玉兎堂

羊蹄山とニセコに囲まれた四季折々の生活

朝飯会

2011-02-28 19:34:33 | 季節のなかの暮らし




倶知安町長が伊藤弘さんだった頃、
月に一度、朝ご飯を一緒に食べて、情報を交換しあうという会がありました。









名付けて「朝飯会」。









もともとは、
後志支庁(今の後志振興局)が始まって以来、
初めての女性支庁長として片平美智子さんが赴任されるということで、
彼女を応援するのが目的で設立された会でした。









片平さんは当時を振り返って

「助かりましたよ、この会。
だって、支庁長室に居たのでは知り合えなかった方たちと親しくなれたし、
いろんな地域の情報を得る事ができましたから」

って、おっしゃってました。








片平さんが転勤し、後任に伊東和紀さんが着任されたあとも、
この会は続きました。









わたくしがお仲間に加えていただいたのは、
伊東さんが支庁長をされていた2005年5月から2007年6月の間でした。









地域経済や農業問題など、時には難しい議論のなかで、わたくしは末席を汚して散らかして、
ご飯だけパクパク食べて帰ってくるという、とても暢気な会員でしたが、
振り返ってみると、伊東さんは当時からグランヒラフの開発に高い意識をもっていました。









伊藤さんが町長をお辞めになったこと、
伊東さんが本庁に戻られたことなどで、
2007年6月、「朝飯会」は発展的解消となりました。









今年になってから、会員の追立さんから

「新年会をやろうじゃないか!」

との声がかかり、札幌を会場にして集まる事になりました。









集まったのは8名。









伊藤さん、伊東さん、片平さん、
小野寺さん、追立さん、大廣さん、
茅野さん、そしてわたくし。








みんな懐かしくて、ちっとも変わらず、
かに料理専門店でワイワイと楽しく語り合ったのでした。
























わたくしはラベルに伊藤さんのご挨拶が記された倶知安ワインを持参し、
盛上がりました。










JR倶知安の駅長さんだった梅垣さんや蔵田さん、
道新支局長だった宇治橋さん、ドクター皆川やNACのロスさんのことなど、
参加できなかったメンバーの話題も飛び交い、それはそれは楽しい新年会となりました。









あんまり懐かしくて楽しかったものだから、
今度は「忘年会」をやろう!ってことになり、
んじゃあ、来月ね、ってわたくしが言ったら、
なんだかホントになってしまいそうな勢いでした。








3月に忘年会?









……ま、そんなことがあってもいいんでないかい。







スマートフォンに替えて

2011-02-23 16:07:53 | 季節のなかの暮らし






倶知安町は、とっても良いお天気が続いています。






もうすぐ春なんだわ~、って感じるお天気です。






春といえば、卒業(馴染んだことからの脱出)や出発(新しいことへの挑戦)のイメージがありますね。






ということで、携帯電話をスマートフォンに換えました。

(なんだかちょっと無理のあるコジツケみたいですけれど)








docomoショップで渡された取扱説明書は薄くて軽いので、
思わず、「操作は簡単なんだ」と勘違いするほどでした。








で、勘違いもはなはだしい……って気づくのに、時間はさほどかかりませんでした。







「取扱説明書」、略してトリセツが薄いのは、
最近はインターネットで検索して操作を覚える利用者が多いからなんだそうです。

つまり、ネットで検索するための「キーワード」を思いつかないヒトや、
何が分からないかが分からないヒトは、「難民」となってしまい、
当ての無い漂流の旅に出ることとなります……。







連れ合いが本屋さんで購入したブ厚いトリセツを開いても、
確かに日本語で記述されているのに、どうしても理解できない……。









とりあえず、頻繁に連絡を取り合う同級生女子には

「スマートフォンに替えたので、操作が分からず、おどおどする毎日だから、
メールを頂いても、お返しするのに時間がかかると思われます。
みんなのこと、嫌いになったわけじゃないから、気長に待っててね~」

と、予め、お断りしておきました。







で、女子からは、

「このトシになって、新たなことに挑戦する気持ちに拍手します」

って、励ましの返信メールをもらいましたが、
いつになったら上手く操作できるようになるんだろうか……。



ホスピタルなヒト

2011-02-09 06:33:44 | 季節のなかの暮らし





平成23年1月末現在の倶知安町人口は15,435名です。


これに外国人登録数569名を加算して、倶知安町における外国人の割合を求めると、
3,5パーセントです。


この3,5パーセントという数字は、おそらく全道で一番だろう、とのことです。


ちなみに、ちょっと古い数字で恐縮ですが、
平成19年の札幌市での割合は0,48パーセントですし、
この年の全国の平均値は1,69パーセントでした。


ね、倶知安町って、ビジネスなどで生活滞在する外国人が多いんですわ。







そして、倶知安町における平成21年度の外国人観光客宿泊者数は29,657名です。


ダントツはオーストラリアからのお客さま。
続いては香港からいらっしゃる方が多かったです。







さて、「トラベル(旅行)」の語源は「トラブル」だって、ご存知でした?


旅行って、日常の慣れ親しんだ生活から離れるわけですから、
事故や病気になりやすい、なので、この言葉が出来たのでしょうね。







旅先で事故や病気になることぐらい、心細いことってないです。







倶知安ではこれだけ多くの外国人が滞在したり訪れたりしているのだから、
事故や急病になられる方も多いのではないかと、
羊蹄山麓消防組合倶知安消防署のデーターを見てみました。



すると、昨年の救急搬送の7,4パーセントは外国人の方でした。



これは倶知安町のみのデーターですから、ニセコエリアとなると、
もっと数字はあがるかもしれません。










救急車では、ほとんどは倶知安厚生病院の救急外来に搬送されます。










救急以外でも、風邪をひいちゃったとか、スキーで転んで捻挫しちゃった、
という外国人が数多く訪れます。







そんなとき、助けてくれるのが、このヒトです!

條々克己さん、神奈川県出身、東京育ち、48歳。










彼は冬期間のみ、倶知安厚生病院で外国人の患者さんの対応をしています。

もちろん、英語ペラペラです。








近年はアジアからの観光客(患者さん)も増えていますが、
ほとんどは英語で対応できると言う事です。









病院のロビーで初めて彼を見た時、
彼のディスクの回りは、外国人で黒山の人だかり状態でした。

あの時の状態を喩えるなら、
成田のツアーディスクか、ANAの国際線出発カウンター、といったところかな。








健康管理士一般指導員のライセンスを持つ彼ですが、

「僕はドクターじゃないし、外国人の患者さんに、
 痛い思いをして帰国させてしまうのが心苦しいこともあるけれど、
 完治して笑って帰国してもらえることが出来たときには、
 良かった、手助けすることが出来て、本当に良かった!って思う」

 ことも多いそうです。








またまた語源の話となりますが……、


ホスピタル(病院)の語源は中世ラテン語のホスピターレであり、
ホテルと同一語源だそうです。







このホスピターレとは「巡礼、参拝者、旅人をもてなす大きな家」であり、
古代ローマ人は旅に出るとここで宿泊し、旅で受けた傷や病を癒して
心身ともにリフレッシュして新たな旅へと出発したそうです。


なるほど、ね。







観光は、倶知安町の基幹産業と位置づけられています。


條々さんのように、
日本人のみならず、
外国のお客さまにも安心して旅を続けてもらえるような役割を担う方は、
ホスピタルなヒトって讃えてあげたい!!!