海外に出品する為の制作の油彩画の下地が
やっと微妙に乾いたので
今日は油彩画を制作することができました!
しかし毎回
描く前は本当に辛くて…辛くて…。
やっと精神的な整理がついて
キャンバスの前に座っているような状態なのですね。
描き始めると絵の中に引き込まれるような感じで…。
そのときは描く前の辛さは吹っ飛んでいるのですが
今度は制作中の心の葛藤が
何度も繰り返し襲ってきます。
ですから
描いていて楽しいことなど何も無いのが正直なところです。
しかし、描かない日が続くとそれ以上に苦しくなり
描く時間がたっぷり欲しいと願う毎日。
作家なんて因果な仕事ですね!
でも
完成した時は制作から開放され最高な気分♪
とにかく本日も制作に没頭した1日になりました。
自分に負けないようTAZUKO多鶴子は一生懸命頑張っています。
皆様も自分に負けないよう頑張って下さいね(^ ^)
スペイン軍に斬首されたインカ帝国の皇帝『トゥパク・アマル』。
トゥパク・アマルの末裔と自称する『ホセ・ガブリエル・コンドルカンキ』。
その皇帝が民を守る為にコンドルになって今も飛んでいる。
芸術を感じる上で文化とは何かを知ることは不可欠です。
インカ帝国はそれ故に私の魂を惹きつけます。
今日も『コンドルは飛んで行く』を聞く為にネットサーフィンしました。
そして
何とも言えない感動で時間が過ぎていきました。
先日制作中の油絵の下地がまだ乾いていないので
制作することが出来ず
今日はその為の再学習の一日になりました。
<ホセ・ガブリエル・コンドルカンキ>
(Jos? Gabriel Condorcanqui Noguera、
1742年3月19日 - 1781年5月18日、またの名をトゥパク・アマル2世)
「農民よ、地主は二度とあなたの貧しさを食いものにはしない」
ホセ・ガブリエル・コンドルカンキ(Jos? Gabriel Condorcanqui Noguera、
1742年3月19日 - 1781年5月18日、またの名をトゥパク・アマル2世)
植民地時代ペルーにおける反乱事件の指導者の言葉である。
インカ帝国最後の皇帝トゥパク・アマルの末裔と自称し、
植民地支配に対する反感を次第に募らせていった。
多くの先住民を苦しめてきた鉱山や織物工場の強制労働の廃止を主張して
各地の先住民を糾合したため、
この反乱はたちどころにアンデス地域全体を揺るがす
巨大な反乱へと発展した。
しかしティンタ郡の北サンガララーにて、
追撃してきたスペイン軍と交戦して壊滅し、
コンドルカンキはスペイン軍に捕らえられ1781年5月18日、
クスコにて馬に引かれて八つ裂きにされる刑で処刑された。
コンドルカンキの反乱は、5ヶ月で鎮圧されたが、
この反乱によってスペイン植民地政府の威信は大きく揺らぎ独立に至。
コンドルカンキの反乱は敗れたとはいえ
南米各国の独立に果たした役割は、決して小さくはない。
今日は久々の休日で
今年秋頃に海外に出品する
絵の下地の制作に少しだけ取りかかることができました。
休憩時間に
ネットで『コンドルは飛んで行く』を久々に聞いて
感動の涙を流す時間になりました。
この曲を聞く度に
インカ帝国最後の皇帝『トォパク・アマル』の
死を目前にしたものとは思えない立派な態度が目の前に浮かびます。
死しても
決して自己の文化や言語を失う道を選ばなかった
最後の皇帝『トォパク・アマル』そして『ホセ・ガブリエル・コンドルカンキ(トゥパク・アマルの末裔と自称)』。
『インカ帝国』の皇帝の魂がコンドルに乗って
アンデスの空を旋回しながら今も人々を見守り続けていると…。
そして、その『コンドル』は今「絶滅危惧種」に指定されてます。
しかし、たとえインカ帝国は滅びても
今も土や水や太陽の中に文化は生き続けているのだと思うのです。
日本もそれは同じだと。
文化は土や水や太陽の中にあり
日本人の人々の身体の中に決して失うことはないのではないでしょうか。
グローバルな時代になるからこそ
益々それが目覚めることになるのではないかと…。
いえ
そうあって欲しいとTAZUKO多鶴子は願っているのかもしれません。
… 以前のブログから …
<『インカ帝国』最後の皇帝 >
『インカ帝国』最後の皇帝『トォパク・アマル』は即位から1年あまりのちの1572年4月にはスペイン軍の来襲によってビルカバンバ山中の新インカ帝国は滅亡した。トゥパク・アマルは捕らえられて、激しい拷問ののち、同年9月24日にクスコで斬首された。
処刑の時、トゥパク・アマルが処刑台に登り、刑執行人が刀を取り出したとき、先住民の全群衆が悲しみの叫び声を挙げて涙を流した。この様子に、トゥパク・アマルは右手をさっと挙げて人びとを静まらせた。その毅然とした態度に、群衆は一瞬で静まりかえった。それを見ると、トゥパク・アマルは死を目前にしたものとは思えない立派な態度で群衆に対してケチュア語で話し始めたと伝えられている。
<コンドルは飛んで行く>
Oh majestuoso Cóndor de los Andes,
llévame, a mi hogar, en los Andes,
Oh Cóndor.
Quiero volver a mi tierra querida y vivir
con mis hermanos Incas, que es lo que más añoro
oh Cóndor.
En el Cusco, en la plaza principal,
espérame
para que a Machu Picchu y Huayna Picchu
vayamos a pasear.
ああ雄大なアンデスのコンドル、
連れて行っておくれ、私の家へ、アンデスの、
ああコンドルよ
私の最愛の土地へ戻りたい、
インカの兄弟と共に生きたい、この郷愁よ
ああコンドルよ
クスコの大広場に、
マチュピチュとウアイナピチュを待って、
さあ出掛けよ