倶知安町から日本海側の岩内町へと向かう途中に、
共和町があります。
この共和町の前身のひとつに前田村がありました。
維新後、
旧加賀藩主前田家は士族授産のため、
岩内郡リヤムナイ村で起業社の設立準備を開始しました。
今でも路線バスの停留所に「起業社前」ってありますよ。
さて、
前田本家の長男利嗣は十代前半で岩倉使節団に加わり、
英国へ留学。
帰国後、前田家当主となり、起業社に
今の十億円にも相当するお金を出したそうです。
さすが、加賀百万石ですわあ~。
そして入植地には79戸の移住があり、
リヤムナイから分村して前田村となりました。
お殿様の名前を地名にしたのですね。
ちなみに
利嗣さんは今の札幌手稲区にも農場を開き、
「前田」の地名を残しています。
下のお写真のお菓子は「加賀さま」。
金沢の坂尾甘露堂の和菓子です。
加賀藩前田家の紋所、剣梅鉢をかたどった、
直径15㌢くらいの大きな最中です。
切り目にそって最中を割ると、
まずは「抹茶餡」。
次は「つぶ餡」。
そして、「こし餡」。
今は亡き、武内一男さんが生前、
「いたわしくて、食べられません」って
絶賛したお菓子です。
共和町があります。
この共和町の前身のひとつに前田村がありました。
維新後、
旧加賀藩主前田家は士族授産のため、
岩内郡リヤムナイ村で起業社の設立準備を開始しました。
今でも路線バスの停留所に「起業社前」ってありますよ。
さて、
前田本家の長男利嗣は十代前半で岩倉使節団に加わり、
英国へ留学。
帰国後、前田家当主となり、起業社に
今の十億円にも相当するお金を出したそうです。
さすが、加賀百万石ですわあ~。
そして入植地には79戸の移住があり、
リヤムナイから分村して前田村となりました。
お殿様の名前を地名にしたのですね。
ちなみに
利嗣さんは今の札幌手稲区にも農場を開き、
「前田」の地名を残しています。
下のお写真のお菓子は「加賀さま」。
金沢の坂尾甘露堂の和菓子です。
加賀藩前田家の紋所、剣梅鉢をかたどった、
直径15㌢くらいの大きな最中です。
切り目にそって最中を割ると、
まずは「抹茶餡」。
次は「つぶ餡」。
そして、「こし餡」。
今は亡き、武内一男さんが生前、
「いたわしくて、食べられません」って
絶賛したお菓子です。