TAZUKO多鶴子

ページ内の文章及び作品の著作権はTAZUKO多鶴子が有するものとし、他者がそれらを無断で転載することを固く禁止とします。

お知らせ☆『和志館』まで是非ご訪問お待ちしております。

2024-06-14 | TAZUKO多鶴子からの伝言
和志館では夏のスクールの児童を募集しています!
7月22日(月)〜 8月5日 (月)の11日間
何日でもご参加頂けます。
ご興味がお有りの方は下記アドレスまでご訪問下さい。




和志館アドレス hakugakukann1877

話題の方『菌ちゃん先生』の講演を開催し盛況にて終了致しました!いらして下さった方々ありがとうございましたm(_ _)m

2024-06-09 | TAZUKO多鶴子からの伝言
昨日、和気のサエスタにて
話題の方『菌ちゃん先生』をお招きし
講演を和志館主催で開催させて頂きました。

60名程の方々がご参加下さり盛況にて無事終了致しました。
ご参加下さった方々、本当にありがとうございましたm(_ _)m
また、ご参加者の方々の中で
良き出会いとご縁にも不思議なものを感じた講演となりました。
素敵な時間になったのも
ご参加者の方々のお陰と心より感謝しております。

また、講演内容は新たな沢山の学びがあり最高に素晴らしかったです。
このような機会を下さった菌ちゃん先生と
ご紹介下さった大森様に心から御礼申し上げます。




尚、ご参加者の中で水筒をお忘れになった方がいらっしゃいます。
サエスタの受付にお預けさせて頂いておりますので
宜しくお願い致します。

良き時代を願う方々との出会いを、
今後とも大切にしていきたいと思っております。
次回、また機会がありましたら宜しくお願い申し上げます。

和志館は人々との繋がりを大切にしておりますので
ご興味の方はいつでもご連絡下さい。

今回、いらして下さった方々
本当にありがとうございました。




菌ちゃん先生が野菜づくりの講演をして下さいます‼️是非お申し込み下さい(⁠^⁠^⁠)

2024-04-30 | TAZUKO多鶴子からの伝言
岡山県和気6月8日(土)

13:30受付 14:00~16:30 菌ちゃん野菜づくり講演会&実演

会場:サエスタ(岡山県和気郡和気町父井原430-1)大会議室

主催者:和志館(やまとしかん)

参加費 1500円(当日、現金のみ)

申込:菌ちゃん先生講演会申込、
氏名、電話番号を書いて、
yamatoshikan@gmail.com にメール
問合せも上記へメール

kinchan.ocnk.net/page/3?s=09






石橋画廊の絵画展示や演劇練習等を行う最高の教育施設『やまと志館』が赤磐市町苅田に誕生しました!!

2024-04-29 | TAZUKO多鶴子からの伝言

住所;岡山県赤磐市町苅田734
TEL;086―284―3688【石橋画廊:兼】




TAZUKO多鶴子が絡む『劇団やまと志館』では劇団員を募集しています‼️

2024-04-29 | TAZUKO多鶴子からの伝言
劇団やまと志館では
今、劇団員を募集しています。
TAZUKO多鶴子は昔から
演劇の舞台美術もやってみたかったんですね‼️
日本しかない劇団を目指し
少しでも興味のある方は
年齢関わらず是非ご連絡下さいね‼️


石橋画廊の創設者の叔母です ! 激しいパワーがある知的な人でした。叔母から様々なことを学びました。

2024-04-24 | TAZUKO多鶴子からの伝言
【石橋画廊創設者:石橋敬子】

画学生の頃からの友人、売れっ子のプロの絵描きになって、今回も北海道から石橋画廊に油彩画を送ってくれました‼️

2024-04-22 | TAZUKO多鶴子からの伝言


齊藤博之:作


題名:【栗】油彩画
サイズ:SM号
制作:2024年
☆スーパーリアリズム


☆画学生の頃からの親友が画家で活躍しています☆


本日、『額』に入れて
赤磐市町苅田の『やまと志館』に展示しました‼️
是非お近くにお寄りの時はいらして下さいね‼️




ディリースポーツに石橋画廊が掲載されました‼️

2024-03-22 | TAZUKO多鶴子からの伝言


「エドワード・S・モース』と『縄文時代』2008年2 月 3 日のブログを再度ご紹介

2024-02-19 | TAZUKO多鶴子からの伝言
   



『エドワード・S・モース』と『縄文時代』
2008-02-03 | TAZUKO多鶴子からの伝言
『地球温暖化』で様々な論議をされているが
宇宙と地球の視点から考えると『地球温暖化』は近年に限った事で無いのは、
度々メディア等で公開されていることである。
といっても…産業革命から近代化に於ける人間が行った
拍車をかける温暖化は逃げる事の出来ない事実であろうが…。
日本の歴史を考えると『縄文時代』を無くしては語れない。
この『縄文時代』にも『地球温暖化』があったといわれる。
しかし日本人は
その生態系の変化に
上手くそれに合わせて生活形態を変化させていることが今は分かっている。
宗教観も既にあり『プレ・アニミズム』ともいわれている。
今目の前にある数々の問題ある現実から
今後どのように生きて行くのか…きっと日本人はそれに合わせて
新たな道を見付けることが出来るのではないかと思う。
それは願いでもあり私の希望でもある。
そう思うのは…私が日本人だからかも知れないが…。
今日はその視点で
『縄文』という名の由来の『エドワード・S・モース』と『縄文時代』を抜粋しご紹介します。


「縄文」という名称は、エドワード・S・モース(Edward S.Morse 1838-1925)が1877年(明治10)大森貝塚から発掘した土器を Cord Marked Pottery と報告したことに由来する。この用語は谷田部良吉により「索紋土器」(さくもんどき)と訳されたが、後に白井光太郎が「縄紋土器」と改めた。そして、「縄文土器」へと続いてきた。「縄文時代」に落ち着くのは戦後のことである。
< エドワード・S・モース>
エドワード・シルベスター・モース(Edward Sylvester Morse,1838年6月18日 - 1925年12月20日、モールスと表記されることもある)は、明治初期の東京大学で生物学を講じたお雇い外国人である。大森貝塚(東京都品川区・大田区)を発見したことで知られる。
アメリカ合衆国・メイン州ポートランドの生まれ。ハーヴァード大学ではルイ・アガシーに師事し動物学を学んだ。貝類の研究が専門であった。腕足類の研究のため来日した際、1877年~1880年にかけて東京大学で生物学を教える。ダーウィンの進化論を初めて日本に紹介したのが彼である。日本における科学的な考古学研究の第一歩を記した。
1877年(明治10)6月来日し、横浜から東京に向かう汽車の窓から貝殻が積み重なっているのを見て貝塚であることに気付いた。それが大森貝塚(東京都品川区大井六丁目)の発見であった。同年10月に東京大学の学生等とともにこの貝塚を発掘した。その発掘の成果は、1879年に“Shell Mounds of Omori”の書名で刊行された。その書の中で、日本列島において石器時代が存在したことを立証するとともに、貝塚から出土した土器に縄目文様が付いていることに注目し、“cord marked pottery”と呼んだことから縄文土器の名称が付けられるようになった。
日本の陶磁器や民具に関心を抱き、1882年には収集のため再来日をしている。ボストン市に持ち帰ったものが「モースコレクション」として、当時の生活を知る貴重な資料になっている。(ボストン美術館に陶磁器、セイラム市のピーボディ博物館(現・ピーボディ・エセックス博物館)に民具が収蔵されている。)
晩年、関東大震災で東大図書館の蔵書が全焼したことを知ると、1万冊を超える蔵書を寄贈した。

日本の歴史
<縄文時代(じょうもんじだい)>
*気候と自然環境*
この時代を通じて温暖な気候が続いていたと考えられる。
北海道を除いて列島の大部分が落葉広葉樹林と照葉樹林で覆われた。このように、温暖化による植生の変化は、大型ほ乳動物(マンモスやトナカイ、ナウマンゾウやオオツノシカ)の生息環境に適せず、日本列島からほぼ全滅してしまう。
海面の高さは、現在より2~3メートル高く、日本列島の周りには平地が余り見られなかった。
*旧石器から縄文へ*
寒冷な気候の再来したヤンガードリアス期までが、ほぼ草創期に相当し、すぐに温暖化に向かい、早期を迎えることになる。(→晩氷期)
この期の特徴の一つは、「有舌尖頭器」(有茎尖頭器)といった、新しい道具が短期間に数多く出現したが、短期間のうちに消滅したことである。また、この期の前半は、遺跡によって出土する石器群の種類が違っている。それらのことは、急激な気候の変化に伴う厳しい環境の変化に、列島の旧石器人が対応し、適応していったことの証拠である。
急激な環境の変化に伴って、森林も落葉広葉樹と照葉樹へと遷ってゆき、動物相も変化した。(→シカやイノシシ)温暖化は、また、海水面を上昇させ、海が陸地に進入してきて、各地の沿岸に遠浅の砂泥質の入り江が作り出された。(→海進)このような環境が、貝類の棲息、魚類の産卵・餌場の格好の場所となった。(→貝塚)
このような環境に対応した道具を開発し、技術を確立した草創期こそ、旧石器時代から縄文時代への移行期であり、縄文文化を成立させるための準備期間であったと考えられている。この期の遺跡から、竪穴住居跡や新しく生活用具として開発された植物質食料の製粉具の石皿と磨石(すりいし)が発見されている。旧石器時代の採集・狩猟を中心とした活動から植物採集~狩猟・漁労活動へと飛躍的に生活を発展させた時期でもあった。

年代でいうと今から約1万6千5百年前から約1万年前、地質年代では更新世末期から完新世にかけて日本列島で発展した時代であり、世界史では中石器時代ないし新石器時代に相当する時代である。旧石器時代と縄文時代の違いは、土器の出現や竪穴住居の普及、貝塚の形式などがあげられる。
沖縄では貝塚時代前期に区分される。地域によって生業戦略は異なるものの、豊かな自然環境の恩恵に最適化しつつ、植物質の食料戦略を成功させ、狩猟採集を基調とした社会でありながら、造形的で多様性と象徴性に富んだ土器文化を発達させた。遺跡数や土器型式の多様性からみて、縄文文化は東日本の方で、より繁栄していた傾向がある。これは森林の生産性とも関係すると考えられる。
*縄文人のくらし*
遺物としては煮沸器具である縄文土器が、住居は竪穴式住居が多くみつかっており、集落を構成していた。縄文時代を代表する狩猟具は、弓矢である。矢の先端には、石の鏃として石鏃が使われた。弓・弦・矢柄とも植物が使われている。縄文人は盛んに弓矢を使って狩猟活動をしていた。
また、石器の産地の考察から、縄文時代にも海洋を越える交易があったことも分かってきている。また、死者を埋葬した跡があることから、縄文の人々には初期の宗教観があったことも確認されている。
従来の歴史書では縄文時代は、人々は主に植物採取・狩猟や漁撈をして、少人数の集団が移動をしながら暮らしていた素朴な時代と考えられていたが、近年の考古学上の発見により、縄文時代観が大幅に塗り替えられつつある。
例えば、1992年から発掘が始まった青森県青森市の三内丸山遺跡の調査により、長期間にわたって定住生活をしていたことや、クリ、ヒョウタン、ゴボウ、マメなどを栽培していたことがわかっている。三内丸山遺跡を象徴する巨大木造建築物も発見された。
*環状石籬(かんじょうせきり)*
縄文時代の大型遺構の一つに配石遺構がある。ヨーロッパのストーン・サークルに因んで環状石籬と命名された。共同墓地で、共同祭祀が行われた。北海道から中国・四国地方まで分布し、発見例が増えてきている。ここでも、既述の石器づくりや土器づくりで考えたように、集落をこえる村落規模の社会が出来上がっていたのではないかと考えられている。
*稲作のはじまり*
現在ではプラント・オパールの研究により、縄文時代後期から晩期にかけては熱帯ジャポニカの焼畑稲作が行われていたことが判明している。
イネの品種には、ジャポニカ(日本型)・ジャバニカ(ジャワ型)とインディカ(インド型)があり、ジャポニカは更に、温帯ジャポニカと熱帯ジャポニカに分かれる。
温帯ジャポニカは、中国の長江北側から、日本列島というごく限られた地域に水稲農耕と密接に結びついて分布している。弥生時代以降の水稲も温帯ジャポニカであるという。
熱帯ジャポニカは、インディカの分布と重なりながら、更に広い範囲に分布し、陸稲と密接に結びついているのが特徴であるという。
列島へは、まず、熱帯ジャポニカが南西諸島を通って列島に伝播したという。温帯ジャポニカによる水稲農耕の始まりも近年の稲DNAに基づく研究では、DNAの多様性が半島の方が少ないことから南方経由の可能性が高いとされる。

参考資料: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

子供らを守る農業政策について「東大教授:鈴木宣弘」

2024-01-31 | TAZUKO多鶴子からの伝言
【提言2024】子ら守る農業施策を 東京大学大学院教授 鈴木宣弘氏2024年1月30日





2023年、世界は地球沸騰化の時代に突入、地上ではロシアのウクライナ侵攻が続き、さらに中東情勢も深刻化、混迷と対立が深まるなかで2024年を迎えた。本紙新年号は「踏み出せ! 持続可能な社会へ」をテーマに、世界情勢と日本の未来を見越して、農政をはじめとした政治、政策、そして農業協同組合への提言を幅広く識者に発信してもらう。
東京大学大学院農学生命科学研究科教授 鈴木宣弘氏
命や環境を顧みないグローバル企業の目先の自己利益追求が世界の食料・農業危機につながったが、その解決策として提示されているのが、コオロギや人工肉・培養肉、無人農場などというのでは、環境への配慮を隠れみのに、さらに命や環境をむしばんで、次の企業利益追求に邁進しているのではないか。これで子どもたちの未来は守れるのか。
農家の平均年齢が68.4歳で、コスト高でさらに廃業が加速する中、こんなことを続けたら、多くの農漁村地域が原野に戻り、地域社会と文化も消え、食の安全性もさらに失われ、食料自給率もさらに低下し、輸入が途絶えたら、超過密化した東京などの拠点都市で、疫病がまん延し、餓死者が出るような歪(いびつ)な国になる。
農業問題は農家の問題を超えて、国民自身の命の問題なのだ。少々コストが高くても、国内で頑張っている農家を支えることこそが、子どもたちの命を守る一番の安全保障なのだ。
まず、買いたたきビジネスをやめよう。米1俵の生産費が1.5 万円なのに、米価は1.2万円前後。流通・小売業界は買いたたいて一時的に儲かっても農家が激減したらビジネスができなくなる。消費者は安ければいいと思っていたら食べるものなくなる。
学校給食の地元産や近隣産地の農産物の自治体による公共調達の仕組みが広がりつつあるのは希望だ。有機米2.4万円とかで自治体が買い取ってくれるので、農家にとって安定した出口と価格が提供され、しかも、子どもたちの健康を守るやりがいがある。給食を一つの核にして、生産者と消費者の一体化による地域循環的な自給圏が各地に構築にされ、拡大することに期待したい。
一方、国も早く動かねば現場がもたない。農家に必要な額と売り値との差は、米で1俵3,000円、酪農でキロ10円。国が補填したら米で3500億円、酪農で750億円かかる。財政当局に一蹴されて終わりではいけない。武器を買うのに何十兆円もかけるなら、命を守る食料にまず予算を確保することこそが安全保障の一丁目一番地ではないか。

新渡戸稲造の名言

2024-01-29 | TAZUKO多鶴子からの伝言
新渡戸稲造の名言

「 武士道精神は

  損得勘定をとらない、

  むしろ足らざることを誇りにする 」

赤磐市の唐揚げ屋さんで張り紙掲示してありました‼️これは今や世界の常識!日本人だけが知りません!

2024-01-29 | TAZUKO多鶴子からの伝言




令和6年 初詣『最上稲荷』『吉備津神社』『吉備津彦神社』に参拝しました🙏

2024-01-05 | TAZUKO多鶴子からの伝言





2024年美術年鑑に洋画家枠『TAZUKO 多鶴子』&全国画廊枠『石橋画廊』が掲載されました!

2024-01-02 | 出版





今年は門松を飾りました。門松から神様が降りてくると昔から伝えられています!

2024-01-02 | TAZUKO多鶴子からの伝言