テト ベトナムのお正月(今年は2月3日) 旧暦で祝います
ベトナム人のテトにかける情熱は 50年前の日本人のお正月状態。
テトの間 4~6日間 商店はお休み、 人々は故郷に帰ります。
今の日本のお正月は 元旦からお店はやっているし 生活は さほど変わりませんが
昔は お店も休みなり 常とは違う街になっていたものです。
暑い 熱い 厚い テト
テトは 漢字の「節」です。
旧正月は 日本では 節分です
季節が変わる 節。
なるほど 中国の影響を受け 古来 文字は 漢字だったベトナムらしいです
北ベトナムは テトを 桃の花で祝うそうですが 南は 桃が咲かないためか
黄色い梅の花
テトは 黄色い花
どこに行っても この黄色い梅の花が 飾ってあります。
ただし、ベトナム南部でホアマイと称される黄色い花は、実際には梅ではないそうです。
梅はもともと厳しい寒さの残る早春の花であって、気温30度のベトナム南部で梅の花は咲きません。
ですから このホアマイを よくみると 梅の花とは 違う形です。
日本の梅は 白と赤ですが ホアマイは 黄色い花だけです。
南部の黄色いホアマイは、学名をオクナ・インテゲーリマ(Ochna integerrima)といい、梅とはまったく無関係の熱帯性の花です。
梅はバラ科であるのにたいして、オクナ科の植物ですから、梅とは別種です。
街のあちらこちらに 黄色い花が飾られ 商店のドアには 黄色い花のシールが貼られ
お祝いの華やかさを飾っていました。
ベトナムには 干支があります。
今年は猫とし。 日本と中国は うさぎですね。
ベトナムの干支は 日本と同じく 十二支は、「ね」「うし」「とら」と、12の動物が割り当てられていて、日本と同じように親しまれています。
マレーシアでも 十二支は 親しまれており 中国文化が濃厚なベトナムも同じです。
しかし、日本とベトナムでは動物の顔ぶれがいくつか異なっています。
決定的に異なるのは、ウサギがネコであることです。
今年は その 猫歳
その他の違いは 、「ウシ→水牛」「ヒツジ→ヤギ」「イノシシ→ブタ」。
あとは日本と同じです。
マレーシアの十二支は 日本と同じですが やはり イノシシは 豚です。
テトの2~3日間は炊事にわずらわされずにのんびり過ごすという意味もあり、日本のおせち料理と同様に、ベトナムでも伝統的な保存食が工夫されています。
代表的なものは「バインチュン」とよばれるモチ米料理。
中心に豚肉、その周りに緑豆粉ペースト、その外側にモチ米の層を作り、最後にラーゾンとよばれる植物の葉で幾重にも包みます。
これを10時間ゆでると、最大で1ヶ月近く日持ちするモチ米の保存食バインチュンができます。
通常、炊いたご飯は1日でいたみますが、バインチュンは、長時間ゆでることで完全殺菌されるうえ、包みかさねた葉のすきまにコメから出るノリ状成分がゆきわたって、外気を完全遮断することで、驚くべき長期保存を可能にしているそうです。
↑ バイチュン ↑バイチュン売りのおばさん
この 餅米を葉っぱで包んでゆでるものを正月料理とするのは
マレーシアのストゥーパが 似ています。、
同じアジア 文化に共通性が あります。
市場や店先には このバイチュンが 並べられていました。
昔は バインチュンはテトの数日前に手作りされていたそうです。
バインチュンをゆでる大きな鍋を、家族や近所の人々で囲むのが、比較的最近までテトを準備するおきまりのの光景だったそうです。
バインチュンゆでは、日本の年末の餅つきに似ていますね
最近では、日本の餅と同様に、バインチュンは店に行って買うものになっているらしいです。
バインチュンは包みの葉からモチ米に色移りするため、包みを開いたとき、モチ米の外側はあざやかな黄緑色をしています。
市場では 切って断面を見せて売っていました
包みを開いたバインチュンは、あらためて火を通さず、そのまま食べることができるます。
↑ 店先の 緑のものは すべて バイチュン
私は テトと聞いて テトの攻防を 思いだしました。
1968年のテト攻勢。ベトナム戦争中でもテトの際は戦闘が停止するのが慣例でしたが この年、南ベトナムの反政府勢力であった解放戦線は、1月31日の午前2時(すなわちテト初日が終わった深夜)に、首都サイゴンをはじめとする南ベトナムの各都市へ一斉攻撃をしかけたのでした。
この際、サイゴン中心街にあったアメリカ大使館の一部が数時間にわたって解放戦線に占領されたほか、チョロン地区も戦闘により広く被災しました。
1968年のテトは 1日30日でした。