岡山市街地から県道26号線を東に走り,操山を抜けて少し行った円山に曹源寺はあります。
岡山藩2代藩主池田綱政が江戸時代初期1698年(元禄11年),
高祖父恒興,父光政の菩提を弔うために創建した寺院です。
参道から総門,三門,仏殿が一直線上という禅寺特有の配置で,
どこかで観たことがあると思ったところ,
京都妙心寺派ということで合点がいきました。
岡山市街地から県道26号線を東に走り,操山を抜けて少し行った円山に曹源寺はあります。
岡山藩2代藩主池田綱政が江戸時代初期1698年(元禄11年),
高祖父恒興,父光政の菩提を弔うために創建した寺院です。
参道から総門,三門,仏殿が一直線上という禅寺特有の配置で,
どこかで観たことがあると思ったところ,
京都妙心寺派ということで合点がいきました。
国道250号線を挟んで,ちょうど岡山城と反対の東側の山の中腹に塔を見ることができます。
瓶井山禅光寺安住院の多宝塔で,江戸時代前期,岡山藩主池田綱政が後楽園の借景として
築造させたものです。旧市街の各所から見えたと伝えられ「見返りの塔」と呼ばれてます。
備前市から国道374号線を湯郷温泉に向けて北上し
福本の交差点から県道414号線を少し南下したところに長福寺はあります。
山の中腹に建つ三重塔は,鎌倉時代1285年(弘安8年)の建立で
その後,何度か大修理が行われていますが,
岡山県下最古の木造建築で国の重要文化財に指定されています。
江戸時代以降,本山寺は津山藩の祈願所となりました。写真は藩主松平氏の霊廟で,葵の家紋がみられます。
また,本堂と三重塔の間にある常行堂は,1519年(永正16年)の建造で,県の重要文化財に指定されています。
本山寺は,平安時代末期1110年(天永元年),現在の地に移され天台密教の山岳道場として,
また,庶民信仰の霊地として栄え,僧坊も120を数えたと言われています。
写真の三重塔は江戸時代初期1652年(承応元年)建造され,三重塔としては岡山県下最大のものです。
岡山市内から国道53号線を北上し,久米南町役場の先を県道52号線に入って10数分走ると
右手に本山寺の案内が現れます。
寺伝によれば701年(大宝元年),「新山寺」と名付けられて創建され,約50年後に「本山寺」に改められたとされています。
写真の本堂は,南北朝時代の1350年(正平5年/観応元年)の創建で国の重要文化財に指定されています。
訪れたとき,桧皮葺の屋根にうっすらと雪が残っていました。
仏殿を回りこみ,裏手の一段高くなったところに三重塔があります。
寺伝では鎌倉時代1262年(弘長2年),北条時頼の寄進により建立されたとされますが,
昭和の解体修理の際,南北朝時代1376年(永和2年)の墨書銘が発見されています。
岡山県下では二番目に古い三重塔で,国の重要文化財に指定されています。
宝福寺は創建時,天台宗の寺院でしたが,鎌倉時代1232年(貞永元年)
地元出身の禅僧・鈍庵慧總によって禅寺に改められたとあります。
四条天皇の病気のため鈍庵が祈祷を行ったところ,病気が平癒し
以降,天皇の勅願寺となり発展したそうです。
写真は山門を登った奥の仏殿です。
岡山自動車道総社ICから国道180号線を高梁市に向かって10分ほど走ったところに
宝福寺はあります。参道を登っていくと,小振りながら禅宗様式の山門が向かえてくれます。
餘慶寺(よけいじ)は,中国三十三観音霊場第二番札所であり,
また,山陽花の寺二十四箇寺の第十六番でもあります。
上寺山からは岡山市街からとおく瀬戸内海が見渡せる展望が楽しめました。
写真の三重塔は江戸時代後期1815年(文化12年)建立のものです。