TAZUKO多鶴子

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『ハレ』と『ケ』と民俗学

2007-05-02 | TAZUKO多鶴子からの伝言
儒者・松岡賢治の六男として生まれた
柳田國男(1875~1962年)
日本民俗学の祖となり
急速な近代化にさらされ省みられなくなった伝統的な生活を
学問の対象に初めてすえた人物である。
島崎藤村等の文学者とも交友があったことでも知られている。
更に、柳田民俗学の出発点である
『遠野物語』はあまりにも有名である。
『遠野物語』は佐々木喜善によって語られた岩手県遠野市
東北地方の民話の伝承を柳田が記録したもので
佐々木喜善は晩年宮沢賢治とも交友があったそうである。
また、『遠野物語』は『日本のグリム』と称され
現代にも大きな影響を与えている。

さて…柳田國男の近代化による民俗の変容を指摘する
一つの論拠としての『ハレ』と『ケ』について
今日はお伝えしたいと思う。
『ハレ』(晴れ)(ハレ=聖)(聖なる時間)
(一般用語では『晴れ舞台』『晴れ着』
…ハレの場に於いては服装、化粧、飲食、振る舞いや
住居までケとは異なる)とは、折り目・節目を指す言葉で
民俗学や文化人類学に於いては『ハレ』と『ケ』は
『ハレ』(晴れ)は儀礼や祭などの『非日常』、
『ケ』(ケ=俗)(俗なる時間)は『日常』を表すのであるが
柳田國男は『ハレ』と『ケ』の区別の曖昧化が進行していることが
近代化による民俗の変容の一つの論拠として指示したのが始まりである。
例えば、
『ハレ』の儀礼時のみに行っていた特別な飲食が日常行われるなど…。
柳田は何世代か前の人々の『ハレ』と『ケ』の区別の仕方と
柳田の同時代の人々のハレとケの区別の仕方を比較し、
そこから未来を読み取ろうとした。
1970年代に入ると、
多分に構造主義の影響を受けて、
民俗学者に於いての新たな論議がハレとケについて巻き起こり、
論者によって新たに『ケガレ』という概念を加味。
『ハレ』と『ケ』と『ケガレ』に対する捉え方が
多様であることが確認された。
『ハレ』と『ケ』と『ケガレ』のモデルには、
日常生活を営む為のケのエネルギーが枯渇するのが『ケガレ』であり、
『ケガレ』は『ハレ』の祭事を通じて
回復すると唱える桜井徳太郎の循環モデル等がある。
しかし
『ハレ』と『ケ』と『ケガレ』の論議の隔たりは
現在も解消されていない。

柳田國男の民俗学理論は
今後の未来の様々なことに於いて
重要な何かを教えているように私は思う。


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1 コメント

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おひさしぶりです。 (佐藤)
2007-05-04 16:25:02
とても興味深いお話でした!
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