TAZUKO多鶴子

ページ内の文章及び作品の著作権はTAZUKO多鶴子が有するものとし、他者がそれらを無断で転載することを固く禁止とします。

日本建築…ハレの空間の床の間

2007-05-01 | TAZUKO多鶴子からの伝言
石の文化といわれる西洋であるのに比べ
日本は木の文化といわれている。
その特徴は
木や土で造られている日本建築をみるとよく分かる。
日本は世界の国の中でも
天災が大変多い国であるが
地震や台風等に耐えられる建築の材料として日本人は木を選んだ。
奈良時代には樹齢2000年をこえる良質のヒノキが建築材料として
都の周辺から手に入れる事ができたようである。
地震や嵐などに耐えられる木組みの工夫が数多くみられるなど
自然環境等に助けられ優れた文化を造っていった。
その後の流れで残念ながら戦火や明治維新の取り壊しにより
現存するものはわずかになってしまった。
また近年の乱伐により
ヒノキが育つには1000年かかる為
文化の再建に必要なヒノキは国内から得られなくなってしまった。
つまり、その他にも様々な理由から、
昔ながらの日本木造建築を復元するには難しい昨今である。

さて、日本の木造建築の特徴は色々とあるが
今回のブログでは『床の間』についてお伝えしたい。
『床の間』は
客間の一角に造られ、
床柱、などで校正される『ハレ』の空間である。
(『ハレ』・『ケ』・『ケガレ』を民俗学に於いて
次回ブログで書き込みする予定ですので是非ご訪問下さい)
掛け軸や活けた花を飾る場所であるが
神棚を祀るものであるのに対し
『床の間』は家屋にまつわる神様が存在する場所として
大切にする風習の日本建築文化であった。
中世の押し板が起源であり
典型的には近世初期の書院造、
数寄屋風書院に於いて完成。
『床の間』のある部屋に於いては
『床の間』を上座とし、その部屋の中心となる。
江戸時代には、
庶民が床の間を造るのは贅沢だとして規制されたが
明治以降になると客間に『床の間』を造るのが一般的になった。
現在では掛け軸をかける習慣が衰え
畳の部屋でも『床の間』を省略することも多い。
旅館では『床の間』が
テレビやセーフティボックスを置くスペースに
成り下がってしまっている。
建築文化の歴史をみても
今の時代がよくわかる。

参考資料
「美の鑑賞」 坪田研一著
「フリー百科事典ウィキペディア」




最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。