雑感録

経済学は自然科学ではない

「ことば」というのはちょっと違うかもしれないけど、内田樹のブログにあった、下村治という大蔵官僚出身の経済学者が書いた本(文庫版)の解説で水木楊という人が書いたことらしい。
分からんことを「分からん」と言ってしまってはおしまいなんだけど、
感覚的にイメージできないことを分かれというのはやはり無理な話。
自然科学は理解できなくてもイメージはできるが、経済はイメージもできない。
(この言葉は、自然科学のように自然の法則に照らし合わせるのではなく、人の心理・行動を考えれば経済の動きは予測できるということで使われていたみたいだけど)

たぶん資本主義は、その始まりはともかく、世界中の人たちが幸せになるために作られた仕組みじゃなくて、儲ける人がもっと儲けるために作ったんだろう。
TPPってのがまた分からんのだけど、たぶん前は儲けてたのに今はかつてのように儲けられなくなった国が、「なんでお前らばっかり儲けてんだ。オレたちにも儲けさせろ」ってふっかけてるような気がする。

『現代ビジネス』の「ニュースの深層」という連載コラム?にあった「自由化を拒否したコメは瀕死、競争を選んだ国産サクランボは1.5倍にー「TPPで市場を開けば日本の農業は壊滅する」は本当か」という記事によれば、TPPによるメリットは11兆円、デメリットは8兆円なんだそうな。
だから、プラマイ3兆円でいいじゃないかという話ではあるまい(記事の真意がどこにあるのかは分からなかったけど)。
8兆円マイナスとなった産業分野は11兆円プラスとなった産業分野が補填してやるのかい?
貿易自由化のプラス部分をマイナスに再分配していかに調整するかは政治家の仕事である。そうすれば、国内の誰も損しない状況を作ることができる。」って、そんな簡単な話じゃないやろ。
もし成り立たなくなった分野の人たちが補償さえもらえればOKって廃業してしまえば、その分野は外国に任せておけばいいじゃんって話になるのかな?

国際間の話で考えてみても、ふつうに考えれば、どこかがプラスになればどこかがマイナスになるはずだよね。
しかも、経済的に成熟している国の間での取り決めで、安い資源や労働力を提供させらてる国や、その結果できた高い製品を買わされている国のことは考えられてなさそうだし。

何が何だかさっぱり分からんのだけど、感覚的に、たぶん生き物の本能として、怪しくキケンなものは感じる。
得体の知れないキケンなものに対しては、こう言うしかない。
「くわばらくわばら…」。

と書いて寝せといたら、そのフォローみたいな記事が内田樹のブログに上がってた。
オイラのくだらない戯言よりは、そちらを読んでいただいた方がよいかと思います。

追記
ついでにコチラも。



もどるつづく

日本は悪くない―悪いのはアメリカだ(文春文庫)
下村 治
文藝春秋


TPP亡国論(集英社新書)
中野 剛志
集英社

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コメント一覧

noga
no way
待ちの政治では、迅速な対応はできない。停滞気味である。

現実の内容は、「世の中は、、、、、」の内容であり、理想の内容は、「あるべき姿」の内容である。これは非現実である。
日本語には時制がなく、日本人は現実 (現在) と非現実 (過去・未来) の世界を独立させて並行して言い表すことが難しい。
非現実 (理想) に向かうための現実対応策が語れない。
現実から理想へと一足飛びに内容が飛ぶ。言霊の効果のようなものか。その過程が明確にされない。

時制を考慮することなく自分の思った内容を述べようとすると、現実肯定主義派と空理空論 (曲学阿世) 派のどちらかに分かれることになる。
これでは政治音痴は止まらない。
両者は話が合わない状態に陥り、議論ができない。そこで、悪い意味での数合わせで、民主的に、物事を決するしかないことを日本人は心得ている。
だから、多数がとにかく足並みをそろえる大連立の構想には意味があると考えられているのであろう。

守旧派の世界は理想的ではないが、過不足なく成り立っている。革新派の世界は穴だらけで成り立たないことが多い。
安心と不信の背比べである。だから、政治家は静観が多く、意思決定には手間を取る。
静観には現在時制を働かせるだけで十分であるが、意思決定に至るには意思(未来時制の内容)の制作が必要になる。
意思の制作に未来時制が必要であるということは、自分が意思を作って示すことも他人から意思を受け取ることも難しいということになる。
つまり、社会全体が意思疎通を欠いた状態のままでとどまっているということである。
それで、勝手な解釈に近い以心伝心が貴重なものと考えられている。

時代に取り残されるのではないかという憂いが常に社会に漂っている。
英米人の政治哲学に基づいて次々と繰り出されてくる条約締結の提案には、ただたじろぐばかりである。
自分たちには、哲学がない。理想もなければ、それに向かって踏み出す力もない。
筋道を明らかにされることのない指導者からの励みの要請に民は閉塞感を持っている。玉砕戦法のようなものか。
だから、我々は耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ必要に迫られることになる。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

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