玉兎堂

羊蹄山とニセコに囲まれた四季折々の生活

第70回 東京白樺会のつどい 

2011-07-25 18:49:23 | イベント









7月24日㈰、第70回 東京白樺会の集いが開催されました。












白樺会とは、倶知安高校の同窓会の名称です。

戦前戦後の混乱期に休止した時期もありましたが、

東京近郊にお住まいの同窓生が、年に一度集って、それが70回目となりました。

今回参加された同窓生は約180名でした。

会場となった東京・スクワール麹町は、超満員!











この記念すべき節目の集いに、特別企画として、

直木賞作家の京極夏彦氏の記念講演がありました。













京極氏は倶知安高校の33回生(昭和56年卒)です。

高校では美術部に所属していました。

倶知安で過ごした3年間の高校生活や、同級生への想い、

妖怪とオカルトとの違い、仏を忘れないための装置、などなど、

多岐に渡ってのお話でした。












実は、わたくしは、お化けだとか、オカルト系のハナシが苦手で、

お化け屋敷には一度だって入った事はありません。

ですから、京極氏の本は、失礼ながら、今まで開いたことがなかったのです。

なんだか、読んだら最後、異界に連れて行かれそうで、怖かったからです…。












でも、京極氏のお話を拝聴し、

わたくしの今までの考えが偏見だったと、恥ずかしくなりました。

そして、「日本妖怪推進協議会」なるものに、

わたくしも加盟したいとさえ思ったほどです。











講演に先立ってご挨拶された京極町の山崎一雄さん(昭和45年卒)は、

「京極先生に、ペンネームの由来をお尋ねしましたら、

京極町とは全然関係ない、とのことでした」と話され、

会場から笑い声が上がりました。













懇親会ではニセコ町長の片山健也さん(昭和46年卒)もご挨拶。













初めて東京白樺会の集いに参加した同窓生の紹介のなかに、

古谷沙理ちゃんと南河さんのご長女、集ちゃんの姿もありました。















来年は、母校の創立90周年です。

今までの2万人の卒業生が誇りに思える母校を、これからも引き継いでいきたいと思いました。









小川原脩記念美術館 友の会 研修旅行

2011-07-11 05:42:28 | イベント








昨日(7/10)の日曜日、小川原脩記念美術館 友の会研修旅行に参加しました。











午前8時に倶知安町を出発。

最初の行き先は市立小樽美術館。

「アンリ・ルソーと素朴な画家たち」は最終日でした。

グランマ・モーゼスの作品も見られて、うれしかったわ。












森ヒロコ・スタシス美術館では、

森ヒロコさんから直接、銅版画制作についてお話を伺いました。

そしてみんなで記念写真。













お楽しみのランチは、小樽ホテルノルドでランチビュッフェ。

地場野菜がふんだんに使われていて、とっても美味しい!。

ビュッフェ会場には、アジアからと思われる観光客の姿もちらほら。













午後からは札幌へ。

本郷新記念札幌彫刻美術館の本館と記念館を愉しみました。

本館ではちょうど、若いアーティストが作品を搬入する場面に立ち会えました。

彼女の目がきらきらとしていて、まるで未来を見ているようでした。













今年も企画を担当したヒロくん、お疲れ様でした。

秋の「ワインの夕べ」も楽しみにしていますね。














仙北屋繁盛記 岩内場所請負人 佐藤仁左衛門伝

2011-07-08 14:04:31 | 本たち









永江勝朗さんは、日々のつれづれを「北の便り」として郵送してくださる友人です。

88歳の永江さんの生活は、とても規則正しくて静かなものですが、

あのように年を重ねてゆきたいものだと思わせてくださる人でもあります。











わたくしに十年連続日記の愉しさを教えてくださったのは、永江さんです。

圧力鍋の愉しさも教えてくださいましたわ。











その永江さんから、ご本が届きました。

『仙北屋繁盛記 岩内場所請負人 佐藤仁左衛門伝』(北海道新聞社)です。

これは、永江さんの父方の祖母の家系を記したものです。

4百ページもの大作です。















永江さんの祖母・佐藤とよは仙北屋3代佐藤仁左衛門家の次女です。

佐藤家は初代佐藤仁左衛門が秋田から青森を経て1787年30歳で松前に移住、

1823年、松前藩から岩内場所の運上屋(請負人)に任ぜられ、

場所経営に当たりましたが、3代仁左衛門に至り、

明治2年、明治政府から任務を解かれています。













多くの資料を読み解き、点と線を繋ぐ作業は、

永江さんにとって大変なものだったと思います。













永江さんのご本は、倶知安町図書室にも寄贈されておりますので、

どうぞ、お読みになってくださいませ。