したとき、兄は長い返事をくれた。

その中にこういう言葉があった。


「人間が人間の真のよさだとか悪さだとか
 わかる迄には大変な苦労が要るものだ。
 
 人間を眺める時、その人間の頭にある思想を
 決して見てはならぬ。それは思想だ。人間じゃない。

 その中によさも悪さもあるものでない。
 大体、アリストテレスの言ったように、
 人生の目的は決してある独立した
 観念の裡(うち)にはないものだ。

 人間の幸不幸を定める生活様式の裡にあるのである、
 いい生活様式を得れば人間はそれでいい」


兄は何も知らない私に人間の見方と、
人生の幸福というものを教えてくれた。

人間は頭より情緒、心の優しさが大切で、
人間をみるというのは、実生活の具体的なものを、
しっかりみることである。

────────────────────────────────────(以上)


小林さんの著者では、昔、「モーツアルト」を読み、天才だ!と思いました。
言葉一つ一つに重要な意味が込められているのだろうな、と思いながらも、私にとっては難解な文章。
結局、最後まで読み通すことが出来ませんでした。

「批評の神様」と称せられた、小林秀雄さん、

あまり動かずに、思考を働かせることがお好きだったのだろうな、と想像していました。


しかし、妹さんの高見澤さんの言葉からは、勝手に想像していたのとは異なる小林さんの姿が見えて来ます。


「何ももの知りにならなくてもいい」

「学者はknowledgeだけあって、wisdomがないから駄目だ」

「実行という行為には、いつでも理論より豊かな何かが含まれている。
  現実を重んじる人というよりは、現実性を敬う心がある」


これらは、小林さんが、知識よりも、“生きていく知恵”、
頭よりも、“現実”、そして“実行”するということを大切にしていたことを示しています。 


 “人間は頭より情緒、心の優しさが大切で、
 人間をみるというのは、実生活の具体的なものを、
 しっかりみることである。”


“具体的なものをしっかりみる”ということは、実は、その奥にあるもの、背後に隠れているものを見つめる、ということでもあるのだと思います。

“実生活の具体的なものを見ること”、“生きていく知恵を学ぶこと”、“実行する”ということは、まさに、今、求められていることですね。


“大阿闍梨と小僧のこころ”

2011-07-28 02:52:25 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。(http://www.chichi.co.jp/book/7_news/cd_kouwa3.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
     致知出版社の「人間力メルマガ」

                【2011/7/27】 致知出版社編集部 発行
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 私はこれまで千日回峰行という行に自分自身を立たせてみて、
 「人生とは何ぞや」「信仰とは何ぞや」という熱い思いで、
 23歳の時からお山を歩き続けてまいりました。

 行は1日48キロ山道を16時間かけて、
 9年がかりで合計4万8,000キロ歩き続ける
 というものでございました。

 この行には、たった一つの掟(おきて)がございます。
 
 ひとたび足を踏み入れますと、
 決して途中でやめることは許されません。
 
 万が一の時には、短刀で自分の腹をかき切るか、
 腰に結わえてある「死出紐(しでひも)」で首をくくるか、
 二つに一つです。


「行を終えたら行を捨てよ」


 これはお師匠様から一つだけ授かった言葉です。

 行とは、山へ行った回数で価値が決まるものではない。
 どんな経験を積んでも決してそれを勲章にすることなく、
 ただ善なる功徳のみを徹底的に
 積み重ねよという教えだと思います。

 平成3年5月3日、目を開けた瞬間から
 千日回峰行者になるための自分の定めが始まりました。


 目を開けると身体の重い日もあります。
 調子の「いいか悪いか」ではなく、
 「悪いか最悪か」のどちらか。
 
 そのスレスレのところを行じていくので、
 起きた瞬間に足が動かない日もある。

 一度行に入ると医者に行くことも許されません。
 ある日、突然右目が充血して
 腫れあがってきたことがありました。
 
 一週間たってもどんな薬をつけても治らず、
 徐々に不安が募ります。
 
 どうしてだろう、といくら原因を考えても分からない。

 その時に、当時23歳という若さゆえ、
 命の一つや二つ落としてもなんてことはない
 という気持ちでいた自分のことが省みられました。
 
 あんなに大きなことを言っていた人間が、
 右目一つ霞んでくるだけでこんなにも不安になっている。
 
 そう思った瞬間に、
 
 「神仏から頂いたこの命は決して粗末にしてはいけない」
 
 という戒めだったのだと気づいたのです。
 それから数時間後には目の腫れが引き、
 次の日には元どおりになっておりました。


      『致知』2007年12月号より


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修験道の中でも最も過酷な行の一つといわれる
千日回峰行に果敢に挑み、見事満行を果たされた
塩沼亮潤大阿闍梨(しおぬま・りょうじゅんだいあじゃり)。

東日本大震災以降、その塩沼師が住職を務める
仙台の慈眼寺(じげんじ)へ、多くの方々が
ご自分の悩みを打ち明けに訪れると聞きます。

塩沼師は「自分に何ができるだろう……」と
煩悶されながらも、ご自分の話を聴かれた方々が、
元気を取り戻し、最後には笑みさえ浮かべながら
寺を後にされる姿をご覧になりながら、
ご自分の役割がここにあるのだということを
あらためて確信されたといいます。(後略)

…………………………………………………………………………………………(以上)

 
 “ある日、突然右目が充血して
 腫れあがってきたことがありました。
 
 一週間たってもどんな薬をつけても治らず、
 徐々に不安が募ります。
 
 どうしてだろう、といくら原因を考えても分からない。”


 “あんなに大きなことを言っていた人間が、
 右目一つ霞んでくるだけでこんなにも不安になっている。
 
 そう思った瞬間に、
 
 「神仏から頂いたこの命は決して粗末にしてはいけない」
 
 という戒めだったのだと気づいたのです。
 それから数時間後には目の腫れが引き、
 次の日には元どおりになっておりました。”


“命の一つや二つ落としてもなんてことはない”と思っていた塩沼さんが、
右目の充血で不安になること・・・

やはり、考えることと、やることは、全く違う、別の次元のことなのだと痛感します。


そして、そこに気づきが生まれた時、腫れが引いてしまう・・・

それは生きていることの不思議にも繋がることなのではないでしょうか。


私たちが日々経験する、体の痛みや、心の痛み、実は、その中にもその人にとって大切な教訓が隠されているのかも知れませんね。


“リチャード・ボイラン博士の地震警告について②”

2011-07-28 02:49:49 | 日記

23日の日記(http://blog.goo.ne.jp/tera-3/e/24a99a9c20eaab0b6bf8e2f0f20e6130)のフォローアップになります。

私の出した質問メールに対して以下の内容で返事が来ました。
同じ内容で、ブログも更新されているようです。(http://www.drboylan.com/07.2011japanmegaquake.html

Here is the latest on the major seismic event originally foreseen to occur around the July 23-24-25 time period.
On Saturday afternoon there was 1) a sizeable 6.4-magnitude quake which occurred (1:34 pm, Japan time) near Sendai, Japan
On Sunday (Monday-Japan time), four additional earthquakes of size occurred yesterday:
2) a 5.1 magnitude quake right after midnight (Japan time Monday ), July 25, 2011 at 12:07 am (the original time the Big One was foreseen to strike);
3) a 6.2 magnitude quake at 03:51:25 AM ( Monday Japan time );
4) a 6.2 magnitude earthquake which occurred at 6:52 pm Monday, Japan time; and
5) an additional (fifth) 4.9 earthquake which occurred at 8:04 pm (Japan time) Monday evening. (Additional lesser quakes also occurred. See below*. )
These all really can be seen as a set, and the sum of those energy releases may have substituted, at least temporarily, for the expected 9.5 earthquake event.
Taken as a whole, Mother Earth may have had an at-least temporary dissipation of the tremendous force of a potentially-looming 9.5 Mega-Quake into a set of several more-moderate quake events.
The dissipation of that foreseen 9.5 Mega-Quake into a series of five moderate quakes would temporarily forestall additional destruction to the Fukushima and other nuclear plants in Japan, and thus for now avoids even more radioactive pollution of land, sea, and atmosphere, and those who dwell there .
The breaking of the Mega-Quake into five smaller quakes was NOT the doing of Gaia .
Rather, it was human interference by the Cabal for their own devious power-and-profit purposes facilitated by their "earthquake-engineering" .
And thus we can expect the built-up pressure at the contact point of the Pacific Plate and the Okhotsk Plate (that Japan rests on) still remains to be dealt with, and will sooner or later have to be released anyway in an even-more-major seismic event, perhaps 9.7, in the not-too-distant future.

<要約>
1)〜5)で23〜25日に起きた5つのM5以上の地震について列挙した後、


“これらの地震は一連のものとして見なすことが出来、M9.5 地震の代わりとなって一時的にエネルギーを解放したと言えるのではないか。
全体として見ると、母なる地球は、M9.5 級の大地震の強大なパワーを、一時的に中規模地震として分散したということになるかも知れない。
M9.5 級の大地震が5つの中規模地震に分散されたことによって、福島や他の原発の更なる破壊を防ぎ、土地、海、大気やそこに住む人々への更なる放射能汚染を防いでいるということになる。
しかし、大地震が5つの地震に分散されたということは、実はガイアの行為ではなかった。
むしろ、“地震工学”を利用し、自らのパワーと利益を得ることを目的とした陰謀によるものであり、人的に介入されたものであった。
従って、太平洋プレートと(日本が乗っている)オホーツクプレートの接触地点において、引き続き圧力が蓄積されていることを考えると、それ程遠くない将来に、多分M9.7級の 更に大きな地震となってその力が解放されるのではないかと予想する。”

 

確かに23日〜25日には、東日本だけでも下記を始めとする地震がありました。
7月23日 13時34分 宮城県沖    M6.5    深さ約40km   最大震度5強
7月25日 3時 51分   福島県沖     M5.2   深さ約40km   最大震度5弱
7月25日 20時55分 千葉県東方沖  M5.7     深さ約30km     最大震度3

 

しかし、リチャードさんの内容を読んでいると、“人為的に起こそうとした地震が、うまくいかずに分散してしまった”、というように聞こえなくもありません。

ただし、引き続き注意は必要だと思っています。

 


“日本は「ダメだ」「危ない」と思い込み過ぎ 逆プラシーボ効果に苦しむ日本人?”

2011-07-27 03:39:39 | 日記
ダイヤモンド社のビジネス情報サイトよりです。
 
先日の、“なでしこ快挙の陰に隠れた米国のフェアネス精神”でも紹介させて頂きました、(http://blog.goo.ne.jp/tera-3/e/c5361bd39aacd59a6fdac24bc9a9c98e
前参議院議員田村耕太郎さんの記事です。
 
連載コラムのタイトルは「坂の上に雲はない!」
 
その意味するところは、“日本は日本の現状に合わせて自らをモデルチェンジするしかない。坂の上にもはや雲はない!”ということ。
 
 
今回の記事のタイトルは、“日本は「ダメだ」「危ない」と思い込み過ぎ 逆プラシーボ効果に苦しむ日本人?”です。
 
逆プラシーボ効果とは、“悪い情報を信じ込ませれば身体はネガティブに反応する”という意味から使われています。
 
“日本滞在時「日本は危ない」「日本はダメだ」という議論を耳にタコができるほど聞かされた。もっとダメでもっと危ないところがたくさんある世界中を見ている私にすれば、違和感を覚えざるを得ない。しかし、本気で多くの日本人が「ダメだ。ダメだ」「危ない。危ない」と思っていたら、日本全体が「逆プラシーボ効果」で本当にダメにしなってしまう。”という田村さんの危機感がこの記事のベースとなっています。
私も、全くその通りだと思います。
 
 
是非、本文をお読み下さい。http://diamond.jp/articles/-/13302
 
日本で当たり前のように受けているサービスは、海外では、実は全く当たり前でないことが非常に多いのです。
そのことは、私の経験からも確信を持って言えます。
 
以下、田村さんが挙げるすぐれた日本の例です。
“「自分の仕事をつくらないように客をコントロールしようとする」他国の乗務員とは違い”(笑)、“積極的にサービスを提供しようとしていたように映った”日系エアララインの乗務員サービス。
“清潔な歯ブラシが置いてあり、水道の水で直接歯磨きができる”ホテル。
先日の中国の高速鉄道事故でも再認識された、“世界中で最も安価で清潔で安全で快適で運行管理が優れている”鉄道システム。
“何を食べても、美味しく、世界基準であんなにいいサービスを受けながらチップが要らない”レストラン。
世界最高峰の高級住宅地でも“無計画停電”があるのに対して、極めて安定した日本の電力供給。
“1億人以上の人口を持ち、地方都市まで含めてほぼ大多数の国民が重要情報を瞬時に共有できている国は日本くらいだろう。”という雑誌や新聞。(ただし、“分析記事の中身は別として”とか、“メディアによる情報の整理整頓がうまい。この整理整頓に日本のメディアの恣意性が入り込む余地があるが・・・”という但し書きもありますが。)
“短期滞在中でもオンラインで書籍を買えば、無料で翌日どこにでも配送される。日時指定どおりに正確に届く”物流。(スペイン含めた海外では、ゴルフ宅急便とか、クール宅配便というものは考えられません。時間指定も難しいですが、そもそも品物がなくなるリスクを考えると、たとえそうしたサービルがあっても利用するのは難しいと思います)
“多くの質問は海外についてのもので、日本の若者が全然“内向き”ではないと感じた。経済や財政についてもよく勉強している質問が多かった”若い世代・・・。
 
以上、挙げられている例は、私も海外から日本に行って見て感じることばかりです。
そして、海外のように、「わからない。私の担当ではない。だれの担当かも知らない。」と言わない日本のサービス、コミットメントについても付け加えておきます。
 
“安易に楽観論ばかり叫ぶのも日本のためにはならないが、何事も相対的・現実的に課題に接するべきだ。日本の相対的な強みもしっかり認識して日本建て直し論のバランスを取るのがベターだ。そのためには外の世界をできるだけ多くの日本人が経験して相対的・客観的に物事を見られるようになることがベストだと思う。”
この田村さんの結論、全くその通りだと思います。
 
私も、世界における日本の優れた面を、相対的・客観的に見られるようなれば、今後日本が進むべき方向もおのずと見えてくるのではないかと思います。
すでにいい見本もありますよね。
“なでしこジャパン”、“日本の相対的な強みをしっかり認識して”、世界一になりました。

“米国いよいよデフォルトか?(2)”

2011-07-26 03:55:44 | 日記

結局、日曜日もホワイトハウスと議会の合意に至らず、週を超えて交渉を続けています。

先週が山場と言われていましたが、合意失敗に終わり、今週ぎりぎりまでひっぱることにしたようです。

手続き面の日程は無視して、もう焦点を8月2日までの合意に合わせることにしたようですね。

 

日経新聞が訳したフィナンシャルタイムズの記事です。

http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819584E0E7E2E2E38DE0E7E2E5E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;at=ALL

民主、共和党間で責任のなすりつけ合い、避難の応酬になっているようです。

ただ、まだ交渉は続いているということを見て、今日のマーケットは、各国ともやや下げていますが、大きな変動にはなりませんでした。

 

次は、ブルンバーグの記事です。


米下院議長:債務上限1兆ドル上げ提案へ、歳出削減の保証が条件

 

 7月25日(ブルームバーグ):ベイナー米下院議長は25日、米国のデフォルト(債務不履行)回避と歳出削減を盛り込んだ新提案を公表する。同計画ではオバマ米大統領に対し、歳出を削減しない限り一段の借り入れができる「白地小切手」を与えることを拒否しているという。同議長の事務所が明らかにした。

 ベイナー下院議長のスタッフは同議長のウェブサイトに掲載されたブログで、議長の計画は「オバマ大統領の債務上限引き上げ要請を阻止することを目指している。大統領は来年の選挙をまたいで有効な債務上限引き上げを求めているが、債務上限が引き上げられる一方で歳出削減を保証するプロセスは盛り込まれていない」と指摘した。

 下院議長の提案では、債務上限が直ちに約1兆ドル(約78兆円)引き上げられるほか、同規模の歳出削減を伴っている。また、大統領が新たな借り入れ権限を付与される前に一段の債務削減策を立案するよう議会委員会に課している。

更新日時: 2011/07/26 01:33 JST
 

私は、増税も歳出削減も、中期的な米国財政事情の改善をもたらすとは思っていません。

ですので、最終的に民主党と共和党の間でなんらかの合意になったとしても、この問題は近い将来、更に大きな問題となって出てくると思っています。

 

ティーパーティー党(茶会党)は、米国のデフォルトをもいとわない党であり、それを除くメンバーでなんとか交渉、やりくりをしているようですが、私自身はティーパーティー党の言い分も理解出来るように思います。

ただ、ティーパーティー党が言っているように、実際にデフォルトになった時に、それによってどれだけの事態になるのかを、ティーパーティー党自身がきちんと把握しているのかどうか、ということについてはクエスチョンマークです。

それによって国民生活がよくなるということは当面なくなるでしょう。

相当厳しい状態になると思います。

その覚悟が果たして出来ているのか、ということです。

 

ただ、これからの選挙では、米国に限らず、欧州も含めてティーパーティー党のような立場を取る政党が票を伸ばしていくのではないかと思います。

そうしたことも含めて、欧米諸国では、遅かれ早かれデフォルトの方向に向う流れになっていくと思います。


“タバコの方が放射線よりも発ガンリスクが高いのか”

2011-07-25 09:41:13 | 日記

「到知」出版社さんより頂くメルマガより転載させて頂きます。


「致知一日一言」読者の皆様

いつもお読みいただきありがとうございます。

先日、東京電力など電力10社の電気料金が9月も値上げされることが決定し、これで7か月連続の値上げとなりました。

福島第一原発事故を発端に、じわじわと我々の生活が圧迫される中、政界は菅首相の「脱原発」発言で揺れています。

さらに、「脱原発」は内閣の統一見解ではなく、「私の考え」に修正した行き当たりばったりの首相の言動に、米国も不信感を露わにしています。

『致知』8月号では、保守論壇の重鎮である渡部昇一氏が、日本のエネルギー問題について識見に富んだお話をされていますので、ご紹介します。

 * * *

原発事故の収束作業が困難を極めているいま、原発の維持ないし推進はとても言い出し難い。

原発停止を求める人たちは、それに代わるエネルギー源として、水力、風力、太陽光などの発電を挙げる。

しかし、再生可能なエネルギーでは、とても原子力を補う電力を生み出すことはできない。

その結果は電力供給の不安定化を招き、電力単価が高騰し、企業の業績悪化、設備投資や雇用の縮小、企業の倒産や撤退の増大となり、

これは税収の減少、財政の悪化に繋がり、日本経済、いや日本という国そのものの致命傷になる。

にもかかわらず、世論は大きく反原発に傾いているような感じが、マスコミを中心にはびこっている。

こういう発言も参考になるだろう。東京女子医大放射線腫瘍科の三橋紀夫教授の言葉である。

「本当はタバコや肥満のほうが発がんリスクが高い。放射線と紫外線の発がんリスクは合わせて3%だが、タバコや肥満はそれぞれ30%。残りは環境汚染や食品添加物などが占めています」

国民はマスコミなどが撒き散らす風評に踊らされることなく、科学的にしっかりした視点を持たなければならない。


渡部昇一さん、尊敬するお一人です。

私自身は、先日の日記にも書きましたように(http://blog.goo.ne.jp/tera-3/e/2545437a3285312e75eba439980b2e35)、日本は、中期的に脱原発社会を目指すべきと考えています。

しかし、国のことを一生懸命考えている渡部さんの上記のような考え方にも学ぶべきことは多いと考えています。

日本は、島国ではありますが、海をはさんで、中国、韓国、北朝鮮、ロシア、米国たくさんの国に囲まれています。

日本の国力が弱くなったと思えば、そのすきを見て攻めてくるシナリオは充分あると思います。

なので、渡部さんのような方、「私」ではなく日本という「公」の観点で、発言される方の言葉にはきちんと耳を傾けなければならないと思っています。

 

ただ、原発の話になると、所謂原発推進派の方にしても、脱原発派の方にしても、どうして論理性がなくなることが多いのだろう、と感じることが多いです。

ここでも、例として出されている三橋教授の言葉、放射線と紫外線の発がんリスクは合わせて3%、タバコは30%とありますが、放射線とタバコの煙を、どのような比較の仕方をしてこうした数字を出ているのかよく理解出来ません。

放射線にも様々な種類、そして様々な濃度があるでしょう。タバコもそうだと思いますが、一体どのような種類、濃度で比較しているのでしょうか。そもそも放射線とタバコの害を比較すること自体出来るのでしょうか。

私は、それは出来ないのではないかと思いますし、なのに既成の事実のように使うことに違和感を覚えます。

放射線の被害については、まだはっきりとしていないというのが実情だと思いますし、それだけにチェルノブイリやスリーマイル含めた過去のデータは体験貴重なものだと思います。

そうした積み重ねの中から、真実に近いものが出てくるのではないでしょうか。

まだデータは少ないのでしょうから、放射線は大丈夫!と決めつけることよりは、特に子供さん含めて保守的に考えていくべきなのではないかと思います。

今後のエネルギー政策を考える上でも、恣意的に加工されたものではない、現状の客観的なデータが不可欠であるということ、重ねて強調したいと思います。


“感動だけではもったいない、なでしこジャパンに学ぶ5つのこと”

2011-07-25 08:58:58 | 日記

日経ビジネス、同名記事よりです。

著者は、企業理念コンサルタントの武田 斉紀さんという方です。

変化の荒波に翻弄されずに目的に向かって歩み続ける「ブレない組織」を作ったり、

個人として「ブレない生き方」をするにはどうしたらいいのか、という観点で、このコラムを書いていらっしゃいます。

是非、本文をお読みください。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110721/221589/?P=1

武田さんは、なぜここまで、なでしこジャパンがブレイクしたのかということについて3点挙げています。

1.小柄なのに身長差10cmもある相手と戦って勝った

2.8試合、24試合して1度も勝てなかった相手にここ一番で勝って優勝した(奇跡を2度も起こした)

3.恵まれない環境下で、ずっと努力を重ねてきた(澤選手は18年も)

として、もしそうでなかったらここまで感動しただろうかということを例を使って説明しています。
そして、“なでしこジャパンが私たちに伝えてくれたことは、感動とともに「思い続けて努力を重ねていけば、どんな環境にあってもいつか夢はかなうよ。諦めないで」ということ”でした。
 
武田さんは、 “でもそれで終わってしまっては、私たちはこれまでと何ら変われない。”として、
“ここでは、なでしこたちの戦いの中から、私たちの仕事やビジネスに生かせるヒントを見つけてみたい。”と話を進めます。
そして、「なでしこジャパンの組織としての強さ」として、5つのポイントを挙げています。
その5つのポイントについては、ここでは書きませんが、そのポイントを挙げる例として引用されている、選手のコメントを列挙したいと思います。
そのコメントの中から、選手たちの考え方や思いが伝わってくるように思うのです。
 
唯一イングランド戦で負けたことについて、“「結果論ですが、負けてよかったと思います。負けて得られたものがあったし、その反省点をドイツ戦やスウェーデン戦につなげられました」”(澤キャプテン)
“「ピッチの中でも、諦めんなという声が飛び交っていた」”(阪口夢穂選手:MF6)。
“澤選手は既に1999年に米国に渡って経験を積んでいたが、テレビのインタビューで次のように答えていた。「確かに体も大きいし、フィジカルとスピードはすごいんですけれど、足元の技術や器用さでは勝っているなと思った。だから勝ち目はあるはず」と。”
“澤選手は「北京オリンピックの時は、ベスト4に残れたことに満足してしまい、メダルを何としてでも取りに行くという気持ちで負けていた」と振り返った。”
“「自分たちはチャレンジャーであって、自分たちができることをすべてやればいいだけだ」というシンプルなメッセージを佐々木監督からは感じた。自分たちのサッカーを徹底的にやる。それを追求していけば、結果は後から付いてくると。”
“キャプテン澤選手は、試合前、選手に言っていたそうだ。「苦しくなったら私の背中を見て」。この話を聞いた時に、私はじんと来た。”
“自分(澤選手)のミスで失点したスウェーデン戦ではハーフタイムに、「ごめん、私が点取り返すから」と素直に謝り、本当に実行して見せた。決勝戦の後半で先行された時も、延長に入ってまた先行され、後半残りわずかになっても「大丈夫、諦めんな」と声をかけた。”
丸山桂里奈選手(FW18)“「自分はスタメンではないですが、いつ呼ばれてもスタメンと同じ100%できる準備をしていました」”
宮間あや選手(MF8)”「テレビに大きく出たりというわけではなくて、ピッチで表現し続けることが一番の仕事だと思うので、フィーバーで終わらないように。自分たちの地道な努力がそういう(女子サッカーの)環境を良くしていくと思うので、頑張っていきたいと思います」”
“元なでしこジャパン主将で、サッカー協会理事でもある日テレ・ベレーザの野田朱美監督は、「彼女たちは女子サッカー界全体のためにプレーしている。自分のためだけ、と思っている選手はひとりもいない。それがなでしこの本当の強さです」と言う(ゲンダイネット、2011年7月19日)。 ”
“宮間選手は2日後の20日には「(W杯は)終わったことです」と答え、既にリーグ戦での戦いに臨んでいた。”
“澤選手は自著『直伝 澤穂希』(講談社)の中で次のように記している。「やりきれるところまで行きたい。負けても、壁に跳ね返されて続けても、もっと上手くなることで日本の女子サッカーに大きく貢献できることがあるのですから」と。” 

“ノルウェーのテロ事件について”

2011-07-25 01:27:17 | 日記

ビル爆破、銃の乱射、無差別連続テロ事件がノルウェーで起きてしまいました。

ノルウェーの1人あたり国民所得は世界4位。

福祉の国、ノーベル平和賞でも有名な、平和の国。

ソマリア等、他国からの難民申請の多い国でもあります。

 

毎日新聞の記事です。

http://mainichi.jp/select/world/europe/news/20110724k0000m030131000c.html

思わず、秋葉原事件を思い起こしてしまいました。

単独犯による計画的な犯行、準備段階からネット発信すること、犯行時の残虐性、社会への不満・・・。

 

今回の犯行で、気をつけなくてはならないと思うのは、

人々の根底にある対立意識を刺激してしまう要素があるということです。

 

欧米メディアでは、テロ直後から、イスラム過激派の犯行を疑う報道を行って来ました。

しかし、実際に逮捕された容疑者は、その内容とはかなり違っていました。

むしろ、正反対といってもいいかも知れません。

容疑者は、ノルウェー人で、反イスラム的、キリスト教原理主義者的な考え方を持っていたと言われています。

自分の思想(?)を、1000ページ以上にわたってネットで配信していました。

 

イスラム社会から、今回の報道体制に批判が出るのも当然と言えます。

http://mainichi.jp/select/world/news/20110724k0000m030055000c.html

 

私は、今回の事件を掘り下げていくと、歴史的にも根深い問題を表に出し、それに火をつけ、

対立を生み出してしまう可能性があると思っています。

 

キリスト教社会とイスラム教社会の対立、移民排斥と移民との関係・・・。

 

テロは、テロ自体が脅威であると同時に、実は、その後の対立や闘争を生み出すことを本当の目的としているのではないかと思います。

ですので、そうなってしまうことは、テロリストや、そうした流れを生み出そうとしている人たちの思うつぼです。

その背景を冷静な目で見つめ、逆に、対立から協調、融和に向って行くことが、本当に求められることだと思うのです。

これからもテロは起きる可能性があると思いますが、それが導火線になるような形で、第三次世界大戦のようなことが起きることは絶対に避けなくてはならないと思います。

 

ノルウェーでは、死刑制度がなく、21年の禁固刑が最高だそうです。

今後それを見直すような論議も出てくるかも知れません。

でも、やはり冷静な議論が必要だと思います。

 

更に言えば、日本でも、テロの動きを利用して、政府が、言論の自由を制限する動きが出てくることにも注意しないといけないと思います。


“風の谷のナウシカと、なでしこジャパン”

2011-07-24 08:39:39 | 日記

ネット上で、“なでしこジャパン”を“風の谷のナウシカ”と重ねて見るコメントが出ていますよね。

この方のHP、とても美しいです。http://nyckingyo.exblog.jp/14140259/

“ナウシカ”と“なでしこ”、確かに発音も似ています。(笑)

 

スペインでは、W杯なでしこジャパンの試合は、ニュースで見るのみでした。(決勝だけは米国のネット放送を見ていました)

海外に住む日本人向けの放送ですが、肝心の試合の場面になると、コピーライトの関係で、静止画像になっていました。

 

ただ、印象的だった、忘れられない静止画面があります。

それは、なでしこジャパンの優勝が決まった後、トロフィーを掲げて、選手全員で手を上げている場面の写真でした。

その写真は、静止画像の時に相当使われていたので、私の目にもくっきり焼き付けられています。

 

選手たちの後ろが金色で染まっていました。

金色の花吹雪が隙間もないほど降っていた、本当に美しい写真でした。

その金色は、青色のユニフォームと鮮やかなコントラストになっていました。

神様からのとても粋な計らいだと感じました。

 

ナウシカの世界、確かに今の日本の状況とダブルところがあります。

腐海と呼ばれる有毒を発する菌類の森、放射線で汚染された世界をイメージします。

そこでマスクを外すということは、生命を危険にさらすことでもありました。

 

その腐海の植物、ナウシカは、胞子を密かに集めて、地下の澄んだ水で育てていました。

不思議なことに毒は消えていました。

「『土』が汚れていたのよ。だれが世界をこんな風にしてしまったのでしょう。」

ナウシカのせりふです。 

腐海の木々は、自らが犠牲となって、澄んだ空気を生み出していました。

 

ナウシカが、オームの大群に飛び込んでいく最後の場面は印象的でした。

そして、オームに持ち上げられ、治癒し、オームの触覚の絨毯の上で歩くナウシカの姿。



「姫ねえさまが、まっ青な異国の服を着ているの。まるで金色の草原を歩いているみたい」。 

 

おばばが号泣しながら言います。

「その者、青き衣をまといて、金色の野に降りたつべし。

 失われた大地との絆を結び、 ついに人々を清浄の地にみちびかん。」

大地が傷つき、人々が混乱に陥った時、青き衣をまとった救世主が金色の野に現れ

とぎれてしまった大地との絆をまた結ぶ、そして、

綺麗な大地に戻すために導いてくれるという言い伝えたが昔からありました。

その救世主が、ナウシカだということがわかった瞬間でした。


なでしこジャパンのユニフォームは青、そして、グランドは、花吹雪で染まった金色。

原発事故で汚染された大地が広がる日本、その日本に、なでしこジャパンが希望を注いでくれたのです。

上野投手らが大活躍したソフトボールの女子、そして今回のなでしこジャパン、

女性の時代を象徴するような活躍。

私は、なでしこジャパン優勝の瞬間から、日本は新しい時に入ったと思っています。

 

更に言えば、23日からまた変わったのかな、と感じています。

いいことだけではないでしょう。

これから様々なことが起こってくるでしょう。

 

それはサバイバルとも言えるような世界かも知れません。

でも、私は、その過程を、自分の目でしっかり見、そして自分で体験して行きたいと思うのです。

この類いまれな貴重な体験をするために、今、私たちは生きているのだと思います。