"ちょっと外から見た日本"

今、スペインに住んでいます。
大好きな日本のこと、
外からの視点で触れて見たいと思います。

“禍を福と為すこと”

2011-10-24 06:23:23 | 日記

「致知一日一言」よりです。


(転載開始)

「致知一日一言」読者の皆様

いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。

昇地三郎氏、105歳。日本初の養護学校「しいのみ学園」を設立し、いまも理事長・園長を務める傍ら、講演活動で世界中を飛び回っています。

常人の想像をはるかに越える驚異的なエネルギーはどこから生まれてくるのか。

『致知』11月号では、脳性小児まひの我が子を抱え、障がい児教育に尽力してきた歩みとともに、禍を福と為すための心得を語っていただきました。

 * * *

「禍を試錬と受け止めて前進せよ」の言葉どおり、大切なのは自分の思考を転換し、生き方を変革することです。

降りかかってきた禍を「困った、困った」と逃げ回っていると、どこまでも追い掛けてくる。

それを、試錬と捉えて「来るなら来い」と立ち向かっていけば、禍が逆に幸福の種になるのです。

しいのみ学園でも、園児の親が、

「この子は何も悪いことをしておらんのに、こういう学園に連れてこなけりゃならんのはなぜですか」と涙ながらに訴えてこられることがよくありました。

私はそんな時、「そうじゃありません。昔から“障がい児がいる家は分限者(お金持ち)になる”という言葉もあるほどです。つまり、親がこの子のためにと思って一所懸命働くからですよ。私自身がそうでした」

と励ましの言葉を送ってきました。

いくら愚痴をこぼしても事態が改善するわけではなし、言うだけ野暮というものです。

禍でも不幸でも何でもこい、徹底的に抵抗してやるぞという気概を持てば、人間が一段強くなるのです。

私は自分との決め事で、「愚痴を言わない」「悲しさ、苦しさを踏みつけ、明るい太陽を目指して生きていく」の二つをどんな時も守り通すようにしてきました。

人から見て苦しいと思われるようなことでも、私はその苦しみを踏みつけてその上で踊っている。

これが禍を転じて福と為す、あらゆる禍を踏み台にして次の段階に進むということです。

要するに自分の心一つの置きどころによって、禍は不幸の種にも、幸福への踏み台にもなるのです。

……さらに詳しくは『致知』11月号48ページで!

☆詳細・お申し込みはHPにて
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http://www.chichi.co.jp/i/index.html

(転載以上)


 

「しいのみ学園」は、昇地三郎さんという方が始められたのですね。

その昇地さんは、105歳にして今なお講演活動で世界中を飛び回っていらっしゃる。
そう考えるとその半分にも満たないわたしはまだまだひよっこです。

脳性小児まひの子どもさんを持ち、そのことがきっかけとなって障がい児教育に尽力されて来られたのですね。

“降りかかってきた禍を「困った、困った」と逃げ回っていると、どこまでも追い掛けてくる。
それを、試錬と捉えて「来るなら来い」と立ち向かっていけば、禍が逆に幸福の種になるのです。”

まさに昇地さんが体験し、実践されて来られたことなのですね。

“禍を転じて福と為す”、素晴らしい言葉です。

そして、昇地さんの「禍を試錬と受け止めて前進せよ」という言葉にはさらに強い意思、不屈の精神を感じます。