TAZUKO多鶴子

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昨日は悲しい日でした…

2008-02-29 | TAZUKO多鶴子からの伝言
プライベートな事なので、
書き込むかどうかかなり迷ったのですが…。
思い切って供養の為に書きこむことにしました。
昨日は悲しい日になりました。
私とあまり年の差のない二番目の兄が…昨日亡くなりました。
度胸が坐った強い心、愚痴一つこぼさない、勇ましい兄。
学生の頃は私と違って、成績優秀で
全校でも生徒の中で憧れられる存在であった自慢の兄が…昨日亡くなりました。
大企業で馬車馬のように一生懸命働き、
転勤族で、単身赴任も経験し…その見返りも無く…疲れ果てるまで働いた兄…。
辛い事も多かっただろうけど、
両親に全く甘える事も無く、自分の家族を自分だけの手で守りきった兄…。
そんな誇れる兄がもうこの世にはいません。
若すぎる死でした。
兄の残したものは、どんな豪華な宝石や金貨などよりも…計り知れない…
広く…深く…尊く…言葉に容易く出すことなど到底出来ないものを、
残された遺族に残してくれました。
昔、心ある医者がいっていました。
「医者の職業は多くの人の死様をみる。
 その方の亡くなり方を見ると…その遺族を見ると、
 その人がどんな生き方をして来たかわかるものだ。
 感動的な死は、見事な生き方をした素晴らしい人だ…
 …その姿は遺族の姿で観えるものだ。」
この言葉を思い出します。
まさに、兄の姿と遺族の姿でした。

だからこそ…昨日…連絡が入ってから…私も…涙…涙…でした。

紀伊國屋『高松店』でパステルオーダーコーナーが出来ますよ(^ ^)

2008-02-28 | お知らせ
いつも大変お世話になっている
紀伊國屋書店『高松店』の坂谷店長から、
先日嬉しいご連絡がありました。
高松店で『TAZUKO多鶴子パステル画』のコーナーが
店頭に出来るというお話しです。
予定では『TAZUKO多鶴子ネット画廊』の公開ページの展示や
その中で公開されている『パステル画』の作品から、
まだ売却されていない作品『猫』のパステル画等が展示予定です。
近い将来そのコーナーが完成しましたら、
『TAZUKO多鶴子ネット画廊』とブログにて皆様にお知らせ致します。
是非、引き続き
TAZUKO多鶴子ブログまで皆様のご訪問を心よりお待ちしております。

『死の格言』で真意が観える!

2008-02-27 | TAZUKO多鶴子からの伝言
今日は有名な『死の格言』の中から、
TAZUKO多鶴子が感じる見事なものを抜粋してご紹介します。
歴史に残る人々の『死』の言葉を観ていると、
そのものの生き様や真意が読めます。
是非!下記をご覧戴きたいと思います。



『死は存在しない。生きる世界が変わるだけだ。』
  <ネイティブ・アメリカン・ドゥワミッシュ族の格言>

ネイティブ・アメリカン(Native American)
アメリカ合衆国の先住民族の総称である。近年、アメリカ州の先住民族の一部である「インディアン」の呼称について、差別を助長するという理由からネイティブ・アメリカンと呼び替える動きが進んでいる。しかし、この単語は、インディアンのみならず、アラスカ先住民やハワイイ先住民など、アメリカ国内の先住民すべてを指す意味があり、又、アメリカで生まれ育った移民の子孫(コーカソイド・ネグロイド・アジア系民族など)をも意味するのではないかという議論もある。
一方、「インディアン」と呼ばれる事に誇りをもつ先住民はこれを自称し、その名称を替える事自体がごまかしであり、差別的であるとする見解もある。「アフロ・アメリカン」や「ユーロ・アメリカン」などと同列に「ネイティブ・アメリカン」を並べられると、彼らは人口比で極少数民族に転落してしまう。さらに「北米先住民」としてのオリジナリティーが、政治的にごまかされる恐れがあるとする意見も彼らの間では根強い。




『賢者は、生きられるだけ生きるのではなく、生きなければいけないだけ生きる。』
                         <モンテーニュの格言>
モンテーニュ
ミシェル・エケム・ド・モンテーニュ(Michel Eyquem de Montaigne [mi??l ek?m d? m??t??], 1533年2月28日 - 1592年9月13日)は16世紀ルネサンス期のフランスを代表する哲学者。現実の人間を洞察し人間の生き方を探求して綴り続けた主著『エセー』は、フランスのみならず、各国に影響を与えた。




『死すべき時を知らざる人は、生くべき時を知らず』
             <ラスキンの格言>

ジョン・ラスキン(John Ruskin 1819年2月8日 - 1900年1月20日)は19世紀イギリスの評論家・美術評論家である。ターナーやラファエル前派と交友を持ち、『近代画家論』を著した。また、中世のゴシック美術を賛美する『建築の七燈』『ヴェニスの石』などを執筆。



参考資料:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

物理学者『アインシュタイン』の言葉…思想を支える本質!

2008-02-26 | TAZUKO多鶴子からの伝言
 <ドイツ出身の理論物理学者 『アインシュタイン』の言葉>


    『  宗教のない科学は不完全であり、

           科学のない宗教は盲目である。  』
            


*アルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein、1879年3月14日 - 1955年4月18日)*
ノーベル賞物理学賞受賞者…他詳細は先日のブログでもご紹介しました。

現在の物理学はアインシュタイン個人の思想と相反する考えがある。
しかし、TAZUKO多鶴子は
アインシュタインの思想を支えた『本質』そのものが正しいと確信する。
それは思想そのものではなく…その『本質』が正しいと…。
そしてその『本質』は
現代の混迷した世界を変え救うものと感じる。

            
     

『インカ帝国』…NO.5

2008-02-24 | TAZUKO多鶴子からの伝言
インカ帝国の失われた都市、
驚異の空中楼閣『マチュ・ピチュ』。
南米・アンデス山脈を望む山の頂に
インカ帝国が築き上げた『老いた峰』という意味を含む都市…。
標高2400メートルの断崖絶壁の上にあり麓からは全く見ることができず、
その姿は忽然とあらわれ、
幻想的で、まるで神秘の都市のようである。
16世紀にインカ帝国を征服したスペイン人さえも
気付かなかった『マチュ・ピチュ』。
『マチュ・ピチュ』は極めて特殊な立地にある為、
征服したスペイン人だけでなく
20世紀に入るまでその存在は世界に知られていなかった。
20世紀考古学界の最大の発見とされ、
1911年、
アメリカ人歴史家
ハイラムビンガムによって初めて世界に知られるようになった。
しかし、長年この都市が何であるか謎とされていた。
インカ帝国は文字を持たなかった為、
文献資料がないこともあり、決めてを欠いていたのである。
しかし近年、人骨や出土品や住居跡調査、スペイン人の古文書から
15世紀、第9代インカ皇帝が築き上げた
王直轄の都市であることが分かった。
身分の異なる500人以上の貴族や技術者などの人々が平和に過ごし、
段々畑の農作業生活や金属加工を造りながら生活していたことが分かったのである。
現在はその姿が、
『マチュ・ピチュ』付近の農村で暮らすアンデスの人々と重なっている。

アンデスの人々は
今も自然に畏敬の念を感じ、
太陽や大地の自然、
そして『コンドル』に感謝をする日々をおくっています。
貨幣が無かった『インカ帝国』が
どれほど無作為で純粋で幻想的で、
尚かつ優れていた崇高な生活をしていたか…
TAZUKO多鶴子は感動するばかりです。
インカ帝国が残した言語、ケチュア語『コンドル』。
『コンドル』は今
『絶滅危惧種』に指定されています。
世界的有名な音色
『コンドルは飛んでいく』
インカ文明の人々が独立のため蜂起したことがこの歌の始まりとも伝承されています。
自然崇拝の『インカ帝国』。
太陽を神とし太陽の子といわれる『インカ帝国』。
『インカ帝国』が神の遣いとして畏怖を感じていた霊鳥『コンドル』。
インカ帝国の皇帝の魂が『コンドル』に乗って
アンデスの空を旋回しながら
今も人々を見守り続けてていると…。

文字を残し、
数字で全てを表す現代社会。
作為のある文字ばかりで
作為のある数字ばかりで
作為のある芸術ばかりで
現代人は、
無作為なもの…自然なものを捨て去ることが
進化であり進歩であると考え…
優れた時代と自画自賛しプライドを持つ現代…
頭だけで考える近代社会…。
幸せとは…いったい何なのでしょうか?
無作為であることが、どれ程幸せで尊いか…
TAZUKO多鶴子は痛い程…今深く感じています。
いつの日か
南米に行って…その空気を吸い…肌で観じ…もっともっと多くを学びたい!
TAZUKO多鶴子は今、強くそれを願っています!


<マチュ・ピチュ(Machu Picchu>
現地語では「老いた峰」の意味で、よく保存されたインカの遺跡である。ペルーのウルバンバ谷 (Urubamba valley) に沿う高い山の尾根(標高約6,750ft、2,057m)に位置し、山裾からはその存在を確認できない。しばしば《インカの失われた都市》あるいは《空中の楼閣》と呼ばれる。この遺跡には3mずつ上がる段々畑が40段あり、3,000段の階段でつながっている。遺跡の面積は約13Km2で、石の建物の総数は約200戸が数えられる。マチュ・ピチュに関する多くの謎が未だに解明されていない。
熱帯山岳樹林帯の中央にあり、植物は多様性に富んでいる。行政上クスコと同じ地域に属している。現在ペルー国内では10ヶ所あるユネスコの世界遺産のうちでは最初にクスコと同時(1983年)に指定された。

参考資料: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』