"ちょっと外から見た日本"

今、スペインに住んでいます。
大好きな日本のこと、
外からの視点で触れて見たいと思います。

“かまくらと地球”

2011-05-31 02:23:14 | 日記

私には、小さい時から憧れていることがあります。

それは、“かまくら”に入って過ごすことです。(笑)

 

“かまくら”、ご存知ですよね。

雪でドーム状の形をつくり、中をくり抜いて、その中でローソクの火を灯して過ごすというあれです。

たったローソク一本の光でも、意外に明るくて暖かい、という話を聞いたりすると、それだけでなんだかうれしくなってきます。

 

私は、中学、高校時代、旭川に住んでいました。

北海道の雪は、さらさらです。

スキーにも最高です。

その雪を求めて海外からもたくさんのスキーヤーが毎年泊り込みでやって来ます。

 

北海道の雪は、固まりづらいからなのでしょうか。

北海道には、かまくらを作る風習はないようです。

なので、私は、この目でかまくらを実際に見たこともありませんし、もちろんつくったこともありません。

 

“かまくら”は、東北地方、特に秋田県で有名ですね。http://www.pref.akita.jp/fpd/bunka/kamakura,sugawara/kamakura.htm

 

「正月123日頃になると、子どもたちは井戸のかたわらか路ばたに、高さ67尺、幅6尺くらいのかまど型の雪室をつくり、天上は板をならべ、ムシロなどをのせ、その上を雪で覆い、内部正面に方形の祭壇をつくって水神様をまつる。そして15日の夜は、祭壇に餅、みかん、甘酒などを供える。雪室の中には、ムシロを敷いて、隣近所の子供たちが集まり、甘酒を温め、餅を焼いて食べる。道行く人たちは餅や賽銭(さいせん)をあげ、子供たちは甘酒や神酒を振舞う。・・・

 

かまくらの中では、祭壇をつくって水神様を祀っていたのですね。

TVや写真で見るかまくらの奥の方に、何かあるなと思ったことはありましたが、まさか“水神様”を祀っていたとは知りませんでした。

 

“昭和11年に来日したドイツの建築家・ブルーノ・タウトが、横手のかまくらを見て、夢の国のできごとであるかのように「素晴らしい」と絶賛したため、ますます盛んになったという。

 「実にすばらしい観物だ!誰でもこの子供達を愛せずにはいられないだろう。いずれにせよ、この情景を思い見るには、読者は、ありたけの想像力をはたらかせねぱならない。私たちが、とあるカマクラを覗き見したら子供たちは世にも真じめな物腰で甘酒を一杯すすめてくれるのである。こんな時には、大人はこの子達に一銭与えることになっている。ここにも美しい日本がある。それは-およそあらゆる美しいものと同じくとうてい筆紙に尽すことはできない」 (「日本美の再発見」岩波新書) ”

 

“桃源郷”、そして“天国”という言葉が浮かんで来ます。

その中の子どもたちは、神様?天使?でしょうか。

 

世の中には、地球が空洞になっている、ということを信じている人がいます。

数あるトンデモ話の中の一つではあります。

 

しかし、掘削や探検等によって確認出来ているのは、地球のごく表面に近い部分のみなので、地球の中が、本当はどうなっているのかということを、この目で見た人はだれもいません。

私たちが、理科で必ず習う“地球の断面図”も、ある理論にのっとって想像で書かれたものでしょう。

決して見たものを描いたわけではないのです。

であれば、理科で習う“地球の断面図”とは全く違う地球内部の姿を想像しても、一向に構わないわけです。(笑)

 

地球にいくつかあると言われる入口から、たまたま地球内部に入り込んでしまって、その様子を見てきたという人の話もあります。

そんな話を読んだりすると、自分がなんだか、“龍宮”で過ごした浦島太郎になったような錯覚に陥ります。

 

そして、地球の内部にいるときの感覚は、“かまくら”の中にいるような感じなのかな、と想像してみたりします。

 

それは、自分がまだ生まれる前、まだ母親のお腹の中にいた時の感覚にも似ているのかなと考えて見たりもします。

 

地表でたくさんの生物を生み出す母なる“地球”は、その内でも多くの命を生み育む“子宮”なのかな、と。

 

ローソクのような柔らかい光や暖かさで満たされている場所。

そして、いつの日か、また戻っていく場所なのかも知れないと。

 

 “県内の小正月行事を代表する「かまくら」と「なまはげ」の行事は、県内至るところにみられる。

「かまくら」は、平野部と山間部に発達し、「なまはげ」は海岸部にみられる。奇妙なことに「かまくら」も「なまはげ」も子供が主役である。なぜ子供が正月行事に関係があるのだろうか。

 神に最も近く、神が容易に扱いやすい者が子供だったからだという説がある。なまはげが子供を脅すのは、神の言葉を純粋に受け止めるのは子供だったからである。かまくらでも子供が主体となって祝い、雪室の中に神を祀り、中に入って楽しみ神に仕えるのは子供でなければいけなかったのだという。”

 

かまくらと同じように、地球内部にも、子どものような純粋な心を持っていなければ入れないのでしょうか。

ハードルはかなり高そうです。(笑)

 

平野部と山間部で発達した“かまくら”に対して、

海岸部にみられる“なまはげ”とは一体なんなのか

・・・興味は尽きません。

 


“世界中で、国民がNOと言うこと”

2011-05-28 06:45:29 | 日記

私は、今、所謂先進国で、ある共通した現象が起きているように感じています。

そして、その方向性の先には一つの結果が自然にもたらされていくような気がします。

 

ギリシャ、5兆円以上の国家資産の売却をしなければ、資金の供給を受けられないとECBIMFから言われています。

しかし、実際にそれだけに相当する金額の資産売却が出来るかどうかわかりません。

仮に出来ても、いつまでそれを続けることが出来るかどうかわかりません。

 

今、ギリシャの国債の利回りは17%を越えています。

マーケットは、もうギリシャが破綻しているとみなしています。

なのでギリシャが国債を発行することは当面出来ないでしょう。

他の国々の資金をあてにするしかない状態が続いて行きます。

でも他の国もいつまでも資金を供給し続けることは出来ないでしょう。

 

ポルトガルも同じです。

ポルトガルは、資金供給に必要な条件である財政削減に対して、議会でNOという結論を出してしまいました。

資金供給を受けるためには、給料、年金等が削減されてしまいます。

議会、即ち国民がそれはいやだと決めてしまったのです。

今一生懸命妥協点を探っていますが、すでに国民の気持ちはNOなのです。

 

現在私が住んでいるスペインはどうでしょうか。

国債利回りの推移を見るとギリシャ、アイルランド、ポルトガルとは、一線が引かれており、三カ国に比べるとマーケットの評価は受けていると言えます。

しかし、その金利はじりじりと上がって来ています。

 

先週の地方選挙で、サパテロ首相率いる、社会労働党が大敗してしまいました。

国民は、財政削減で市民の首をしめる与党にNOと言ったのです。

マドリッドの象徴とも言えるソル広場には、選挙前に多くの人々が集まり、野宿しながらの抗議運動が続きました。

そして与党を批判して来た国民党が圧勝しました。

この選挙結果に国民は喜びましたが、今後財政削減のペースが落ちる可能性は高いでしょう。

 

一方で、お金の出し手はどうでしょうか?

ドイツの国民、いつまで財政の弱い国を支援するのかと、最近メルケル首相が突き上げを受けるようになって来ています。

他の国のために自分の日々の生活が苦しくなるのは、いやだと声を上げ始めています。

メルケルさんもそうした国民の声には耳を傾けざるをえません。

そうしないと、選挙で負けてしまうからです。

これも国民によるNOですね。

なので、選挙で勝っても負けても他の国を金銭的に助けていくことはどんどん難しくなっていくでしょう。

 

ユーロの欧州では、お金の出し手も、お金の受け手も、国のために、自分の生活が苦しくなるのは、もうNOだと言っているのです。

 

米国を見てみましょう。

5月16日付けで、法律で決められた15.2兆ドルという政府負債の枠に達してしまいました。

8月始めまでは、やりくりすると言っていますが、それまでに上限枠を拡大する決定は行われるのでしょうか。

今までは、そのようにして来ました。

しかし、財政の逼迫によって自分たちの生活が犠牲になるのはいやだと言う国民の支持を受けたティーパーティという党が勢力を伸ばしています。

それも国民がNOと言っている動きですね。

 

以上見て来たように、今どこの国でも国民がNOと言っています。

 

中東の民主化の動きが、どのように世界経済に影響を与えるのかどうかわかりませんが、

これも国民によるNOですね。

 

その中で、唯一そうではない国があります。

日本です。

日本の政府債務のGDP比は世界でもトップの200%です。

今、国民の生活は厳しくなって来ています。

そんな中でも、アンケートを取ると、増税やむなし、という人が過半数を占めます。

 

それは、国民の団結力を示すものであり素晴らしいことだとは思いますが、私は、今増税することは、間違いなく国民の財布の紐を締めることになるので、税収は増えないと思います。

むしろ減少する可能性が高いと思っています。

ただでさえ、被災地の方々への配慮もあり、国民の間に節約の気運が高くなっています。

そこで増税したり、財政支出を締めすぎると、政府の収支はもっと悪化していくでしょう。

 

なので、どちらの道を選んでも、結局同じ結論をたどっていくのではないか、と思えてしまうのです。

 

即ち、国家破綻の連鎖、経済破綻の連鎖です。

 

そして、その事は、実は、私たちの無意識の中で、すでに決めたことのような気がしています。

次の新しい時代を築いていくために。


“IAEA調査団とリットン調査団”

2011-05-26 04:09:09 | 日記

国際原子力機関(IAEA)の調査団が来日しています。

http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00200107.html

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2011052400869&m=rss

 

 

“調査団は欧米や中国、韓国などの専門家18人で構成され、

(1)地震と津波の影響

(2)燃料損傷や注水効果などの解析

(3)周辺地域の放射線モニタリングと避難指示-の3点が主な調査対象。

 

26日に日本原子力発電の東海第2原発(茨城県東海村)と東電福島第2原発、27日に福島第1原発を視察するほか、関係各省に聞き取り調査を行い、6月1日に報告書の概要を日本政府に伝える。(時事ドットコム2011/05/24-20:16より)”

 

 

そして、その調査報告は、6月20日にウィーンで開かれるIAEAの国際閣僚会議で発表されるそうです。

 

 

記憶のある方もいらっしゃると思いますが、同調査団は、震災直後にも一度来日し、各地で調査をして行きました。

 

その際、この調査団は、福島原発周辺の土壌から高度の放射能物質を検出しています。

 

そして、3月末にはその内容を公開し、日本政府に避難地域の見直しを勧告しています。

 

 

しかし、データ公開を含めて調査自体に非協力的であった日本政府は、

 

「現状ではそうした状況ではない」(枝野官房長官)と、その内容を無視してしまいました。

 

IAEAの勧告を無視するということ、それは、北朝鮮やイランを想起させるものです。

 

 

それ以降、海外の報道は、“日本国民は素晴らしいけれども、政府の情報公開には信用出来ない”というトーンに変わりました。

 

ちなみに、最近は、“そんな政府に対してはっきり声を挙げない日本の国民はどうなのか。”という論調も出て来ていますが。

 

IAEAは、前回の正式な勧告の前に、日本政府に対して調査報告会を開いたそうです。

その際、日本からは、外務省、文部科学省、内閣府、原子力安全・保安院のメンバーが出席したそうですが、

なんと、英語による専門用語の内容を理解出来ず、結局、官邸にまともな報告を上げられなかったと言います。

 

 

更に、離日前にも2回目の報告会を開いたそうですが、政府は当初これを無視しようとしたそうです。

 

結局、辞任記者会見で有名になった小佐古内閣官房参与が出席することになったそうです。

 

辞任会見で、小佐古さんは子どもに対する20ミリシーベルトの措置は容認できないとおっしゃっていますが、

 

「官邸、外務省などはIAEAとの連携の重要性に気づかず、機能不全ともいえる状態だった」

 

という言葉も残しています。

 

 

今回は、その時とは少し流れが変わって来ていると思いますので、さすがにそのようなことはないと信じますが、6月1日の報告後の政府対応については、きちんとチェックして行く必要があると思っています。

 

 

もともと、IAEAは、実は原発を推進する機関だとも聞きます。

 

そのIAEAのアドバイスさえ無視するという日本政府は、一体どういうことなのか、と思いますが、

 

そうした性格を持つIAEAが、今回、どこまで踏み込んだ報告、勧告をするのかということにも私自身は関心があります。

 

 

ところで調査団というと、私は“リットン調査団”という言葉を思い出します。(笑)

 

1931年、南満州鉄道が爆破される事件が発生しました。

その翌年、関東軍が、清朝最後の皇帝溥儀をたてて満州国を建国しましたが、

反対する中華民国が国際連盟に提訴した結果、国連からリットン卿を団長とする調査団が派遣され、その調査結果を発表しました。

報告書では「柳条湖事件における日本軍の侵略は自衛とは認められず、また、満州国の独立も自発的とはいえない」としています。

そして、調査団は日中間の新条約の締結を勧告しましたが、それが国連で採択されると、日本は即座に国際連盟を脱退しました。

日本では、その行為を拍手喝采で迎えましたが、孤立化した日本が、その後戦争への道を進むことになりました。

 

私は、この時と今との共通点を感じます。

それは、日本の孤立化です。

 

リットン調査書の内容は、台頭する日本を押さえ、中国の権益を狙った欧米列強による“出来レース”とも言われています。

最初から日本対策であったわけです。

そして、日本はまんまとそれに乗ってしまい、欧米諸国に大義名分を与えてしまいました。

 

今回、大きな出来事が起きてしまった後、世界が今、日本に注目しています。

今、日本が、世界に対してどのように向き合って行くのかということが、かってないほど重要な時を迎えていると思うのです。

 

日本の国民への説明と同じような“風評被害”、そして“短期的には健康被害に影響はない”という説明を繰り返すようでは、日本の孤立化の流れは決定的になってしまうでしょう。

海外の人々が日本のものを買わなくなるばかりか、これからより激しくなるであろう資源不足、食糧不足の中で、海外のものを売ってもくれない、ということにもなりかねないと思っています。

 

私は、発言時の表情やその内容を見ていて、今、細野首相補佐官に期待しています。

(直接関係ありませんが、被災地の子どもたちを訪れたさかなくんの心からの言葉は、本当に素晴らしいと思います。新しい日本人の姿だと思います)

 

今回のG8で、菅さんは、福島原発事故の反省を踏まえて“より安全な原発”を訴える一方で、“代替エネルギーにも積極的に取り組む”という玉虫色の説明をすると思います。

一方で、IEAE調査団の調査内容、及びそれに対する日本政府の対応は、より本音の部分が見えやすいものなのではないかと思います。

なので、それは“リットン調査団”後の日本と同じように重要なのではないかと思っています。


“まずは子どもたちだということ”

2011-05-24 05:55:11 | 日記

福島県に住む保護者の方々が、文部科学省の前で、子どもの被曝量基準値20ミリシーベルトの撤回を求める抗議活動を行ったという記事が出ていました。

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011052300803

 

福島原発の様々な問題の中でも、私自身、最も納得出来ないことのひとつがこのことです。

 

もともと大人の許容量は1ミリシーベルトでした。

それが今回の事故が起きて、一挙に20ミリシーベルトに引き上げられてしまいました。

そして、なんと子どもまでもが、この20ミリシーベルトまで引きあげられてしまいました。

 

もともと1ミリの基準を、引き上げること自体、異常なことだと思います。

その数値にすぐなってしまうからと言って、それを避けるために変えられてしまう基準とは一体ナンなのでしょうか。

ましてや、子どもたちも大人と同じ基準にしてしまうとは。

 

政府は、20ミリシーベルトの基準に関連して、毎時3.8マイクロシーベルトとも言っています。

この数字は、24時間、365日で計算すると、33.3ミリシーベルト。

20ミリを大幅に上回ります。

いつでも外にいるわけではないから、という理由です。

 

放射線の被害については、確かにまだ分かっていない面も多いと思います。

しかし、分かっていないから数値を上げてしまっていいということには、決してならないはずです。

リスク管理の面から言えば、はっきり分かっている場合よりも、より保守的に考えるべきでしょう。

 

1ミリシーベルトから20ミリにシーベルトに変更するにあたって、今まで分からなかったことが、分かって来たからというようなことはありません。

基準を変えるための客観的な理由がどこにもないのです。

変化したのは唯一、大量の放射線が流れてしまったということです。

そして、1ミリシーベルトのままでは、避難や補償等、決めなくてはならないことが増えるだろうということだけです。

 

一方で、放射線による被害に関して、分かっていることがあります。

それは、大人よりも、細胞分裂の多い子どもの方が、放射線の影響を受けやすいということです。

当然、外部被曝だけでなく内部被曝への感受性も高いです。

 

今回の数値を決めるにあたってのプロセスは、全くいいかげんなものでした。

http://mainichi.jp/life/edu/news/20110503ddm002040055000c.html

決済をもらいに行った役人さんもそうですが、こんな大切な事項を簡単に決済してしまった上司たちは、一体、どういう人たちなのかと思います。

 

TVでの記者会見、文部科学省の方が、原子力安全・保安院も了解した、というその横で、安全・保安院の方が、そんなことは一言も言っていないと言っています。

高木文部科学大臣も、数値を上げたことの理由が説明できません。

プロセスの体をなしていないにもかかわらず、20ミリシーベルトという数字だけが、既成事実化して行きます。

民主主義国家とは言えない状況だと思います。

 

私は、基本的に、放射線の危険に関して、どのように判断するのかということは、それぞれの自己責任だと思っています。

放射線の被害においてはまだまだ固まっていないことが多いからです。

なので、政府の言うことを信用するかどうかということも含めて最終的に自分で判断するしかないと思っています。

 

もちろん、自分で決めてくださいと言うまでには、当然その判断をするのに必要なデータがきちんと公開される必要があります。

そこがきちんと守られるという前提があって初めて、自己責任ということが言えると思います。

今、日本では、それが、きちんとなされているとはとても思えません。

 

そして、たとえ必要なデータが開示されても、自己責任ということが当てはまらない人々がいます。

子どもたちです。

子どもたちは、親の判断に基づいて動くしかないわけです。

大人が守っていくしかないのです。

 

文部科学省は、本来子どもたちを守る組織なのではないのでしょうか。

他の人から、20ミリシーベルトに変えたいと言われたら、体をはって阻止する、という組織であるはずです。

ところが、今回は、その変更を自ら言い出すばかりか、勝手に決めてしまいました。

どう考えても、常軌を逸しているとしか見えません。

 

そんないい加減なプロセスで、なぜ決まってしまうのか。

私は、長崎や広島と同じように、今回の“実験結果”を見て見たい人たちの存在を感じます。

そして、それは絶対許されないことだと思っています。

 

原発被害、放射線被害に関する私の判断基準は、子どもたちにとってどうなのか、ということだけです。

そしてそれはどなたにとっても同じはずなのではないでしょうか。

 

関連して、私が今とても気になっていることを付け加えます。

「本当は、他の地域に避難したいのだけど、なんとなく悪い感じがして、言い出せない。出来ない。」

 

こういう空気が生まれることは絶対に避けるべきだと思います。

 

どのように対処するのかということは、あくまでも、それぞれの自由意思によって決められるべきものだと思います。

 

“風評被害”

“健康にただちに影響を及ぼすものではない”

“20ミリシーベルトへの変更”

 

これらは、その自由意志に対して水を差すことでもあると思います。

 

そして、思考を停止して、ただそれに従い、そうでない人々を非難するということは、

戦時中の空気にも似た、とても危険な状況だと思っています。

 

ことは、健康、そして生死にかかわることです。

自分で考えて、自分で動く、ということが何にも増して大切だと思います。

 

そして、その時まず最初に考えることは、子どもたちのことなのだと思います。

  


“福島原発、放射線被害に関するQ&A(6)”

2011-05-24 05:31:31 | 日記

先日のお医者様より追加で情報を頂きました。

ありがとうございます。

■内部被爆について

追伸ですが、内部被曝した場合に、尿や便、汗等から放射能が出る可能性が高いよう
です。つまり、内部被曝した人間から他の人間へ少量ではあるが二次被曝を起こす可
能性があるとのことです。放射線医学専門医に聞いてみました。

内部被曝で最も危険なのが中性子線とアルファ線で、今回の原子力発電所絡みでアル
ファ線は主にプルトニウムから放出されます。中性子線は臨界時に放出されます。検
出には中性子線専用の測定器が必要です。内部被曝についてはベータ線も厄介で主に
ストロンチウム90から放出されます。

世間一般に言われるガイガーカウンターはX線とガンマ線の検出が主ですので、外部
被曝を評価することとなります。

福島県について、「風評被害だ。」とか「現在の放射能汚染は大したことはない。」
と言う人が大勢いますが、そういう人に限って福島県に住んでいませんね。私は、福
島県の浜通りと中通りは年単位で人が住める場所ではないと考えております。

■耳のないウサギ

福島第一原子力発電所事故後に福島市内で生まれた子ウサギの耳が無いそうです。

映像をご覧下さい。

http://www.youtube.com/watch?v=UqVY9azhH3U&feature=player_embedded

うさぎ自体は耳が無くても元気に餌を食べています。

うさぎは人間より身体が小さいので放射線に対する影響が出やすくなります。昆虫の
数もかなり減るそうで、現在のチェルノブイリ周辺も昆虫が少ないそうです。


“福島原発、放射線被害に関するQ&A(5)”

2011-05-21 22:01:01 | 日記

昨日引用させて頂きましたブログの件につきまして、ご縁を頂きましたお医者様よりコメントを頂きました。

引用させて頂いたブログの内容についてどのように思われるかということ、

福島原発の現状踏まえて考えうる状況等についてお伺いさせて頂きました。

ご参照ください。

なお、■マーク及びその見出しはこちらでつけさせて頂きました

○○さま、貴重なご意見ありがとうございました。

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■引用したブログについて

ブログを拝見しましたが、医師の目から見ると、とても本物には見えません。

まず、血液成分などの組織に対する顕微鏡写真の場合、その「染色法」が必ず明記さ
れるはずですが、その記載がありません。また、発光染色法を用いれば、特定の組織
を光らせることも出来ます。

血球成分が破壊される被曝量は500mSv以上と言われており、現状では原子力発電所か
ら半径3km位の所に無防備に生活しない限り無理な放射線量でしょう。現在の半径
20-30kmの避難地域であれば2年近くかかると思います。

そもそも、このブログの主が主張する「放射線に対する治療」とは何を指しているの
でしょうか?現段階では放射線障害に対する治療法は見つかっておりません。幹細胞
移植などが将来的には期待されていますが、現状では困難です。また、放射線障害に
おける最大の問題点とは、細胞核のDNA二重鎖が分断されることであり、それについ
ては電子顕微鏡でなければ観察することは出来ません。

■福島事故への対応、放射線の影響について

ただ、私は福島第一原子力発電所から半径80km以内に居住することは、余程の事情が
無い限り避けるべきかと存じます。広島と長崎は爆発の一瞬、スリーマイルは数日以
内、チェルノブイリは10日間放射能を大量に出して終わりましたが、福島は既に2カ
月以上尋常な量ではない放射能を出し続けています。今までの放射能汚染事情とは異
なると考えています。

今後、放射性ヨウ素131、セシウム137、そしてストロンチウム90を呼吸及び経口摂取
することによる内部被曝の影響が長期間かけてじわじわと出てくると思います。

次に人から人への放射線汚染はあるのかどうかということですが、正直なところよく
わからないです。ただ、国立放射線総合医学研究所(千葉市)の医師や看護婦は急性
放射線障害患者の治療の際に放射線防護服を着用しています。

私見ですが、肺胞内にセシウム137が蓄積した場合に、呼気から放射線が出る可能性
が多少でもあると思います。


■医学をマスターすることについて

私は医学生時代、放射線医学と原子物理学があまり得意ではありませんでしたが、今
回の一連の事故で再学習しました。

このブログの主に言いたいことは、西洋医学にしても東洋医学にしても長い時間をか
けて大量の知識を得ないと医療を行うことは難しいということです。西洋医学であれ
ば、解剖学、生化学、そして生理学という三大基礎医学を2年間かけて徹底的に丸暗
記し、そこからようやく微生物学や薬理学、病理学等の臨床基礎医学を勉強し、これ
らを元に内科や外科等の臨床医学を勉強します。そして医学全般を勉強するために
は、数学、物理学、化学、そして生物学の基礎が無ければまったく理解することがで
きません。私は、6年間の医学生時代の勉強量がとてつもなく膨大なものであった事
が今更ながら気付いた次第です。東洋医学も膨大な学習量が求められます。

私は民間療法家を全否定するつもりはありませんが、果たして彼らが批判する医師と
同じ位の勉強をしてきたのかどうかについては疑問に思います。 

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“放射線被曝の実例について”

2011-05-21 04:03:31 | 日記

放射線は、色もにおいもないために、その影響を気にする方と気にしない方では、心構えや対応含めて、大きな違いがあるように思います。

 

ネットでブログを見つけました。

http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/06e6c3141f9ba7f2aba9849777778506

この方は、フィリピンに在住されている日本人で、被曝の治療も行っているようです。

血液を検査し、その写真も出されています。

 

この日の日記では、診察し、治療を行っている30代前半の母親と1歳半の乳幼児の例について触れています。

この母子は、東京在住で、原発事故以降、外出はほとんどせず、水道水の摂取も極力控えていらしたそうです。

しかし、それでも被曝を受けてしまった様子が写真に写され説明されています。


 

もうお一方の例は、50代後半、千葉県八千代市に住んでいる主婦の方のものだそうです。

http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/64ed7503a5c123edfa22c5ad49a86447

赤血球が放射光を発している様子が写真で確認されます。

血液中のゴミや異常細胞を処理する役割があるマクロファージ(白血球のことのようです)が、相当破壊されてしまっている様子がわかります。

 

この方は、“日本での生活で身体の異常や、日常生活の異変を特に感じることはなかった”そうです。

“日本での生活は平穏そのものだった”そうです。

“しかし、この方の健康状態は、“重症癌患者一歩手前のそれとほとんど変わらないレベルにまで悪化しています。癌患者が重症化するまで癌に冒されていることに気が付かないように、放射能による身体の侵食は、どうやら静かに潜行する性質を有するようです。”

 

上記2つの例は、住んでいらっしゃる場所のことも考えてみますと、やはりショッキングなことだと思います。

今も、原発からは、放射能が出続けているでしょう。

 

この方の日記では、人から人への放射について、また今後どのようなことが起こりうるのかということ含めて説明されています。

 

こうした情報を、まずきちんと知ることは大切だと思います。

考えられるリスクをきちんと頭に入れておくこと。

 

その一方で、冷静に受け止めるという事も重要だと思います。

 

自分の心を健康に保つことは、今、一番大切なことなのではないかと思っています。

 

以前の日記にも書きましたが、普段から出来る自衛手段については、やはり心がけた方がいいように思います。

http://blog.goo.ne.jp/tera-3/e/9b7080c74c5b25e1256af6e175cd8492

日本人の昔からの食生活である、味噌汁、ワカメ、昆布、粗塩、玄米等を積極的に体に採りこんで行きましょう。

 

感応性の高い子どもたちを、守りましょう。

いくら政府が、いい加減なプロセスで子どもも大人と同じ20ミリシーベルトまでいいと決めても、それは関係のないことです。

 

自分の子供を守れるのは、親なのです。

 

取るべきアクションはきちんと取りながら、心を清涼に、明るく保っていきましょう。

 


“子どもを思う母親のこと”

2011-05-18 04:53:25 | 日記

日も、『到知』2011年6月号、特集「新生」から引用させて頂きます。http://www.chichi.co.jp/monthly/201106_pickup.html

戦時、“東京大空襲”に遭遇してしまった、作家西村滋さんの壮絶な体験談です。 

「東京大空襲で見た母子の愛」というタイトルが入っています。 

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 ともかく何か職を探そうと、昭和十七年、

 十七歳の時に単身上京しました。

 

 実は終戦近くになって自分も結核を患い、

 世田谷の療養所に入っていたんですが、

 当時は外科病院が人手不足のため、

 回復期にある病少年を手伝いに行かせていたんです。

 

 割合に元気だった僕は昭和二十年三月九日の夜、

 浅草にあるその病院へ行きました。

 

 ただ御徒町の駅に降りると、何だか嫌な感じがするんですね。

 予感というのかな。

 

 で、病院に着いて怪我を負った少年のベッドの傍に座った途端、

 警戒警報が出たんです。

 それからしばらく静かなだと思っていたら、

 いきなりガーンッ! と爆撃が始まった。

 

 外を見たら電線が垂れてるわ、家がゴーゴー燃えてるわで、

 えぇっ!? と思ってね。

 

 ここにはいられない、と怪我の子を連れて

 廊下へ出たらその直後、病室に爆弾が落っこったんですよ。

 もうちょっと遅かったら死んでましたね、本当に。

 

 

 とにかく外へ飛び出すと、両側の家が激しく燃え上がり、

 みるみる広がっていく。

 目の前に乳母車があったので、どうせ燃えるのならと頂戴して、

 その子を乗っけて一目散に駆けました。

 

 皆は隅田川の橋へ橋へと逃げる。

 

 僕は勝手が分からないから、とにかく他の人についていく。

 すると橋の手前は渡れない人でいっぱいで、どうにもならない。

 

 それでまた大通りへ戻ってきた時に、

 これは風上へ逃げたほうがいいと考えました。

 それを突破できれば火に追われることはない。

 

 でも大変ですよね。

 目に火の粉は入っちゃうし、

 そのうちに強い熱風がきて乳母車から手を取られてしまい、

 その子とは離れ離れになりました。

 

 とにかく向こうの建物までは、と考えたんですが、

 途中で僕も力尽きて倒れ込みました。

 

 五分刈の頭は火に炙られて脂が浮き出てくる。

 焼けた物が飛んできて着ていた服に火がつく。

 こんな所で焼き殺されるなら死んだほうがマシだ――。

 

 そう思って舌を噛みました。

 でも力が足りなくて、切れなかったんですね。

 

 そのまま失神しそうになった時、

 「こっちだ、こっちだ」という声がしてゴロゴロ転がっていくと、

 自分が天麩羅のネタになったようにシューッと音がして、

 衣服の火が消し止められたんです。

 

 電車の線路の枕木が爆弾で剥がれた所に、

 消火用の機器が置いてあって、誰かがぶちまけてくれた。

 それで奇跡的に助かったんですよ。

 

 

  ただ、軍隊のトラックが無茶苦茶に走っていて

  死体の上を踏み潰して走る。

  こっちが生きてることを示すために必死に手を振って

  「寝ちゃダメだ、寝ちゃダメだ」と

  周りにいた皆で声をかけ合いました。

 

  それでも、いつか気が緩んだんでしょうね。

  気がついたら夜が白々と明けていました。

 

 焼け跡を素足で歩くのはまだ熱いぐらいでしたが、

 僕は放心状態になったまま足を動かしていました。

 何か、助かったという気がしない。

 あたりは地獄絵ですよね。

 

 皆死んでて、焼け死体。

 軍隊が来たんですが、遺体処理に困り、

 積み上げた死体の山にガソリンをぶっかけて燃やしている。

 誰が誰だか分かりゃしない。

 

 でも僕はそれを見ても何の感情も起きないくらい、

 ポカーンとしていました。

 

 

        * *

 

 

 そのうちにある場所で、人が集っているのを目にしました。

 

 見ると若いお母さんが死んでいるんですが、

 その路地の突き当たりが石塀で、

 どこにも進めない所へ入っちゃったんですね。

 

 前にも後ろにも行けなくなって、

 結局子供だけでもお母さんは守ろうとしたんじゃないでしょうか。

 

 素手で穴を掘ってね、

 その穴へ子供を埋めて、自分の体で蓋をして……。

 

 その子は死んでいます、もちろん。

 死んでいましたが、お母さんのおかげで

 非常にきれいな遺体でした。

 お母さんの背中は焼け焦げてもう真っ黒……。

 

 それを覗いて見た瞬間、僕は説明を聞かなくても

 事情がすぐに飲み込めました。

 その時に初めて人間に戻ったんじゃないですか。

 ウワーッ! て泣いたんですよ。

 

 他の人がびっくりして

 「あんたの知ってる人か」と聞くから

 「知らない人じゃ泣いたらいけないのか」と怒鳴って、

 ワアワアワアワア泣きじゃくりました。

 

 あの時、なぜ泣いたかといえば、

 自分の母親のことを思ったからです。

 

 どうせ助かる見込みはないのに、

 穴を掘って子供を埋め、自分の体で蓋をしてる。

 これがお母さんというものかと思ったから涙が出たんでしょう。

────────────────────────────────────

 

もう自分も子供も助かる見込みがないのを知っていながら、

素手で穴を掘って子どもを埋め、自分の体で蓋をする。

自分の背中を真っ黒に焦がしながらのお母さんの行為、

でも結局、その子どもも助かりませんでした。

 

失神しそうになりながら、こんな所で焼き殺されるなら死んだほうがマシだと思って、

 舌を噛み切ろうとするまでの状況。

 

積み上げられた無数の焼死体に、ガソリンをかけられ、燃えて行くのを見ても、 

“僕はそれを見ても何の感情も起きないくらい、

ポカーンとしていました。”

 

そんな時に、この母子の姿が目に飛び込んで来たのでした。

そこで西村さんは、初めて声をあげて思いきり泣くことが出来たのです。


そのお母さんも子どもさんも、ともに亡くなってしまいましたが、

 西村さんは、その瞬間に、人として、生き返ることが出来たのです。

 

西村さんは、6歳で母親、9歳で父親と死別し、孤児となって育ちました。

わが身を犠牲にして、子どもを助けようとした見知らぬ母親のその姿は、幼い時に亡くなったお母さんの姿でもありました。

 

 西村さんの服に火がついた時に聞こえた「こっちだ、こっちだ」という声、

それは、西村さんのご両親の声だったのかも知れません。


“秒読みに入った米国のデフォルトについて”

2011-05-18 03:40:09 | 日記

欧州では、ギリシャ、アイルランド、ポルトガルの問題が継続していますが、

今、米国が、債務不履行(デフォルト)になってしまう可能性が出ています。http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-21128620110516

 

米債務は16日の国債発行で上限に=財務長官 [ワシントン 16日 ロイター] 

ガイトナー米財務長官は16日、議会指導部に宛てた書簡のなかで、

米国の債務が16日の国債発行をもって上限に達することに伴い、

特別措置として政府年金基金への資金拠出を差し止める方針を示した。

財務省高官当局者は同日、この日予定されている720億ドルの国債発行に伴い、

米国の債務は上限として設定されている14兆2940億ドルに達することを明らかにしている。

ガイトナー財務長官は政府年金基金への拠出を「完全に行うことはできなくなる」と説明した。

債務は上限に達するものの、財務省は年金基金への拠出停止やその他の措置により、

米国は8月2日頃までは債務不履行に陥らずにすむとの見方を示している。

同財務長官は書簡で「議会に対し、債務上限の引き上げで一刻も早く合意するよう要請する」

との立場をあらためて示した。

________________________________________

 

5月16日の国債発行を終えた時点で、米国の債務が法定上限に達してしまうので、

特別措置として年金基金への拠出を止める。

それによって、しばらく債務不履行に陥らずに済ませたい。

しかしそれでも債務不履行を防ぐためには、議会が債務上限を早く上げなくてはならない。

 

即ち、もし、8月2日までに議会が上限を上げなければ、米国は債務不履行を宣言することになってしまいます。

野党の共和党は、歳出削減を上限引上げの条件にしています。

オバマ政権は、歳出削減の努力はするが、それを条件にするのはやめて欲しいと言っています。

 

綱渡りの世界ですね。

 

ところが、米国でも海外でも、米国デフォルトの心配はしていないように見えます。

まあ、なんとかなるだろう、

話がついて、議会が債務上限を引き上げるだろう、という見通しなのでしょう。

しかし、その合意がなされなければ、米国債の価格も、ドルもあっという間にその価値を下げてしまうでしょう。

 

これは米国だけの問題ではありません。

日本の政府債務はGDP比200%となっています。

そして日本は、大量の米国債を保有しています。

米国がなんと言おうと、今のうちから米国債、そして米ドルの保有額は減らしていくべきだと思います。

もちろん、それによって円高になってしまうのでしょうが、米国債や米ドルが暴落するのを待つよりはよい選択だと思います。

 

米国、欧州、日本、世界に共通する財政の問題、

私は、解決することは難しい、と思っています。

それは、いずれの国も財政危機を乗り切るために、財政削減や増税を求められているからです。

日本の復興税の話も同じですね。

しかし、財政削減や増税をすると、経済全体のパイは小さくなり、税収が減って、結局財政危機は深刻化することになります。

すると、さらに財政削減を訴えて、増税して、なのに税収が減って・・・

と、悪循環から抜けられなくなるのです。

だからどこかで破綻が起きる。

 

でも、今はどの国も財政削減を言わざるをえない状況です。

なので、私は、遅かれ早かれ、米国でも日本でも欧州でも、この問題がより顕在化されると思います。

そうなった時のために、少なくとも心の準備はしておいた方がいいと思っています。

 

一方で、今、世界的な地球環境の変化によって、世界中の食糧生産が打撃を受けています。

アメリカ、中国、オーストラリア、そして原発被害の日本・・・。

大規模な食糧危機がやって来るだろう、ということも前提にした方がいいと思います。

 

不思議なのは、日本のマスコミがこうした大切な問題にほとんど触れないということです。

様々な問題は、結局、同じところに行き着いてしまうように思います。

都合の悪い情報にはフタをしてしまうということ。

爆発が起きてから2ヶ月も経ってから、では遅いのです。


“芸術の春?”

2011-05-17 05:26:23 | 日記

スペインも、いよいよ夏本番でしょうか。

朝は、まだ10度以下だったりするのですが、日中は、スペインの直線的な光が感じられるようになって来ました。

 

日本では、あまり見かけなくなった入道雲。

その真っ白な色が、空の青と鮮やかなコントラストです。

眺めているだけで、こちらの気持ちも晴れ晴れとして行きます。

 

スペインの失業率は20%。

なのに、マドリードの街を行きかう人々からは、独特のくつろいだ雰囲気が感じられます。

それは、明るいスペインの青空のお陰でもあるのでしょう。

 

晴れの日が多いからでしょうか。

様々な形をした雲が目につきます。

鶴のような雲、魚のような雲、亀のような雲、龍神さんのような雲、UFOのような雲・・・

細部まで見事に描きこまれているような雲を見かけると、

思わず車を運転していることも忘れて、じっと魅入ってしまいます。(笑)

そのような雲がなぜ出来るのか、今の科学で本当にわかっているのかな、と思って眺めたりします。

 

先日、ベルリンフィルのコンサートに行ってとても感動したという話しを書きました。(http://blog.goo.ne.jp/tera-3/e/eb167f52d5522d20fe12cc4c6adda735

芸術の春でしょうか。

今度は、絵画の話です。

 

週に一度、私は、スペイン人の方からスペイン語を習っています。

なかなか上達しないので、申し訳ないな、とは思いますが、如何ともし難い状況です。(笑)

その男性の先生は、私にとって二人目の先生です。

 

一人目の方は、若い女性の先生でした。

その方とお姉さんは、生後間もない子猫を道端で見つけました。

子猫は冷たい雨に打たれて瀕死の状態でした。

二人はその猫を見過ごすことが出来なくて、家に連れて帰りました。

1ヶ月ほど飼って見たものの、二人とも仕事で外に出ることが多く、飼い続けることが難しくなりました。

そして、生徒の私に声をかけて頂き、その猫を譲って頂くことになったのです。

 

家に来た時、全長20 cm位の赤ちゃんネコでしたが、今は、すっかり青年ネコとなって、

家の色々なところに行っては、いたずらをしています。

その猫には、“ミー”という立派な名前があるのですが(笑)、人が何かしているとすぐに寄って来て一緒に覗き込むので、“好奇心ネコ”と呼ばれています。

 

“ミー”が家族になってすぐ、その先生とは、なぜか授業のタイミングが合わなくなってしまいました。

そして、それから間もなく、今の先生にご縁を頂いたのでした。

 

その先生のご自宅に、週末妻と一緒に伺わせて頂きました。

そこは街中の少し混み合った住宅街でした。

 

しかし、その家の敷地に入った瞬間、別空間に変わりました。

その小さな庭には、噴水があり、その周りには、赤、黄色、青・・・

色とりどりの花が鉢植えされていました。

たくさんの緑。小さな楽園。

3階建ての古い建物には、最上階までつたが伸びています。

 

スペイン人の先生の奥様は、日本人です。

日本の美大を出て、ベルリンで絵の勉強をされていた時、やはりそこにいらした方と出会われたのです。

芸術を語らううちに、二人は結ばれて行きます。

 

そのご自宅、最上階は、一層天井の高いアトリエになっています。

そこには、横3m、縦2m位の大きなサイズから小さなものまで、様々な種類のキャンパスが置かれていました。

少し色の異なる麻製のキャンパスもありました。

とても使い易いそうです。

 

部屋中央の作業台に乗っていた絵には、思わず目が釘付けになりました。

キャンパスの大きさは、1.5m1m位でしょうか。

人の左の手のひらが画面いっぱいに描かれています。

そしてその手のひらの上には、プラスチック製の人形が何体か描かれています。

人形たちは、仲良く、鮮やかなピンク色の綿のようなものを布団のようににかけて、手の上に横たわっています。

 

驚いたのは、その絵の精緻さ、微細さでした。

描かれた掌の指紋一つ一つ、そして、綿の毛一つ一つまでが丁寧に描き込まれているのです。

プラスチックの人形の質感含めて、どう見ても写真としか思えません。

すぐ近くまで目を近づけて見て、初めてそれが筆で描かれた線一本一本だということがわかるのです。

妻は、絵に張り付いたまま、そこを離れません。(笑)

 

一体、どれだけの忍耐力と時間を費やして描かれた作品なのか。

入れ物に立ててあった超細の筆の本数からも、その信じられない作業の様子がイメージされました。

 

今までの油絵作品を写真に写したアルバムを見せて頂きました。

古い建物を下から取った、まさに写真としか思えない作品の数々。

しかし、それらもやはり、とてつもない集中力で描かれた油絵なのでした。

その時まで、この方がそんなに本格的に芸術のお仕事をされていたとは夢にも思いませんでした。

スペイン語の先生だと。(笑)

 

先生夫婦が住んでいるその建物。

それは、友人のご祖父のものでした。

その方は当時有名な画家で、国王家族や、独裁者であったフランコの肖像画も依頼を受けて描いていらっしゃったそうです。

その方のお孫さんである友人のご好意で、ご夫婦は建物を借りて、アトリエも使っているのです。

ご夫婦の人柄を表すエピソードだと思いました。

 

奥様の実家は、徳島県鳴門の“恵美寿”という場所にあります。

そこから淡路島も見える、海岸沿いの村だそうです。

お父様が漁師で、お母様とワカメの養殖もされているので、我が家も、絶品のワカメや切干大根のおすそ分けを頂いたりしていました。

先生は、奥様の実家に行くと、義父様から魚のさばき方を教えてもらいます。

 

また、そこから離れたところに、重要文化財にもなっている壺焼き屋さんがあります。

先生は、その地の伝統的な製法で作られる焼物を買って、スペインに持ち帰ります。

「日本の古くからの伝統を絶やしてはいけない」という思いからだそうです。

 

奥様の妹さんの結婚式で、和服を着て写っている、先生と奥様のツーショット。

スペイン人先生の紋付羽織袴姿が、あまりにも似合っているので驚きました。

将来は日本に住みたいとおっしゃっています。

やはり日本人の心を持った方なのでしょう。

 

その方の名前は、Jesusさんと言います。

スペインでは多い名前です。

スペイン語発音は、ヘススさん。

ジーザス、キリストですね。


“福島原発の奇跡”

2011-05-14 19:39:20 | 日記

浜岡原発、稼動していた4号機、5号機を停止したようですね。

でも、もちろんこれからも冷やし続けなければなりません。

その過程で事故が起きれば稼動している時とあまり変わりません。

なので、引き続き注意を払っていく必要がありますが、まずは良かったと思います。

停止しても、津波対策の防波壁は速やかに必要だと思います。

しかし、私は、浜岡原発は、もう2度と動かすことはない、そして動かすべきではないと思っています。

 

福島第一原発、事故から2ヶ月経って、ようやく東京電力は“メルトダウン”が起きていたことを認めました。

一番作業が進め易いだろうと言われていた1号機のメルトダウン。

多分、2号機、3号機、そして4号機?も同じような状況なのでしょう。

 

東京電力は、溶け落ちた燃料の熱で、圧力容器の底が損傷し、格納容器に高濃度の汚染水が漏れていると発表しています。

もともとこの格納容器の納棺に必要な水は5000トン位と言われています。

すでに1万トン以上を注水しているのに、全然一杯になりません。

東京電力は、溶けた燃料は、圧力容器の底にすべてたまっているが、格納容器の方には漏れていないと言っています。

 

それにしても、私たちは、今すごい状況の中で生きているのだな、と思います。

今まで、東京電力は、

「水は漏れているかも知れないが、4mの燃料棒のうち露出しているのは1.7m位。

なので炉心溶融はしていない。」

と言って来ました。

事故から間もないときに、記者会見で炉心溶融の可能性を説明して、すぐに降ろされてしまった東電の方もいました。

 

それが、ある日突然、

「実は、圧力容器には、水がほとんど入っていなくて、燃料棒は溶けて圧力容器の底にたまっている。」

という話になったわけです。

水位という、最も基本的なデータが信用出来ない状況では、一体何を信じていいのかわかりません。

なのに、一通りのシナリオでしか、状況を説明しない、という東京電力の姿勢には大きな無理があるでしょう。

 

同時に、私たちは、今、とてつもない奇跡の中で生きているのだな、とも思います。

 

炉心溶融が起きたときの最も大きなリスクは、炉心が爆発してしまうということです。水蒸気爆発。

しかし、少なくとも今のところ、それは起きていないわけです。

2800度以上にならないと溶けないと言われる燃料棒がどろどろに溶けてしまっているのに、

大量の水をかけ続けて、大量の水蒸気が発生しているだろうにもかかわらず、今のところ爆発は起きていないわけです。

 

これは、とてつもない奇跡だと思います。

 

人によっては、

「実は、燃料棒は最初からなかったのだ。

あれば、水蒸気爆発が起きているはずだ。

今回の原発事故を起こすことをたくらんだ人たちが、あらかじめ燃料棒を引き抜いておいたのだ。」

という人もいます。

 

私は、そもそも、高熱の燃料棒を冷やして、引き抜いて、他の場所に持っていく技術が、果たして今の日本にあるのか、

ということに懐疑的で(米国ならあるかも)この説を取りませんが、

そう思う人がいる位の奇跡が起きている、ということは言えるのではないかと思います。

 

何かとてつもない大きな力によって守られているということを感じます。

同時に、私たちが今度何を考え、どう行動していくのか、ということを試されているようにも感じます。

 

溶融してしまった燃料は、今、どこにあるのでしょうか?

東京電力の方が言っているように、すべて圧力容器内にとどまっているのか、

 

でも、圧力容器は、16cmの厚さがあるとは言え、確か鉄製だったと思います。

その融点は1400度。一方の燃料棒の融点は2800度。

溶けた燃料が圧力容器を突き破ってしまわないように、燃料棒をぶら下げて、水で冷やしているわけです。

しかし、その水がもうない。

 

全部かどうかわかりませんが、溶けた燃料は、圧力容器を突き破って、格納容器にも落ちている、

と考えるのが自然なのではないかと思います。

 

そして、その格納容器の壁の厚さは、3cm。

もう、格納容器からも溶けて落ちてしまっている、いわゆる“チャイナシンドローム”が起きてしまっている可能性だってあると思うのです。

 

一日中、ネットで福島原発の映像を流して続けて来たある放送局。

真夜中に、何度か、煙が上がっているということが、ネットの方々の間で言われています。

そして、その直後から、映像配信が止まってしまったということも。

緑色の光が出ていたという話もあります。再臨海?

 

最近、911に関するある記事を読みました。

その中に、“すぐ後に崩れ落ちるビルの中で、のんびり話しをしながら降りていた人が多かった”、という証言が出ていました。

人には、パニックになると、逆に思考が停止してしまって、普段の生活スタイルに戻ってしまうという習性があるようなのです。

今回の“メルトダウン”の件、日本の反応は、あ、またか、という感じのような気がしています。

“ゆでガエル”、という言葉もあります。

 

人間が本来持っている鋭敏な感覚をキープしつつ、今、自分たちが生きている奇跡に感謝すること、

そして、その中で、今、どうすべきか、ということを考えていくことが大切なのではないかと思います。

 


“スペインの地震”

2011-05-13 02:33:07 | 日記

昨日、机に向っていたら、何か違和感があって、そのうち少し横に揺れているように感じました。

私のいるマドリードでは、その程度の揺れでした。

震源は、マドリードから約350キロ離れた、スペイン南東部のムルシア自治州のロルカという場所でした。(http://www.cnn.co.jp/world/30002721.html

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スペイン南東部で強い地震、建物倒壊で死者も

 

2011.05.12 Thu posted at: 09:14 JST

マドリード(CNN) スペイン南東部で現地時間の11日午後6時47分ごろ、マグニチュード(M)5.1(マグニチュードは米地質調査所発表による)の強い地震が発生した。国営ラジオによると、震源に近いムルシア自治州ロルカ(人口約8万人)では建物の倒壊などによって8人が死亡。数千人が屋外に避難して一夜を過ごした。

米地質調査所によると、震源は同自治州の州都ムルシアから約50キロ南西の地中海沿岸付近。首都マドリードからは約350キロ南南東に位置する。

この地震に先立ち同日午後5時5分にも、同じ地域を震源とするM4.5の地震が起きていた。

現地からの報道によると、ロルカでは古い教会が倒壊し、車の上にがれきが落下。建物は窓が割れ、通りにはがれきが散乱している。病院は安全のため、患者などを避難させたという。

屋外で一夜を過ごした住民の多くは、自宅に戻るのは不安だと訴えたり、戻らない方がいいと言われたと話している。

スペインでは22日に8000の自治体で首長選挙と地方議会選挙が予定されている。同国の2大政党は、犠牲者への配慮から12日の選挙運動自粛を呼び掛けた。(CNN)

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日本では、3月9日以後4月3日までの1ヶ月弱で、M7以上の地震が4回、M6以上が64回、M5以上が381回の地震が発生したという統計もあるようです。

直近までですと、もっとその回数は増えるでしょう。

ですので、今回のスペインの地震は、日本の方々にとってはよく遭遇するレベルかと思います。

ただ、こちらでは、体に感じる地震の数自体あまりありませんし、教会含めて崩れ安い建物も多く、今回はその下敷きとなってしまった死傷者も出ており、現地のTVでも真っ先に採り上げています。

地中海沿いにユーラシアプレートが走っていますので、その近辺は比較的地震の起こりやすい場所ではあります。

過去にも、度々M5レベルの地震は起きています。

 

ところで、今回の震源の深さは1kmだったそうです。

それで、マグニチュードの数字の割に被害が大きくなったのではないかと。

それにしても1kmとはびっくりです。

自然の地震でそんなことがありうるのでしょうか。

 

実は最近、511に地震があるといううわさがイタリアで出ていて、かなりの混乱がありました。

1979年に86歳で亡くなったラファエレ・ベンダンディ氏という地震学者は、1923年にイタリアで起きた地震を2日違いで的中させたそうで、ムッソリーニさんから勲章も貰っていたそうです。

この方が、「2011年5月11日にローマで地震が起きる」という予言をしたという話がネット上で広まり、イタリアでは会社を休んだり、商店が休業したりといった騒ぎになっていったのです。(http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2011051200069

政府も、国営のイタリア放送協会を使って、騒ぎの沈静化に向けて、特別番組を放送したりしましたが収まりませんでした。

実際に彼が、その予言をしたのかどうかも今ひとつ不明ですが、今回、確かに地中海沿いで地震が起きました。

いづれにしても、今は、世界中で注意が必要な時期なのだと思います。

 

スペインのお隣の国、ポルトガルでは、1755年11月1日(また11ですね)に大地震がありました。

沖合いで発生した地震によって、首都リスボンは壊滅的打撃を受けました。

想定Mは8.5-9.0。

http://ja.wikipedia.org/wiki/1755%E5%B9%B4%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%9C%E3%83%B3%E5%9C%B0%E9%9C%87

その時には、やはり約15mと言われる大きな津波が街を襲い、大火災も発生し、死者6-9万人という大惨事となってしまいました。

略奪を防ぐための見せしめとして、絞首台も用意されたそうです。

 

GDPの3-5割と言われる富を一挙に失ってしまったポルトガルは、これ以降、国力を失い没落して行きました。

ユーロ参加国の中で、ポルトガルは、今、ギリシャ、アイルランドと並んで厳しい状況にありますが、それは、その時の震災の影響が今日まで続いているということも言えるのかも知れません。

日本も、今回の復興において、他山の石とすべきなのかも知れません。

 

敬虔なカトリック国家ポルトガルで大被害がもたらされたことは、当時のヨーロッパの哲学、思想にも大きな影響を与えたようです。

ヴォルテール、ルソー、カント、そうそうたる啓蒙哲学者たちが、この震災で大きなショックを受け、それが、次の思索に繋がっていったそうです。

 

これも、今、日本で起こりつつあることなのかも知れません。

思想家だけではなく、一般の人々、一人一人のレベルで。

 


“ある日銀支店長の決断”

2011-05-12 07:19:26 | 日記

 、『致知』という雑誌を紹介させて頂きました。 

 (http://blog.goo.ne.jp/tera-3/e/3b0f89389287d1011235efc3cf7b8058

『致知』6月号では、“「新生」”と題して、東日本大震災に焦点を当てています。

 その中の記事に、“いま何が問題か  ~危機に臨むリーダーの条件”というタイトルの記事があります。

 初代内閣安全保障室長の佐々淳行さんと渡部昇一さんとの対談記事です。

 その中で、佐々さんが話されている話を掲載させて頂きます。

      

**********************************                

  僕が今度の震災で感じたことを一言で言ったら、

 日本国民のガバナビリティー(被統治能力)の高さでした。

 

 阪神・淡路大震災の時も、神戸市民は実に立派でした。

 略奪もないし、整然と行列をつくって

 配給物資を受け取っていた。

 八方から手が伸びて奪い合う場面はついぞなかったんです。

 

 しかし、東北の避難民の方は、それ以上に立派でしたね。

 もともと忍耐強い土地柄だし、とにかく市民のレベルが高い。

 日本人のガバナビリティーは

 世界に冠たるものがあると改めて確信しました。

 

  それで一つ思い出したのは、阪神・淡路大震災の時、

  日銀の神戸支店長に遠藤勝裕という傑物がいたんです。

 

  ジェット機が落ちたかと思うくらいの

  轟音と激震に遭遇した直後、

  自分がこの大災害に際して何をすべきかを考え、

 

  「そうだ。俺の役割は町に紙幣を出すことだ」

 

  と気づくんですね。

 

  日銀の支店は設備の損傷はあったが、

 幸いにも大金庫が無事だった。

 遠藤さんはそれを開けちゃうんですよ。

 

 緊急時に普通は閉める大切な金庫を、逆に開けてしまう。

 そしてそこにあった札束を全部取り出し、

 紙幣の流通を止めなかったんです。

 

 本人は「兵庫県一日分の金額が入っていた」と言っています。

 だから何十億円でしょう。

 

   そして次は被災地の民間銀行が

 壊れていないかを点検するんです。

 そうしたら日銀のほかに一つだけ壊れていない銀行があった。

 

 すると三日後には、そこと日銀神戸支店内に、

 被災して休業中だった各銀行の支店の

 臨時窓口を開設するわけです。

 さらに兵庫県警本部に連絡を入れて警備を要請した。

 

 普通なら各支店に配置しなくてはいけない

 百~二百人の警察官が二か所で済むわけだから、

 本部長も随分助かったと話していました。

 

 もっと凄いのは、震災当日のうちに

 金融特例措置という五か条の布告を

 独自の判断で出したんですよ。

 

 例えば通帳や判子がなくても身分証、免許証を

 提示したらお金が借りられる、

 半焼けの紙幣は普通の紙幣と交換する、といったもので、

 もちろんこんなことを日銀本店や大蔵省本省が

 すぐに承認するわけがありません。

 

   ところが、大蔵省の神戸財務事務所長というのがまた傑物でね。

  これを決裁するんです。そしてこのルールでどんどんお金を出す。

 

   こんな話もあります。

 

 遠藤さんが震災後、市内を視察すると、

 コインを持たない被災者が自動販売機を

 蹴っている様子を目にするんです。

 

 「そうか、物があってお金がないと暴動が起こるな」と。

 

 そこで銀行協会に申し入れて、

 百円玉九枚と十円玉十枚を入れた千円の袋を四千袋つくり、

 避難所に行って

 「銀行協会からの義援金でございます」と渡して歩くんです。

 

 その方は本当はクビだったんです。

 なにせ日銀のあらゆる掟を破ったわけだからね。

 僕は遠藤さんとは一面識もなかったんですが、

 解任だと聞いた時はカッときて日銀の役員に電話で談判しました。

 

 「遠藤さんを辞めさせると聞いたけれども、本当か」

 「いや、いま内部でそれが問題になっているところです」

 

 聞いてみると、災害に遭った地域を救済するために

 過去に何度かこのような超法規行為をやっていた

 “札付き”の支店長だったらしい。

 

 日銀内部は

 「とんでもない日銀マンだ」

 「これこそ日銀の鑑」

 という二つの意見に分かれていて、僕はその日銀役員に

 

 「彼のような功労者をクビにするなんてとんでもない。

  本店に栄転させなさい」

  

 と強く言いました。

 それが聞き入れられたのか、

 遠藤さんはクビにならずに調査役になりましたよ。

 

            『致知』2011年6月号

                      特集「新生」より

            http://www.chichi.co.jp/monthly/201106_pickup.html

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私はこういう話にとても弱いのです。心から感動します。

ましてや、これは作られた話ではなく事実なのです。

 

遭遇したことのない危機におけるリーダーシップ、

まさに、かくあるべしだと思います。

しかも、判断し、実行した遠藤さんがいらしたのが、とりわけお堅いと言われる日銀なのです。まさに奇跡だと思います。

 

遠藤さんが独自の判断で出した金融特例措置という五か条の布告を決済した大蔵省の神戸財務事務所長(当時)さんも、本当に素晴らしいですね。

そして、日銀の中でも「これこそ日銀の鑑」と声を挙げる方々がたくさんいたということ、

 

そして、その意見を取り入れた日銀トップの判断、佐々さんの日銀役員の方への言葉、

もう全てが噛みあって、いいですね。 

 


“菅首相記者会見”

2011-05-11 02:34:56 | 日記

昨晩、菅さんの記者会見がありました。

http://www.asahi.com/politics/update/0510/TKY201105100553.html

 

原発に関する会見のポイントは、以下の通りです。

1 福島第一原発事故を受け、2030年までに原発が総電力に占める割合を50%以上にすることを目指した従来のエネルギー政策を見直す。

2 太陽光や風力などの再生可能エネルギーも「基幹エネルギー」に位置付け、省エネ社会の構築を推進していく。

3 原発事故は政府にも責任がある。収束まで首相の歳費を返上する。

4 原発事故調査委員会は、(1)独立性、(2)公開性、(3)包括性、が原則。

 

やれば出来るではないか、と思うのですが、

 

でも、よく考えて見ると、

 

1は、福島の事故があった時点で、原発で50%以上にするという目標は、絵に描いた餅になっていた訳で、今回それを追認したということ。

 

2は、もともと“再生可能エネルギー”が、今まで“基幹エネルギー”に位置づけられていなかったこと自体がヘンだった。(以前は、“その他”という項目に入っていたと思います)。

 

3は、私自身はあまり重要だと考えていません。

4は、当然のことであって、今までそれが出来ていないことがおかしかった。

 

と考えています。

 

もちろん、今回、その原則を明らかにしたということで、その意味はおおいにあったと思います。

 

これから、更に踏み込んで行けるといいな、と思います。

 

 

今回、浜岡原発の停止を要請し決定されたということは、いいことだと思います。

 

しかし、これは、原発推進派の方々にとっては、

“一番危険と言われる浜岡原発を一時停止するので、これだけ我慢すれば、安全第一というお墨付きでこれからも原発を推進していける。浜岡原発の停止期間自体も2年だし。

かえって2年止めることで、電力供給の大切さが分かり、原発にもより理解が深まるだろう”

というようにも受け取れますし、

 

原発反対派の方々にとっては、

“浜岡原発を全原発廃止のスタート台にして行きたい。

浜岡原発は一時停止ということになっているが、廃止の方向に持っていくのだろう。

電力不足は、節電や、他の発電手段に移行することでクリア出来る”

とも受け取れます。

 

菅さんの今回の発表は、そのどちらにも受け止めることが出来る内容だと思います。

 

 

今回、唐突に浜岡原発のことが出て来た最大の背景は、実は“米国から圧力を受けたから”、という話もあります。

即ち、米軍横須賀基地があるのに、そこに放射能が流れるような事態、可能性は回避して欲しいと。

 

浜岡原発停止の件は、日本国内では唐突であっても、米国には必ず了解を取っているのだろうなと思っていましたが、米国発ということは、さもありなん、だと思います。

米国からしてみれば、菅さんにTPPを持ちかけたのと同じような感覚だったのかも知れません。

そして、菅さんもTPPの時と同じように、急いで、発表したのではないかと思えます。

 

しかし、経緯はどうあれ、浜岡原発の停止及び今日の発表は、今後の進捗状況によっては大きな突破口となりうるものです。

 

私は、やはり発電と配電は完全に分けるべきだと思います。

電力会社1社が独占するのはなく、他の電力会社、そしてメーカーや場合によっては家庭も、余っている電気を電線を使って送ることが出来る状態に早くすべきだと思います。

こんな状況でありながら、いまだに政府よりも東京電力の方が力関係が上、というのは異常なことでしょう。

こんな状況にありながら、東京電力は、メーカーの余った電力を買うことに抵抗しているのです。

競争原理が働いて来れば、計画停電をするぞ!と言って脅かすことも出来なくなるでしょう。

 

その為にも、私たち国民一人一人が、どのように考えて、どのように行動していくのかということが、大切になって来るのだと思います。


“日本人の本性について”

2011-05-10 03:18:18 | 日記

雑誌SPA!の記者の方の記事を添付させて頂きます。

http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/spa-20110330-01/1.htm

http://spa.fusosha.co.jp/feature/number00014321.php

この記者は、家族との旅行で、福島県いわき市の「スパリゾートハワイアンズ」に宿泊していました。

そして、そこで震災に遭ってしまったのです。

その時のことについて書かれた記事です。

 

“ 3月11日。運命の日。記者は福島県いわき市にある「スパリゾートハワイアンズ」で被災した。

久々にとった有休休暇。家族サービスと称し、妻と2歳10か月の息子を連れ、無料送迎バスでホテルに到着し、わずか1時間半後の震災だった。

知らない土地、さらには水着のままの避難という、非日常的な状況下での悲劇ではあったが、ここで被災したことは不幸中の幸いだったのだと、今にして思う。それも、特上の。

 まず、ここはガス、水道、電気という、いわゆるライフラインがすべて生きていた。

そのため、さまざまなメディアで報道されている被災地のように、寒さに震えたり、暗闇に怯えたりすることが一切なかった。

しかも、食料の備蓄があり、東京に帰ることになる日曜日の朝までの計5食、すべて十分な量を提供してくれた。

しかも、ビュッフェ形式で。これは、2歳児を抱える家族としては、とてもありがたいことだった。

 

 震災当日はバスが動けないことが判明したため、被災者たちは大会議室、あるいはロビーや廊下で雑魚寝となった。

眠れぬ夜が明けて、土曜日。記者は、とある従業員にふと、聞いてみた。

「このホテルのほかは、どんな状況ですか?」

 すると、彼は表情を強張らせて、静かに答えた。

「はっきり申しまして、このホテル以外は全滅です」

 聞けば、周囲一帯、すべてライフラインが止まっているとのこと。

そうか、記者たちはラッキーだったんだな、と思った数秒後、気付いた。

……じゃあ、彼らの家族は一体どうなんだ? 親戚は? 友人や恋人は? 

 

恥ずかしながら、記者はこの時まで、本当にこの瞬間まで、彼らも“被災者”であることを忘れていたのだ。

それも、我々よりもはるかに厳しい環境下にあるのだ。

恐らく、これだけ震源地に近くて、家族全員無事というのは考えにくい。

連絡が取れない、友人、知人が山ほどいるはずだ。

そして、何よりも自分自身が1秒でも早く、帰りたい場所があるだろう。

しかし、彼らはそんなことを態度にはまったく出さず、自らの職務をまっとうした。

その行為は、我々の体ではなく、心を救ってくれた。

トドメは日曜日だ。朝6時に、起床のアナウンスが流れ、朝食が始まった。

ひと段落したところで、支配人が拡声器を片手に、静かに話し始める。


「本日、皆さんを東京駅までお送りできることがわかりました」


 満場の拍手が沸き起こる。その中で、さらに支配人は続ける。

 

「昨日、弊社の従業員を実際に、東京駅に向かわせたところ、"走行可能"という判断を下しました」

その瞬間、巨大な拍手が会場を包んだ。

 

常識では考えられないほどの大きな余震が続くなか、まったく安全が担保されない道を、被災した「お客様」のために走る。

それは、命がけの行為だ。拍手で手が痛い。

ジンジンと響き、熱くなる手のひらを見つめ、記者はこのとき、拍手には大小のみならず、軽重があることを知った。

そして思う。絶望の淵にある人を、真に救うのは「情報」でも「言葉」でも、ましてや「法律」や「ルール」などではない。

「行為」だ。何をすべきかを論じているだけでは、誰一人救えないのだ。

我が身の非力さを、これほど嘆いたことはない。

 

 いつか、スパリゾートハワイアンズが営業を再開したら、また家族を連れて、遊びに行かせてもらうつもりでいる。

 それも、できれば毎年。そして、その都度、息子にこう言うつもりだ。

「このホテルで働いている人は、みんなお前の命の恩人なんだぞ」と。

そう笑って言える将来がきっと来ると、記者は強く信じている。

 彼らの、1日でも早い営業再開を心より、祈りたい。(SPA! 2011年3月30日(水)配信)”

 

海外に住んでいると、普段の何気ない買物の時含めて、日本人の「仕事に対するプロフェッショナリズム」は本当に素晴らしい、と感じることが多いです。

そして、それはなぜなのかと考えると、仕事に対するコミットメントであり、相手の心から入ったコミットメントなのだと思います。

 

ここに出てくるスタッフの方々の姿、これこそが日本の最大の財産なのだと思います。

 

日本人が、自分が日本人であることに引け目を感じること、

それは、そのほうが都合のいい人々によって、植え付けられたものに過ぎません。

 

決して本当の自分の姿ではないのです。

 

気概をもってことに臨む心意気、毅然とした、凛々しい姿、

その真の姿を、現し始めている方々が、今、たくさん出て来ています。

 

そして、その姿は、これから世界中に広がって行くのです。