韓国のプロパガンダは凄いの一言でもっともらしい。
考えてほしい韓国の統治は
ー1910年8月29日の日本による韓国併合から、1945年9月9日の朝鮮総督府による対連合国降伏まで、35年間続いた。ーー
明治から大正にかけて未開な朝鮮半島は日本になった。韓国映画「モルマイ」は1940年が舞台で合併後30年が経過している。
統治前の挑戦は文字が読めまい文盲率が高かった。福沢諭吉がハンブルを奨励した
イザベラバードの朝鮮紀行の中に以下の文章がある
ー朝鮮の言語は二言語が入り混じっている。知識階級は会話の中に漢語を極力交え、些かでも重要な文書は漢語で記される。とは言えそれらは千年以上昔の漢語であって、現在清で話されている言語とは発音がまるで異なっている。朝鮮文字である諺文「ハングル」は、教養とは漢籍から得られるもののみ、とする知識層から全く蔑視されている。朝鮮語はアジアで唯一、独自の文字を持つ言語である点が特色である。
もともと諺文は女性、子供、無学な者のみに用いられていたが、1895年1月、それまで数百年にわたって漢文で書かれていた官報に漢文と諺文の混じったものが現れ、新しい門出となった。これは重要な部分を漢字で表しそれを仮名で繋ぐ日本の文章の書き方と似ている。更なる刷新は独立・国政改革宣告文が漢文、純諺文、漢文諺文混合の三種類の文体で公布されたことで今では漢文諺文混合体は法令、公式文書、官報に正式に使用されている。一般に勅令及び外国代表への伝令は依然、漢文に固執している。
時に純諺文を用いることも含め、政府の混合文体使用により朝鮮語が認知されたこと、官僚候補生の適性をはかる試験「科挙」において漢文試験が廃止されたこと、新しい朝鮮の新聞「独立新聞」では専ら一般大衆の文字が使われていること、大団体である外国人宣教師達が朝鮮語を重要視したこと、諺文で書かれた学術書や文学書が徐々に増えてきたことは、朝鮮人の愛国心を強めるばかりでなく、自国の文字なら大抵は読むことのできる一般大衆を西洋の科学と考え方に接触させるのに役立っている。(32頁)
1894年7月、大鳥氏は官報を鮮明な活版印刷で発行すると言う有益な刷新を行った。そして翌年1月には漢字と「無知な者の文字」とされていた諺文の混合体が官報に用いられ一般庶民にも読めるようになった。当時は軍国機務処の決議が官報に掲載されること以外、めぼしい改革は行われなかった。その後日本の官報に近づくような改革がなされ、官報の重要性と言う点では失ったものより得たものの方が大きい。ー
漢字を使うのはエリート層(両班)でハングルは女性、子供、無学者のみだったこと。
文字の読めない朝鮮人が多いということで福沢諭吉はハングルに目を付けた。
ハングルと漢字の混ざった教科書教育が進められた。
未開な国家だった朝鮮は目覚ましい進歩を遂げる。
統治ということで朝鮮人はオリンピックなどは日本人として日の丸を掲げた。
朝鮮語抹消とあるが、統治下では統治された言葉を使うのは当時は当然のことだったが朝鮮語抹消までしたのだろうか?
(フランスがタヒチを植民地にしていたことでタヒチの公用語はフランス語である。)
当時の教科書はハングルが混ざっていることから朝鮮語抹消まで言っていたのだろうか?
1940年が舞台であることから終戦1945年までの4年間ということになるが
統治から30年が過ぎて、当時のモノクロ動画を見ても朝鮮人と日本人が仲良く会話したりしている。
朴槿恵の父親朴正煕は軍人を目指し士官学校に留学して、日本式の士官教育を受けた、
満州軍第8団で副官としてソ連軍との対戦に加わった。
朝鮮半島の南北分離時は南部の大韓民国を支持して国防警備隊の大尉となった。
戦争時には多くの朝鮮人が入隊した事実がある。
朝鮮人が日本人と共に戦った。
韓国人が漢字を捨てたことが残念な韓国を作り上げてしまった。
ハングルはひらがな、カタカナのようなもの、同じ言葉でも意味が違うから、ひらがなカタカナでも伝えずらい。
ハングルも同じで前後の言語で意味を理解するしかない。
漢字ならば日本語も朝鮮語も伝えやすい。
日本語は英語が出来なくてもほとんどの専門知識も理解することができる。
日本語しかできない人間がノーベル賞を取ることができるのだ。
母国語でノーベル賞を取れる国は世界中で日本だけだ。
中国、韓国でも英語を覚えない限りノーベル賞は不可能なのだ。
その漢字を捨てた朝鮮民族。悲しい民族としか言えない。
ハングルにこだわることで母国語でノーベル賞を取れなくなってしまった。
自ら漢字を覚え、古い書物を読もうともしない、歴史を知ろうとはしない。
ウソを100回言えば真実になってしまう。おかしな朝鮮民族だ。
ソースから
映画『友へ チング』でチャン・ドンゴンがユ・オソンに言った名セリフ「おれがお前のシダバリか」の「シダバリ」(使いっ走り)も日本語と考える韓国の人が多いが、事実日本では使わない言葉だ。部下を意味する言葉という。「シダ」は下という意味の日本語だろう。「バリ」はさまざまな説があるが、軍人を「軍バリ」という時のように若干おとしめる感じの「バリ」のようだ。
日本語だが韓国で別の意味で使われる場合もある。例えば韓国の新聞社や出版社などで使う「ヤマ」という言葉。日本では山という意だ。ところが韓国では核心主題という意味で使われる。「記事にもヤマがなければならない」「この記事のヤマは何なの?」という形で使う。日本の新聞社でそのような形で「ヤマ」という言葉を使うのは聞いたことがない。
そんな話を交わしながら刺身と焼酎を楽しんだ。その時馬山(マサン)出身の知人が「ソウルでは飲むのが難しい焼酎がこの店にはある」として注文した焼酎が「舞鶴(ムハク)」という馬山の焼酎だった。瓶には「舞鶴」と漢字で書いてあった。日本人ならば見ればすぐに京都北部の舞鶴という地名が思い浮かぶだろう。そこで私もその瓶を見た瞬間に日本のお酒かと思い喜んだ。馬山出身の知人によると馬山にある舞鶴山から取った名前だという。
「京都の舞鶴とは関係ない」とSNSに舞鶴焼酎の瓶の写真を上げたところ、ある日本人が「舞鶴は港町なので韓国と縁が深い」と教えてくれた。そういえば1945年8月に起きた浮島丸沈没事件も舞鶴港で起きた悲劇だった。解放後日本から帰国しようとする朝鮮出身者らが青森から釜山へ行く浮島丸に乗ったが、突然船が方向を変え舞鶴港に入港しようとしたが爆発が起き沈没した事件だ。死亡者が5000人を超えるという資料もある。計画的なものという指摘もある疑問の事件だ。
気になって舞鶴山の名前の由来を探してみたところ、山の形が鶴が踊るように見えるからという説もあり、日帝強占期に日本人によって付けられたという説もあるという。それならやはり舞鶴と関係があるかもしれない。最初に舞鶴という漢字を見てうれしがった気持ちが少し複雑になった。
韓国の人たちから日本語のような単語を聞くたびに気になって検索してみると「日帝の残滓」と説明されていることが多い。事実、建物であれ言葉であれ「日帝の残滓」に接するものは韓国にあるからだ。韓国にいれば自然に日本と関連した部分に関心が行くが、知ってみるとその大部分が植民地支配と連結されたものだ。
日本では日帝強占期に日本語を強要したという事実自体も知らない人が大部分だろう。植民地支配の歴史さえ知らない人もいるほどだからだ。3・1独立運動100周年だった昨年に韓国で公開された映画『マルモイ ことばあつめ』は1940年代に日本語を強要される中で危険を冒して朝鮮語辞典を作ろうとした人たちの話だ。正直、日本では公開するのが難しいと思いながらも、こうした歴史もあったということを伝えようと日本メディアに『マルモイ』を紹介する記事を書いた。ところが予想ははずれた。いま日本で『マルモイ』が公開され話題になっている。
『マルモイ』の日本のホームページを見ると、俳優佐野史郎のコメントがある。「数年前、韓国の方とドラマで共演した際、韓国語の中に日本語と同じ単語がいくつもあることを知った。けれどそれらは朝鮮半島が日本統治下にあった時代に、強制的に日本語を覚えさせられた結果残った言葉だったのだ」。
このようにいままで知らなかった事実に衝撃を受けて見る日本の観客もいるようだ。韓国で過ごさなければ接するのが難しいと考えた「日帝の残滓」について、海を渡った映画が代わりに教えてくれている。
考えてほしい韓国の統治は
ー1910年8月29日の日本による韓国併合から、1945年9月9日の朝鮮総督府による対連合国降伏まで、35年間続いた。ーー
明治から大正にかけて未開な朝鮮半島は日本になった。韓国映画「モルマイ」は1940年が舞台で合併後30年が経過している。
統治前の挑戦は文字が読めまい文盲率が高かった。福沢諭吉がハンブルを奨励した
イザベラバードの朝鮮紀行の中に以下の文章がある
ー朝鮮の言語は二言語が入り混じっている。知識階級は会話の中に漢語を極力交え、些かでも重要な文書は漢語で記される。とは言えそれらは千年以上昔の漢語であって、現在清で話されている言語とは発音がまるで異なっている。朝鮮文字である諺文「ハングル」は、教養とは漢籍から得られるもののみ、とする知識層から全く蔑視されている。朝鮮語はアジアで唯一、独自の文字を持つ言語である点が特色である。
もともと諺文は女性、子供、無学な者のみに用いられていたが、1895年1月、それまで数百年にわたって漢文で書かれていた官報に漢文と諺文の混じったものが現れ、新しい門出となった。これは重要な部分を漢字で表しそれを仮名で繋ぐ日本の文章の書き方と似ている。更なる刷新は独立・国政改革宣告文が漢文、純諺文、漢文諺文混合の三種類の文体で公布されたことで今では漢文諺文混合体は法令、公式文書、官報に正式に使用されている。一般に勅令及び外国代表への伝令は依然、漢文に固執している。
時に純諺文を用いることも含め、政府の混合文体使用により朝鮮語が認知されたこと、官僚候補生の適性をはかる試験「科挙」において漢文試験が廃止されたこと、新しい朝鮮の新聞「独立新聞」では専ら一般大衆の文字が使われていること、大団体である外国人宣教師達が朝鮮語を重要視したこと、諺文で書かれた学術書や文学書が徐々に増えてきたことは、朝鮮人の愛国心を強めるばかりでなく、自国の文字なら大抵は読むことのできる一般大衆を西洋の科学と考え方に接触させるのに役立っている。(32頁)
1894年7月、大鳥氏は官報を鮮明な活版印刷で発行すると言う有益な刷新を行った。そして翌年1月には漢字と「無知な者の文字」とされていた諺文の混合体が官報に用いられ一般庶民にも読めるようになった。当時は軍国機務処の決議が官報に掲載されること以外、めぼしい改革は行われなかった。その後日本の官報に近づくような改革がなされ、官報の重要性と言う点では失ったものより得たものの方が大きい。ー
漢字を使うのはエリート層(両班)でハングルは女性、子供、無学者のみだったこと。
文字の読めない朝鮮人が多いということで福沢諭吉はハングルに目を付けた。
ハングルと漢字の混ざった教科書教育が進められた。
未開な国家だった朝鮮は目覚ましい進歩を遂げる。
統治ということで朝鮮人はオリンピックなどは日本人として日の丸を掲げた。
朝鮮語抹消とあるが、統治下では統治された言葉を使うのは当時は当然のことだったが朝鮮語抹消までしたのだろうか?
(フランスがタヒチを植民地にしていたことでタヒチの公用語はフランス語である。)
当時の教科書はハングルが混ざっていることから朝鮮語抹消まで言っていたのだろうか?
1940年が舞台であることから終戦1945年までの4年間ということになるが
統治から30年が過ぎて、当時のモノクロ動画を見ても朝鮮人と日本人が仲良く会話したりしている。
朴槿恵の父親朴正煕は軍人を目指し士官学校に留学して、日本式の士官教育を受けた、
満州軍第8団で副官としてソ連軍との対戦に加わった。
朝鮮半島の南北分離時は南部の大韓民国を支持して国防警備隊の大尉となった。
戦争時には多くの朝鮮人が入隊した事実がある。
朝鮮人が日本人と共に戦った。
韓国人が漢字を捨てたことが残念な韓国を作り上げてしまった。
ハングルはひらがな、カタカナのようなもの、同じ言葉でも意味が違うから、ひらがなカタカナでも伝えずらい。
ハングルも同じで前後の言語で意味を理解するしかない。
漢字ならば日本語も朝鮮語も伝えやすい。
日本語は英語が出来なくてもほとんどの専門知識も理解することができる。
日本語しかできない人間がノーベル賞を取ることができるのだ。
母国語でノーベル賞を取れる国は世界中で日本だけだ。
中国、韓国でも英語を覚えない限りノーベル賞は不可能なのだ。
その漢字を捨てた朝鮮民族。悲しい民族としか言えない。
ハングルにこだわることで母国語でノーベル賞を取れなくなってしまった。
自ら漢字を覚え、古い書物を読もうともしない、歴史を知ろうとはしない。
ウソを100回言えば真実になってしまう。おかしな朝鮮民族だ。
ソースから
映画『友へ チング』でチャン・ドンゴンがユ・オソンに言った名セリフ「おれがお前のシダバリか」の「シダバリ」(使いっ走り)も日本語と考える韓国の人が多いが、事実日本では使わない言葉だ。部下を意味する言葉という。「シダ」は下という意味の日本語だろう。「バリ」はさまざまな説があるが、軍人を「軍バリ」という時のように若干おとしめる感じの「バリ」のようだ。
日本語だが韓国で別の意味で使われる場合もある。例えば韓国の新聞社や出版社などで使う「ヤマ」という言葉。日本では山という意だ。ところが韓国では核心主題という意味で使われる。「記事にもヤマがなければならない」「この記事のヤマは何なの?」という形で使う。日本の新聞社でそのような形で「ヤマ」という言葉を使うのは聞いたことがない。
そんな話を交わしながら刺身と焼酎を楽しんだ。その時馬山(マサン)出身の知人が「ソウルでは飲むのが難しい焼酎がこの店にはある」として注文した焼酎が「舞鶴(ムハク)」という馬山の焼酎だった。瓶には「舞鶴」と漢字で書いてあった。日本人ならば見ればすぐに京都北部の舞鶴という地名が思い浮かぶだろう。そこで私もその瓶を見た瞬間に日本のお酒かと思い喜んだ。馬山出身の知人によると馬山にある舞鶴山から取った名前だという。
「京都の舞鶴とは関係ない」とSNSに舞鶴焼酎の瓶の写真を上げたところ、ある日本人が「舞鶴は港町なので韓国と縁が深い」と教えてくれた。そういえば1945年8月に起きた浮島丸沈没事件も舞鶴港で起きた悲劇だった。解放後日本から帰国しようとする朝鮮出身者らが青森から釜山へ行く浮島丸に乗ったが、突然船が方向を変え舞鶴港に入港しようとしたが爆発が起き沈没した事件だ。死亡者が5000人を超えるという資料もある。計画的なものという指摘もある疑問の事件だ。
気になって舞鶴山の名前の由来を探してみたところ、山の形が鶴が踊るように見えるからという説もあり、日帝強占期に日本人によって付けられたという説もあるという。それならやはり舞鶴と関係があるかもしれない。最初に舞鶴という漢字を見てうれしがった気持ちが少し複雑になった。
韓国の人たちから日本語のような単語を聞くたびに気になって検索してみると「日帝の残滓」と説明されていることが多い。事実、建物であれ言葉であれ「日帝の残滓」に接するものは韓国にあるからだ。韓国にいれば自然に日本と関連した部分に関心が行くが、知ってみるとその大部分が植民地支配と連結されたものだ。
日本では日帝強占期に日本語を強要したという事実自体も知らない人が大部分だろう。植民地支配の歴史さえ知らない人もいるほどだからだ。3・1独立運動100周年だった昨年に韓国で公開された映画『マルモイ ことばあつめ』は1940年代に日本語を強要される中で危険を冒して朝鮮語辞典を作ろうとした人たちの話だ。正直、日本では公開するのが難しいと思いながらも、こうした歴史もあったということを伝えようと日本メディアに『マルモイ』を紹介する記事を書いた。ところが予想ははずれた。いま日本で『マルモイ』が公開され話題になっている。
『マルモイ』の日本のホームページを見ると、俳優佐野史郎のコメントがある。「数年前、韓国の方とドラマで共演した際、韓国語の中に日本語と同じ単語がいくつもあることを知った。けれどそれらは朝鮮半島が日本統治下にあった時代に、強制的に日本語を覚えさせられた結果残った言葉だったのだ」。
このようにいままで知らなかった事実に衝撃を受けて見る日本の観客もいるようだ。韓国で過ごさなければ接するのが難しいと考えた「日帝の残滓」について、海を渡った映画が代わりに教えてくれている。