"ちょっと外から見た日本"

今、スペインに住んでいます。
大好きな日本のこと、
外からの視点で触れて見たいと思います。

“空の上でお客様から学んだこと”

2012-04-17 03:49:49 | 日記

致知出版社「人間力メルマガ」よりです。

(転載開始)

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     致知出版社の「人間力メルマガ」

                【2012/4/10】 致知出版社編集部 発行
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   このメールマガジンでは、
   月刊誌『致知』より
   皆さまの人間力を高めるエピソードを
   厳選してご紹介しています。

       * *

   本日は現在発行中の『致知』5月号より、
   15万部を越えるベストセラーとなった
   『空の上で本当にあった心温まる物語』シリーズなどの
   著書がある三枝理枝子氏のお話をご紹介します。


────────────────────────────────────


       「空の上でお客様から学んだこと」


          三枝理枝子(ANAラーニング研修事業部講師)


             『致知』2012年5月号
              連載「第一線で活躍する女性」より


────────────────────────────────────

入社2年目に転機が待ち受けていました。
八丈島から帰りのプロペラ機に搭乗していた時のことです。

機内が大きく揺れた際に、男性のお客様が手にしていた
ペンダントが座席の間に落ちて取れなくなってしまいました。

どうしても見つからないので、
到着地で整備士に座席を分解してもらって、
やっとペンダントが見つかったんです。

そうしたらそのお客様の目からぼろぼろと
涙が溢れ出てきたので、驚いてしまったことがありました。


実はその方の息子さんが1年前に就職祝いの旅で訪れた
八丈島で交通事故に遭って亡くなられていて、
そのペンダントは息子さんの大事な形見だったのです。

しかもそれだけではなくて、その息子さんは
自動車会社に就職が決まっていて、
ご両親は息子のつなぎ姿を楽しみにされていたそうです。

そして、ペンダントを探しに来たのは
若いつなぎ姿の整備士だった。

これはきっと息子が自分の姿を見せようと
したのだと思ったら気持ちが落ち着いて、
初めて息子の死を受け入れることができたと
涙ながらにおっしゃられたのです。

私はこの話をお聞きしていた時に、
大きな衝撃を受けました。
この方のために何もして差し上げることができなかったのだと。


もしそのペンダントを落とされなかったら、
その方はきっと悲しみに包まれたまま
降りていかれたことでしょう。

航空会社の仕事はお客様を目的地まで安全に、
かつ定刻どおりにお届けすることが一番の目的です。

でもそれだけではなく、何かで悩まれている方に、
たとえ、それが一見して分からなくても
そっと心を寄り添わせて、
少しでも気持ちが楽になっていただいたり、
元気になっていただくのも大事な仕事なんだな、
と気がついたんです。

大変難しいことではあります。
でも、何気ない会話からヒントが出てくることもありますから、
現役で飛んでいる時にはいつもお客様への
小まめなお声がけを心掛けていました。


※その他、三枝さんが信条とされてきた3つの信条や
 お客様と接するうえで常に心掛けておられることとは?
 詳しくは『致知』5月号(P72~)をご覧ください。

…………………………………………………………………………………………
鱆三枝様から『致知』へのメッセージをいただきました
…………………………………………………………………………………………

『致知』との出合いは、『小さな人生論』を読んでから。
経営者の友人からもすすめられていました。

『致知』からは徳を積むことで人格を高めていくことが、
周りを幸せにして、自分の成功にも繋がっていくことを教えてもらい、
ファンになりました。

単行本では、渡部昇一先生、稲盛和夫先生、
北尾吉孝先生の本が特に好きです。

正直申しますと、私にとって雑誌『致知』は
一回で頭に入る内容ではありません。
家でじっくり読んで、さらに移動中に何度も繰り返し読んで、
初めて、心に染み入る感じです。

講演や、研修でも、心に響いた言葉を使わせて頂くことも多いです。


このような雑誌が日本人としての誇りや豊かさを
回復していく最良のものと思っています。


鱆三枝さんの公式ブログ
http://ameblo.jp/riekosaegusa/

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(転載以上)

 “ペンダントを探しに来たのは
若いつなぎ姿の整備士だった。”

“これはきっと息子が自分の姿を見せようと
したのだと思ったら気持ちが落ち着いて、
初めて息子の死を受け入れることができたと
涙ながらにおっしゃられたのです。”

このお客様の思いは、やはり、亡くなった息子さんの思いそのものなのだったのでしょう。

でも、三枝さんはこのエピソードからさらに一歩進んで行かれるのですね。

“この方のために何もして差し上げることができなかった”

“もしそのペンダントを落とされなかったら、
その方はきっと悲しみに包まれたまま
降りていかれたことでしょう。”

“何かで悩まれている方に、
たとえ、それが一見して分からなくても
そっと心を寄り添わせて、
少しでも気持ちが楽になっていただいたり、
元気になっていただくのも大事な仕事なんだな。”

でも、三枝さんは、もうその時にはきっと出来ていたのだと思います。

だって、この方のペンダントの物語のことを知る前に、
“到着地で整備士に座席を分解してもらって、やっとペンダントが見つかった”のですから。

そこまでお客様に心を寄り添わせることが出来るでしょうか。

そして、その整備士の方がつなぎ姿の青年だったのですね。


“お母さん、ぼくは家に帰ってきたんか”

2012-03-03 04:35:35 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。

 (転載開始)
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     致知出版社の「人間力メルマガ」

                2012/3/1】 致知出版社編集部 発行
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 このメールマガジンでは、皆さまの人間力・仕事力アップに
 役立つ言葉や逸話を厳選して紹介しています。

 本日は『一流たちの金言2』に収録されている
 20の感動エピソードの中から、
 特に反響の大きい上月照宗氏(永平寺監院)の
 記事をご紹介します。


────────────────────────────────────


        「お母さん、ぼくは家に帰ってきたんか」


           上月照宗(曹洞宗大本山永平寺監院)

                 『一流たちの金言2』
            http://www.chichi.co.jp/book/7_news/kingen2.html


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親と子といえば、私には
どうしても忘れられない逸話があるんです。

土井敏春という中尉の話です。

昭和16年の安慶の攻略線の際、土井中尉は
部下5人を連れて将校斥候に出たのですが、
敵の地雷に引っ掛かってしまった。

    (中略)

一瞬にして5人の部下が
即死してしまったのだから惨いことです。

助かったのは土井中尉一人。
しかし、彼自身も両足と片腕を吹き飛ばされ、
爆風で脳、眼、耳が完全にやられてしまった。

あまりの苦しさに舌を噛み切って自害するといわれますが、
土井中尉は上下の歯もガタガタになってしまった。
死ぬに死ねません。これほど悲惨なことはありません。

どこにいて、何をしているのかもわからない。
声だけは出るものですから、病院に担ぎこまれても、
ただ怒鳴り散らすばかりです。

まだ昭和16年のころでしたし、将校ですから、
病院や看護婦は至れり尽くせりの看護をしたのですが、
本人にしてみれば地獄です。

目は見えない、耳は聞こえない、自分で歩くことも、
物に触れることもできない。

食事も食べさせてもらうのはいいが、
しょっちゅう漏らして看護婦の世話になる。
ただ、怒鳴るだけしかできず、介護に反発しますから、
ついには病院中のだれにも嫌われてしまった。

それで内地送還になり、
最後は箱根の療養所に落ち着くのです。
その連絡がお母さんのところに届きます。


すでに、夫を亡くしていたお母さんは
その当時はみんなそうでしたが、
息子のために毎日毎日、陰膳を供えて
彼の無事な帰還を祈っていました。

ですから、息子が帰ってきたという知らせに
母は娘と夫の弟さんを連れて、取るものも取りあえず、
箱根に駆けつけたんですね。

療養所では面会謝絶です。院長にお願いしても、

「せっかく来られたのですが、
 息子さんにはとてもあなた方のことはわからないでしょう。
 今日はお帰りください」

と聞き入れてもらえない。

しかし、母にとっては待ちに待った息子の帰還です。
何とか一目でいいから会わせてほしいと懇願し、
やっとの思いで院長の許可を取ることができました。

病院に案内されると廊下の向こうから
「わぁー」という訳のわからない怒鳴り声が聞こえます。
どうもその声は、自分の息子らしい。
毎日陰膳を供えて息子の無事を祈っていた
自分の息子の声であったのです。

たまらなくなって、その怒鳴り声をたどって
足早に病室に飛び込みます。

するとそのベッドの上に置かれているのは、
手足を取られ、包帯の中から口だけがのぞいている物体
息子の影すらありません。声だけが息子です。

「あぁー」と母は息子に飛び付いて、
「敏春!」「敏春!」と叫ぶのですが、
耳も目も聞こえない息子には通じません。

それどころか、「うるさい! 何するんだ!」といって、
残された片腕で母を払いのけようともがくのです。


何度呼んでも、体を揺すっても暴れるだけです。
妹さんが「兄さん!兄さん!」と抱きついても、
叔父さんがやっても全然、受け答えません。
三人はおいおい泣き、看護婦も、
たまらずもらい泣きしました。

何もわからない土井中尉はただわめき、
怒鳴っているばかりです。

こんな悲惨な光景はありますまい。
しばらくして、面会の時間を過ぎたことだし、

「またいいことがあるでしょう。今日はもう帰りましょう」

と院長が病室を出ると、妹さんと叔父さんも泣きながら、
それについて帰ります。

しかし、お母さんは動こうとしない。
どうするのか、見ていると、
彼女はそばにあった椅子を指して
看護婦にこういうのです。


「すみません。
 この椅子を吊ってくださいませんか」


そして、それをベッドに近寄せると
お母さんはその上に乗るや、もろ肌脱いでお乳を出し、
それをガバッと土井中尉の顔の
包帯の裂け目から出ているその口へ、
「敏春!」といって押しあてたのです。


その瞬間どうでしょう。

それまで、訳のわからないことを怒鳴っていた土井中尉は、
突然、ワーッと大声で泣き出してしまった。
そして、その残された右腕の人差し指で
しきりに母親の顔を撫で回して


「お母さん! お母さんだなあ、
 お母さん、ぼくは家に帰ってきたんか。
 家に帰ってきたんか」


と、むしゃぶりついて離さない。
母はもう口から出る言葉もありません。

時間です、母は土井中尉の腕をしっかり握って、
また来るよ、また来るよといって、帰っていきました。

すると、どうでしょう。
母と別れた土井中尉はそれからぴたりと怒鳴ることを
やめてしまいました。

その翌朝、看護婦がそばにいることがわかっていて、
彼は静かにいいました。


「ぼくは勝手なことばかりいって、申し訳なかった。
 これからは歌を作りたい。
 すまないが、それを書きとどめていただけますか」


その最初の歌が、


 見えざれば、母上の顔なでてみぬ
 頬やわらかに 笑みていませる



目が見えないので、お母さんの顔、
この二本の指でさすってみた、
そしたらお母さんの顔がやわらかで、
笑って見えるようであった。

土井中尉の心の眼、心眼には
母親の顔は豊かな、慈母観世音菩薩さまのように
映ったのに違いありません。


  (中略)


この話はその現場に立ち会っていた
相沢京子さんという看護婦から聞いたものなのですが、
その相沢さん自身も母親の姿を目の当たりにして、
患者の心になり切る看護というものに目覚めたということです。


道元禅師の言葉にこうあります。


「この法は、人々の分上に豊かにそなわれりといえども、
 未だ修せざるには現れず、証せざるには得ることなし」


「法」とは「仏性」のことです。
ですから、すべての生きとし生けるものには
みな仏性があると、根本信条を諭されます。

しかし、道元禅師は、それも修行して
磨きをかけないと本当の光が出てこない。

本当に磨きをかけることによって、
真実の父親、母親になれ、
その真実の人がそのものになり切ってこそ
偉大な力を発揮するということになるのです。



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(転載以上)

 

敵の地雷の爆発で、一瞬にして部下全員を失い、

 “助かったのは土井中尉一人。
しかし、彼自身も両足と片腕を吹き飛ばされ、
爆風で脳、眼、耳が完全にやられてしまった。

あまりの苦しさに舌を噛み切って自害するといわれますが、
土井中尉は上下の歯もガタガタになってしまった。
死ぬに死ねません。これほど悲惨なことはありません。”

 

想像を絶する修羅場です。

ようやく、箱根の療養所で土井さんに対面することが出来たご家族。

しかし、

 “そのベッドの上に置かれているのは、
手足を取られ、包帯の中から口だけがのぞいている物体
息子の影すらありません。声だけが息子です。”

毎日毎日、陰膳を供えて土井さんの無事を祈っていたご家族の悲しみはいかばかりだったでしょう。

その中で、一人帰ろうとしなかったお母さんのなりふり構わない行動・・・。

“もろ肌脱いでお乳を出し、
それをガバッと土井中尉の顔の
包帯の裂け目から出ているその口へ、
「敏春!」といって押しあてたのです。”

そして奇跡が起きたのですね。

“それまで、訳のわからないことを怒鳴っていた土井中尉は、
突然、ワーッと大声で泣き出してしまった。
そして、その残された右腕の人差し指で
しきりに母親の顔を撫で回して

「お母さん! お母さんだなあ、
 お母さん、ぼくは家に帰ってきたんか。
 家に帰ってきたんか」”

地雷に飛ばされて手足を失い、見ることも聞くことも出来ないまま、箱根の療養所まで運ばれて来た土井さん、

実は、地雷に飛ばされた後も、土井中尉の敵地での戦いはずっと続いていたのですね。

 

“見えざれば、母上の顔なでてみぬ
頬やわらかに 笑みていませる”

 

お母さんの乳を口に含み、その笑顔を心の目で見た時、

そこで初めて、土井さんの長い長い戦いが終わったのだと思います。

 

以前読んだ戦時の話で、

自分の子供が家屋の下敷きになっていたのを見つけたお母さんが、

やけどで肉が垂れてしまっている自分の肩を使って、

それまで何人がかりでも動かせなかった家屋を持ち上げて子供を救ったエピソードがありました。

そのお話にも共通する母親の姿だと思いました。


“みんなゴールをゴールだと思っている、ということ”

2012-02-24 04:35:34 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。

(転載開始)

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     致知出版社の「人間力メルマガ」

                2012/2/16】 致知出版社編集部 発行
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        * *

   本日は、2008年の北京五輪でメダルラッシュをした
   水泳日本代表のメンタル指導を行った
   林成之先生のお話をご紹介します。


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       「オリンピックで勝つための勝負脳の話」


          林成之(日本大学大学院総合科学研究科教授)


                『致知』2009年1月号
                  特集「成徳達材」より
            http://www.chichi.co.jp/monthly/200901_index.html

────────────────────────────────────

競泳日本代表の上野広治監督は
ここで手を抜くことなく、
もう一度オリンピック1週間前の韓国済州島での合宿で、

「オリンピックで勝つための勝負脳の話」

をしてほしいと要請してこられました。
無論、二つ返事で引き受けました。

人間の考え方一つで能力を
最高に発揮する脳の仕組みをまとめて
紹介したかったためです。


これまでで印象的だったのは、監督に呼ばれ、
春の国内選考会を見に行った時、
残り10メートル手前までは
体半分世界新記録や日本新記録より前に出ているのに、
残り数メートルになると、測ったように遅れ、
記録を取り逃がしている光景を目にしたことでした。

私はすぐ気がつきました。
これはみんなゴールをゴールだと思っているなと。


    (中略)


つまり残り数メートルはオリンピック選手ではなく、
普通の選手になってしまう
脳のピットホール(落とし穴)にはまる。


【記者:では、ゴールの時はどうすればよいのでしょうか?】


選手にも


「突き指してでも壁の向こう側をゴールだと思うんですか」


と質問されましたが(笑)、私は人間の本能を
使いましょうと言ったんです。


人間には


「生きたい」

「知りたい」

「仲間になりたい」


という3つの本能があるんですね。この


「仲間になりたい」


を使うんです。


かつて「刀は武士の魂」といって、
命懸けで戦う時に刀を抜きました。

それは刀そのものを魂といったのではなく、
自分が刀となって戦うからそう表現したのです。


同じように、残り10メートルは


「マイゾーン」


として、水と仲間となり、
一体化して泳いでくれと。

練習中も、このゾーンは自分が
最もカッコよくゴールするために、
ゴールの美学を追求しながら泳いでほしいと言ったのです。


多くの人は

「命懸けで頑張ります」

と口で言いますが、
命懸けで脳が働くシステムを使っていないのです。

勝負の最中、前回のアテネオリンピックではこうだった、
昨日コーチにこう注意されたなどと考えながら勝負をする。
これは作戦を考えながら戦っているので
命懸けの戦いにならないのです。


命懸けの戦いとは、過去の実績や栄光を排除し、
いま、ここにいる自分の力がすべてと考え、
あらゆる才能を駆使して
勝負に集中する戦い方をいうのです。
これには「素直」でないとできません。


素直でない人、理屈を言う人はあれこれ考え、
その情報に引っ張り回されます。
素直な人は、過去も未来もない、
いまの自分でどう勝負するかに集中できるのです。




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(転載以上)

 

残り10メートルまでは、いい記録なのに、ゴール近くになると記録を取り逃がしている光景を目にして、

“私はすぐ気がつきました。
これはみんなゴールをゴールだと思っているなと。”

 

なんとも禅問答のような言葉です。

 

“つまり残り数メートルはオリンピック選手ではなく、
普通の選手になってしまう
脳のピットホール(落とし穴)にはまる。”

 

ここでもまだ、私の頭はハテナ?の状態です。

選手の方も同様だったのでしょう。

 

“「突き指してでも壁の向こう側をゴールだと思うんですか」と質問されました”(笑)

“人間には
「生きたい」
「知りたい」
「仲間になりたい」

という3つの本能があるんですね。この
「仲間になりたい」
を使うんです。”

ここでもまだうまく理解出来ません。

一体だれと仲間になるのか(笑)。

 

そして、次はなんと武士と刀の話になります。

“かつて「刀は武士の魂」といって、
命懸けで戦う時に刀を抜きました。

それは刀そのものを魂といったのではなく、
自分が刀となって戦うからそう表現したのです。

同じように、残り10メートルは

「マイゾーン」

として、水と仲間となり、
一体化して泳いでくれと。”

ここで初めて、ああ、そうか!と感嘆します。

 

“多くの人は

「命懸けで頑張ります」

と口で言いますが、
命懸けで脳が働くシステムを使っていないのです。”

 

厳しい言葉ですが、確かにそうなのでしょう。

 

“命懸けの戦いとは、過去の実績や栄光を排除し、
いま、ここにいる自分の力がすべてと考え、
あらゆる才能を駆使して
勝負に集中する戦い方をいうのです。
これには「素直」でないとできません。”

 

いま、ここ、に集中すること、そして素直であること。

“素直な人は、過去も未来もない、
いまの自分でどう勝負するかに集中できるのです。” 

 

もし最初にこの言葉が来るとどうでしょうか。

確かにとてもわかりやすいですが、それでは林さんの本意は伝わらないかも知れません。

誰もが、試合ではそんなことはとっくに出来ている、と思うからです。

 

だからこそ、

“みんなゴールをゴールだと思っている”という言葉が大切になってくるのですね


“本当にこれでいいのか、と根本から疑ってみること”

2012-02-23 04:29:28 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。

(転載開始) 

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     致知出版社の「人間力メルマガ」

                2012/2/12】 致知出版社編集部 発行
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月刊誌『致知』より
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本日は『致知』2012年2月号より
独自の御用聞きサービスで
地元民からの厚い支持を得る
でんかのヤマグチ社長・山口勉氏の
随想記事をご紹介します。
http://ameblo.jp/otegami-fan/


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「致知随想」ベストセレクション
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      「小さな電気屋の明るい経営術」


             山口勉(でんかのヤマグチ社長)

        『致知』2012年2月号「致知随想」
        肩書きは『致知』掲載当時のものです
                  http://ameblo.jp/otegami-fan/

………………………………………………………………………………………………

地元に大型量販店がくる――

こんな話が私の耳に飛び込んできたのは、
町の電気屋「でんかのヤマグチ」が東京都町田市で、
創業三十年を過ぎた平成八年でした。


「噂で終わってくれ」


と願ったのも束の間、近隣にあっという間に
六店もの大型量販店ができたのです。

三十年以上商売をしてきた経験から、
売り上げが年に三十%近くも落ちることが見込まれ、
事実、三、四年の間に借金は二億円以上にまで膨れ上がっていきました。

まさに、会社が存続するか否かの瀬戸際です。
生き残るためにはどうするか。

悩みに悩んで私が出した結論は十年間で粗利率を十%上げ、
三十五%にすることでした。

当時大型量販店の粗利率の平均は約十五%で、
地元の電気屋が約二十五%程度でした。

周りからは、

「そんなことできっこない」

という声が
大多数でしたが、それ以外に
生き残りの術は浮かばなかったのです。

私がまず決めたのは、大型量販店のように
商品を安売りするのではなく、
逆に「高売り」することでした。

この頃当店は約三万四千世帯のお客様に
ご利用いただいていましたが、
これだけの数では本当の意味で
行き届いたサービスはできません。

そのため商圏をなるべく狭くし、
ターゲットを五十代からの
富裕な高齢者層に絞り込んで三分の一にまで縮小しました。

そして一万二千世帯のお客様には
他店では真似できないようなサービスを
とことんしようと決めたのです。

顧客数を三分の一に減らした分、
月一度行っていた訪問営業を月三回に増やす。

これによって、お客様との深い人間関係ができ、
商品が少々高くても購入してくださる方が
増えるだろうと考えたのです。

訪問の際にお聞きするのは、
お客様が生活される上での
ちょっとしたお困り事についてでした。

ひと昔前の日本では何か困り事があると
隣近所で助け合い、支え合うという
相互扶助の精神が息づいていました。

私が着目したのはこの部分です。

家電製品のデジタル化が進む一方で、
地元民の高齢化もどんどん進んでいました。

当然、家電の操作が思うようにできない方も多くなりますが、
お客様のお困り事はそれだけに限りません。
ご高齢、体の不自由な方は買い物に行くのも大変です。

そのため、当店では本業とは無関係なことも
徹底してやらせていただくようにしたのです。

お客様の留守中には植木の水やりをしたり、
ポストの手紙や新聞を数日保管したり、
大雨では代わりに買い物にも出掛けたり。

これらを我われは「裏サービス」と呼び、
お代は一切いただきません。

会社のモットーも


「お客様に呼ばれたらすぐにトンデ行く」

「お客様のかゆいところに手が届くサービス」

「たった一個の電球を取り替えるだけに走る」


などに定め、


「どんな些細なことでも言ってくださいね」


とお声がけをしながら十数年、社員パート合わせて
五十名で徹底して取り組んできました。

ただしお客様との信頼関係は
一朝一夕にできるものではありません。
私が粗利率の目標達成期間を一年や二年でなく、
十年としたのもそのためです。

悪い評判に比べ、よい評判が広がるには
かなりの時間がかかります。
しかし、この姿勢を愚直に、ひたむきに
貫いていったことで、結果的に
八年間で粗利率三十五%を達成することができました。

その目標達成のため、とにかく無我夢中で
取り組んできた私ですが、
この方向でいけるかなとなんとか思えるようになったのは、
粗利率を十%上げる方針に転換して
三、四年が経過してからのことでした。

経営者として小さな電気屋が六店舗もの
大型量販店との商売競争に勝つために
いったん決断はしたものの、
本当にそんな粗利率をクリアできるのか、
お客様は本当に買ってくださるだろうか、と悩み続けました。


「この判断は正しい」

「いや、ダメだ。うまくいかない」


という思いが年中、頭の中で争いをしているような状態……
しかし、いつも最後には

「この道が正しいんだ」

という考えが勝ちを占めるよう心掛けました。

肝心なのは一度この道を行くと決めたなら、
途中で迷わないことではないでしょうか。
思うように結果が出ないと、
あの道もこの道もよさそうだと目移りしますが、
そのたびに


「成功するまでやってみよう」


と自分に言い聞かせる。

急ぐことはなく、ゆっくりでいいから
とにかく一歩一歩を着実に歩んでいくことが大事だと思います。

会社の存続が危ぶまれた大型量販店の出現から十四年。
しかしこの間、赤字決算が一回もないことには
我ながら驚きます。

さらに、一生返せないと思っていた
二億円以上の借金を三年前に完済することができました。

人間はとことんまで追い詰められ、
地べたを這いずり回るような思いで
必死になって取り組むことで
活路が開けるものなのかもしれません。

もしあの時、量販店がこの町田に来ていなければ、
今日のような高売りをしているとは考えにくく、
そう考えると逆にゾッと寒気すらします。

現在の日本も不況が続き、
出口の見えないような状況が続いています。

しかしデメリットばかりに目を向けて
内向き思考になってしまっては、
せっかく転がっているチャンスも逸してしまいます。

いまある常識やこれまでよしとされてきたことも、
本当にこれでいいのか、と根本から疑ってみることで、
チャンスが見つかることも少なくないはずです。

現状を打破する発想は、
ピンチの中にこそ生まれるのだと思います。


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(転載以上)

 

近隣に六店もの大型量販店が進出して来て、まさに会社存続の危機。

 “悩みに悩んで私が出した結論は十年間で粗利率を十%上げ、三十五%にすることでした。”

 

凄まじい競争激化の中で山口さんが出した結論が、

なんと、利益率を上げること。

 

そしてその為に、

“商品を安売りするのではなく、逆に「高売り」すること”

だったのですね。

 

しかし、その結論は、余程の覚悟がないと出せないものでしょう。

 

“そのため商圏をなるべく狭くし、ターゲットを五十代からの
富裕な高齢者層に絞り込んで三分の一にまで縮小しました。”

 

まさに逆転の発想ですね。

それにしても、もう本当にあとがない、背水の陣を敷かれたのだと思います。

 

一方で、付加価値を上げる為のヒントになったのが、

“ひと昔前の日本では何か困り事があると隣近所で助け合い、支え合う”

と言う“相互扶助の精神”であり、

 

“家電製品のデジタル化が進む一方で、地元民の高齢化もどんどん進んでいました。”

という冷静なマーケット分析だったのですね。

 

“「どんな些細なことでも言ってくださいね」”

 

まさに、従業員一丸となっての地道な積み重ね・・・。

 

時間のかかる地道なやり方だけに、このやり方で大丈夫だろうか、と悩むことも多かったことでしょう。

 

“肝心なのは一度この道を行くと決めたなら、
途中で迷わないことではないでしょうか。
思うように結果が出ないと、
あの道もこの道もよさそうだと目移りしますが、
そのたびに

「成功するまでやってみよう」

と自分に言い聞かせる。

急ぐことはなく、ゆっくりでいいから
とにかく一歩一歩を着実に歩んでいくことが大事だと思います。”

 

全ての道に通じる大切な言葉だと思います。

“人間はとことんまで追い詰められ、
地べたを這いずり回るような思いで
必死になって取り組むことで
活路が開けるものなのかもしれません。”

“デメリットばかりに目を向けて
内向き思考になってしまっては、
せっかく転がっているチャンスも逸してしまいます。

いまある常識やこれまでよしとされてきたことも、
本当にこれでいいのか、と根本から疑ってみることで、
チャンスが見つかることも少なくないはずです。

現状を打破する発想は、
ピンチの中にこそ生まれるのだと思います。” 

 

それこそ、“とことんまで追い詰められ、地べたを這いずり回るような思いで、

必死になって取り組んで活路を開いて”こられた方の素晴らしい言葉だと思います。


“「天命追求型」の生き方とは”

2012-02-09 04:54:54 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。

(転載開始)

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       * *

   本日は現在発行中の『致知』3月号より、
   “博多の歴女”として人気の歴史講座を開催している
   白駒妃登美さんの記事をご紹介します。


────────────────────────────────────


         「天命追求型の生き方、
          目標達成型の生き方」


          白駒妃登美(結婚コンサルタント・マゼンダスタッフ)


             『致知』2012年3月号
              特集「常に前進」より
         http://www.chichi.co.jp/monthly/201203_pickup.html#pick5

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この時、発病前に読んだ話を思い出しました。

人間の生き方には西洋の成功哲学に代表される
「目標達成型」とは別に「天命追求型」があるというのです。

天命追求型とは将来の目標に縛られることなく、
自分の周囲の人の笑顔を何よりも優先しながら、
いま、自分の置かれた環境でベストを尽くす。

それを続けていくと、天命に運ばれ、
いつしか自分では予想もしなかった高みに
到達するという考え方です。

そこでは、自分の夢だけを叶えるfor meより、
周囲に喜びや笑顔を与えるfor youの精神、
つまり志が優先されます。

私は天命追求型、目標達成型という視点で
歴史を捉えたことはありませんでしたが、
これからお話しするように、
天命追求型はまさに日本人が歴史の中で培った
素晴らしい生き方であることに、
闘病を通してようやく気づいたのです。


      * *


天命追求型に生きた歴史上の人物といえば、
豊臣秀吉はその好例でしょう。

秀吉は徳川家康、織田信長と比べて大きく違う点があります。

家康や信長が殿様を父に持つのに対し、
秀吉は農家に生まれたことです。

農民の子の秀吉が最初から天下統一を夢見たでしょうか。
通説によると、秀吉は
「侍になるために織田家の門を叩いた」
ということになっていますから、
おそらく若き日の秀吉は、
天下を取るなど考えてもいなかったに違いありません。
しかし、秀吉の人生はその夢を遙かに超えてしまうのです。

ご存じのとおり、秀吉は最初、信長に
“小者”という雑用係の立場で仕えました。

雑用係は、もちろん侍の身分ではありません。
けれども、信長が秀吉を雇い入れた時、
きっと秀吉は、農民の自分に
目をかけてもらえたことに胸を躍らせ、
心から感謝したのではないでしょうか。

だからこそ、たとえ雑用係の仕事にも
自分でできる工夫を施したのだと思います。

寒い日の朝、信長の草履を懐に入れて
温めてから出した話は有名ですが、
草履一つ出すにも喜んでもらえるようアイデアを加えたのです。

やがて足軽となってからも信長を喜ばせたい
という思いは変わらず、一層の信頼を得て侍に、
さらに侍大将、近江国・長浜城の城持ち大名へと登り詰めるのです。

私のことを振り返ると、目標達成に突っ走っていた時は、
確かに夢は叶いました。
受験勉強、就職活動、子育て、
すべてにビジョンを描き目標を立ててやってきました。

しかし、見方を変えれば夢しか叶わなかったのです。
夢を超えた現実はやってきませんでした。

では、秀吉はなぜ夢を超えることができたのでしょうか。
想像するに、秀吉は最初から天下取りなど考えず、
いつも“いま、ここ”に全力投球する生き方を
貫いたからだと思います。

自分の身の回りの人たちに
喜んでもらえることを精一杯やっていった。
その結果、周囲の応援を得て次々と人生の扉が開き、
天下人へと運ばれていったのではないでしょうか。

まさに天命追求型の人生だったのです。


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(転載以上)

 

西洋の成功哲学「目標達成型」ともう一つの「天命追求型」、やはり「天命追求型」という言葉に惹かれます。

“天命追求型とは将来の目標に縛られることなく、
自分の周囲の人の笑顔を何よりも優先しながら、
いま、自分の置かれた環境でベストを尽くす。

それを続けていくと、天命に運ばれ、
いつしか自分では予想もしなかった高みに
到達するという考え方です。

そこでは、自分の夢だけを叶えるfor meより、
周囲に喜びや笑顔を与えるfor youの精神、
つまり志が優先されます。”

いいですね。中でも、

“自分の周囲の人の笑顔を何よりも優先しながら、
いま、自分の置かれた環境でベストを尽くす。”

for youの精神、つまり志が優先されます。”

という言葉、今、自分でも思い当たることがあって、反省と共に心から納得出来ました。

“私のことを振り返ると、目標達成に突っ走っていた時は、
確かに夢は叶いました。
受験勉強、就職活動、子育て、
すべてにビジョンを描き目標を立ててやってきました。”

普通に考えるととても素晴らしい人生だと思います。

“しかし、見方を変えれば夢しか叶わなかったのです。
夢を超えた現実はやってきませんでした。

では、秀吉はなぜ夢を超えることができたのでしょうか。
想像するに、秀吉は最初から天下取りなど考えず、
いつも“いま、ここ”に全力投球する生き方を
貫いたからだと思います。”

病気になり、そして、秀吉の半生に思いを巡らせる中で、夢を超えることに思い当たったのですね。

“自分の身の回りの人たちに
喜んでもらえることを精一杯やっていった。
その結果、周囲の応援を得て次々と人生の扉が開き、
天下人へと運ばれていったのではないでしょうか。”

自分一人でやっていると思っていること、それはすべて、実は周囲の方々の応援があってこそ成り立つものなのですね。


“誰しもが自分の中のエベレストを登っている”

2012-02-07 04:40:40 | 日記

 

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。

 

(転載開始)

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     致知出版社の「人間力メルマガ」

                2012/2/6】 致知出版社編集部 発行
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   本日は現在発行中の『致知』3月号より、
    世界最高峰エベレストに、単独・無酸素登頂をめざす
    29歳の登山家・栗城史多氏の記事をご紹介します。


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      「誰しもが自分の中のエベレストを登っている」


              栗城史多(登山家)


             『致知』2012年3月号
              特集「常に前進」より
          http://www.chichi.co.jp/monthly/201203_pickup.html#pick5

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マッキンリーを登頂してからは、
とにかく無我夢中で世界の最高峰を登り続けました。

ただ、その中で感じたのは、
登山がいかに孤独な世界であるかということでした。

頂に立った時の感動や山で得た学びを、
帰国後友人に伝えようとしても、
まったく理解してもらえなかったんです。


だからよく登山は観客なきスポーツとか
非生産的行為といわれるんですが、
やっぱりこの感動を多くの人と共有したい。

どうにか伝えられる方法はないかなと思っていた時に、
偶然、あるテレビ局から
「インターネットの動画配信をやりませんか」
というお話をいただいたんです。

2007年、世界第6位の高峰、
ヒマラヤのチョ・オユーを登る時でした。
ただ、一つ問題があって、番組のタイトルが
「ニートのアルピニスト 初めてのヒマラヤ」
という名前だったんです(笑)。

それで、日本全国のニートや引きこもりの方から
たくさんメッセージをいただきました。

「おまえには登れない」とか、中には
「死んじゃえ」とかですね。
そういう悪いメッセージばかり。


それでも1か月以上かけて登っていきました。
しかし、頂上付近で天気が悪くなってガスがかかってしまい、
断念せざるを得なかったんです。

それで一回、5,300メートル地点にある
ベースキャンプまで下りていきました。

するとまた、誹謗中傷の嵐です。
「ああ、やっぱりダメだった」
「夢って叶わないんですね」と。

いったん8,000メートルまで行くと、
もの凄く体が衰弱するんです。
酸素が3分の1なので、気圧も3分の1になり、
体の水分がどんどん外に抜けてしまう。

そのため脂肪だけでなく筋肉まで落ちて、
全然力が入らなくなるんです。

ただ、このまま終わるのはどうしても悔しかった。
私は3日だけ休養を取り、再アタックしました。

そして、5日間かけて頂上につくことができたんです。


すると、それを見ていた人たちの言葉が
180度変わりました。

それもただ、「栗城は凄い」とかではなく、
「僕も本当は夢があって、諦めていたけど、
 もう一回やろうと思いました」とか
「私も何か始めようと思いました」と。


で、その時に思ったんです。


「ああ、自分だけが山に登っているんじゃない。
 皆それぞれ、見えない山を登っているんだな」


って。

講演会をしていても、
「この間の試験受かりました」
「夢叶えました」と、
私のところに報告に来てくれる人が多いんです。

先日も、41歳でようやく教員試験に受かって
先生になれたという方が報告にきてくださったりしました。

その人にとっては教員試験が見えない山であり、
エベレストです。

そして、誰しもが自分の中のエベレストを登っているわけです。
勿論、中には挫折してしまった人もいるでしょうが、
私はそういう人たちと夢を共有して、

「自分はできない」「無理だ」

と思っている心の壁を取っ払いたい。
見えない山に挑戦し、ともに成長していきたい。
それが私の目指す登山なんです。




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       『致知』3月号 特集テーマ「常に前進」
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(転載以上)

 

世界第6位の高峰、ヒマラヤのチョ・オユーを登る時のインターネット動画配信、

“ただ、一つ問題があって、番組のタイトルが
「ニートのアルピニスト 初めてのヒマラヤ」
という名前だったんです(笑)。”

でもだからこそ、日本全国のニートや引きこもりの方からたくさんメッセージが届いたのですね。

 

“「おまえには登れない」とか、中には
「死んじゃえ」とかですね。
そういう悪いメッセージばかり。”

とてもつらいものがあります。

 

“「ああ、やっぱりダメだった」
「夢って叶わないんですね」”

でもこうした言葉は、それぞれの方々の心の叫びなのかも知れませんね。

だから実際に登れた時には、 “それを見ていた人たちの言葉が180度変わった”のですね。

“それもただ、「栗城は凄い」とかではなく、
「僕も本当は夢があって、諦めていたけど、
 もう一回やろうと思いました」とか
「私も何か始めようと思いました」と”

“「ああ、自分だけが山に登っているんじゃない。
 皆それぞれ、見えない山を登っているんだな」”

素晴らしい言葉ですね。

自分だけが山に登っていると思っていたら、

実は、見ていたみんな全員が、それぞれの山を登っていたのですね。

 

“誰しもが自分の中のエベレストを登っているわけです。
勿論、中には挫折してしまった人もいるでしょうが、
私はそういう人たちと夢を共有して、

「自分はできない」「無理だ」

と思っている心の壁を取っ払いたい。
見えない山に挑戦し、ともに成長していきたい。
それが私の目指す登山なんです。”

この体験によって、登山が孤独な世界だと思っていた栗城さんの意識も大きく変わったのですね。

一緒に山を登る感動や夢を他の方々と共有出来ることがわかったのですから。


“自分の代わりとなって受けてくれていること”

2012-01-29 01:36:11 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。

(転載開始)
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     致知出版社の「人間力メルマガ」

                【2012/1/28】 致知出版社編集部 発行
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 かかる費用は社員一人につき、1万円。
 かかる時間は毎月たったの1時間――。

 『致知』を使った社内勉強会「社内木鶏(もっけい)会」が
 いま、全国600社以上の企業などで実施され、
 大きな成果をあげています。

 昨年10月に東京で1,200名以上の方々にご参加いただき、
 開催された「第2回社内木鶏全国大会」では、
 浦田理恵さん(株式会社アソウ・ヒューマニーセンター勤務)に
 特別発表をしていただきました。

 浦田さんは、来年の「ロンドンパラリンピック・ゴールボール競技」に
 出場する日本代表選手でもいらっしゃいます。

 弊社より「感動奨励賞」を授与させていただいた
 浦田さんのスピーチをご紹介いたします。


………………………………………………………………………………………………

◆目が見えないことが、いつしか「苦しみ」ではなくなっていた

  (株式会社アソウ・ヒューマニーセンター勤務 浦田理恵さん)

………………………………………………………………………………………………


皆さん、こんにちは。

私は九州の福岡からきました、
アソウヒューマニーセンターの浦田理恵と申します。
皆さん、お分かりにならないかもしれませんが、
実は私は視覚に障害があります。

活字を見ることも、相手の表情を見ることもできません。


私が視力を失ったのは、教職の免許を取るために
福岡の専門学校に通っていた20歳の時でした。

卒業を間近に控えた頃、網膜色素変性症と診断され、
僅か3か月で左目の視力を失い、
右目もわずかに光を感じるくらいまで
低下してしまったのです。

何もできなくなった自分が生きている意味があるのだろうか。

いろいろと悩み苦しみ、どん底にまで落ち込みました。
独り暮らしをしていた私は
誰とも会わずに家の中に引きこもり、
熊本の両親にも友達にも真実を伝えられないまま、
一年半が過ぎていきました。


失明したことを思い切って家族に伝える決心をしたのは、
数年ぶりに熊本に帰省した時でした。

駅の改札口まで迎えに来てくれた母は、
私のぎこちない仕草を見て
最初はふざけていると思ったそうです。


「お母さん、私はもう何も見えん」。


近寄ってきた母にそう率直に打ち明けると、
母はその場で泣き崩れてしまいました。


でも、この時、自分の思いを一気に吐き出せたことが、
一つのステップになったと思っています。


私がどんな状態になっても絶対に見捨てずに
温かく包み込んでくれる家族がいるのが
どれほどありがたいかを、しみじみと感じたからです。


人生に絶望していた私が、現在、前向きに頑張れるのは
この安心感のお陰です。


さて、前置きが長くなりましたが、
私は縁あって2年半前、
ヘルスキーパーとしてアソウヒューマニーセンターに入社しました。
その一方、女子ゴールボール競技のアスリートとして
厳しい練習に励む毎日を過ごしています。


当社で社内木鶏会がスタートしたのは昨年の11月でした。
最初


「木鶏会をやるから朝7時に集合ね」


と上司から言われた時は、
まるで他人ごとのように聞いていました。


私が所属するシーズアスリートには視覚障害者が4人いますが、
活字を普段目にすることのない私たちにとって、
木鶏会への参加はないものと考えていたのです。


しかし、上司や周りの社員の方々が私たちの成長を考えて、
何とか一緒にできないかと、
忙しい中時間を作って『致知』を読んできかせてくれたり、
PCにおとしてメールで送って音声ソフトで読ませたりと、
できる方法を一緒に考えてくれました。


できない理由を並べて甘えるのではなく、
一つでもできる方法を考え、トライすることが
成長の第一歩であると教えていただいたのは、
とてもありがたいことでした。


木鶏会に参加することで、
普段情報が入りにくい私は多くの刺激を受けています。
『致知』7月号の中では
「代受苦者(だいじゅくしゃ)」といういうワードに出会いました。


「災難や苦しみを自分の代わりとなって受けてくれる人」

という意味で、本来どこで起きてもおかしくはなかった
3月11日の大震災を、
東日本の方々が私たちの代わりに受けてくれた。
そう思うととても他人ごととは思えませんでした。


その時の話し合いの中で、ある方が私に向かって言われました。


「浦田さん、私の代わりに見えない不自由さを
 感じてくれてありがとう」


そう言われて私はあることに気づきました。
最初は見えなくなって怖くて不安で悔しくて
どうしようもない日々を過ごしていた私が、
沢山の温かな励ましや、ハード面・ソフト面のサポートのお陰で、
今は見えないことを忘れてしまうほど
毎日笑顔で過ごさせていただいていたのです。

周りの真心でいつしか目が見えないことが
「苦しみ」ではなくなっていたのです。


このようにお互いに支え合う仲間がいるのは
本当にありがたいことです。
木鶏会では普段同じ職場にいても
あまり話したことがない人とも
コミュニケーションがとれます。


その人の名前と声を一致させることに加え、
自分にはなかった考え方に出会い、
仕事でもプライベートにおいても
当事者意識を持っていかに自分の行動レベルに
落とし込んでいくかのヒントを得ることができます。

そして、何よりも、参加者同士がお互いに共感しあい
一体感を感じることができるのが
素晴らしいと感じています。


私はアスリートとして昨年のアジア大会女子ゴールボール競技で
銀メダルを獲得し、ロンドンパラリンピックへの出場権を
手にすることができました。

これからの練習が勝負です。
その意味で私にとって月1回の木鶏会は、
自分の気持ちをリセットし、
やる気を高める大切な場となっています。


社内木鶏の美点凝視の精神により私も笑顔、みんなも笑顔。
笑顔のキャンドルサービスが会社中、
そして日本中に広がっていったら、
どんなに素敵な社会になるだろう。

そんな夢を描きながら、
これからも前向きに頑張っていきたいと思います。


本日はご清聴いただき、ありがとうございました。


……………………………………………………………………………………
●社内木鶏会に興味を持たれた方・詳細をお知りたい方は
 こちらまでお気軽にお問い合わせください。


◆TEL:03-3796-2112(致知出版社営業部)

    ※28日(土)は新春講演会のため、終日不在にしております。


◆お問い合わせフォーム:
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(転載以上)

 

“駅の改札口まで迎えに来てくれた母は、
私のぎこちない仕草を見て
最初はふざけていると思ったそうです。

「お母さん、私はもう何も見えん」。

近寄ってきた母にそう率直に打ち明けると、
母はその場で泣き崩れてしまいました。”

 

ふざけていると思った娘さんが、実は目が見えないとわかった時、お母様の悲しみはいかばかりだったでしょう。

でも、1年半の間、ご家族にさえ打ち明けることが出来ずに、一人家の中に閉じこもっていた理恵さんが、

その日、勇気をふるって自らの足で熊本の実家まで行き、お母様に打ち明けることが出来たのですよね。

 

代受苦者(だいじゅくしゃ)

「災難や苦しみを自分の代わりとなって受けてくれる人」

“本来どこで起きてもおかしくはなかった
3月11日の大震災を、
東日本の方々が私たちの代わりに受けてくれた。
そう思うととても他人ごととは思えませんでした。”

 

自分の代わりとなって受けてくれたのだと考えること、それは自分のこととして受け止めることですね。

災害に合われた方々の思いを自分のこととして受け止めること、それは自分がどう行動するかということを考える出発点なのでしょう。


“その時の話し合いの中で、ある方が私に向かって言われました。

「浦田さん、私の代わりに見えない不自由さを
 感じてくれてありがとう」”

素晴らしい言葉ですね。


“そう言われて私はあることに気づきました。
最初は見えなくなって怖くて不安で悔しくて
どうしようもない日々を過ごしていた私が、
沢山の温かな励ましや、ハード面・ソフト面のサポートのお陰で、
今は見えないことを忘れてしまうほど
毎日笑顔で過ごさせていただいていたのです。

周りの真心でいつしか目が見えないことが
「苦しみ」ではなくなっていたのです。”

本当によかった、と思いますし、まだまだそのようにサポートを必要としている方々はたくさんいますよね。


“人間は成功した理由で失敗する”

2012-01-28 04:34:01 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。

(転載開始)

 

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     致知出版社の「人間力メルマガ」

                2012/1/26】 致知出版社編集部 発行
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       * *

本日は『致知』2000年3月号より
プロントコーポレーション元社長の
本名正二氏の随想記事をご紹介します。


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「致知随想」ベストセレクション
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      「創造的自己否定」


             本名正二(プロントコーポレーション社長)

        『致知』2000年3月号「致知随想」
        肩書きは『致知』掲載当時のものです


………………………………………………………………………………………………

人間は成功した理由で失敗する。

極端なことをいうようだが、
このすさまじい変化の時代に経営に携わる私は、
そのことを肌身で感じている。

過去にいくら素晴らしい成功を収めていても、
いまはそれが通用するとは限らない。
むしろその体験が、そのまま失敗の要因ともなり得る。

過去の成功体験を否定し、変革に挑戦する勇気を持たなければ、
あっという間に時代に取り残されてしまうのである。

かつて、テニスラケットでシェア50%を誇る有力メーカーがあった。
ある時期その市場に、当時としては邪道のグラスファイバーで
ラケットを製造する新興メーカーが登場した。

しかし有力メーカーはその新しい動向にまったく関心を示さず、
従来の素材に固執し続けた。
結果的にシェアは急落し、いまやその社名の記憶すら定かでない。

昭和62年にプロントコーポレーションの社長に就任する前、
私は、親会社サントリーの業態開発部で新しいスタイルの
飲食店の開発に取り組んでいた。

新しい店を成功させる方法はいくつかあるが、
業種全体が不振の場合の施策として、
お客さまが満足していない要素を集めて
その逆をやるというのがある。

メニュー、価格、内外装、BGM等々、
不振の要因は様々である。

興味深いのは、不振店のオーナーが
それを自覚しつつも改めようとしないことである。

なぜか。
そのスタイルでかつて成功したことがあるからである。
そのスタイルがもう通用しないと認めることは、
それまでの努力の否定につながるからである。

時代の変化を乗り越えて成功を持統させるためには、
絶えず進化・創造し続けなければならない。
そのためには、いい意味での破壊、
すなわち創造的自己否定が必要である。

しかし、破壊と創造という相反する行為を
同時に実行していくことは至難の業である。
ここに経営の難しさがある。

私が、プロントという新しい業態の店を手がけたのは、
ちょうどバブルの絶頂期。
地価は高騰し、飲食店経営で利益を出すことは困難を極めた。

そこで、一つの店に昼はベーカリーカフェ、
夜はダイニングバーという二つの顔を持たせ、
昼夜フルに稼働させることで、高い家賃でも
利益を出せる店づくりに挑戦したのである。

それまでにも喫茶店が夜アルコール類を出したり、
スナックが昼にランチを提供するなど、一つの店で
売り上げの二毛作を狙うところはあったが、
どうしても本業の片手間という印象を免れず、
確固たる利益に結びつかなかった。

これに対してプロントは、昼夜のメリハリを明確にし、
それぞれに本物を追求したところに新しさがあった。
それがお客さまの支持を集め、おかげさまで
バブルの絶頂から崩壊への激動期にも、
継続して業績を拡大することができたのである。

しかし、この成功に安住してはおれない。
私には危機感がある。
店舗の増加でプロント全体の売り上げは
前年比108%と上向いてはいるが、
これは決して成功の尺度にはならない。

むしろこれまでに出店した一店一店が
各地域でどれだけお客さまに愛されているか、
それを示す既存店の売上前年比こそ重視しなければならない。
その尺度ではあいにく98〜99%。

外食業界全体から見ると良い数字だが、
1、2%のお客さまからは見放されている事実を
認識する必要がある。

創造的自己否定の必要性を感じる部分に、
店舗デザインがある。
プロントのデザインはグリーンが基調色となっている。

創業当初は、これが強烈なインパクトを生み
業績に寄与してきた。

ところが、時代の変化と共に街並みも変わり、
当初のようなインパクトはもう期待できなくなってきたのである。

この状況下でこれまでの成功体験に固執し、


「わが店のグリーンは素晴らしいでしょう」


と、同じ色調を押し通していったらどうだろうか。
おそらく、いずれお客さまからそっぽを
向かれるときが来るに違いない。

このため当社では、すでに新しいスタイルの実験店を通じて、
今後の方向を見定めつつある。
変化に対応する新発想を生み出す上で
大切なことの一つは、「体験」である。

頭のなかだけで考えたアイデアは、
これからは通用しなくなってくると思う。

どれだけ感性が磨かれるような体験をしたか、
どれだけ本物に触れる体験をしてきたか。
その蓄積がものをいうと思う。

もう一つには「遊び心」である。
ことにサービス業に関していえば、
頭がコチコチの真面目人間よりも、
心のハンドルに遊びのある人間のほうが
いい仕事ができると思う。

遊び心ある人間の発言は、
他とひと味違ってユニークである。
その言葉はたいてい耳に痛いものだが、
会社はそれを受け止めるだけの度量がなければ伸びない。

会社を変えるのは、人と違った発想のできる
ユニークな人間なのである。
短期間に急成長を遂げてきた当社だが、
五年前、その勢いが初めて鈍化した。

ハードの面でいくら検討してもその要因が見えてこない。
行き着いたのは、見えない部分。
すなわち、心や人間力であった。

店の急激な伸びに見合った成長を、そこで働く社員が
十分に遂げていなかったことを痛感した。
そのときから私は、社員の心の教育、
人間力の教育に取り組み始めたのである。
これは当社にとって、ひとつの創造的自己否定といえるかも
知れない。

いま痛感するのは、もはや机上の戦略戦術だけで通用する
時代ではないということである。
もてなしや満足感といった目に見えない部分、
心や人間力の充実がますます重要になってくると確信している。

その確信のもと、社員の心の教育、
人間的な教育に一層力を注ぎ、
これからも末永く皆さまに愛される
お店づくりを目指してゆきたい。




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(転載以上)

 

“人間は成功した理由で失敗する” 

言い方は色々あると思いますが、とてもたくさんの方々が同じ意味のことをおっしゃっていると思います。

それは、こうして失敗するケースが後を絶たないからなのでしょう。

 

“興味深いのは、不振店のオーナーが
それを自覚しつつも改めようとしないことである。”

本当はこうしたらいいのだが、ということはわかっている。

なのに、やめられない。

 

“なぜか。
そのスタイルでかつて成功したことがあるからである。
そのスタイルがもう通用しないと認めることは、
それまでの努力の否定につながるからである。”

今ままでのやり方を否定して変えていくことは、自ら川の流れに逆らうような、とても大きな抵抗感があるのではないでしょうか。

 

“しかし、破壊と創造という相反する行為を
同時に実行していくことは至難の業である。
ここに経営の難しさがある。”

“頭のなかだけで考えたアイデアは、
これからは通用しなくなってくると思う。

どれだけ感性が磨かれるような体験をしたか、
どれだけ本物に触れる体験をしてきたか。
その蓄積がものをいうと思う。”

“遊び心ある人間の発言は、
他とひと味違ってユニークである。
その言葉はたいてい耳に痛いものだが、
会社はそれを受け止めるだけの度量がなければ伸びない。”

“ハードの面でいくら検討してもその要因が見えてこない。
行き着いたのは、見えない部分。
すなわち、心や人間力であった。”

“いま痛感するのは、もはや机上の戦略戦術だけで通用する
時代ではないということである。
もてなしや満足感といった目に見えない部分、
心や人間力の充実がますます重要になってくると確信している。”

 

そのための社員教育。

経験に基づいた奥深い言葉に満ちていますね。


“「好感度」を発揮するには”

2012-01-26 05:00:00 | 日記

致知出の「人間力メルマガ」よりです。

(転載開始)

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     致知出版社の「人間力メルマガ」

                2012/1/25】 致知出版社編集部 発行
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   このメールマガジンでは、
   人間学を学ぶ月刊誌『致知』より
   そのエッセンスの一部をご紹介しています。

       * *

   本日は『致知』2003年8月号より、
   ホテルオークラで長年、一流のサービスを提供し続けた
   伝説のホテルマン・橋本保雄氏のお話をご紹介いたします。

────────────────────────────────────


        「好感度を発揮していない人はダメです」



            橋本保雄(日本ホスピタリティ推進協会理事長)

              『致知』2003年8月号
               特集「プロの条件」より


────────────────────────────────────


尊敬する人を持たない人は成長しないし、
プロにはなれませんね。

それと、やはりプロとして大切なのは愛情だと思うんですね。
人間は天から愛情や心の感動という素晴らしい機能を
与えられているけれども、そのことに気づかないと、
勝手流になってしまって、教育にしても仕事にしても
失敗してしまうと思いますね。


        * *


本当にその道に長けている人には、必ず素晴らしい仲間がいます。
そういう人は、人望だとか品格だとか言う前に、
まずいい顔をしていますね。

非常に平凡な言い方だけど、やっぱりいい顔をして
好感度を発揮している人は、みんなに助けられます。

もちろんいい顔というのは、外面的な格好のよさではなく、
その人の内面がにじみ出ているような顔ですね。


好感度を発揮していない人はダメです。

だから、自分の可処分時間の中で一日わずか十秒でいい。
自分の顔を鏡に映して、きょうはどういう顔をしようかと
訓練したらいいんです。

それを毎日積み重ねている人は、やっぱりいい顔をしています。
たった十秒の時間を自分に割けないような人に、
いい顔はできないし、そういう人には
やっぱりブレーンもできないですね。




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(転載以上)

 

“尊敬する人を持たない人は成長しないし、プロにはなれません。”

 

 “人間は天から愛情や心の感動という素晴らしい機能を与えられているけれども、

 そのことに気づかないと、勝手流になってしまって、教育にしても仕事にしても失敗してしまうと思います。”

 

 “非常に平凡な言い方だけど、やっぱりいい顔をして好感度を発揮している人は、みんなに助けられます。”

 

 “だから、自分の可処分時間の中で一日わずか十秒でいい。
自分の顔を鏡に映して、きょうはどういう顔をしようかと訓練したらいいんです。”


 

とてもわかりやすい言葉です。

 

 しかし、知っていることと、日々実行することの間には、天と地ほどの開きがあるのでしょう。

 

 “それを毎日積み重ねている人は、やっぱりいい顔をしています。
たった十秒の時間を自分に割けないような人に、
いい顔はできないし、そういう人には
やっぱりブレーンもできないですね。”


さすがに十秒ならだれにでもありますよね。

そしてそれが出来るかどうかということは、自分に正面から向き合えるかどうかということでもありそうですね。

 


“家内の足の裏をもんで”

2012-01-25 07:47:17 | 日記

知出版社「偉人たちの一日一言」よりです。

(転載開始)
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓

    「偉人たちの一日一言」

     〜致知出版社が贈る人生を養う言葉〜
               発行 (株)致知出版社

┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

―――――――――――――――――――――――――
 今日の言葉  2012年1月24日(火)
―――――――――――――――――――――――――
 家内の足の裏をもむことになった。
 家内をもらって三十八年目、
 家内の足の裏を見たのは初めてのこと。
 少しは可愛らしい足の裏だろうと思っていたら、
 指がひろがり、がめつい足の裏。

 家に来てくれた時は、
 もう少しは可愛らしい足の裏だったのだろうが、
 山奥の私の家へやって来て、
 毎日毎日、お仏飯を炊く薪を拾いに山に通い、
 私に代わって、畑を耕し、作物を作り、
 肥しを運び、やってるうちに、
 こんな足の裏になってしまったのだろう。

 気が付いた時には、本気で手を合わしていた。
 初めて本当の家内にであった気がした。

    『東井義雄一日一言』より(致知出版社刊)


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(転載以上)

 

読んでいてじわじわと効いてきました。

 

奥様の足の裏をもむことは、東井さんご自身のマッサージでもあったのですね。 


“かならず芽が出るときがくる”

2012-01-24 04:15:15 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。


(転載開始)

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     致知出版社の「人間力メルマガ」

                【2012/1/22】 致知出版社編集部 発行
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皆さまの人間力を高めるエピソードを
厳選してご紹介しています。

       * *

本日は、ベストセラー『ベルナのしっぽ』の
著者としても知られる鍼灸士・郡司ななえさんの
随想記事をご紹介します。


────────────────────────────────────
■「致知随想」ベストセレクション
────────────────────────────────────


  「人生のダブルヘッダー」


             郡司ななえ(鍼灸士)

        『致知』1998年7月号「致知随想」
         ※肩書きは『致知』掲載当時のものです


…………………………………………………………………………………………………

私の目が見えなくなったのは二十七歳のときだった。
激しい痛みをともなって、徐々に視界がぼやけていった。
視力の低下が著しく入院を余儀なくされたときには、
とうとう「べーチェットさん」にかなわなくなったのかと思って、
悔しくて悔しくて仕方がなかった。

厚生省指定の難病の一つであるべーチェット病だと診断されたのは、
高校三年生のときだった。
体育の時間にクラス全員で列を組んで
マラソンをしていたときのことである。

突然、足に劇痛が走った。
こらえきれずに転倒した。

足の腫れがひかずに病院でいろいろな検査を受けていくうちに、
ベーチェット病だと診断された。

病名がわかっても、どんな障害が出てくるかということは、
その時点ではまだわかっていなかった。

体に宿ってしまった病と仲良くしようと、
私は「ベーチェットさん」と名づけて、
なだめすかして十年あまりを平和に過ごしてきた。

新潟から東京に出てきて、建築会社でOLをしていた。
この平凡な生活が、ずっと続くのではないかと思っていた。

いや、そう願い続けることで、病気を克服できると信じていたかった。
ところが、「ベーチェットさん」はそんなに優しくなかった。
目の痛み、全身を襲う倦怠感、増していく内服薬、
注射、度重なる手術……。

難題を押しつけるだけ押しつけておいて、
一向によくなる気配は見えない。
それどころか、ますます窮地に追い詰めていく
あまりの意地の悪さに、ほとほと疲れ果ててしまった。

十か月あまりの入院の末に、退院することになった。
回復したからではない。
濃い乳白色の世界は、もう微動だにしなかった。

心配して、上京してきた母の腕につかまって、
週に一度だけ薬をもらいに病院へ通った。

外界との接触はそれだけだった。
テレビやラジオの音を耳にするのも煩わしくて仕方がなかった。

私にとって見える世界が失われたことは、
世界が失われたことに等しかった。
ただただ、ベッドの上に縮こまって、何も考えたくなかった。

一年六か月の間、私の巣ごもりは続いた。
その間、母が私を守る防波堤になってくれた。
「がんばりなさい」とか「そろそろ再起をはかったら」
などといったことは一言も言わなかった。


「いった豆でない限り、かならず芽が出るときがくるんだから」。


母が繰り返し言ったのはその一言だけだった。

そんな生きているのか、死んでいるのかわからないような
私の魂を呼び戻すきっかけとなったのは、
大宅壮一さんがお書きになった『婦人公論』の一文だった。


「野球の試合にダブルヘッダーがあるように、
 人生にもダブルヘッダーはある。
 最初の試合で負けたからといって、悲観することはない。

 一回戦に素晴らしい試合をすることができたのならば、
 その試合が素晴らしかった分だけ、
 惨敗して悔しい思いをしたならば、
 悔しかった分だけ二回戦にかければいい。

 その二回戦は、それまでにどれだけウォーミングアップを
 してきたかによって勝敗が決まってくる」


私の二回戦はこれから始まるのだと思った。
一回戦とは違って、目の見えない私で戦わなければいけない。

だが、一年半というもの、二回戦を戦う準備をさせてもらった。
もうウォーミングアップは十分だと思った。
いてもたってもいられない気持ちで
東京都の福祉局に電話をかけ、戸山町にある
心身障害者福祉センターを紹介してもらった。

目が見えなくなって、何から始めたらいいのかわからない
私にとって、まず最初に必要なのは
一人で歩けるようになることと、
点字を読めるようになることだった。

やっと外界と接触する心の準備のできた私を後押しするように、
電話で相談にのってくださった先生がおっしゃった。


「あなたは運のいい人ですね。
 ちょうど視覚障害者向けのカリキュラムにあきが
 出たところなのですよ。

 明日いらしてください。
 明日来られなければ、他の人に順番をまわしてしまいますからね」


舞い込んできた幸先のよさに喜び勇んで、
新しい人生を出発することになった。

そんな私の二回戦の試合模様が、
先に『ベルナのしっぽ』という一冊の本にまとまった。

結婚して、子供を産み、盲導犬とともに暮らす
奮闘ぶりが描かれている。
大竹しのぶさん主演のドラマとして、
フジテレビでも取り上げていただいた。

こうして、あの空白の一年半から立ち直ってみて思うのは、
生きる勇気を失わない限り、私たちは
たいていの困難を乗り越えていくことができるということである。
不幸のどん底にいるときには、どこまでも奈落の底に
落ちていくのではないかと思えてくる。

だが、それをこらえてじっと痛みを耐えていれば、
かならず明るい光は見えてくる。

その一つひとつの困難を乗り越えていくことが
生きるということなのではないかと思う。

そして、一試合目がうまくいかなくても、
人生にはときに二試合目が巡ってくる。
そのためのウォーミングアップを続けていくことこそが、
次の一歩を踏み出すためにもっとも大切なことなのだと思う。

 

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         ※『致知』は書店では販売しておりません。


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(転載以上)

 

“目の痛み、全身を襲う倦怠感、増していく内服薬、
注射、度重なる手術……。”

“私にとって見える世界が失われたことは、
世界が失われたことに等しかった。
ただただ、ベッドの上に縮こまって、何も考えたくなかった。”

 

その気持ちがわかるとは私にはとても言えません。

しかし、その片鱗を想像するだけでも、ななえさんの気持ちが伝わって来るような気がします。

 

“一年六か月の間、私の巣ごもりは続いた。
その間、母が私を守る防波堤になってくれた。
「がんばりなさい」とか「そろそろ再起をはかったら」
などといったことは一言も言わなかった。

「いった豆でない限り、かならず芽が出るときがくるんだから」。

母が繰り返し言ったのはその一言だけだった。”

 

 “「がんばりなさい」、「そろそろ再起をはかったら」”という励ましの言葉、それはその時のななえさんにとって、実は一番つらい言葉だったのかも知れません。

一年六か月の巣ごもり、それは、お母様にとっても本当に大変な時間だったのではないでしょうか。

しかし、お母様は、「がんばりなさい」という言葉は、一度も使わず、ななえさんが、自ら“芽を出すとき”を、静かに待っていらしたのですね。

そして、大宅壮一さんの一文を読んで、ななえさんは、自ら芽を出して行かれたのですね。


“一試合目がうまくいかなくても、
人生にはときに二試合目が巡ってくる。
そのためのウォーミングアップを続けていくことこそが、
次の一歩を踏み出すためにもっとも大切なことなのだと思う。”


ななえさんにとって、それは、お母さんと二人三脚の“ウォーミングアップ”だったのではないでしょうか。 

 


“ただ一瞬一瞬やり切るだけ、という境地に達するには”

2012-01-09 15:07:13 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。

(転載開始)

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     致知出版社の「人間力メルマガ」

                【2012/1/7】 致知出版社編集部 発行
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       * *

   本日は、現在発行中の『致知』2月号より、
   福島の聖光学院高校野球部を
   全国屈指の強豪校に導いた名将・斎藤智也監督の
   お話をご紹介します。


────────────────────────────────────


        「前後際断、瞬間燃焼」


            斎藤智也(聖光学院高校野球部監督)

            『致知』2012年2月号
             特集「一途一心」より
      
http://www.chichi.co.jp/monthly/201202_pickup.html#pick3

────────────────────────────────────


私は選手たちに「前後際断(さいだん)」とか
「瞬間燃焼」といった言葉を
よく使うんですが、これを教えるのに
最適なトレーニングがあります。

もともとは塩沼亮潤先生の大峯千日回峰行から
ヒントを得たのですが、毎年夏の大会前になると、
夜中に地元の吾妻連峰に登り、
懐中電灯と熊除けの鈴を持って暗闇の中を
五時間かけて一人ずつ下山させるんです。


山の雄大さ、険しさ、水の清らかさ、
この大いなる自然に身を委ねなさいと、
満天の星空を眺めるところからスタートする。

山を下りるのも真っ暗闇で怖い。
そこから徐々に日が差して辺りが明るくなってくる。

クライマックスは朝四時半頃。
雲海が飛び込みたくなるような思いに駆られるほど、
凄く綺麗なんですよ。
そこから太陽の光が少し差し込んでくる。

で、この時に子供たちの足が止まるんです。
雲海から出てくる太陽を皆、心待ちにしているんですね。

そしてパーッと太陽が出てきた時の、あの凄い感動……。
泣いている子もいます。きっと自分が
野球をやっていることの意味を噛み締めたり、
夏の大会を間近に控えた怖さと向き合うんでしょうね。


私なりに、お坊さんが瞑想して
無の境地に迫ろうとする意味は何かと考えてみると、
邪念の塊、雑念の塊、私利私欲の塊、
こうしたものから解放されるためには、
邪念、雑念、私利私欲に襲われ続けないと
消えていかないことが分かってきました。

だから怖い、負けたらどうしよう、嫌だ、嫌だ……、
そうやっていろいろなことを考えながら歩いていく中で、
その子の頭は雑念だらけ。

その雑念を、自然が忘れさせてくれるということもあるんですが、
でも最後はそこから解き放たれる自分自身を見つけるんですね。

これは勝負の世界でも一緒ですよ。

負ける怖さを骨の髄まで味わい続ける。
だから解き放たれる。

その時、やっと勝負事を天に任せられる状態になって、
夏の大会にさぁ行こうか、潔くやろうぜ、という気持ちになる。
選手たちには勝つも負けるもない。
ただ一瞬一瞬やり切るだけ、という状態になる。

それが、甲子園に行っても


「おまえら、ホントに預けてるの」

「引っ張り込んでるだろ、勝負事を」

「私利私欲の塊集団!」


なんて言いながら試合をやっている時があるんですね。
そういうシーンが多い時は負けが近い時です。

潔く、試合展開にも一切こだわらず、一喜一憂せず、
まさに前後際断、過去も未来もすべて消す。
まさにいまだけ、一途一心、という境地で臨める時は強いです。

夏の大会に入る前にその状態を完成させてしまえば、
後の結果は本当はどちらでもいいんですよね。
http://www.chichi.co.jp/monthly/201202_pickup.html#pick3

(転載以上)

********************************************************

 

高校野球は、日本のあらゆるスポーツの中でも、最も競争の厳しいものの一つではないでしょうか。

野球部はたいていの高校にあるでしょうし、その練習量も半端ではないでしょう。

練習時間や、その厳しさだけ取ると、どの高校もあまり変わりないとさえ言えるのではないでしょうか。

 

そのような激しい競争の中で、強いチームを育てる教育者の考え方や言葉は、様々な分野に共通する普遍的なものなのではないかと思います。

 

斎藤監督のトレーニング方法は、まさに奇想天外でびっくりします。

 

“毎年夏の大会前になると、
夜中に地元の吾妻連峰に登り、
懐中電灯と熊除けの鈴を持って暗闇の中を
五時間かけて一人ずつ下山させるんです。”

“山の雄大さ、険しさ、水の清らかさ、
この大いなる自然に身を委ねなさいと、
満天の星空を眺めるところからスタートする。”

 

そこから日の出までの描写は、もうありありとその情景を想像することが出来ますね。

とても感動的なシーンです。

 

“私なりに、お坊さんが瞑想して
無の境地に迫ろうとする意味は何かと考えてみると、
邪念の塊、雑念の塊、私利私欲の塊、
こうしたものから解放されるためには、
邪念、雑念、私利私欲に襲われ続けないと
消えていかないことが分かってきました。”

 

無の境地に迫るには、“邪念、雑念、私利私欲に襲われ続けること”、その逆説的な表現に驚きます。

 しかし、自分の経験から考えて見ても、きっとその通りなのだろうなと思います。

 

“負ける怖さを骨の髄まで味わい続ける。
だから解き放たれる。

その時、やっと勝負事を天に任せられる状態になって、
夏の大会にさぁ行こうか、潔くやろうぜ、という気持ちになる。
選手たちには勝つも負けるもない。
ただ一瞬一瞬やり切るだけ、という状態になる。”

 

それが、斎藤監督のおっしゃる 「前後際断、瞬間燃焼」 の意味なのですね。

 

“潔く、試合展開にも一切こだわらず、一喜一憂せず、
まさに前後際断、過去も未来もすべて消す。
まさにいまだけ、一途一心、という境地で臨める時は強いです。

夏の大会に入る前にその状態を完成させてしまえば、
後の結果は本当はどちらでもいいんですよね。”

まさにどんな分野にもあてはまる、普遍的な言葉だと思います。

 

 


“どうしてもっと彼女の手を握っていてあげなかったのか”

2012-01-06 03:41:41 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。

(転載開始)
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     致知出版社の「人間力メルマガ」

                【2012/1/5】 致知出版社編集部 発行
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   そのエッセンスの一部をご紹介しています。

       * *

   本日は現在発行中の『致知』2月号より、
   100歳になったいまも現役医師として
   活動を続ける聖路加国際病院理事長・日野原重明氏の、
   医師としての原点となったお話をご紹介いたします。

────────────────────────────────────


        「医師としての原点」
       
       
       
            日野原重明(聖路加国際病院理事長、名誉院長)
        
              『致知』2012年2月号
               特集「一途一心」より
           
http://www.chichi.co.jp/monthly/201202_pickup.html

────────────────────────────────────

医師としての原点を語る時、外せないのが、
医局に入ったばかりの頃、最初に担当した
結核性腹膜炎の十六歳の少女です。

彼女には父親がおらず、母親が女工として働いていました。
家が貧しくて彼女自身も中学に行かず働いていたのですが、
ある時、結核を患って入院してきたんです。

その病室は八人部屋で、日曜になると
皆の家族や友人が差し入れを持って見舞いにくる。

でも彼女を訪ねてくる人はほとんどいない。
母親は日曜も工場で働いていたから、
見舞いにもなかなか来られなかったんです。

私は日曜になると教会の朝の礼拝に出席するため、
同僚に彼女のことを頼んでいました。

ところがある時、その同僚から


「日野原先生は、日曜日は
  いつも病院に来られないから寂しい」
  
  
と彼女が言っていたと聞かされましてね。
以来私は朝教会に行く前に、病室へ顔を出し、
それから礼拝に出るようにしたんです。
これはその後の私の医師としての習慣にもなりました。


ところが当時は結核の治療法がなかったために、
どんどん容態が悪くなっていってね。

非常に心配していたんですが、ある朝様子を見に行くと、


「先生、私は死ぬような気がします……」


と言うんです。私は


「午後にはお母さんが来られる予定だから、頑張りなさい」


と言いました。

すると彼女はしばらく目を閉じて、
また目を開いて言葉を続けました。


「お母さんはもう間に合わないと思いますから……、
  私がどんなにお母さんに感謝していたかを、
  日野原先生の口から伝えてください」。
  
  
そうして手を合わせた彼女に、私は


「バカなことを言うんじゃない。死ぬなんて考えないで!
  もうすぐお母さんが見えるから、しっかりしなさい」
  
  
と言って、その言葉を否定したんです。

ところが見る見るうちに顔が真っ青になっていったので、
私は看護師を呼んで「強心剤を打って延命しよう」と言い、
弱っている彼女に強心剤をジャンジャン打った。

そして「頑張れっ、頑張れっ!」と大声で叫び続けた。

彼女はまもなく茶褐色の胆汁を吐いて、
二つ三つ大きく息をしてから無呼吸になりました。

私は大急ぎで彼女の痩せた胸の上に聴診器を当てましたが、
もう二度とその心音を捉えることはできませんでした。

私は彼女の死体を前にして、どうしてあの時


「安心して成仏しなさい。
  お母さんには、私があなたの気持ちを
  ちゃんと伝えてあげるから」
  
  
と言ってあげられなかったのだろう。
強心剤を注射する代わりに、
どうしてもっと彼女の手を握っていてあげなかったのか、
と悔やまれてなりませんでした。

私は静かに死んでいこうとする彼女に、
最後の最後まで鞭を打ってしまったわけです。

この時に、医師というのは
ただ患者さんの命を助けるのじゃない。

死にゆく人たちの心を支え、死を受け入れるための
援助をしなければならないのだと思いました。

その強い自責の念が、
後にターミナルケア(終末の患者へのケア)や
ホスピスに大きな関心と努力を払い、
人々が安心して天国や浄土に行くにはどうしたらよいかを考え、
そういう施設をつくる行為へと繋がっていったんですね。
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http://www.chichi.co.jp/news/3242.html


……………………………………………………………………………
※『致知』バックナンバープレゼントのため、
 カード決済申し込み特典の『信念が未来をひらく』はつきません。
 また、3年購読をお申し込みの場合も、
 特典はバックナンバーのみとなりますので、ご注意ください。


ぜひこの機会に『致知』をお申し込みいただき、
ご自身の人間力をさらに高める
2012年にしていただければ幸いです。

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(転載以上)


日野原重明さんのお話は、先日も引用させて頂きました。
http://blog.goo.ne.jp/tera-3/e/3459413ec5877af6a4a437dde715afb7


医師としての原点として挙げた十六歳の少女のお話、考えさせられます。

お父さんがなく、日曜も工場で働いているお母さんは、なかなか少女のお見舞いに来れません。


“以来私は朝教会に行く前に、病室へ顔を出し、
それから礼拝に出るようにしたんです。
これはその後の私の医師としての習慣にもなりました。”


日野原さんは、その後ずっとそうして来られたのですね。


“「バカなことを言うんじゃない。死ぬなんて考えないで!
  もうすぐお母さんが見えるから、しっかりしなさい」”
   
“「頑張れっ、頑張れっ!」と大声で叫び続けた。”


強心剤をたくさん打ちながら、必死になってその少女を励ます日野原さんの気持ち、伝わってきます。
心ある人であれば、きっとだれでもそうしようとするのではないでしょうか。


  “私は彼女の死体を前にして、どうしてあの時

「安心して成仏しなさい。
  お母さんには、私があなたの気持ちを
  ちゃんと伝えてあげるから」
  
 と言ってあげられなかったのだろう。
強心剤を注射する代わりに、
どうしてもっと彼女の手を握っていてあげなかったのか、
と悔やまれてなりませんでした。

私は静かに死んでいこうとする彼女に、
最後の最後まで鞭を打ってしまったわけです。”


日野原さんの気持ちが痛いほど伝わって来ます。

 
“その強い自責の念が、
後にターミナルケア(終末の患者へのケア)や
ホスピスに大きな関心と努力を払い、
人々が安心して天国や浄土に行くにはどうしたらよいかを考え、
そういう施設をつくる行為へと繋がっていったんですね。”


私には、この少女と日野原さんのとても深いつながりが感じられてなりません。

この時の体験が原点となって、その後の日野原さんの歩みが決定づけられたのですから・・・。


“日本の現場力は世界一”

2012-01-03 22:43:43 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。

(転載開始)

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     致知出版社の「人間力メルマガ」

                【2012/1/3】 致知出版社編集部 発行
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   このメールマガジンでは、
   月刊誌『致知』より
   皆さまの人間力を高めるエピソードを
   厳選してご紹介しています。

       * *

   本日は現在発行されている『致知』2月号より、
   早稲田大学ビジネススクールで教鞭を執る一方、
   コンサルタントとして日本の一流企業を
   成長に導いてこられた
   遠藤功氏の記事をご紹介します。
   
   
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        「花王、ヤマト運輸、オオゼキの“現場力”」
      
       
          遠藤功(早稲田大学ビジネススクール教授、
              ローランド・ベルガー会長) 


             『致知』2012年2月号
              特集「一途一心」より
          
http://www.chichi.co.jp/monthly/201202_pickup.html#pick2

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私が見てきた企業の中で、例えば花王などは
現場力の塊のような会社である。

二〇〇六年まで二十四年にわたり連続で
増益し続けたのは有名な話だが、二十四年とは約四半世紀である。
この間、経営環境も著しく変化する中、なぜそれが可能だったのか。

例えば、洗濯洗剤の『アタック』は
二〇一二年で発売から二十五年目になるが、
いまなお毎年商品改良を続け、新しい価値を加え続けている。

加えてコスト削減の努力も続けている。
商品改良によって新たな価値を加え、
一方でコストを削減すれば、当然利益が生まれる。

要するに、花王の現場はルーチン業務をこなしているのではなく、
利益を創造しているのである。

毎年少しずつの改善・改良を地道に続けてきたからこそ、
二十四年もの間、増益を続けられたのである。
その継続性、執着性こそ花王の競争力の源である。


サービス業でいえば、例えばヤマト運輸である。

いま、宅配便は当たり前のように指定した時間内に届けられるが、
この背景には並外れた現場力がある。

日々、交通事情も違えば荷物の個数も違う。
ヤマト運輸のセールスドライバーは
「きょうこの個数を午前中に届け切るにはどうしたらいいか」
と常に考え、工夫し、動いている。

現場の知恵があるからこそ、時間指定配達は可能なのだ。

そもそも昔は時間指定などなかったが、
それを生み出したのも現場である。

配達時、不在であれば再度足を運ばなければならないから
時間もかかるし、コストもかかる。

また、お客様からも「○時に届けてくれたら助かる」
という声もあっただろう。

新しいサービスを「やる」と決断するのは経営陣だが、
それを実現するのは現場の力である。

ヤマト運輸にはセールスドライバー用のマニュアルがあるが、
「マニュアルどおりにしたらクレームになる」と言われている。
ここが欧米の現場との決定的な違いだ。

たとえマニュアルどおりにやったとしても、
時間内に配達できなければ、お客様満足は実現できない。
だから、ヤマト運輸の現場では日々の状況を見て、
自分たちで考え、いまどうすべきかを工夫しているのだ。

また、このデフレ下でも、ものすごく高い利益率を出している
スーパーマーケットがある。

スーパーのオオゼキである。
ここは個店主義を展開しており、
それぞれの店の立地から自分たちで品揃えを考え、
自分たちで売り場づくりを行っている。

製造業でも、サービス業でも、小売業でも、
すべての業界において、現場が自発的にアイデアを出し、
進化し続けている企業は圧倒的に業績がいい。
現場力はそのまま業績に結びつくのである。
http://www.chichi.co.jp/monthly/201202_pickup.html#pick2

(転載以上)


ここでは3社の日本の会社を紹介しています。

“花王の現場はルーチン業務をこなしているのではなく、
利益を創造しているのである。”

“継続性、執着性こそ花王の競争力の源である。”

“ヤマト運輸のセールスドライバーは
「きょうこの個数を午前中に届け切るにはどうしたらいいか」
と常に考え、工夫し、動いている。”

“新しいサービスを「やる」と決断するのは経営陣だが、
それを実現するのは現場の力である。”

“スーパーのオオゼキである。
ここは個店主義を展開しており、
それぞれの店の立地から自分たちで品揃えを考え、
自分たちで売り場づくりを行っている。”



海外に住んでいると、こうした日本の「現場力」は世界一だと感じます。

海外では、会社の作るマニュアルがとても大切で、そこに入っていない内容について従業員の方々に動いてもらうのはなかなか大変なことです。

“「マニュアルどおりにしたらクレームになる」”

そう考えて従業員の方々が自ら動く日本の現場力の凄さは、ある意味、それが当たり前になっている日本にいるとなかなか理解しづらい面もあるかも知れません。

「暗黙知」とも言われますが、日本の現場の強さは、まさに人から人へと直接伝達される生きた経験や知識なのだと思います。

 

正月に、こちらで放送されたNHK番組を見ていたら、日本の会社の強さを示す例として、ホンダさんの小型飛行機開発の様子が出ていました。

そこには、屋内スペースを広げるために、エンジンを羽の上につけてしまうという常識をひっくり返す発想がありました。

その発想もさることながら、空気抵抗が増えてしまうので、そんなことは不可能と言われていたことを、それこそ無数の試行錯誤、実験を繰り返して、抵抗が減る唯一のポイントを探すことが出きたこと、それこそがたゆみない努力を続ける日本の現場力を表すものだと思います。

私たちは、世界に誇るものをすでにたくさん持っています。

大切なのは、そのことに気づき、その強みを発揮していくことだけなのだと思います。


“本当に大切なものは 目に見えないということ”

2012-01-01 00:44:44 | 日記

あけましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

致知出版社の「人間力メルマガ」 よりです。

 (転載開始)

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     致知出版社の「人間力メルマガ」

                【2011/12/31】 致知出版社編集部 発行
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   年末までの3日間は、今年配信したメルマガの中で
     特に反響の大きかった記事3本をお届けします。

          * *

   本日は、100歳の現在も現役医師として
   活動を続ける日野原重明先生が子供たちに向けて行った
   「命の授業」をご紹介します。

   ※日野原先生には、現在発行中の『致知』2月号でも
    たいへん感動的なお話をしていただきました。
    ⇒ 
http://www.chichi.co.jp/monthly/201202_pickup.html#pick1


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       「命とは君たちが持っている時間である」
       
       
            日野原重明(聖路加国際病院名誉院長)
        
                『致知』2008年12月号
            特集「心願に生きる」より
                   
http://www.chichi.co.jp/monthly/200812_index.html


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僕はいま人生において最も大切だと思うことを、
次の世代の人に伝えていく活動を続けているんです。

僕の話を聞いた若い人たちが何かを感じ取ってくれて、
僕たちの頭を乗り越えて前進してくれたらいいなと。

その一つとして僕は二年前から二週間に一回は
小学校に出向いて、十歳の子どもを相手に
四十五分間の授業をやっています。

最初に校歌を歌ってもらいます。
前奏が始まると子どもたちの間に入って、
僕がタクトを振るの。

すると子どもたちは外から来た年配の先生が
僕らの歌を指揮してくれたというので、
心が一体になるんですね。


僕が一貫してテーマとしているのは命の尊さです。
難しい問題だからなかなか分からないけれどもね。

でも「自分が生きていると思っている人は手を挙げてごらん」
と言ったら、全員が挙げるんです。

「では命はどこにあるの」って質問すると、
心臓に手を当てて「ここにあります」と答える子がいます。

僕は聴診器を渡して隣同士で心臓の音を聞いてもらって、
このように話を続けるんです。


「心臓は確かに大切な臓器だけれども、
 これは頭や手足に血液を送るポンプであり、命ではない。
 命とは感じるもので、目には見えないんだ。

 君たちね。
 目には見えないけれども大切なものを考えてごらん。

 空気見えるの? 酸素は? 風が見えるの? 

 でもその空気があるから僕たちは生きている。
 このように本当に大切なものは
 目には見えないんだよ」と。


それから僕が言うのは


「命はなぜ目に見えないか。
 それは命とは君たちが持っている時間だからなんだよ。
 死んでしまったら自分で使える時間もなくなってしまう。

 どうか一度しかない自分の時間、命をどのように使うか
 しっかり考えながら生きていってほしい。

 さらに言えば、その命を今度は自分以外の何かのために
 使うことを学んでほしい」


ということです。

僕の授業を聞いた小学生からある時、手紙が届きましてね。
そこには


「寿命という大きな空間の中に、
 自分の瞬間瞬間をどう入れるかが
 私たちの仕事ですね」


と書かれていた。
十歳の子どもというのは、もう大人なんですよ。
あらゆることをピーンと感じる感性を持っているんです。

僕自身のことを振り返っても、
十歳の時におばあちゃんの死に接して、
人間の死というものが分かりました。
子どもたちに命の大切さを語り続けたいと思うのもそのためです。



※日野原先生には、現在発行中の『致知』2月号でも
 たいへん感動的なお話をしていただきました。
⇒ 
http://www.chichi.co.jp/monthly/201202_pickup.html#pick1




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       ●『致知』2月号 特集テーマ「一途一心」
     ⇒ 
http://www.chichi.co.jp/monthly/201202_pickup.html
     
         ※『致知』は書店では販売しておりません。
    
     
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こちら ⇒ http://www.chichi.co.jp/guide.html
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(転載以上)

 

先日NHKテレビで、100歳を迎えた今も、現役医師として 活動を続ける日野原重明先生の姿を映し出していました。

“二週間に一回は 小学校に出向いて、十歳の子どもを相手に 四十五分間の授業をやっています。”

スゴイことだと思いますし、先生に比べるともっともっと若い自分は何が出来ているのだろうと思います。

 
“目には見えないけれども大切なものを考えてごらん。

 空気見えるの? 酸素は? 風が見えるの?”

“本当に大切なものは 目には見えないんだよ”

確か、星の王子さまにも同じような言葉があったように思います。

 

“命はなぜ目に見えないか。
 それは命とは君たちが持っている時間だからなんだよ。”

素晴らしい言葉ですね。

 

私は、命とは心でもあるのではないかと思っています。

 

紅白歌合戦、こちらのテレビで見ていました。

震災にあった子供たちへの長渕剛さんの言葉、そして心のこもった歌に感動しました。

その目線は、まっすぐ子供たちに向けられていました。

 

“僕はいま人生において最も大切だと思うことを、
次の世代の人に伝えていく活動を続けているんです。

僕の話を聞いた若い人たちが何かを感じ取ってくれて、
僕たちの頭を乗り越えて前進してくれたらいいなと。”


日野原さんの目線もまた、明日を築いていく子供たちにまっすぐ向けられているのですね。