東日本大震災3.11から明日で早2年の月日が過ぎます。
今も震災で苦しんでいる人びと。
そんな中
震災復興で再び注目されているのが『後藤新平』。
そしてその、後藤新平の言葉で
「自治三訣」という素晴らしい名言があります。
その『後藤新平』の名言を志に
これからも生きていく事ができたら…
そのように考える昨今です。
また、その名言から、私の母の見事な死に様を感じます。
人は、死ぬ時はじめてその人の素晴らしさを感じ
人は、その場を去る時
その人の本質を観ることが出来ると、私は感じます。
卑しい人間になりたくない。
そして私は母のように
潔い人になりたいと
今も昔も痛感している作家です。
今日はその、後藤新平の『自治三訣』を書き込みます。
<自治三訣>
『 人のお世話にならぬよう
人のお世話をするように
そして
報いを求めぬよう 』
…… 後藤新平 ……
※大正11年,少年団日本連盟(ボーイスカウト)初代総裁となった後藤新平は,自治こそは人間生活の根本であり,『信』と『愛』の『奉仕』こそは社会生活の源泉であるとして,「自治三訣」を訓えた。
<後藤 新平(ごとう しんぺい)>
安政4年6月4日(1857年7月24日) - 昭和4年(1929年)4月13日)は明治・大正・昭和初期の医師・官僚・政治家である。位階は正二位。勲等は勲一等。爵位は伯爵。
台湾総督府民政長官。満鉄初代総裁。逓信大臣、内務大臣、外務大臣。東京市第7代市長、ボーイスカウト日本連盟初代総長。東京放送局(のちの日本放送協会)初代総裁。拓殖大学第3代学長を歴任した。
計画の規模の大きさから「大風呂敷」とあだ名された、日本の植民地経営者であり、都市計画家である。台湾総督府民政長官、満鉄総裁を歴任し、日本の大陸進出を支え、鉄道院総裁として国内の鉄道を整備した。関東大震災後に内務大臣兼帝都復興院総裁として東京の帝都復興計画を立案した(都市計画の項も参照推奨)。
参考資料:ウィキペディア