雑感録

ニュースまでおバカブーム?

久しぶりにTVを見てたら、例の「三浦和義容疑者が自殺」のニュースが。
別のそのニュースそのものはどうでもいいんだけど、
笑ったのは、そんなニュースで号外まで出てたって話。
新聞社もよっぽど暇なんかね。
さらにケッサクなのは、そのニュースについて街頭でOL風のおねえちゃんにコメントを求めて、おねえちゃんたちが「エ~ッ!?」ってひどく驚いてるシーンを流してたこと。
27年も昔の事件の容疑者のことをおねえちゃんたちがどんだけ知っとんじゃい!
別におねえちゃんたちがケッサクなんじゃない。
そんなおねえちゃんにマイクを向けるTV局の大バカぶりにあきれてしまったのだ。

ひところ、おバカタレントのバカぶりを笑うというつまらんお笑いが流行っていたが、
この場合は笑わせようとしてバカをネタにするTV局の方が、それで笑わせられてる視聴者よりは少しばかり知恵があるのかもしれない。
どうやら報道番組はそれよりバカな連中が作っているようだ(某局だけのことなのかな?)。
ちなみに昔のお笑いは馬鹿の演じぶりが芸だったんだけどね、今のお笑いは芸もクソもありゃしない。
大バカが小バカを笑い、格上のバカが格下のバカをバカにして笑う。
最近話に聞く、陰湿な小中学校の図式そのものではないか。

閑話休題、事件報道なんてのは、そんなバカな連中が作っているせいか、本当に客観的な報道なんてのは滅多にない。
たいていの場合、悪者の目星をつけて、悪者であるという前提で取材、制作される。
無理矢理近所の人に話を聞いて、そいつが悪者だったという話がとれればそのまま流し、いい人なんですけどねえということになれば、表向きはいい人を装っていたが裏では…なんて話にもっていく。
悪者がハッキリした方が、視聴者にウケがいいからだろう。
松本サリン事件や福岡の一家惨殺での教訓というものは特にないようだし。

たまたま新聞では、別の事件報道に関連して、裁判員制度の開始を見据えて報道に公平性を、という話が載っていた。
偏った事件報道が裁判員に先入観を与えてしまうことを危惧しているのだろう。
しかし、マスコミに公平で客観的な報道を期待するのと、
裁判員制度なんかしないで報道に惑わされないちゃんとした裁判官が裁判するのと、
どちらが現実的かは言うまでもあるまい。


ニュースがまちがった日―高校生が追った松本サリン事件報道、そして十年
林 直哉,松本美須々ヶ丘高校放送部
太郎次郎社エディタス

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松本サリン事件―虚報、えん罪はいかに作られるか
河野 義行
近代文芸社

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松本サリン事件報道の罪と罰
河野 義行,浅野 健一
第三文明社

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報道は何を学んだのか―松本サリン事件以後のメディアと世論 (岩波ブックレット)
河野 義行,下村 健一,森 達也,林 直哉,磯貝 陽悟
岩波書店

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メディアは私たちを守れるか?―松本サリン・志布志事件にみる冤罪と報道被害 (市民講座いまに問う)

凱風社

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