TAZUKO多鶴子

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絶賛された日本…外国人が驚愕し感動した!…

2012-08-25 | TAZUKO多鶴子からの伝言
 
 昨日、仕事の関係で図書館に行ってきました。
 その中で様々な本の中から
 素敵な本を見つけました。
 その文章を抜粋して
 今日は書き込みたいと思います。
 下記をご覧下さい。

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 日本が鎖国という長い眠りから覚めた幕末
 多くの外国人が極東の未知の小さな島国にやってきた。
 そこで彼らを待ち受けていたのは
 母国とはまったく違った文化と風景
 人びとの暮らしだった。
 書簡に、手紙に、スケッチ画に貧欲に記された事実。
 そこには驚愕と共に
 大いなる賛美と感動があふれていたのだ。

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 善良 洗練 親切 和やか…
 絶賛された日本

 外国人が目にした日本人は貧しいながら生き生きと暮らし
 家族が子どもを可愛がり
 庶民は大らかに笑っていた。
 緑と美しい花々
 手入れされた畑のある風景は彼らを魅了した。
 軍人から旅行家、学者まであらゆる外国人が
 賛美した美しい国の魅力を今一度、ひも解いてみよう。

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 嘉永6年にペリー率いる黒船が来航し
 長い鎖国時代が終わりを告げると同時に
 欧米諸国は次々に日本と国交を求めて詰めかけてきた。
 …
 米、英、露、蘭、仏との貿易を許可すると
 諸国の外国人がどっと来日するようになった。
 そうした人びとは江戸にもやってきたわけだが、
 その誰もが驚愕したのが
 壮大な武家屋敷が連なる町並みと
 庶民の活気あふれる暮らしぶりだった。
 「タイクン(大君。将軍のこと)の居城」である江戸城と
 富士を望む大パノラマの下に広がる江戸の町。
 …

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 「素晴らしい評判を山ほど聞いていたので、
  私は江戸に行きたくてうずうずしていた」
 と記録に残しているのは
 幕末期の慶応元年に来日したハインリッヒ・シュリーマンだ。
 彼は後にトロイ遺跡を発掘した有名なドイツ人考古学者で、
 諸外国を旅している実業家でもあった。
 当時の欧米人たちに評判の日本。
 その象徴こそ江戸・日本橋とその活気だったのだ。

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 日本人が当たり前に持っていた
 慈愛の精神

 動物も社会の共存者という
 動物への愛情

 日本を訪れた外国人が往来で
 驚いたのが犬の存在だ。
 ドイツ人のシュリーマンは旅してきた諸国で
 粗暴な野犬に吠えたてられ
 追いかけまわされた体験があったが
 「日本の犬はとてもおとなしくて。
  吠えもせず道の真ん中に寝そべっている。
  われわれが近づいても、
  相変わらずそのままでいるので、
  犬を踏みつぶさないように
  いつもよけて通らなければならない」
 とその違いに驚いた。
 …
 
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 「18世紀、19世紀の庶民に
  生まれるならば
  私は日本に生まれたかった」と
 記したのはアメリカ人の社会学者
 スーザン・ハンレーだ。
 科学技術や物質的な
 豊かさは劣っていても、
 当時の日本には人間性豊かな
 庶民が生き生きと
 暮らしていたのだ。


    …… 『江戸明治 遠き日の面影』より ……


<参考資料>『江戸明治 遠き日の面影』
       発行所:(株)双葉社
       発行人:赤坂了生


『三島由紀夫』の名言から学ぶ

2012-08-24 | TAZUKO多鶴子からの伝言


  日本の近代文化人の

  肉体鍛錬の不足と

  病気と薬品のみを通じて

  肉体に関心を持つ傾向は

  日本文学を痩せさせ
 
  その題材と視野を限定した。

  私は

  明治以来のいわゆる純文学に

  剣道の場面が一つもあらわれないことを

  奇異に感じる。

  いかに多くの蒼ざめた

  不健全な肉体の登場人物が

  あたかも餓鬼草子のように

  近代文学に跋扈していることであろう。



        …… 三島由紀夫 ……



 * < 跋扈>
  わがもの顔に振る舞うこと。勝手気ままに振る舞うこと。のさばりはびこること。