東大寺の周辺はいつも観光・修学の人でにぎわっていますが,夜も更けて人影がなくなった頃,
ライトアップされた南大門や大仏殿は,日中とはまた異なった美しく荘厳な姿をみせてくれます。
池に鏡のごとく映った姿は別世界へ誘わているようで,いくら見ていても見飽きませんでした。
毎年8月のお盆に開かれる万灯篭会のときの大仏殿。この法要は時季さえ許せば一押しです。
東大寺の周辺はいつも観光・修学の人でにぎわっていますが,夜も更けて人影がなくなった頃,
ライトアップされた南大門や大仏殿は,日中とはまた異なった美しく荘厳な姿をみせてくれます。
池に鏡のごとく映った姿は別世界へ誘わているようで,いくら見ていても見飽きませんでした。
毎年8月のお盆に開かれる万灯篭会のときの大仏殿。この法要は時季さえ許せば一押しです。
興福寺五重塔は高さが約50mあり,京都・東寺に次いで二番目の高さを誇っています。
近くで観れば木組の壮大さに圧倒されますが,離れて眺めると風景に溶け込んだ
落ち着きを感じます。今回は夕景夜景を3枚集めてみました。
奈良ホテル北側の大池越しから
満月の夜(塔左中央が月)
猿沢池のライトアップ
喜光寺
阪奈道路宝来ランプから奈良市街に向かうと,すぐ左手にどこか見覚えのある堂があります。
現在の喜光寺本堂は,室町時代の再建ですが,行基が東大寺金堂を建立する際の参考にし
たと伝承されており,大仏殿の十分の一の大きさで「試みの大仏殿」とも呼ばれています。
法華寺
平城京宮跡を北側に回り佐保路に入ると,西ノ京や奈良市中心地とはまた違った
静かな風情を味わうことができます。法華寺は奈良時代,745年(天平17年)
藤原不比等の邸宅跡に光明皇后が皇后宮としたところで,その後,「法華滅罪寺」となり
国の総国分尼寺となりました。
海龍王寺・五重小塔
法華寺の東北に海龍王寺はあり,奈良時代の記録では「隅寺」と記されています。
境内から飛鳥時代の瓦が出土していて,奈良遷都以前から前身の寺院があった可能性が
あるといわれます。写真は西講堂内に安置されているもので,高さ約4mの小塔ですが,
奈良時代の作として国宝指定されています。
奈良市街の西方,生駒へ至る間には,国宝指定されている秀麗な本堂が三堂あります。
富雄川の支流湯屋川の流れに沿って堂塔が建つ霊山寺は鎌倉時代1283年(弘安6年)の築
で,和様仏堂の代表作の一つです。
ここにはもう一つ,重文指定の三重塔があるのですが,訪れたときは相輪の修理中で撮影を
止めてしまいました。もう一度訪ねたい寺院です。
伎芸天の有名な秋篠寺の本堂も鎌倉時代和様仏堂の代表作ですが,霊山寺と見比べる
と,秋篠寺の方は奈良時代の建築を思わせます。
長弓寺は,同じ鎌倉時代1279年(弘安2年)の建立でも密教仏堂の代表作です。
和様の中に桟唐戸・頭貫(かしらぬき)の木鼻など,大仏様が採り入れられ,新和様の典型と
されています。
もともと重塔の仏塔美に惹かれて撮影し始めたのですが,国宝級の金堂・本堂も巡るようにな
って,塔の立体とは異なった広がりの美しさを感じ入るようになりました。
長らく平成の大修理が行われていた唐招提寺金堂の落慶があったのは,
2009年11月でした。情報を得て出かけたところ落慶行事初日の前日で,
金堂前の舞台で練習しているところを観た記憶が蘇ってきます。
正面から捉えた写真が多いですが,この角度で光が堂内を照らしているのも
いいのではないでしょうか。
金堂の裏に回ると講堂と鼓廊を一目に入れられるポイントがあります。
人気の高い唐招提寺なので,ここも人通りがなくなるのを待つのは大変ですが
小石の敷き詰められた境内と堂の姿は時間の流れを忘れさせてくれます。
近鉄電車で大和西大寺駅,または県道9号線で唐招提寺から
北上した位置にある西大寺は,重文の本堂や,愛染堂,四王堂もいいですが
本堂前の東塔跡に惹かれます。
東大寺に対置されて創建され,東西に二基の五重塔が配置されていた
当時の伽藍はさぞ壮大だったことでしょう。
通いつめた場所の一つに西ノ京にある大池があります。
ここは薬師寺堂塔のビューポイントで,いつ訪れても池の端に三脚を構えたカメラマンがいて
ネットにアップされている四季折々の素晴らしい写真もここから撮影されたものが多いです。
左手奥に小さくですが,東大寺金堂のライトアップまで写せたのが気に入っています。
薬師寺東塔は世界に誇れる仏塔美。その姿はどう撮っても実物の秀麗さに迫れませんでした。
小学校の修学旅行のとき,まだ西塔の再建前で,石の基壇の水に東塔が映り込んだ
姿が忘れられません。現在は平成の大修復中だと思いその前の姿をアップしてみました。
ここに法輪寺をアップしたのは昨日の斑鳩からの流れでもあるのですが
薬師寺,法起寺と並べて,残っていてほしかった塔の代表という意味があります。
昭和19年の落雷で国宝だった塔が消失し,その後,幸田文女史の尽力で現在の塔が
再建されました。
西岡常一棟梁の作で,薬師寺西塔とともに将来,昭和の名塔と呼ばれるようになることを
願っています。
法起寺もまた,足しげく通ったお寺の一つです。
法隆寺から近く,奈良市内に抜ける途中にあるということも理由の一つですが
なにより周囲の田園風景と1300年以上前に建立された三重塔がマッチしていて
四季を通じて写真に撮ってみたいと思わせるところです。
1枚目は,お盆で東大寺の万灯会に行った帰り道
薄く雲がかかる満月が幻想的でした。
こちらは秋分のころ。コスモスと遠景の塔をたくさんのカメラマンが
田畑のあぜ道から狙っていました。
真冬の法起寺境内からです。回りの木々の葉が落ちて見通しのよいなか
強い風が雲に変化をつけてくれました。
サクラの時季,新緑のころ,境内の池に塔が映り込む姿も必見です。
開設1500日を目の前に,これまでアップした堂塔の中から
好きな風景150枚でふりかえってみたいと思いつきました。きょうはその第1日め
世界最古の木造建造物群であり,世界遺産である法隆寺の写真は,
ネット上にもあふれていますが,このブログの始まりも法隆寺西院伽藍へ向かう
石畳の参道から始まりました。
1300年余りの時間を経た堂塔と同じく,
この道をどれだけの人々が行き来したか思いをはせるのが好きです。
当時,仮住まいしていた堺からバイクを飛ばして約1時間
朝夕に法隆寺までツーリングというのはとても贅沢な時間でした。
中門から境内に入って金堂,五重塔を仰ぎ見るのも好きでしたが,
この池越えにながめる伽藍がとても美しく思えました。
西院伽藍も観るべき堂は多いですが,やはり夢殿
それも朝夕の陽が斜めに射す時が最も美しいと思います。
見学の人影が絶えるまで待つ時間がとても長く感じられました。
福山市内から県道22号線で鞆の浦を経由し,すれ違いもできないような県道47号線を
進むと,阿伏兎海岸に出ます。そこから徒歩5分ほどの断崖絶壁の上に阿伏兎観音は
あります。盤台寺が正式な名称です。
平安時代中期の992年,花山法皇が航海の安全を祈念して創建され,
その後,1570年,毛利元就によって再建されました。
堂は国の重要文化財指定を受けています。床が若干海側に傾いていて,立って歩くと落ち
そうになりました。
荒子観音の多宝塔は,1536年(天文5年)の再建で,名古屋市内で最古の建造物です。
板張りの亀腹が特徴で,高欄には四個の擬宝珠,組物は四手先,軒は扇垂木と,唐様の美しい建造です。
国の重要文化財に指定されています。